魔 女
「では、この国で魔女狩りの悪習が終わったのは、ほんの四年前ということなのか」
褐色の長い衣をまとった壮年の男が、痩せた男のことばを要約した。
「はい。お恥ずかしい話ですがね」
媚びへつらうように背中を丸くした男が、うなづく。
「前国王は、それは、厳しい方でしたので」
「それで、今は、民衆がこの国の主というのだから、なにがどう転ぶかわからないということか。――新しい国のあり方は、なかなか興味深いな」
「革命後の復興は、まだまだご覧の通りではありますが」
男の言うとおり、あちこちの砲弾の後もまだ生々しい。なにしろ、この国が国王から民衆の手に移って、まだ数ヶ月でしかないのだ。
貴族狩りが、魔女狩りに取って代わり、巨大な断頭台が、今もなお、大きな顔をして町を睥睨している。
「しかし、旦那さまも物好きですな。何もわざわざこんな国を旅行されなくてもよさそうなものですが」
――――旦那さまは、貴族さまでしょう?
小ずるそうなまなざしで、男を見上げる。
「残念ながら、商人だ」
苦笑した男のまなざしが、痩せた男を見下ろした。
からだをできるだけ小さく丸めて眠る。
カーテンに囲まれたベッドの隅が、一等安心できた。
ふかふかとやわらかい寝具を掻き抱くようにして、丸まる。
明るい外は、怖かった。
誰かに見られるのも、不安でならなった。
なにもかもが、恐怖でしかない。
ぶつけられる敵意に、からだを縮こめる。
投げかけられる嘲笑に、震えるよりなかった。
逆らえば、鞭が飛んできた。
背中に爆ぜた鞭の痛み。震えるたびに鳴るのは、足につけられた、鎖の音だった。
死ぬと思った。
殺されるのだと。
どうしてこんな目にあっているのか。
考えることを放棄して、どれくらいになっただろう。
死ねば、楽になれるということすら、頭に浮かぶことはなかった。いつも、目の前に、死が転がっていたからだ。それが、怖くてならなくて、どんなに痛くて辛くて苦しくても、生きていたいと、思っていた。
ただ無気力に、怯えて震えるだけの日々だった。
なによりも、扉が開くのが、恐怖だった。
暗闇に閉ざされた寒い石の部屋から出る時、それは、自分を死が捕らえた後なのだ―――と。
扉の下部、食料の差し入れ口が軋む音をたてて開いたのは、いつだったろう。
トレイの上、固いパンとチーズの欠片、味の薄い、汁ばかりのスープが、ほんの少しだけ残っていた。
小さな金の丸いものが二つ、トレイに近づいてゆく。
小さなネズミの、小さな目だ。
ネズミが、チーズを齧っている。
ぴこぴこと、鼻と髭が動く。口がせわしなくチーズを咀嚼して、飲み込んでゆく。
おいで―――と、心の中で、ささやいた。
きょろりと、ネズミが周囲を見渡した。
チーズを急いで口の中に押し込んで、ネズミが、ちょろちょろと走ってきた。
投げ出したままの掌に、あたたかな重みが、乗っかる。
ああ―――――
小さなささやかな重みに、そのぬくもりに、涙がこみあげてきた。
おともだち。
ごめんね、もう、食べ物はない。
差し入れ口が最後に開いたのは、いつだったろう。鞭を持った男も、姿を見せなくなっていた。
もう、起き上がれない。
たぶん、今度こそ、本当に死ぬんだと思う。
だから、死んだら、僕を食べていいから。
骨の最後の欠片まで食べつくしたら、おともだち、君は、僕よりも大きくなれるかな。大きくなって、ここを壊して。そうしたら、たくさんの瓦礫が、死んだ僕のお墓になるんだ。
それだけが、僕が生きていた証拠になってくれるだろうか。
けれど、おともだち。僕を知っているのは、いったいどれくらいいるだろう。
お母さま。
小さかった、妹や弟たちは、覚えていないかな。
僕にもお友達がいたはずなんだ。乳母やのこども。同じ歳の、双子の兄弟が………。ああ、なんて名前だったろう。
鞭を持った男は、僕のことを知っているけど。
――――そうして、お父さま。僕をここに閉じ込めた、お父さまは、少しは、僕のことを思い出してくれたろうか。
閉じたまぶたに、死の女神さまが、悲しそうな顔をして、手を差し伸べてくれる。
鶏がらみたいに痩せて黒ずんだ手で、女神さまのやわらかそうな白い手を取るのは、恥ずかしい気がして、僕は、思わず、手を、背中に隠していた。
女神さまが、悲しそうな顔のまま、首を横に振る。
見放された?
