在りし日の 5




14.郁也

 やだな。
 なんでこんなにからだが重いんだろう。
 息が苦しいような気がする。
 しんどい。
 どうして、こんなに暗いんだろう。
 何もない。
 昇紘?
 ………
 李翠?
 ………
 玉絹?
 ………
 誰もいない。
 そういえば、ここは、どこなんだろう……
 オレは?
 オレは、誰だった?
 さっき誰かの名前を呼んだ気がしたけど、なんて名前だったっけ。
 変だ。
 おかしい。
 どうして、何にも思い出せないんだろう。
 暗い。
 寒い。
 淋しい。
 誰か、誰でもいいから傍にいてくれ。
 オレは、その場に蹲った。
 足が痛い。
 よく見れば、足元は、砂利みたいな石ばかりだ。
 こんなところに、いたくない
 どこか、どこか別の場所に行きたい。
 歩かないとな。
 オレは、ゆっくりと、立ち上がった。
 一歩を、慎重に踏みだす。
 痛い。
 からだが重いと思ったのもしかたがない。
 だって、オレは、なんか、変なヤツを、ぶらさげてたんだ。
 なんだ?
 いったいなんで、こんなところから、こんなヤツがぶら下がっているんだろう。
 オレの、左胸の少し下に、何かが、突き刺さっている。それにぶら下がっているのは―――
「!」
 オレは、悲鳴をあげようとして、出来ないことに気がついた。
 こんなところにこんなものが突き刺さっているから、声が出ないんだ。
 抜かないと。
 こんなヤツをぶらさげたままじゃ、歩けない。
 どうしよう。
 鋭く尖ったものに、オレは、手をかけた。
 痛くて。
 手が、血を流す。
 焦って、何度も失敗する。
 やだ。
 怖い。
 痛い。
 重い。
 どうして、離れない。
 手が、ぼろぼろで、もう、握れない。
 誰か。
 誰か。助けてくれ。
 オレは、どうすればいいのか、わからなかった。
 途方に暮れて、そこに佇んでいた。
 誰かの名前を呼びたい。
 そんな衝動があった。
 けれど、オレの頭の中は、恐怖で一杯だけど、他のものは、何もないんだ。
 空っぽ。
 空っぽなんだ。
「xxx」
 ふと、慕わしい何かが聞こえたような気がした。
 ここに、オレ以外の誰かがいる。
 誰だろう。
 見回してみても、すべてがぼんやりとしていて、誰もいないようにしか感じられない。
 いるのは、オレが引きずっているヤツだけだ。
 こんなの、いらないのに。
 気のせいだったのか。
 オレは、ここにずっといないといけないのかもしれない。
 やけに鮮明に見ることができる、白目を剥いた怖ろしい顔をしたヤツといっしょに。
 イヤだ。
 イヤだ。
 イヤだ。
 泣き出してしまいそうだった。
 狂っちまう。
 誰か。
「xxx」
 さっきよりはっきりと、誰かの声を聞いたような気がした。
 誰だよ。
 どこにいるんだ。
 頼むから、姿を見せてくれよ。
 必死になって、オレは、引きずりながら、歩いた。
 一歩進むたびに、足の裏も、何かが突き刺さっているそこも、痛くてたまらなかったけど。
 オレにしたら、がんばったと思う。
 なんとなく、さっきより周囲が明るくなったような気がするから。
 足元の砂利が、丸くなったような気がするから。
「xxx」
 女の声が聞こえたと思った。
「xxx」
 男の声が聞こえた。
 オレのよく知っているはずの声なのに。
 思い出せない。
 呼びたいのに。
 少しずつ、少しずつ、周囲が明るくなってくる。
 ああ。
 ひとがいた。
 そんなことが、こんなに嬉しいなんて。
 さっきの、怖くてならなかった涙じゃなくて、嬉しくてしかたがなくて涙があふれた。
 なのに、名前を思い出せないんだ。
 翡翠の髪と目の女も。
 黒い髪と目の男も。
 オレの中は、空っぽで、だから思い出せないんだ。
 女が、男が、手を差し伸べてくる。
 けど、名前を思い出せないオレは、どちらも選ぶことができない。
 自分の名前も、ふたりの名前も。
 オレは、誰だ。
 あんたたちは、誰なんだ。
「あたしだよ」
「予だ」
 オレの混乱が通じたのか、ふたりの声が、明瞭に、聞こえた。
「さあ、いっしょにいこう」
 女が、手を伸ばしている。
「帰るんだ」
 男が、手を伸ばす。
「西李」
「郁也」
 ああ、そうだ。
 オレの空っぽの頭の中に、いきなりたくさんの情報が、流れ込んできた。
 それは、オレの記憶だった。
 忘れたはずの記憶もある。
 忘れたい記憶も。
 覚えていない記憶さえも、そこにはあった。
「あたしといっしょに、いってくれるよね」
 明翠が、笑う。
「予と帰るんだ」
 昇紘が、憮然と命令する。
 ケタケタと、笑い声が聞こえてきたのは、そのときだった。
 オレの胸から生えた剣にぶら下がっている男が、笑っている。
「どっちをえらぶんだ」
 血を流しながら、名前も知らない男が、言う。
 どっちを選んだって、おまえの行く場所はいっしょだ。
 早いか遅いか、違いはそれだけさ。
 歌うように、嘲るように、男は、血を流しながら、言う。
「西李」
「郁也」
 ケタケタと、男が笑う。
 三人の声が、うるさいくらいに頭の中を飛び交っていた。
 目が回る。
 気が狂う。
 オレは。
 オレは………。
 オレは、ゆっくりと、手を伸ばした。



