in the soup 3





 オレは、家に帰りたくて仕方がなかった。
 まだ学籍はあるだろうけど、留学なんか、もう、どうだってよかった。
 ただ、家に帰って、全部忘れてしまいたかったんだ。
 けど、それも、できない。
 逃げるのすら怖くて、できなくて、オレは、どうすればいいのか、わからなかった。



「え………」
 いきなりのことで、なにが起きたのか、わからなかった。
 わかったときには、目の前に、エンリケが立っていた。
 隙のないスーツ姿で、怜悧な目が、オレを見下ろしている。
 オレはといえば、素っ裸で、後ろから昇紘に抱きかかえられているっていうざまだった。今まで寝てたんだ。で、なにと思うまもなく、いきなり、だったんだ。心臓が喚きたて、血管という血管が膨れ上がって、動悸が頭の中で響きまわっている。
 いやだっ。
 首を振る。
 いやなんだっ。
 喚いてるつもりだったけど、うろたえるばかりで、言葉にならない。
 昇紘の膝の上、背後から抱え上げられて、胸元を、昇紘の手が這っている。
 そんな、あまりに情けない状況を、エンリケが、見ている。
 あまりといえばあまりだ。オレは、咄嗟に顔を背けた。悲鳴をとめることすらできなかった。もっとも、声にはなっていなかったらしいが。
 昇紘が、何かを言っている。
 エンリケが、何か、答えている。
 そうして、部屋を出てゆくエンリケを、オレは、視界の隅で、見ていたんだ。


「な、なんでっ」
 やっと、言葉になった疑問に、
「なぜ?」
 昇紘が含み笑う。
「したくなったから――だが」
お前は、私の、愛人だろう。
 涙目に、きつい顔をした男が映る。
「エ、ンリケが………っ」
 昇紘の手が、ズボンの中で、へんなふうに動く。
「関係ない」
 耳の付け根を吸われて、全身が、震える。
 なんでなんだ。
 なんで、こんなところを、エンリケに見せるんだ。
「い、やだっ」
 あまり感情を表さない目が、ただ、オレを見ている。いや、正確には、昇紘を見て、そうして、なにか、しゃべっている。
 抱かれてる場面なんか、見られたくないのに。
 ぶざまなところを、見られるのは、いやだった。だって、最近、エンリケは、なんとなくだけど、優しいんだ。前みたいな、オレのこと馬鹿にしてるみたいな感じじゃなくなった気がする。リィに悪戯されてるところを助けてくれてからだ。
 ここに来て、はじめて、助けてもらえた。
 優しい言葉をもらえた。
 情けないけどそれがうれしくてさ。だから、あんまり、弱いところとか、見せたくなかったんだ。少しは、自分で抵抗できるようになりたくて。なのに、こんなんでは、あんまりだ。
 昇紘に触られて、それで、感じる自分なんか、嫌でたまらない。そんなところを、見られるなんて、辛すぎる。
 昇紘は、髪の毛一筋乱してなんかいない。
 エンリケも、いつもの淡々とした感じで、なにか、しゃべっている。
 なのに、オレひとりだけ、いやらしく、喘がされて………。
 涙がこみ上げてくる。
 情けなくってしかたがない。
 結局、昇紘の束縛から逃げられないまま、最後まで、エンリケに見られている時がある。
 そんなことの後、オレは、死にたいくらい、自己嫌悪に陥るんだ。
 自分じゃどうしても昇紘から逃げられない。そんなことを、いやになるくらい思い知らされる。だから、誰かに助けて欲しいって、そう思ってしまう自分を、情けないって思わないやつなんかいないに違いない。
 誰かに助けられないと、逃げられないのかって。
 でも、逃げたら、捕まえられて、また、前みたいにされる。
 もう、鞭で打たれるのは、いやだ。
 背中には、鞭の傷が、痕になって残っている。
 どうにもできなくて、どうしようもなくて、オレは、ただ、立ち尽くすんだ。



