公然の



 エアターミナルのそこここに咲き乱れる、ブーゲンビリアの花陰にともすれば隠れそうになる制服姿の青年を、今日こそ彼をディナーに誘うという、年頃の女の可愛らしい決意を胸に、追いかける。
「彼はやめといたほうがいいわよ」
 意味ありげな先輩の忠告は忠告として、一か八かのチャレンジ精神を、床を打つヒールの音に現わしてしまう。
 フライト明けで、明日は休日。店の手配も済ませている。彼の好みの香水はわからないけれど、お気に入りのブランドの新製品は、かなり評判がいいのだ。上から下まで、フライト・アテンダントの――というよりも、女の心意気でばっちり決めている―――――と、自分では思うのだけれど。
 ふと、不安になる。
 管制官の制服を着た、少し猫背気味で歩く彼には、浮いた噂がない。
 堅物というのでもないだろうが、独特の雰囲気は、周囲を寄せ付けないらしく、なんとなく、同僚上司後輩の別なく、遠巻きにされているらしい。だからといって、嫌われているわけでもないのだった。
 フライト・アテンダントと、管制官。あまり接点のない相手だけれど、好きになってしまうのに、職業も何も関係ない。たとえ、一方的な想いだとしても、彼は自分を覚えていないかもしれないけれど、それでも、彼に関する情報は、できるだけ、集めていた。
 自分よりもふたつ年上だとか、市内にある豪華なアパートメントに一人暮らしだとか、恋人や婚約者とか、同棲相手など、女の影はないとか。わかったのは、それくらいだ。こと、個人的な好みとなると、みごとなほどに知っているひとが、いなかった。そうして、先輩の、忠告。
 意味ありげに目配せしたくせに、理由は口をつぐんで、教えてくれない。
 不安にならないほうが、おかしいとは思うけど、けれど、好きになったのだから、それこそ、仕方がないのだ。

 あの日、満員のターミナル内のカフェで、相席になるがとあらかじめ断わられて、案内された窓際のテーブルに、彼、は、座っていた。
 ぼんやりと、窓の外、ランディングする飛行機を目で追っていた彼の、白い半そでのワイシャツの胸ポケットに留められたネームプレートに、名前と部署とが示されていた。
 彼の前に置かれたランチプレートの料理は、手つかずで、コーヒーすら冷めていたが、気にもしていないようだった。
 そうして、とても小さく、思わずこぼれてしまったのだろう、ことばが、とても切なく、耳に届いてきた。
 ――飛びたい。
 その刹那、わたしは、彼に、恋をしたのだと思う。
 ネームプレートの名前と、勤務部署とを、記憶にしっかりと書きつけて、わたしは、彼が結局ランチに手をつけないままで席を立ったのを、ただ、見送ったのだった。

