くまさんに隈の花束を


くまさんに隈の花束を

 延麒がひそかに金波宮を訪れて、陽子にとあるものを渡して帰ったのは、まだ秋も半ばの頃のことだった。
 その日から暫くして、陽子の異変に気づいたのは、彼女の半身である、景国の神獣――景麒である。
「主上」
「なんだ?」
 朝議の最中、あくびを噛み殺して涙目になった陽子が、白面の半身を振り返る。視線の先には、あいかわらず表情の読めない美貌があった。
「いえ」
 職務の最中であったのだと、一礼をして退いた景麒を、あいかわらず変なヤツと、陽子は肩を竦めて決めつけた。

 秋が、少しずつ深まってゆく。

 やがて、陽子の異変は、誰の目にも明らかなものになった。

「ね、陽子、何か隠してない?」
 陽子の緋色の髪を梳きながら、鈴が鏡の中の陽子の顔を覗きこむ。
 陽子の褐色がかった肌の中、ひときわ美しい翡翠のまなざしが、ふと揺れる。
「べつに」
「ほんとに? みんな心配してるのよ」
「本当だ」
 むっつりと頷く、女王であり親友でもある少女に、
「じゃあ、これはなに?」
 鈴が、容赦のない追求をする。
 鏡の中、重々しい表情をした陽子の目の下に、くっきりと描かれた、黒い影。
「眠れないの? 心配事? あたしじゃ、陽子の役に立たない?」
 鳶色の瞳が、心配そうに眇められているのに、陽子の胸のうちに、罪悪感が芽生える。
 しかし、多分、鈴では駄目なのだ。
「祥瓊は?」
 もうひとりの親友の名前を、鈴が口にする。
 祥瓊でも、陽子の睡眠不足は、解決しない。
「ごめん。鈴」
「そう。でも、あたしでも役に立つことがあったら、なんでもいって頂戴よ」
「うん。ありがとう」
 鈴が出て行ってから、陽子は牀榻(しょうとう)から起き上がった。
 陽子だけしか開けられない棚の扉を開け、中から一抱えはある紙袋を取り出す。
「まだ、これだけか」
 牀榻の縁に腰かけた陽子は、溜息混じりに、肩を落とした。


 ハックション!
 盛大なくしゃみをしたのは、禁軍将軍青辛(せいしん)こと、桓堆である。
 場所は金波宮の女王の私室から離れた、庭の四阿(あずまや)だった。
 落葉樹がその葉のほとんどを落とした、淋しそうな景色である。
 執務の終わった夕刻ということもあって、灰色一色で冬が近いことを物語っている空は、みごとな茜色に染まっていた。
「寒くなりましたね」
 ぶるると胴震いをしながら桓堆が言うと、陽子は首をすくめてみせた。
「おまえ、もしかして寒さに弱いのか?」
 振り返り桓堆を見上げた陽子の耳元で、翡翠の粒を列ねた耳飾がチリリと心地好い音色を響かせた。
「ええ。まぁ……あたたかいほうが好きですけどね」
「やっぱりなぁ」
「はい?」
 にんまりと笑う陽子に、桓堆が目を瞬かせる。
「こっちの熊はどうか知らないが、蓬莱じゃ、熊は冬の間、冬眠する。だから、熊は寒さに弱いって言うんだ」
「はぁ。そうなんですか?」
 そう不思議そうに返す桓堆の目の前で、陽子が背後に護衛のごとく立ち尽くす桓堆に、からだごと向き直った。
 椅子に座ったままで、思わず出てきたらしいあくびを掌で隠すしぐさが、愛らしくはあった。が、それは女王の寝不足を物語っていて、桓堆は心配になる。最近では、陽子の寝不足はつとに有名だったが、誰もその理由を突き止めたものはいなかった。
「だからな、これ」
 突然立ち上がった女王が、手を伸ばす。突然の女王の行動手に、桓堆が、思わず一歩後退しようとするが、後ろは、あいにく、四阿の柱だった。
 退路を断たれたかのような格好で、禁軍将軍が、女王を見下ろす。
 すぐそこに、女王の、整った容貌がある。その、化粧っ気のないまろやかな頬が、自然のままの赤いくちびるが、桓堆の意識を掠め取っていた。心臓が、割れんばかりに、収縮する。
 思わず目を閉じた桓堆が、首の周りのあたたかさに、目を開けた。
「これのお礼だ」
 遅くなったがな――と、悪戯そうに、女王が、笑う。その耳元では、覚えのある翡翠の耳飾が揺れていた。
 桓堆が、首に巻かれたものと、陽子とを、幾度も見比べる。
「それな、あまり上手くできなかったんだが、マフラーというんだ。使ってくれると嬉しい」
 やっとこれで眠れる――――あ〜あと、盛大に伸びをしながら、陽子が楽しそうに、桓堆の瞳を覗き込んだ。
「も……」
「ん?」
「もしかして、あなたの寝不足は、これのせいですかっ」
「そうだが?」
 しれっと返した陽子に、桓堆が、力なくその場にしゃがみこんだ。
「どうした?」
「………ください」
「なんだ?」
「早く寝てください。こんなことが冢宰や台輔に知られたら………」
 皆まで言う必要はなかった。
「わかってる。だから、居眠りしないようにがんばったんだ。誰にも文句は言わせない」
 女王にだってプライベートタイムは必要だからな。
「じゃ、お休み、桓堆」
 そう、言いたいだけ言うと、景王陽子は、ひらひらと右手を振りながら、四阿を後にした。
 後には、深い青色のマフラーを首に巻いた、桓堆だけが残された。


 礼を言うのを忘れたことに桓堆が気づいたのは、私室に戻ってからのことだった。




おわり



from 19:05 2004/11/07
to 20:18 2004/11/07


あとがき
 突然湧いちゃったので。でも、ホントはオリキャラ海客が登場する予定だったのですが、没。
 多分、マフラーの編み方なんて、鈴ちゃん知らないと思うしねぇ。延麒に頼んだのは、マフラーを編むための編み針と毛糸と教本ですね。
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