艶体詩  2

 オレは、この国の人間が未開の地と呼ぶ国の一つで生まれた。
 地平線を見晴るかす豊かな平原がオレの故郷だ。
 何度目になるのか、オレが生まれる前から四十年近くつづけられていた戦に、一兵士として参加したオレは、初陣であっという間に捕虜になってしまった。
 捕虜っていうのは、人間以下の扱いを受ける。
 下手すりゃ家畜以下なんだ。
 奴隷ってやつだ。
 オレの国にも、この国の兵だったって捕虜がいたからな。お互い様なんだろうけど、けど、なっちまったら、おしまいだよな。生きて帰れるのなんかほんの一握りの幸運なやつだけだ。
 不安でならなかった。
 怪我ひとつなかったことが幸いなんて考えられなくて。
 怯えたぶざまさで、競り市に引きずり出された。
 後ろ手に縛られたまま台上に上げられて、服をひっぺがされて、全身くまなくさらされるんだ。健康か病気持ってないか――――とか。
 オレを人間なんて思っていないやつらばかりだった。
 オレはそこでやけに高値がついていた。
 つぎつぎとオレを見るためにやってくる男たちが、ざんばらに乱れてた髪を上げさせたり口を開けさせたり、はては、口で言うにははばかられる箇所まで覗き込まれたりして、悲鳴を上げそうになるのを堪えていたんだ。
 怖くてたまらなかった。
 そこでオレを買ったのが、男の家の家令だったんだ。
 何人かとまとめられて、男の家に連れてかれた。
 男は、この国の将軍のひとりだった。
 都にある立派な館の奴婢になったオレは、家畜小屋でほかの奴隷たちと寝起きしてた。
 馬の扱いに長けてるオレたちは、馬小屋じゃなくそれ以外の家畜小屋に振り分けられてた。仲間をひとところに置いていると、脱走を計画するかもしれないからだ。
 こき使うだけこき使って、少しでもへまをすると殴る蹴るの折檻を受ける。なんといっても、飯抜きが一番堪えた。
 オレもほかのやつらも、生きることだけで精一杯だった。
 死んだら逃げる機会もない、一矢報いることもできない。
 そうだろ?
 そんな毎日だった。
 何の気まぐれか将軍が奴隷の点検に来なければ、オレはそのままの境遇に甘んじてたか、逃亡を果たしたか、失敗して殺されたかのどれかだったろう。
 仕事をしていたオレたちは、監督に呼ばれて、慌てて一列に並んだ。
 そうして、やってきた男の顔を見て、オレは、真っ青になった。
 男に見覚えがあったからだ。

