絶望のまなざしが、郁也を見る。
絶望のその奥に、憎悪を感じて、郁也の背中が震えた。
憎まれている。
城に来る前に自分に向けられていた感謝のまなざしとは真反対のそれに、郁也の心は折れそうになった。
それもそのはず。
血なまぐさい噂の王宮に連れて来られた郁也に課せられたのは、罪人の治療だったのだ。
目を背けたくなるほどの傷を負い血を流す多くの罪人たちを、癒すようにと命じられた。
意外だと思った。
王宮で行われている凶行は、郁也の耳にだけ入らないなどというはずがなかった。
苛虐を好んでいるのが王妃であり、王は王妃を諌めることすら放棄しているのだと言う。
どうしてだ……と訊ねた郁也に、誰もが口をつぐんだ。
メガンもマルカも何も言わなかった。
なにか、触れてはならない理由があるようだった。
それでも。
どんな理由であれひとを傷つけていいわけがない。
しかし、ここは、専制君主の世界である。王は神であり、神であるからには絶対であるのだ。神である王に愛されているという王妃もまた、神に愛されているからには絶対の存在なのだ。
誰ひとりとして、王と王妃とに逆らう術はない。
逃げ場のない閉じられた世界は、それ自体が巨大な処刑場であり、人々は老人から赤ん坊にいたるまで、引き出されるのを待つしかない囚人のようなものでしかないのだ。
自分もまた例外ではないのだと、引き立てて行かれる間中、郁也はどれだけ不安と恐怖にかられていただろう。
『城に連れてゆく』と。
『そこにお前のなすべき役目がある』と。
そう言われていてさえ、恐ろしさが勝った。
メガンが同行を言ってくれなければ、逃げ出していたに違いない。
もしもあの時逃げ出していれば、自分は今頃どうなっていただろう。
恐ろしい想像に郁也の全身が震える。
「そら」
灰色の上着を着た男が荷物のように、傷だらけの人間を郁也の前に投げ落とした。
思わず後退さりそうになる。
どんな拷問をされたのか想像したくないほどのありさまで、血まみれの囚人は呻く力もないのだろう。
なのに。
郁也が意を決してしゃがみ込んだ途端、痛くないはずがないというのに、動くことすら辛いだけだろうに、全身を固くして郁也から離れようとしたのだ。
その濁ったまなざしに込められた絶望と憎悪とを、郁也は長時間見返すことはできなかった。
自分もまた加害者なのだ。
それを痛いほどに感じながら、囚人のからだに手をかざした。
途端。
全身に襲いかかるのは、決して慣れることのない、苦痛だった。
焼け爛れるような、痛みである。
鞭を打たれ、膝から下を縛められ少しずつ砕かれてゆく。
爪を剥がれ、口に押し込められた漏斗から水を流し込まれる。
内臓が裂ける。
喉をこみあげてゆく生臭い血の味。
王妃のお気に入りの囚人は、死の寸前まで追いやられては郁也の癒しの力で生を繋がれる。
それがどれほどの地獄であるのか。
瞬間的な追体験を繰り返す彼にとって、決して他人事ではないのだ。
一瞬にして、囚人の受けたさまざまな拷問と苦痛とが流れ込んでくる。
そうして、消えることはない。
ここに連れて来られてまだ三日に過ぎないというのに、彼の脳内には、十数名の囚人のたどった拷問とその時に受けたダメージとが刻み込まれていた。
そのせいだろう。
郁也の鳶色の髪は、わずか一日で白髪へと変貌を遂げてしまったのである。
すまない。
いくや……と、ここでは呼ばれることのない名前をささやかれる。
男のようであり、女のような、不思議なトーンの声が哀しそうに名前を口にするのだ。
愛したひとの心に心地好い香のように残るように。
少なくとも………と。
そう願ってつけられた名前だった。
しかし、悪友からはなぜか、“フミヤ”と呼ばれる。
渾名だよなと諦めた郁也にとって、いつしかそちらの方が馴染み深いものとなっていた。
だから、メガンに名前を聞かれた時、自然と“フミヤ”と名乗ってしまったのだった。
もっとも、こちらの世界では、“イクヤ”という発音は難しいらしい。
その上……………
ためしに発音してもらった時、メガンはどうしても発音できず、最終的に、“イクヤ”は“リ・クゥア”となった。
自分の発したことばに、メガンは刹那呆然とした。
ついで青い顔をして、
『いいか、郁也、そのことばを口にしちゃ駄目だ』
と言ったことが、郁也の印象には強く残っている。
………………禁忌にされていることばであるようだった。
つづく
start 20:28 2010/10/10 (2010/09/29)
21:41 2010/11/06
あとがき
名前がめちゃくちゃですが〜済みません。