〜悪夢〜GAME




 目が覚めるとベッドの上だった。
 起き上がろうとして、違和感に気づく。
 えっ?
 なんでっ?
 なんだって足が動かない?
 なんで………。
 オレは、誰だ?
 頭の中に、霞がかかっている。
 オレ………ああ、オレは、オレの名前は…………
「郁也」
 低く密やかな声だった。
 なのに、パニックの中に落ち込んでいた、オレは、膨らみきったゴム風船が割れるような衝撃に襲われた。
 びっくりした。
 背中までが痛いような感覚が治まらないまま、オレは、オレの名を呼んだ相手を振り返った。
 そうして、
「ぐぅっ」
 先ほどとは比べ物にならないくらい、心臓が痛んだ。
 痛い。
 イタイ。
 い………こわい。
 黒い目、黒い髪、端正な顔立ちの男が、オレを見下ろしている。
 ただ、見下ろしてるだけだ。
 なのに、なんで、こんなに怖いんだろう。
 全身が震える。
 脂汗が流れる。
 頭が、割れるくらいの音が、耳の奥で響く。
「――――――」
 男が、何かを言っている。
 涙でかすむ視界の向こうで、男の薄い口がパクパクと動く。
 わからない。
 聞こえない。
 ―――聞きたくない。
 頭を振って、いざリ逃げようとする。
 必死で腕に力をこめて、下半身を引き寄せる。
 なんで?
 オレ、歩けたはずなのに。
「ひっ」
 オレの肩を男が、掴んだんだ。
「―――――」
 あいかわらず、男の口が動いている。
 わからない。
 わからない。
 わからないんだっ。
 手を叩き落し、必死になって、男から離れようとする。
 なのに、男は執拗で、再度オレの肩をつかむと、振り向かせた。
「いやだっ、さわるなっ、たくまっ!」
 友人の名前が、口をついた。
 と、思ったときだった。
 鋭い音がして、次いで灼熱が、オレの頬で弾けたんだ。
 両肩をつかまれて、振りたてられる。
 頭ががくがくして、ただでさえ物が考えられない頭が、くらくらと惑乱した。
 わかるのは、男がなにか怒っているということだけだった。
 けれど、どうしてなのか、オレには、男のことばがわからない。声は聞こえているのに、日本語を喋ってるって云うのまでわかってるのに、まったく理解できないんだ。
「やだっ。ごめんなさい………ごめん、なさいっ」
 やっと揺さぶられるのがやんだ。けど、めまいがして気分が悪い。
 ベッドに手を突いて、肩で口で、息をしてた。
 はっはっと、犬みたいな息だ。
 ぽたぽたと、汗が、開いたままの口から唾液が、こぼれ落ちる。
 腕に力が入らないから、このまま突っ伏せたら、凄く楽になるだろうな。
 けど、なんでだろう。
 男の前でそんな格好になったらいけないって、頭のどこかで警鐘が鳴るんだ。
 でも、凄く、楽な格好になりたい。
 目を閉じて、眠りたい。
 眠って、起きたら、こんなわけのわからない状況が解決できてるんじゃないかって、あさはかにも考える。
 そうしたら、琢磨がオレを迎えに来るだろう。で、学校まで一緒に行くんだ。
 他愛のない日常。
 ごく普通の、淡々と過ぎてゆくだけの、毎日。
 でも、なぜなんだろう。
 それをとても懐かしいと感じるのは。
 恋しいと感じるのは。
 切なくなって涙があふれるのは。
「―――――」
 また、声がした。
 重い頭を無理やり男のほうに向けた。
「!」
 頭を固定したと思ったら、男は、オレにキスしてきたんだ。
 抵抗しようにもオレの体勢はからだを捻った無理なもので、足は動かないし、ベッドについてる手を離したら全身を男に預けることになりそうで、それもできない。
 心臓も血管も、大忙しだ。
 頭の中の毛細血管が破れそうなくらいに脈打ってる。
 オレの全身は、面白いくらいに震えているだろう。

