ブラコンなんです 1





「凶つ星が降り立った」
 しわがれた声が、闇の中小さくつぶやき、途絶えた。



※ ※ ※ ※ ※



 頬に痛みが走った。
 ひどくゆっくりと、痛む箇所を指先で撫でる。
 指先に血がついていた。
「お、お前が悪いんだ」
 震え歪んだ声で、少年が対峙する少年を糾弾する。
 黒い髪と白い肌、血のように赤いくちびるの、美しい少年だった。
 恋人の心変わりの逆恨みなど、しかし、彼の耳には入っていなかった。
「お前がっ」
 震える手でナイフを持ち直した少年は、しかし、その場から動くことができなかった。
 なぜなら。
 彼の魅惑的な紫紺の瞳から総ての感情が消えているように見えたからだ。
 彼は、ただ、彼を凝視していた。
 いや。
 放心しているかのように見えた。
 彼の、魅力的な紫紺のまなざしのその奥に、恐ろしいほど醜い色が滲み出しているような気がした。
 穏やかな笑みをたたえている赤いくちびるが、禍々しい嗤いに引き攣れ吊り上がってゆく。
 喉の奥で噛み殺し損ねた笑い声が、彼の耳に届いた。
 その声にふくまれた、凶悪なまでの憎悪に、少年の全身が無様なほどに震える。
 底冷えするような視線を向けられて、全身の血が下がってゆく。
「おまえ。よくも、私に傷をつけてくれましたね」
 私の大切な顔に。
 いいざま少年に詰め寄り、その手のナイフを奪い取る。
「私の大切な兄さまの皮膚に」
 ナルシスティックな台詞の後につづけられたことばに、恐慌をきたす少年は気づかない。
 気づく余裕もありはしなかった。
 奪われたナイフが少年の喉を切り裂いていた。
 信じられないと見開いた目も、苦痛に歪む。
 音たてて落ちる血の量に、
「失敗しました」
 口調は、きわめて軽い。
「これでは、死にますね」
 倒れてもがく背中を見下ろし、溜め息を吐く。
「兄さま以外の血に染まるつもりなどなかったのですが。しかたありません。兄さまから頂いた大切な皮膚を傷つけたのですから」
 相応の罰は必要ですよね。
「けれど、ね。死なれても困るのも、事実です」
 これでも、この国の王子ですから。
 しかも、第一位の王位継承者。
「しかたありませんね」
 少年が腕を一振りする。
 掌で燃える禍々しい紫の炎を虫の息の少年にかざした。
 炎は少年の中に吸い込まれ、そうして、少年が起き上がる。
「我らが王よ」
 片膝ついて、忠誠の礼を取るのは、まぎれもない、王子。しかし、その瞳があやしくかぎろう。
「これから、お前はこの国の第一王子として、私の命に従うのです」
「承知」
 短い応えの後、王子は、高慢に佇む彼に背を向けた。



※ ※ ※ ※ ※



 燃え盛る炎はクライマックスを迎えた。
 火の粉が舞い上がり、暗くいがらい空気の中に、不安な面持ちで佇む人々を陰影深く照らし出す。
 かつては瀟洒だったろう赤い煉瓦組の屋敷が音をたてて崩れ落ちる。
 見守る家人たちから悲痛な悲鳴があがった。



「にいさま」
 可愛らしい声が聞こえる。
「まって」
 声に応えて、少しばかり年嵩の少年が振り返った。
 いまだ幼気(いたいけ)な視線の先で、可愛らしくもあどけない顔の中きらきらと輝く紫紺のまなざしが、しかし、なにかちらりと歳に似つかわしくない光を宿して消えた。
 かすかな間のこととて気づくことも無かっただろう、手を差し出す少年は五歳ほどだろうか。からだごと向きを変えようとして、バランスを崩しその場に頽れた。
「にいさまっ」
 駆け寄る三歳ほどの少年が、兄と呼んだ少年の顔を覗き込む。
「だいじょうぶ?」
 声に反応して、
「だいじょうぶだ」
と、少年の口が動いた。
 しかし、声は出ない。
 よくよく見やれば、襟ぐりの伸びきった肌着の隙間から、少年の首のなかばから下、左半身に大きなケロイド状の引き攣れを見ることができる。
「ごめんなさい。ユーベルのせいだ」
 天使のような顔を歪めて、少年が、涙を流す。
 なんどか失敗をくり返し立ち上がった少年が、慎重に腰を屈め、弟と視線を合わせた。
 漆黒の艶やかな髪に覆われた頭を数度かるく撫で、
「だいじょうぶだっていったろ」
と、もういちどゆっくりと口を動かした。
「だって、にいさまこんなにけがしてる。みんなユーベルをかばったせいだ」
 三歳にしてはしっかりとした口調で、しかし、まだ、涙がやむけはいはない。
 肩を竦めた少年は、弟の頬を両手でやわらかく挟むと、きゅうとばかりに片方を上に片方を下に動かした。
 天使のような少年の顔が、不自然に歪む。
「いひゃい」
 涙をたたえた目が大きく見開かれた。
「だいじょうぶだって、いったろ。もう、なきやめよ」
 ぱくぱくと動く兄のくちびるを読み、それですぐに泣きやむことができれば面倒はない。
 ちいさな手をきつく握りしめ、目の下をこする。
「さあ。かえろう」
 ばさばさの茶色の髪の下、同色の瞳が眇められるようにして笑った。
「うんっ!」
 それを認めたユーベルが兄の手をぎゅうと握り締める。
 ゆっくりと、ふたりは、家に帰ってゆく。
 田畑で仕事をしている大人たちは、そんなふたりを見ることもない。しかし、その背には、おそらくは本能的なものであったろう、不自然な強張りを見て取ることができた。




つづく



start 18:18 2012/10/24




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