15.昇紘

 何度かの危篤を乗り越えて、郁也は、目を覚ました。

 しかし――――――

 郁也が刺されてから、五日目の朝のことだった。

 ぼんやりと予を見るまなざしが、やけに、澄んでいる。
 いつも、予をまっすぐに見ることのない、褐色の瞳が、予をひたと捉え、ついで、李翠に逸らされた。
「郁也」
「父さん」
 手を握る予に、身を硬くするでもなく、郁也が、首をかしげる。
 戸惑っているような、不思議がっているような、まるでいとけないこどものような仕草だった。
「郁也?」
 二度、郁也がひどくゆっくりとした瞬きをした。
 そうして、
〔だれ?〕
と、そう、つぶやいた。
 李翠の息を呑む気配が、伝わってきた。ついで、遠ざかってゆく気配があった。
 郁也は、きょろきょろと周囲を見回して、
〔ここは、どこ? なんで、ぼく、こんなところにいるの?〕
 郁也のことばに、予の胸に湧き上がってきたものは、いったい、何だったのか。
「郁也」
 阿呆のように、郁也の名前を繰り返し、予は、握っていた郁也の手を、額に当てた。
 郁也が、生きている。
 それだけで、充分だった。
〔ぼく、郁也っていうの?〕
 手を握っている予を不思議そうに見て、郁也は、
〔おじさん、だれ〕
 そう、訊いた。
「予は、昇紘。この国の王で、おまえの、夫だ」
 見開く瞳のあどけなさに、愛しさが、こみあげてくる。
〔おうさま? しょうこう? おっと? ぼく、おとこだよ〕
「男でもだ」
〔ふうん。へんなの〕
 いったい何才くらいなのか。
〔ぼく、おなかへったよ〕
 予の手の中から、手を抜いて、郁也が起き上がろうとする。
 止める間もあればこそだ。
 そうして、案の定、
〔いたい……。からだがいたいよ〕
 涙をこぼした。
「今、医者が来る。大丈夫だ。おまえは、助かったのだから」
 目にかぶさる前髪を、梳き上げてやる。
 袖で、涙を拭ってやると、
〔ありがと〕
 そう言って、ほんの少し、笑った。
 愛しい。
 どうしようもないくらい。
 どうすればいいのかも、わからないくらいにだ。


 あれから一年は、あっという間だった。
 怪我が治れば、もしかして、心のほうも治るかもしれないという医師のことばは、気休めだったのかもしれない。
 まだ、郁也の心は、あの日目覚めたばかりの少年でしかない。
 しかし、予は、別段焦りはしなかった。
 予と郁也とには、いくらでも時間があったからだ。
 ゆっくりでいい。
 いつか、歳相応の笑顔を予に向けてくれることを願いながら。

 焦れたように顔を歪めて、郁也が、予を見る。
 李翠の腕の中から、まっすぐに。
 予が、手を差し伸べるのを待っている。
 予は、ゆっくりと近づき、郁也を受け取った。
 腕が、肩から背中に回される。
 郁也を抱え上げると、ほんのりと、午後の陽射しのにおいがした。


つづく



from 11:43 2005/10/14
up 07:02 2005/11/01


あとがき
 五回目
 いつもより少々短めです。
 お約束満載の反応な浅野くんですが、彼の場合は、こうなるかなぁと。
 殺されかけたしね〜。
 毎度毎度の不幸キングぶりですが………。以降、昇紘さんの浅野くん溺愛ぶりが、続くはずです。昇紘さんのメロメロぶりが、笑えるといいなぁと思いつつ、思ったほど崩れてくれないんですよね。これは、愛なんだろうか? う〜ん。
 以下、少々魚里の思考が偏重をきたすというか、まとまり悪いです。
 もうしばらくお付き合いくださると、嬉しいです。


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