 よくわからないまま、オレは、男のなすがままだったんだ。

 コロセ――――――

 声がした。
 よく知っているような。
 まったく知らないような。
 命令を下すことに慣れている声だった。
 いやだ。
 当然の反応だ。
 誰かを、何かを、殺すのなんか、絶対にしたくない。
 なのに―――――――
 声は、無感情なまま、ただ、繰り返すんだ。

 コロセ――――――

 同じことばが、単調なまま、つづけられる。
 だんだんと、ほかのことが考えられなくなる。
   殺せ。
 殺せ。
 殺せ。
 そうして、ついに。
 オレは、それを引き抜いた。



 パンっ――とか、ポンッ――とか、軽い音だった。
 ドラマや映画で流れるような、いかにも破壊しますといったような音ではなかった。
 けれど、その音は、オレを正気づかせるのには充分な音だった。

 頭の中が、クリアになってゆく。
 けど、どこまで行っても悪夢なんだな。
 あいつ。
 あいつが、脇腹を押さえてオレを見ている。
 指の間からにじむのは、あいつの血だ。
 オールバックの黒い髪が、乱れて額にかかっている。
 黒い目には、いつもの鋭さがない。
 オレをこんなにしたヤツだ。
 オレが、偶然あいつの仕事を見てしまったから、だから攫って、逃げられないように縛りつけた。
 愛してる?
 ささやかれたときには、ただ混乱するばかりだったけど。
 こんなのが愛なはずがない。
 こんなのが愛なんて、認めない。
 あれはただ、ベッド上での戯言にきまっている。
 オレが嫌がるのを知っているくせに愛だなどとほざく。
 それだけだ。
 いかれた男の妄想だ。
 そうに決まってる。
 こいつは、いかれてるんだ。
 人殺しなんだから。
 だとすれば、オレも、いかれてるんだろう。
 この男を殺すんだから。
 ささやく声は、ぴたりと止んでいた。
 あれは、オレの心の声だったに違いない。

 だから、これは、今度は。

 もう一度、引き金を引いた。

 逸れるはずのない距離で。
 なのに、なぜ。
 オレの顔は、引き攣っているだろう。
 情けなく焦って、そうして、怯えて、引き攣っているに違いない。
 殺せなかったんだ。
 殺せない。
 もう一度引き金を引く気力は、失せていた。
 熱に煽られたような、不思議にハイな気分はたちまちしぼんでしまった。
 取って代わったのは、殺される―――純粋な恐怖だった。
 オレの手から落ちたそれを、あいつは取り上げた。
 なのに。
 殺されると覚悟したオレの目の前で、あいつはそれを、元通りジャケットの隠しにもどす。
 それどころか、オレの髪をかきあげて、額に手を当てた。
「まだ暗示は解けていないのか」
 そんなことをつぶやいた。
 ――――撃たれてやれば正気に戻るとは、悪趣味だが、効果的だな。しかも、また、暗示は解けずじまいか。
 こいつの服のざらつく肌触りに、全身が逆毛立つ。
 こいつは、服を着たままで、オレを抱いたんだ。
 それは、隠しにある拳銃をオレが取れるようにとの配慮だったということなのか。
 たしかに、そうでもしなければ、オレにこいつを殺せるはずもない。
 こいつの隠れ家は、世界中に散らばってるが、生業のせいなのか生き延びるための手段なのか、どこに何があるかということを、こいつは恐ろしいくらい詳しく記憶している。
 それは、たとえばホテルに部屋を取ったとしてもだ。
 こいつが行くところはどこへでも、最近のオレは連れまわされている。
 オレのものだって云う偽造パスポートが何通あるんだか、オレは知らない。こいつが勝手に作って、勝手に管理している。
 それはともかく、そんなわけだから、オレが、こいつの目をかすめて拳銃を隠せるはずもない。
 唯一のチャンスは、まぁ、そういうときだけってわけだ。
 そうだよな。
 情けない思いで、ぼんやりしてるオレの耳に、
「馬鹿が」
 苦々しげに吐き捨てる声が届いた。