 その日、いきなりそう言われた。
「今日から、お前は、私の息子だ」
って。
 理解するまで、少しかかった。だって、昇紘には、ちゃんと本当の息子がいるわけで。オレより二歳くらい年上の圭樹っていう男とは、二、三日前にはじめて顔を合わせてた。
「なんでっ」
 性質の悪い冗談としか思えなかった。
 だって、オレは、この国には留学で来てただけだ。お袋はいないけど、それでも、ちゃんと、日本には親父がいるし。親父が、そんなこと、うんっていうわけがない。親父は、オレのこと心配してるはずなんだ。
「ああ。お前は、死んだことになってる」
 そんなこと言われて、頭の中が、真っ白になりかける。
「そうだな、エンリケ」
 ソファに腰掛けてる昇紘が、背後に立ってるエンリケを振り返った。
「はい。自動車事故で死亡して、すでに、遺体は父親に引き取られております」
 じゃあ、ここにいるオレは、いったい。
 呆然と、オレは、エンリケを見た。かすかに目を伏せたエンリケから、昇紘に、視線を移す。
「オレは………」
 頭の中が、ぐらぐらする。
 立っていることも、辛かった。
 窓枠を後ろ手に掴んで、オレは、必死で、立っていた。
「この国には、親のない子供なぞ掃いて棄てるほどいる。東洋系の少年もな。その中から、年恰好の似た死体を探すのなど、造作のないことだ」
 なければ、作ることもできる。
 にやりと笑う昇紘の顔に、全身が、鳥肌立った。
「………まっ」
 気がつくと、オレは、昇紘に掴みかかってた。
「あくまっ」
 けど、反対に、オレはたやすく昇紘に、組み敷かれた。
 ソファの上、背もたれが、後頭部に当たって、痛い。
「悪魔?」
 くつくつと笑って、
「お前が、私を悪魔にしたのだよ」
 耳元でささやく。その言葉に、涙が、こみあげた。
「ちがう……」
 首を振るオレの頬を、昇紘の手が、両側から包み込んだ。
「お前が、私を、狂わせている」
 降ってきたくちびるから逃げようとして昇紘の肩に突っ張った両手は、
「っ!」
「邪魔だ」
 昇紘の手で、ひとまとめに縛められた。
 からだを這う昇紘の手の感触が、噛むようなくちづけが、オレを、絶望に、落とし込む。
「いやだ…………っ」
 くちづけから解放されて、やっと搾り出した拒絶は、
「こんなになっているのにか」
 スラックスの上から握りこまれて、悲鳴に変わった。
 エンリケがいることなんか、もう、かまっていられなかった。
 オレは、ただ、泣いて、謝った。
 なにに対して謝っているのか、どうして謝るのか、それが、理不尽だとか感じる余裕なんかなかった。
 だから、昇紘が、エンリケに何か命じたのも、エンリケがそれに従って部屋から出て行ったのも、知らなかったんだ。