 ああ、見失っちゃう。
 先の角を曲がってゆく、なんとなく淋しそうに感じる背中に追いすがって角を曲がったわたしは、足を止めて、咄嗟に、柱の影に身を隠していた。
 わたしって馬鹿。いいチャンスだったのに、なんで隠れちゃうかな。
 関係者以外立ち入り禁止。そう提示されているロープが張られた廊下の奥は、職員用のエレベーターホールになっている。二機あるエレベーターを待っている彼の横に、見知らぬ人物が、佇んでいた。
 聞こえてくる人のざわめきが、まるで、こちら側の静かさを強調するかのようだ。
 誰だろう。
 五十代くらいだろうか、身形のよい、東洋系の男性である。男性は、彼の肩を引き寄せて、耳もとで、何かをささやいている。そのようすは、とても親しげなのに、彼を取り巻く雰囲気は、硬く強張りついているように思えた。
 到底出てゆける空気じゃなく、わたしは、息を殺して、ふたりを眺めていた。
 と、彼が、男性の手を、振り払った。
「いやだっ」
 吐き捨てるかのように鋭いことばが、耳に痛い。
「この私がわざわざ迎えに来たのだが。おまえの上司は、快く有給をくれると言ってくれたがね」
 彼とは正反対に楽しそうな男の声。
「なんで……」
「勤務超過だそうだが。無理をしているらしいな」
 たまにはゆっくりと休みをとるといい。
「あんたと一緒じゃ、休まるものも休まらない」
「覚えてはいるのだな」
 穏やかな男性の声に、彼は、真っ赤になって、顔を背けた。
 雰囲気が、おかしい。そう、わたしが思ったのは、その時だった。
 厭な予感というやつだ。
「いつまでも初心なのも、可愛らしいがな。そろそろ、慣れてもいいだろう」
 そう言った男性が彼を抱き寄せ、背中に回した手を、腰へと滑らせた。
「いいかげん、飽きてくれたっていいじゃないか」
 懇願するような声が、彼の口から、こぼれ落ちた。
「あいにく、気に入ったものは、壊れても手放せない性質なものでね」
 知っているだろう?
 嘯くように付け加えて、男性が、無造作に、彼の顎を持ち上げた。
「いやだ」
 首を振る彼に業を煮やしたのか、
「おとなしくしないか。おまえが、私のものだということを、忘れたというのなら、すぐにでも思い出させてやるが」
「!」
 彼の動きが、ぴたりと止まった。
「アパートメントを引き払うか。いつでもすぐに使えるよう、おまえの部屋は、毎日掃除をさせている」
「ご……めん、なさい」
 彼の口から、押し出されるように、紡ぎだされた小さな声は、悲痛な叫びのように、わたしの耳には届いた。
 引き返すもならず、出て行くもならず、ただ、目の前で繰り広げられているキスシーンを見ていたわたしは、ポンと肩を叩かれて、我に返った。
「なにしてるの、こんなところで」
 もう、帰ったとばかり思ってたのに。
「先輩」
 彼のことはやめといたほうがいいと忠告をくれた、先輩だった。
「え、あの……」
 焦ってしどろもどろになったわたしの肩越しに、先輩が、ホールを見た。
「籍大人(せき たいじん)」
 先輩が、深く頭を下げた。
「誰?」
「馬鹿。ここの筆頭株主じゃないの」
 こそりとつぶやかれたことばに、わたしの目は、大きくなった。
 私用で来ただけだ――と、去ってゆく籍大人と、彼に伴われてゆく彼の後姿を、SP越しに見送りながら、わたしは、先輩を睨みつけた。
「知ってたんですね」
「彼、は、籍昇紘の養子で愛人。公然の秘密ってヤツよ」
 それで、彼の周囲は、彼を、遠巻きにしていたのか。腑に落ちたと同時に、わたしは、自分の失恋が確定したことを自覚して、深いため息をついたのだ。
「ま、落ち込みなさんなって。無駄になったディナー、付き合ってあげるから」
「先輩とですかぁ………」
「今日は、わたしの誕生日なの」
「ホントですか?」
「あなたの誕生日には、お返ししてあげるわよ」
 見返す先で、先輩が、にっこりと微笑んでいた。
「約束ですよ」
「じゃ、下で待ってて」
 ひらひらと手を振ってエレベーターに乗り込んだ先輩に、わかりましたと返して、わたしは、踵を返したのだった。


おわり



from 19:06 2005/06/22
to 20:44 2005/06/22


あとがき
 考えてたんですよね。『夏翳』で、浅野くんが、無事航空関係の職業につけた場合。ちょっとかっこよすぎですけどね。うん。まぁ、きっと、昇紘さんは、手元から離さない性質だとは思うんですけど。だから、これは、あくまで、本編とは関係ない、パラレルってことです。
 どこがじゅーにこくきなんだろうと思いつつ、描いてる本人は楽しかったりvv
 まぁ、少しでも楽しんでもらえると、嬉しいんですが。さて。微妙ですか。
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