 足を使えなくされて、逃げることも出来なくて、どれくらい、あいつに閉じ込められつづけたんだろう。
 多分抵抗力が落ちてたんだと思う。
 ちょっと風を引いたかもしれないって感じで咳が治まらなくなったと思ったら、息が苦しくなるし、全身は痛いし。
 ああ、このまま死ぬな。
 覚悟を決めた。
 こんなになって、家に戻れるなんて、考えなかった。
 本当は、戻れるのかもしれない。みんな心配してるに違いないからな。けど、人殺しにかこわれてたうえに、歩けなくされたなんて、説明できやしない。されたほうも、困るに決まってる。
 人殺しの現場を見たから、足を折られて、それで、犯人に面倒見てもらってました?
 変だろ、どう考えても。
 突っ込まれる。絶対。オレだってそんな説明だったら、突っ込みまくる。
 だから、オレの心の中じゃ、変な話、家族に対する諦めはつけてたんだ。
 逃げられたとしても、みんなのところには帰れないだろうって。
 情けないというか、あんまりだよなとか、色々文句もあるけど、こんなもんか―――って、達観もあった。
 そうでも思わなきゃやってけないって云うのが本音かもしれないけどな。
 まぁ、そんなわけで、何も言わずにただオレは、ぼんやりと目を閉じてた。
 ちょうど、あいつも、“仕事”らしくて、留守だったし。
 あいつがいないときの食事は、貧しいもんだった。日数分に少々プラスαした菓子パンと牛乳とかだからな。ったって、何を食べても味なんかわからない状態だったからなぁ。その反動というか、穴埋めなのか、あいつがいるときの食事は、豪華だ。あいつが台所に立つって知ったときは、びっくりしたもんだ。オレなんかカップ麺がせいぜいだもんな。
 菓子パンが欲しいって食欲もわくわけなく、むやみに喉が渇いて、飲み物はほとんど全滅だった。
 それでも、あいつは帰ってこなくてさ。
 オレは、必死に、覚悟を決めた。
 変な表現だけどな。
 ともあれ、あいつが戻ってきたとき、オレは半死半生状態で、さすがのあいつもオレを病院に運び込む羽目になったんだ。
 そのままほっぽってってくれてれば、今のオレはいない。今のあいつもだ。
 オレとしては、そのまま放置してくれてもよかったのにと思わないでもない。
 こーんな軽い調子で喋れるようになるなんて、当時は及びもつきゃしなかったんだからな。
 今オレが使ってる車椅子は、あいつがこの時購入したやつだ。
 どうせならオートマティックのヤツがよかったのにな。残念ながら、これは、手で車輪を回すタイプだ。
 二週間近く入院してたから、けっこう重病だったんじゃないかな。
 まさか、毎日あいつが見舞いに来るとは思わなかったが。
 余計なことを喋らないようにって見張りも兼ねてたみたいだが、へろへろのオレにそんな気力があるはずもない。
 そうして、なんとなく、ほだされたオレがいる。
 簡単だよな、オレって、けっこう。
 単純って馬鹿にしてくれてもいい。
 殺し屋相手に何やってんだって、罵ってくれてもかまわない。
 なんかよくわかんないけど、寂しいんかなって、思っちまったんだ。
 病室のオレを見るあいつの目のが、なんか、いつもと違ってやわらかい雰囲気でさ。
 何くれとなく手を貸そうとしてくれるようすなんか、『やさしいお父さんね』なんて看護師さんに好印象なわけだ。
 りんごを可愛らしく剥いてくれたときなんか、もう、ベタ過ぎて、呆然としちまったしな。お約束ってヤツだろ。
 けど、その技のベースって、もしかして、ご職業柄ですか―――なんて思うと逆に怖くなったりな。
 そんなこんなで退院するころには、以前ほど構えることはなくなってた。
 うん。
 まぁ。
 その。
 あれは、あんまり好きじゃないけどな。
 どうしても、構えちまうし。
 最初が、あれだったから、どうしても怖気が出てしまう。
 実のところ、オレ一生しなくても平気よ?!
 なんていったら、病気か? とか云われそうだけどさ。
 うん。
 けっこう枯れてます。