 ノックの音に、オレは、必死になって、言ったんだ。
 お願いだから、もう、やめてく―――れって。
 誰が来たのか知らないけど、見られたくないって。
 珍しく、昇紘は、オレの頼みを聞いてくれた。
 だるいからだをやっとのことで起こして、からだに絡みついてる服を整える。
 シャツのボタンをとにかく留めて、髪を手櫛で撫で付ける。
 入ってきたのは、リィと、エンリケだった。
 昇紘がリィを呼んだんだ。
 オレは、ソファで、小さくなってた。
 リィのきれいな緑の目が、オレは、苦手だった。
 いや、正直に言うと、リィが、苦手でたまらないんだ。
 だって、リィは、オレを嫌ってる。
 今だって、オレをチラチラ見てるリィの視線は、痛いくらいで、できれば、オレは、この部屋から出て行きたかったんだ。
 けど、昇紘が、オレの肩を抱いてるから、それもできない。こんなとき、昇紘から離れようなんてしたら、後で、なにをされるかわからない。
 どれくらい経ったんだろう、
「ね、浅野」
 名前を呼ばれて、オレは、我に返った。
 目の前で、リィが、オレを見ている。
 緑の目が、きらりと、いやな風にきらめいて、オレは、この前、ベッドで彼にされたことを思い出して、全身が震えるのをとめることができなかったんだ。
「君も、エンリケのこと、そう思ってるよね?」
 赤いくちびるが、にぃと、笑いをかたちづくった。
 何の話だと、そう聞き返す前に、オレの肩を抱いている昇紘の手に、力がこもった。
 え?
 痛いくらいに心臓が跳ねて、
「後は、エンリケと相談してくれ」
 昇紘の声に、冷たい汗が、吹き出した。
 機嫌が悪くなっている。
 オレ、何もしてないよな。何もしてない。なのに、昇紘の機嫌が確実に悪くなっているのをどうしようもなく感じて、オレは、いたたまれなかった。
 昇紘の顔を見るのが怖くて、オレは、ただ、膝の上の自分のこぶしを見てた。
「郁也」
と、いきおい名前を呼ばれた。
 顔を上げたくなかったけど、上げないといけないみたいな声のトーンに、オレは、顔を上げた。
 怖い。
 いつだって怖いけど、そんなの目じゃないみたいな、怖さだ。
 変わらない表情の中、目だけが、ぎらぎらと光っている。
 いつだったか見た夢を、オレは思い出してた。
 鷹か鷲に喰らわれる小動物になった夢だ。
 背中を流れ落ちる脂汗に、ぞわっと、全身が、逆毛立つ。
 喰われる。
 殺されるって、思った。
 逃げないと。
 けど、ダメだ。
 焦れば焦るだけ、関節は馬鹿みたいに笑ってて、少しも持ち主の命令に従いやしない。
 オレは、首を振るばかりだ。
 何がなんだかわからないまま、ただ、首を振ってた。
 と、
「エンリケに抱かれたいのか」
 思いもよらない言葉を、昇紘が、言った。
 なんで?
 そんなこと、少しも考えてやしない。
「私に抱かれるのは、そんなに、嫌か」
「私に抱かれるのは嫌でも、エンリケになら、喜んで、足を開くのか」
 そうだ―――じゃない。
 違う。
 違う違う。
 うなづいてから、我に返った。
 なんでそうなるんだ。
 あんたにに抱かれるのも、エンリケに抱かれるのも、嫌なんだ。オレは、誰にも抱かれたくなんかないんだ。
 そう、声にしたいのに、声帯まで麻痺したみたいになってる。
 いつも、いつもだ。
 こいつに、オレは、何も、言えない。
 言おうと思っても、言えないんだ。
 圭樹に言われたことばが、よみがえる。
 圭樹が来た晩飯のテーブルで、ぼそっと言ったことばを思い出す。
『ああ。彼が、親父殿のお人形なわけか』
 紹介されたとき、そう言われて、オレは、全身が熱くなった。
 人形―――オレには意思がないって、必要ないんだって、そう思われてるんだと思うと、腹が立った。オレの意思なんか、昇紘には、意味がない。あってもなくても、どうせ、自分の好きな通りに動かせるんだって。そう考えてるに違いないんだ。
 でも、どうせ、その通りなんだ。
 オレなんか、ただの人形なんだ。
 ずたぼろになったら、捨てられる、玩具だ。
 なら、ぼろぼろになる前に、飽きて捨ててくれればいいのに。
 そう願わずにいられなかった。
 頼むから。
 何もいらない。
 ただ、解放してくれればいいんだ。
 それだけでいいから、頼むから、誰か、叶えてくれ。
「なにを泣いている」
 伸びてきた手を避ける間もなかった。
 そのまま、オレは、気が狂うかと思うくらい、めちゃくちゃに抱かれたんだ。

つづく?

start 16:06 2007/09/09
up 15:06 2007 09 17
◇ いいわけ その他 ◇

やっぱり中途半端xx こんなんでも楽しんでくださると、助かります……。
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