何よりも慈悲深い死の女神さまに。
昔、お母さまが話してくださった昔話が、よみがえる。
死の女神さまの導きを拒否したものは、救いもなく、永劫、この世を彷徨うことになる。
ほんのすこしの躊躇いだったのに。
涸れ果てた涙が、痛いくらいににじんで、女神さまの姿が、ぼやけていった。
なんだろう。
やけにうるさい。
頬がチクチクする。
ぼんやりと目を開けると、つぶらな一対のまなざしが、僕を覗き込んでいた。
ああ――おともだち。
死の女神さまに見捨てられた僕なのに、君は、僕を見捨てないでいてくれたんだ。
ありがとう。
君だけなんだね。
ここに入れられてから、僕のことを気にかけてくれるのは。いつだって、君だけ。
近づいてきていたうるささが、扉の前で、はたと止まった。
全身が震えはじめた。
イヤだ。
全身の乏しくなった血が、下がってゆく感覚に、目を開けていられない。
怖い。
冷や汗がどっと全身を濡らした。
ガチャガチャと鉄の音をたてて扉が開かれる気配がした。
おともだちが、懐に飛び込んできたぬくもりだけを、僕は、必死になって、考えた。
頭の中にあるのは、鞭を持った男の姿だった。
僕の全身に、鞭を振り下ろす、男。
気を失うまで、いつまでも鞭打たれる苦痛がやがて来るだろうと、動くこともできない僕は、ただ、震えていることしかできなかった。
タスケテ―――
求める救いが与えられることはない。痛いくらいに覚えこまされた現実に、けれど、心は、軋んでいた。いつだって、求めずにはいられない救いを、求めていたんだ。
近づいてくる複数の気配に、僕の意識は恐怖のあまり遠ざかってゆこうとした。
完全に意識が闇に溶け込む寸前に、誰かが僕の顔を除き込んでくるのを、僕は、感じたような気がした。
それが、僕を見捨てていってしまった、死の女神さまであって欲しいと、強く願った。
誰かが悲鳴をあげる大きな声で、目が覚めた。
固いものが割れる音が、耳に痛い。
ネズミ! と、震え上がる声のトーンに、おともだち――――と、起き上がった。つもりだった。
足元の心許なさに、僕は、膝をついていた。
視界の痛いくらいの眩しさに、目を開けていられなくて、涙があふれた。
おともだち。
まだ開けられないまぶたのまま、周囲を手で探る。
どうにか眩しさに慣れた目が、周囲を映した。
なんだろう、これは。
ここは、どこ、なんだろう。
いい匂いのする清潔なベッド。
まぶしい光が射し込んで来る、広い部屋。
「キャア」
と、甲高い悲鳴に、全身が震えた。と、懐に、おともだちの重みとあたたかさとが飛び込んできた。
チチ……という鳴き声に、安心する。
戸惑った表情の女たちが、僕を、遠巻きに見ている。
おともだちが、懐から顔を覗かせた。その時、
「先王の遺児ともあろう者が、憐れだな」
太い声と共に、ひとりの男が入ってきた。
ベッドの横に佇んで、僕を見下ろす男が、僕の懐から、おともだちを摘み上げた。
あっと、思う間もなかった。
「ふん。仮にも王の子の友が、薄汚いネズミ一匹とはな」
おともだち!
奪い返そうと勢いのついた僕の手が、男の腕を、したたかに、叩いていた。
おともだちっ!
チッ! と、鋭い断末魔を残して、おともだちは、大理石の床に落ちて、潰れた。
駆け寄ろうとして、男に邪魔をされた。
「さっさと片付けろ」
と、男の怖い声が、僕の耳を貫いたのを最後に、僕は、気を失っていた。
イヤダッ!
僕は、伸びてくる腕に、必死で抵抗していた。
「お風呂を使われませんと」
口々に、女たちが言う。
けど、僕は、ひとに、からだを見られたくない。
触られたくないんだ。
声が出れば、喚いていただろう。
ずっと叫んでいたせいなのか、僕は、声が出ない。
喋りたいとも思わないから、かまわない。
いいんだ。
おともだちを殺してしまった僕なんか。
何かあたたかく湿ったものに顔をなでられていると思って気がついたとき、おともだちは、影も形もなかった。代わりのように、僕の顔を舐めていたのは、細長い首につやつやのリボンを巻いた、おともだちとは比べものにならないくらい大きな、犬だった。
いつか周りは、赤い色に染まっていて、それが、おともだちの流した血を思い出させた。
しっかりとした重みとぬくもりに、自然と、手が伸びてゆく。
その時。
「昼間は、わるかった」
突然の声に、僕は、びっくりして、大きく震えた。
声が出れば、叫んでいただろう。
声の主は、僕からおともだちを奪った男だった。
男が、近づいてくる。
怖くて、僕は、動けなくなる。
けれど、手だけが、まるで別の生きものみたいに、犬に触れようとしていた。しかし、
「ネズミの代わりだ」
そう言われて、僕の手が、止まった。
「どうした、犬は嫌いか?」
代わりなんか、ならない。
「なら、次は、猫でも連れてこよう」