 前置き、長くなったよな。

 きっかけは、そういうことだったんだと思う。
 慣れない車椅子を使って、あいつの隠れ家の中を自由に動き回れるようになった。
 行動の制限は、されなかった。
 慣れてないからな、これが制限っていわれりゃそれまでだが。
 仕事(深く考えない)が終わった後だからか、ゆったりと毎日あいつはくつろいでる。
 毎日監視の目があるって感じでもあるけど。
 夜のお相手は嫌だったけど、どうにか、毎日をやり過ごしていた。
 そうして、ある日、パスポートを見せられたんだ。
 クエスチョンマークが頭の中にいっぱいだった。
 名前が違う。
 国籍も違わなくないか?
 誕生日も違うし。
 写真はオレだったけど、他は、まるっきり他人のデータだった。
「この名前を覚えるんだ」
 そんなこと云われて、オレは、おとなしくそれを記憶した。
「私のことは、わかっているな」
 人目があるところでは、親子という設定がデフォルトなのは、病院で体験済みだったから、オレは、それにも、うなづいた。
 どこかの国に滞在して、そこから出るたびに、パスポートを換えている。
 ややこしそうだけど、基本、その辺はオレはノータッチだ。
 こいつが動くときに何をしてるかも、オレが知らないのと同じってわけだよな。
 知らない振りは、実はけっこう簡単だった。
 こいつの顧客っていうのはお偉いさんばっかで、オレには縁もゆかりもないセレブとかがターゲットらしい。そういうのって、見なけりゃ簡単に知らん振りできる。
 オレは、常に、見ざる、聞かざる、ついでに、言わざる――なわけだった。