 その前の晩だった。

 散々こき使われて、もらった飯も犬の残飯ていどでさ。
 それもないよりましだから。かきこむように食らった。
 歩きながらだ。
 星が遠い。
 見上げた夜空は、故郷で見るのとは違っていた。
 今頃は、騎馬の競技会がある。
 首長が見守る中で、いっせいに草原を駆ける。
 一日がかりの壮絶な競技会だ。
 決められたコースを夜明けから日の入りまで何周できるかを競う。
 終わるころには、騎手も乗馬も、へとへとだ。
 どれだけ強靭な馬を育てるか、どれだけ持久力を鍛えることができているか。
 優勝者は一小隊の隊長を任される。
 だから、成人した男たちは死に物狂いだ。
 オレも成人してすぐの競技会に出た。ビリじゃなかったけどな。その他大勢の中の一騎だった。
 馬の蹄が蹴散らす草と土の湿った匂いが懐かしかった。
 思いっきり馬を駆けさせたい。
 そうして、川っぷちで水浴びと愛馬の世話をやくのだ。
 敵の矢に倒れたオレの愛馬。
 ずっとオレが面倒を見ていたのだ。
 大切な宝物だった。
 けど、オレが捕虜になったあの日、あいつは、死んだのだ。
 思い出したとたん、泣けてきた。
 今の今まで思い出す余裕もなかったのだと思えば、自分が冷血に思えてならなかった。
「…………」
 あいつの名を口にする。
 梢を鳴らして風が通り抜けた。
 それに水の匂いを感じて、オレは、これまで足を踏み入れたことのなかった庭の奥へと踏み込んだのだった。
 月に照らされて、橋のかかった池があった。
 池のふちにひざまずいた。
 地下水がわいているのだろう。
 揺らぐ水面に映ったオレの顔は、乱れて像を結ばない。
 オレは池の水を掬って顔を洗った。
 暖かな夜風に水浴びをしたい欲求もある。
 何日水を浴びていないだろう。
 さぞかし鼻が曲がるくらいの異臭を放っているだろう。
 周囲を見渡す。
 誰もいないように見えた。
 だから、オレは、お仕着せの襤褸を脱いだ。
 冷たい水だった。
 頭まで水に浸かる。
 髪の毛を何度も扱いて洗う。
 からだをこする。
 オレは夢中だった。
 だから、気づいていなかったんだ。
「なにをやっている」
 低い男の声だった。
「ひっ」
 オレの口をついた短い悲鳴は、条件反射だった。
 情けないけど、気に食わないことをやれば鞭が飛んできたりする環境にいれば、そうなる。
 怯えて竦んだウサギのようなもんだ。
 ウサギはそれでも、力をためて後ろ足の蹴りを繰り出す。
 けど、オレには何も残されてはいなかった。
「す、すみません」
 自ら上がってすぐにも逃げ出したかった。
 けど。
 オレは素っ裸だし。
 まさか、素っ裸で逃げ出すわけにも行かない。
 第一、オレの服は、男の足元に脱ぎ捨ててる襤褸だけしかないんだ。
 換えなんかないんだし、なくしたりなんかしたら、どんな目にあわされるかわかりゃしない。
 男の顔が月光に照らし出される。
 猛禽を連想するいかめしい顔をしていた。
 切れ長の目が鋭くオレを凝視している。
「池から上がれ」
 命令に慣れた口調だった。
 逆らいがたい威厳が、オレを打ち据える。
 全裸だっていうことも頭からきれいさっぱり消えていた。
 ただ命令に従わなければと、まるで飼い馴らされた犬のように、オレはふらふらと水から出ていたんだ。
 羞恥に全身が燃えるようだった。
「両手は両脇につけろ」
 くちびるを噛み締めた。
 目を瞑って、オレは、からだの前に重ねていた両手を脇につけた。
 目を瞑っていても、痛いくらいの視線だった。
 全身を余すところなく観察されている。
 と、
「く……っ」
 顎を持ち上げられた。
 眉間に皺が寄る
 不意になにか乾いたものがくちびるに触れたような気がして目を開けたオレは、ほんの目と鼻の先に男の顔があるのに慄かずにいられなかった。
 顎から外れた手が首をたどり、肩を撫でる。腕から肩を執拗に撫でさすられて、オレは、途方にくれた。
「名前は」
 長く思えた沈黙の後に降ってきた声は、より低く喉に絡んでいるかのようだった。
 月が放つ白い光が、男の目を光らせた。
「テルム」
 逆らえない。
 まるで獲物を狙う獣のような底冷えのするまなざしに、オレは男に名前を明かさないではいられなかったのだ。
 男が笑ったような気がした。

 あの後どうやって家畜小屋に戻ったのか、オレの記憶は途切れている。
 名前を言ったことで、今日なにか罰でも与えられるのではないか、戦々恐々としていたのだ。

 並んだオレたちの目の前で供を従えて立っているのは。

 あの男だった。

 この屋敷の主人で、蕭将軍だと、男の背後に控えている男の一人が言った。
 オレの全身の血が下がる。
 容赦なく冷徹で冷血と噂だったからだ。
 歳は四十ほどだろうか。
 陽光の下で見る蕭将軍は、月光の下で見たよりも端整で、より一層その鋭さが際立つ容貌の男だった。
 将軍は、青ざめているオレの腕を鷹のような容赦のなさで掴んだ。
「こい」
 その短いひとことで、オレは、思いも寄らない境遇に堕とされたのだ。



つづく

start 13:40 2009/06/16

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