狂 恋






「話とは、浅野のことか」
 桂花を伴ってやってきた孫医師に、昇紘が執務室の椅子を勧めた。
「さよう」
 桂花が、茶を淹れなおすのを横目で見ながら、孫は、昇紘を見返した。
「なにか、問題でも」
 差し出された茶碗を受け取りながら、鷹揚に促す昇紘に、
「このままでは、長くございません」
 孫のことばは、飛礫(つぶて)となった。
 昇紘のいつもきつく引き結ばれている口元で、茶碗が止まり、鋼色のまなざしが、孫の薄い青色の目を覗きこむ。
 桂花の手にした盆の上、茶器が小刻みな悲鳴をあげる。
「冗談でも言っていいことと悪いことがある」
 息を吹き返した昇紘に、
「仙になられて、昇紘さまは、いかほどになられよう」
「さて」
「忘れるほど長く――で、ございますかな。ならば、しようありますまいが、これもまた、お忘れとお見受け申し上げる。昇紘さまのお相手は、人間でございますよ」
「わかりきっていることを」
「傷つけば弱る。それが人間、いや、生きものというもの。いくら医者を招こうと、気力体力が衰えたものは、弱るよりほかありませんぞ」
 今気づいたかのように、口元の茶碗を傾け、昇紘は、呷るように飲み干した。
 音をたてて、碗を卓子の上に置く。
「浅野がそうだと」
「さよう。失礼だが、昇紘さまご寵愛の人間の命数は、風前の灯とお見受けする」
「根拠はあるのか」
「まず、傷の治りが、遅くなっておられますな。私が診はじめてこのかた、色も白くなられて、痩せられた。あれくらいの年頃の若者なら、ひとまわりは肉がついていて成丁らしい体つきをしておってもいいくらいなのですがな。動きに、俊敏なところがない。ぼんやりとなさっておられる時間が長いようにお見受けする。気力と体力とが、衰えておられる証拠です」
「………」
「いまだことばひとつ覚えておられぬところから鑑みるに、昇紘さまにおかれては、あの若者を、小鳥のように閉ざしてしまわれるおつもりでしょうかな」
 そんなことはあるまいと、言下ににおわせた台詞だったが、
「そうだ」
 苦々しげなひとことが、押し出されるように、昇紘のくちびるから転がり落ちた。
「まさか、頼れるのは自分だけだと、そう教え込むおつもりか」
 さすがに、青ざめて、孫が、昇紘を凝視した。
 クッと、喉の奥で噛み殺しそこねたらしい笑いが、孫の耳を射る。
「だからこそ、桂花を侍女にしたのだ」
 あの娘は、喋れないからな。
「浅野が喋りかけるのは、私にだけでいい。浅野が聞くのも、理解するのも、私の声とことばだけで充分だ」
「なぜ」
「なぜ――とは、愚かな。ことばがわからなければ、逃げようという考えなど萎よう。逃げられるのは、一度で充分だ。それには、あれが、どれほど私を厭おうと、恐れようと、頼れるのは、私だけだと、そう骨身に染みこませることこそが、重要なのだ」
 流れ落ちるのは、脂汗だ。
 孫は、昇紘の、まなざしに、ことばに、まぎれもない狂気を感じていた。
「それで、死なれては………」
 みなまで口にできなかった。
「だから、あなたを招いているのですよ、孫医師」
 向けられた、鋼色のまなざしに、孫が、その場に、硬直する。
「よもや、郁也……浅野を、死なせはせぬでしょうな」
「い、いや………それは…………」
「孫先生。私は、いずれ、浅野を仙にするつもりでいます。しかし、それには、まず、しっかりと、教え込まなければならないのですよ。あれの存在のすべてが、私のものなのだと。しかし、確かに、そこまで弱っているとは、気づきませんでしたな。……そう、私も少しは、孫先生に協力することにしましょうか」
 少しくらいは、部屋から外に出してやることにしましょう。
 そう言うと、悠然とした笑みをきざみ、これで話は終わりだとばかりに、昇紘は、孫に背中を向けたのである。


おわり



from 16:27 2005/01/31
to 17:18 2005/01/31
remake 16:17 2005/02/01


あとがき
 『無題』その後ってことで。
 昇紘さん、狂恋ってことですね。
 気の毒なのは、浅野くんです。
 会話ばかりのはなしです。しかも、浅野くんは出ない。
 ロイハボの合間の息抜きで思いついちゃったのでした。楽しんでもらえるかなぁ。心配。
 あまりに昇紘さんの言葉が統一性に欠いていたので、手直ししてみました。
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