 そうして、やがて一年になろうかって時だった。

 車椅子にもめっきり慣れた。
 あいつもオレのことはあるていど放任してくれるようになった。
 それが、祟ったわけだ。
 そんなに隠れ家から離れたつもりはなかった。
 あいつは“仕事”で不在だったから、オレは、あいつに買わせたゲームをやってたんだ。
 ゲームをするか本を読むか、テレビを見るか。オレがするのは、それくらいだ。ネットをさせてくれるほど、あいつはオレのことを信用しきってはないらしい。だから、あいつの書斎のパソコンは、使用禁止だった。使おうと思えば使えないこともないけど、下手を打ったら、夜に何をされるかわからないから、それがストッパーになってんだよな。オレの場合。
 家のことに手をつける気なんかまるっきりない。
 あいつが帰ってきたからって、おかえり――ひとつ言うわけじゃない。
 これは、ある種の意地だよな。
 オレが音を上げるのがはやいか、あいつがオレに愛想をつかすのがはやいか。
 勝負ってわけじゃないけどな。なんとなくそんなふうに考えてるオレがいた。
 ゲームに飽きて、オレは、部屋の中をぐるぐると回ってた。
 読書でもいいけど、あいつの蔵書は、オレにはちんぷんかんぷんなものばかりだ。
 オレが読みたいとごねると、マンガを買ってきてはくれる。けどな、外国じゃ、やっぱ、連載遅れてるからな。ともあれ、どんな顔して、これ買ったんだかと考えると笑えてくる。けど、これって、あいつにとっちゃけっこうなストレスに違いないんだ。これを買ってきた夜なんか―――――ああ、いやだ。わざと思い出さなくってもいいだろ。オレ。
 テレビも、飽きたしな。
 だから、オレは、散歩に出たんだ。
 外の空気を吸ったら、昼飯代わりの菓子パンでも齧ろうかな。
 この習慣は、いまだに変わらない。
 オレが意地でも家事をしないから、嫌がらせのつもりかもしれない。
 それとも、なんとも思ってないか―――の、どっちかだな。
 ま、おたがいさまか?
 あいつは、けっこう稼ぎがいいらしくてっていうのも今更だが、世界中に隠れ家を持ってるらしい。ここも、そのひとつだ。けっこう広い土地で、林の奥の湖のほとりなんつう、少女趣味な場所だったりする。しかも家は、こじゃれた感じのログハウスだからなぁ。彼女と泊まるならこんなロケーション最高って、盛り上がるに違いない。まぁ、相手は、あれだけどな。
 テレビを見てはいるけど、この国のことばがしゃべれるってわけでもない。
 なんとなくこんなこと喋ってるんだろうなぁって、ほとんど勘だったりして。
 車椅子のホィールをまわしながら、オレは、湖の岸まで出た。
 桟橋にはボートが寄せられてる。
 暇なときに、あいつは湖に出て釣りをするんだそうだ。
 今度釣った魚を食べさせてやろうなんて云ってたけどな。
 あいつって、けっこう、待つの苦にならないタイプなんだなぁ。
 趣味なんかないんじゃないかとか勝手に思ってたら、これが、趣味が広い。読書は一ん日中でも平気みたいだし、音楽も聴くし自分でもピアノ演奏するんだよな、絵も描く、インドアかと思えば、釣りもするし、モーターボートも動かす。セスナも操縦できるらしい。乗馬とかもできるらしいしな。でも、ハンティングはしないそうだ。誘われれば参加はするが、狙いを定めることはないらしい。他にも色々聞いたけどな、忘れちまった。なんか全部、あいつの職業にかかわってるようなことな気がして、背筋が冷たくなっちまったんだよな。
 桟橋に出ると、晩春と初夏のどっちだろうって時季だし、湖の上を渡る風が少し肌寒いくらいに思えて、なんか気持ちよかった。
 けど、あんまり長いこといたら風邪ひいちまいそうだなぁ。そういや、今日ぐらい帰ってくる予定とか言ってたようなって、オレがやっぱり戻ろうかって思ったときだった。
 気がついたら、オレの背後にひとが立ってたんだ。
 シャツにジーンズの、どこにでもいそうな男がふたり。
 顔は笑ってるけど、善良そうには見えない。
 だいたい、ひとんちの敷地に勝手に入ってきた人間がどんなににこやかにしてたって、“良い人”なわけない。
 逃げようと思ったって、どうやって逃げろって?
 桟橋は狭いし。車椅子はけっこう幅とるし。オレの後ろには男がふたり。目の前も左右も、湖。
 絶体絶命じゃん。
 うん。
 だから、オートマチックの車椅子にしてくれって、云ったんだって。
 冷たい汗が、全身をぬらしてる。
 ああ、絶対風邪ひいちまう。
 男の口が、ぐにぐに動いて、なんか喋ってるけど、にこやかに笑ってるけど、手が、オレに向けられてる手には、しっかり拳銃が握られてたりして……………。
 オレに、選択の自由なんかないわけね。
 脱力しちまった。
 抵抗するだけ、無駄だよな。
 痛いのなんかごめんだ。
 ほんというと、全身震えてるんだけどな。
 顔だってどうせ真っ青で引き攣ってるんだろうけど、頭の中だけは、現実から逃避してたんだ。
 結局、そのまま、オレは、ふたりの男に拉致されたんだ。



 そうして――――――



 実を言うと、オレが覚えてるのは、そこまでだった。
 オレの記憶からは、その間の出来事が、すっぽ抜けてる。
 みごとなまでに。
 オレは、五日ばかり行方不明だったらしい。
 “仕事”から戻ったあいつは、オレがいないことを知って、探しに出たらしいけど。どうやってあいつがオレを探し出したんだか、喋りもしないから、知らないけど。ほんというと、知ってるんなら教えて欲しいとこなんだけど。あいつは、口を閉じると、貝以上だからな。絶対、教えてはくれないだろう。
 たった五日なんだか、五日間もなんだか、微妙な気がしないでもないが。
 どっちにしても、その間に何があったのか。
 不安になる。
 気が狂いそうになるんだ。
 時々、記憶が前後する。
 まるっきり、こいつのことすら覚えてなくて。
 記憶の中は、真っ白だ。
 自分が誰か、ってことから、思い出さないといけなくて。
 なのに、いきなり、こいつにされたことが怒涛のごとく頭の中に湧き出してくる。そうなるともう、パニックだ。こいつに閉じ込められてたときに、オレの中の時間だけが、逆戻りする。
 怖くて、辛くて、何もかもが嫌でたまらなかったときに―――だ。
 ただ、こいつを殺さないとって、強迫観念にとらわれるんだ。
 頭の中が、誰かの指示でいっぱいになる。
 そうして、わけがわからないまま、こいつの懐から、拳銃を抜き取る。
 引き金を、引き絞る。

