生成りめいた色調の肌は、汗にぬめり、追い上げられて血の色に染まる。
大きく割り開かれた膝の間にあるものは、立ち上がり涙を流す。
それを塞き止めるのは、長く伸ばした、二本の爪。
背後より穿つ猛々しい雄の象徴に、そのくちびるから迫りあがるのは、小刻みな悲鳴。
それは、決して快感故でないのだと、褐色の瞳を潤ませる透明な涙が告げていた。
その瞳にたたえられた苦痛と絶望を見るのものはだれひとりいない。
昔。
昔。
ひどく昔。
ある王国の由緒正しい公爵家にはふたりの公子がいた。
同い年の、母親の違う兄弟だった。
兄は妾腹であり、弟こそが嫡出であった。
しかし。
公爵位を継ぐのは、先に生まれた兄の方で。
弟は時がくれば教会へと、神々に祈りを捧げる日々を送るのだと定められていた。
それでも、ふたりは仲良く日々を過ごしていた。
すべては運命(さだめ)。
兄の死が弟の未来を変えた。
しかし。
彼本来の未来は、変えられるものではなかったのだ。
なぜならば。
本人の知らないところで、弟は神々のひとはしらに愛されていたのだから。
その一柱。
世にあまねく平等に訪れる、慈悲深くも酷薄な、闇の主であった。
定められた運命のままに教会で祈りを捧げていたならば、弟は頂点に立つことすら不可能ではなかったろう。
そう。
闇は総てを司る主神でもあったのだから。
けれども。
彼のために敷かれていた輝かしい未来へのすべての布石は、乱されたのだ。
彼の知らないところで。
国に仕え、王に仕え、領民に仕える。
兄に代わる日々。
そこには、神に捧げる祈りの時間などわずかも残されてはいなかった。
それは神を嘆かせた。
彼の知らないところで、彼は主神ヘの背反者となったのだ。
主神は、彼の捧げた歌声を、祝詞を、なによりも少年自身を、愛していたのだから。
少年公爵の知らないところで。
夜ごとに訪れるすべてを統べる真の闇が、少年公爵を脅かす。
闇から現われる白い手が、彼の首を手首を、掴む。
力をこめ、吐息を奪おうとする。
翌朝、少年公爵の首に刻まれているのは、夢が現実であったことの証に他ならない他者の手の痕。
怯え眠りを厭う少年公爵に心を痛めた国王から贈られたのは、国王の末の妹姫。
同い年の愛らしい姫君に、少年公爵は一目で恋に落ちた。
いや増す夜の悪夢に堪え得るほどに。
けれども。
悪夢の様相は、変貌を遂げた。
悪夢は淫夢へと変貌を遂げたのだ。
絡みつく闇の触手が少年公爵を淫らがましい夢の底へと堕としこむ。
いまだくちづけひとつ知らなかった無垢な彼を、忌まわしい肉欲の高みへと。
翌日鏡に映るのは、首に刻まれた赤い手の痕ではなく、穿たれる肉欲の証だった。
白い裸体が闇に舞う。
淫らなおののきにその白い背を震わせて。
闇に潜む白い手の持ち主が、その姿を少年公爵の前に現すまで後し少し。
少年公爵が倒れたとの知らせに、許嫁の姫君が駆けつけた。
領地を巡る途中であったとて、姫君が訪れるまでには長い時が必要だった。
駆けつけた姫君が見たものは、窶れてなぜか壮絶な色を宿した、少年公爵の変わり果てた姿だった。
少年公爵の宿す艶が、姫君の背筋を震わせる。
赤く染まった頬に、涙がながれ落ちる。
許嫁の瞳が姫君を見ないことに気づき、そのすべらな頬が青ざめる。
姫君だけではなかった。
少年公爵の瞳は、なにひとつ見てはいなかったのだ。
薄く開かれたくちびるからこぼれる吐息は、甘やかそうに空気を震わせながら、その実、部屋を凝らせる。姫君の心を凍てつかせるのと同じく。
それでも、許嫁への想いから少年公爵の部屋にとどまった姫君はやがて気づいた。
悲しみと絶望に閉ざされた心が見ることを拒否していたのに違いない。
心が落ち着いた姫君君は、見たのだ。
夜の底のような闇をまとった男を。
男の手がくちびるが、全身が、姫君の許嫁に遠慮会釈なくあますところなく触れていることに。
男のまとう空気は、放つ気は、姫君の兄王にも似て、それ以上に見る者を逆らわせない容赦のないものだった。
呆然と眼前の光景を見ていた姫君は、やがて、すべてを理解した。
男がなにものなのか。
なぜ、男が姫君の許嫁を苦しめるのか。
ちらりと姫君を流し見たその闇にふさわしい色のまなざしに込められた、狂おしいばかりの凶嫉を見たのだと。
その刹那から、姫君の瞳は光を失った。
嫉妬に狂う主神の怒りを向けられて、か弱い姫君が無事でいられようはずもない。
推測の域を出ないだろう姫君のことばに、しかし幾ばくかの真実を見出して、国王はふたりの婚約を白紙に戻した。
公爵家に落ち度はない。
しかし、それでも、国王の感情は収まらなかった。
愛しい末の妹姫の鮮やかな緑の眼が光を失ったのだ。
自虐の笑みを刻みながら、王たる国王自身を罰することは適わず、怒りは少年公爵へと向けられる。
国王たる傲岸さを現して、少年公爵から爵位を剥奪した。
もとより、今更爵位など元少年公爵には意味のないことではあったが。
元少年公爵は主神の怒りに触れたものとして、教会に受け入れられることもなく、ただかつての領地の片隅の寂れた舘に幽閉されることになった。
時は流れ、やがて元少年公爵の死がひそかに国王のもとへともたらされた。
元少年公爵の死とともに、古寂れ倦んだ色のレンガで造られた舘の壁にはなぜか蔦が絡みつき、数えるばかりだった使用人たちは恐れおののき舘から逃げ出した。
理不尽なばかりの怒りは疾うに醒め、苦い記憶として記憶の奥へと押しやっていた国王は、ただ元少年公爵の埋葬を命じた。
屍を舘に放置するもならず使わされた剛の者が何度も蔦を駆逐しようと試みたが、すべては無為に終わった。
ならばと、舘ごと火葬をと放たれた炎は風に巻き上がり、ことごとく消え果てる。
遂に、王は舘を元少年公爵の大きすぎる墓碑として、かつての領地とは比べ物にならないささやかな周囲の庭を含め禁足の地と決めた。
主神に愛された元少年公爵への哀悼の証として。
爛れた吐息が寝室にこぼれ落ちる。
独特の臭気がむせ返るように部屋を閉ざし、ただ古い寝台だけが軋む音を立てる。
暗く閉ざされた舘の中で、肉体から解き放たれた元少年公爵は、それでも闇の中から解放されることはない。
終わり
start from 2012/04/16 10:39 to 14:272
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