 その繰り返しなんだ。

「馬鹿が」
 吐き捨てるような声に、オレは、顔を上げた。
 オレのことか。
 そんなふうに思ったからだ。
 けど、オレを見下ろすあいつの目は、怒っているわけじゃないみたいだった。
 何回目の発作だったろう。
 もう数える気力もないくらい、オレは、こいつを殺そうとしてる。
 それが、ほんというと、辛くてならない。
 どうしようもないくらい、苦痛だ。
 だから、オレは―――――――――
「死のうなど、するな」
 降って来た声は、やるせなくなるくらいに、やさしい。
 ふわりとたちあがるのは、かすかなコロンのかおりだ。
 肌を触れ合わせないと感じないくらいの、静かなかおりが、オレの鼻腔を満たした。
 抱きしめられて、オレの全身が震える。
 情けないことに、しゃくりあげる。
 こいつに抱きしめられて、なんだって、こんなに安心しちまうんだろう。
 こいつを殺したくないから、こいつの死んだところを見たくないから、だから自分が死のうとしたんだ―――なんて、まるで、オレが、こいつのことを好きみたいじゃないか。
 そんなことは、ない。
 ないに決まってる。
 違う。
 オレは、自分の手を汚すのが嫌なんだ。
 自分が人殺しになるのがいやだから、だから、自分で死のうとしたんだ。
 だれが、こいつのためになんか、死を選ぶもんか。
 心の葛藤が、外に出ていたのだろうか。
「わかっている」
 そう云われて、オレは、全身が熱くなるのを感じた。
「おまえは、私をどれだけ嫌っても憎んでもかまわない」
 ささやきは、甘い。
「私が死ななければおまえにかけられた暗示が解けないというのなら、殺されてやってもかまわない。が、人殺しになりたくないと、そう云うのなら、この状況に甘んじるがいい」
 耳を軽く噛まれて、全身が震えた。
 オレは、そのまま押し倒される。
「私がおまえを愛していると、それだけを知っていればいい」

 なにがあろうと、おまえを手放す気だけはない。

 どこまでも、このゲームに付き合ってやろう。

 オレの顔を覗き込むと、こいつは、にやりと不敵な笑みをくちびるに刻む。

 ―――やがて、それはそのままの形でオレのくちびるに落ちてきたんだ。



おわり

START  11:18 2009 03 20
END   22:50 2009 03 21
◇ いいわけ その他 ◇

 えと、「悪夢」の続編です。あれはあのままじゃあまりにかわいそう過ぎなので(いつもという突っ込みは、ご容赦)、ちょっち救済話をと思ったのですが、「憑かれたもの」のリスペクトなのが丸わかりですね。あれが頭にあったために、どうしても悲惨な運命な郁也クンというのは免れません。ああ。救済になっとらん。その上、たまには、ほだされてなんとなく一緒にいるって感じで――というのも頭にあったので、しっちゃかめっちゃかな話となりました。
 めちゃくちゃ久しぶりの更新です。といいつつ、ひそかにブログで連載やってたり。ENDマークつくかどうか謎な連載ですが。いつもか………うんXX しかもオリジナルだしね。
 しか〜し、なんかとっちらかった文章です。
 暗いのか明るいのか、書いててわけわかんなくなってました。駄目駄目です。きっと、神経ぎりぎりなんでしょうね。郁也クン。
 で、相変わらずのマイペースな、昇紘さま。鬼ですね。やっぱ。なんとなくやさしそうなんだけど、やってることも言ってることも、ついでに思ってることも、鬼にはまちがいないないと思われます。
 殺し屋って時点で………。
 殺し屋ってあたりで、頭の中には、「ツーリングEXP.」が浮かんじゃって、困りましたよ。でも、まぁ、イメージとしたら、カーディフ氏のイメージに近いかもとか思ったり。
 少しでも楽しんでくださると、魚里は飛び上がって喜びます。
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