誰も、なにも、おともだちの、代わりになんか、ならないんだ。
僕は、男から目を逸らした。
そんな僕に、なにを思ったのか、男は、手を叩いた。
それは、まるで、僕のからだに爆ぜる鞭の音みたいで、僕は、大きく震えてしまった。
やがて、三人の女性が現われて、
「風呂を使わせろ」
という男のことばに、従ったんだ。
けど―――――
「埒が明かんな」
黙って、僕と女たちの遣り取りを眺めていた男が、僕の腕を掴んだ。
その力はとても強くて、僕は、どうすることも、できなかった。
担ぎ上げられるようにして、僕は、浴室に、連れて行かれた。
僕はただ、全身を硬直させていた。
駄目だ。
ひとにからだを見せちゃ駄目だ。
からだを見せると、怖い目に合うから、だから、駄目よ――と、いつもはやさしい声のトーンが、その時ばかりはきつく強張りついていて、僕は、どんな怖い目にあうんだろうと、いつだって、泣きそうになるのを堪えていた。
あれは、誰だったろう。
あれは、いつのことだったんだろう。
ただ、もう、覚えているのは、戒められたということばかりだった。
いや、ちがう。
見られてしまったんだ。
そうして、僕は、お父さまに―――――
そう。
ずっと、怖かった。
痛くて辛くて、そんな目にあってきた。
それもこれも、あの声の主―――お母さまだ。お母さまの言いつけを破ってしまったから。
だから。
だから、駄目なんだ。
声が出たら、そう言うのに。
でも、これは、おともだちを、死なせてしまった、罰なのかもしれない。
湯船に服のままつけられて、僕は、我に返った。
先回りしていた女たちが、僕のからだから、濡れて張りついた服を脱がしてゆく。
今度は、どんな怖い目に合うんだろう。
でも、これは、おともだちを殺した罰なんだ。
震えながら、僕は、観念して、きつく目を閉じていた。
あの日、あの日も、これに似たことがあった。
少しずつ、霧が晴れるようにして、怖ろしかったあの日の出来事が、思い出されてゆく。
お父さまが、僕に乗馬を教えてくださるというので、僕は、張り切っていたんだ。
お母さまは、まだ早いと心配そうだったけど。結局お父さまの主張が、通る。お母さまは、苦しそうな表情をなさって、御用があるからとご自分の館に戻っていった。
あいにくのぬかるみで、泥まみれになってしまった僕は、お風呂を使わなければならなくなった。そうして、僕は、お父さまとお風呂を使ってたんだ。はじめて、だった。お父さまが、僕を洗ってくださった。その手が、不意に止まったと思ったら、急に怖い顔をして、お父さまは、お母さまをお呼びになったんだ。
真っ青な顔をして入ってきたお母さまが、僕を見て、顔を背けた。
それが、お母さまを見た最後だった。僕は、お父さまに、引きずられるようにして、塔に、閉じ込められてしまったんだ。
なにがいけなかったんだろう。
僕の、どこが、いけなかったのか。
どこかが、駄目だから、お母さまは、僕に、人前で裸になっちゃ駄目だって、そう、仰られたんだ。
女たちが、僕のからだを洗ってゆく。
あれは、腰から下に、お父さまの手が触れたときだった。
ああ、もうすぐだ。
もうすぐ、腰から下。
イヤだ。
スッとなでるように、女の手が、触れた。
触れた女のひとが、男のところに行くのを、薄目を開けて、僕は、見ていた。
お父さまみたいに怖い顔をするんだ。
覚悟を決めた見ていた僕の視線の先で、けれど、男は、ただ、うなづいただけだった。
「そうか」
と、男がつぶやいたような気がした。
「ゆっくりと―――だ」
温かなスープは、からだに染みた。
信じられないくらい、美味しい。
おともだちにも食べさせてあげたかった。
そう思って、滑らせた視線の先では、首にリボンを巻いたままの犬が、餌を食べている。
涙が、こみあげてくる。
「また思い出しているのか。あのネズミには、ちゃんと墓を作ってやった。見せただろう」
うん。
ありがとう。
僕は、涙を拭いた。
昇紘と名乗った男は、おともだちにお墓を作ってくれてたんだ。
スープを食べようとしない僕を、昇紘は、おともだちのお墓を見せてくれた。そうして、近くの花壇から、花を摘んで、僕にくれたんだ。僕は、花を、おともだちのお墓に、捧げた。
助けてあげられなくてごめんね。と、僕は、おともだちに、心から謝ったんだ。
昇紘は、どうしてなんだろうと思うくらい、僕に優しくしてくれた。
顔だけ見れば、いつも無表情で、不機嫌そうに見えるけど、僕の頭をなでてくれる手はとてもあたたかくて、僕は、自分がどうしてここにいるのかとか、いろんな疑問を忘れるくらい、穏やかな気分でいたんだ。
時々昇紘の姿が見えないとき、淋しくてしかたなかったけど、なんとなく名前をつけないままでいる犬と一緒にいれば、そうでもない。おともだちのお墓の前に犬といっしょに座って日向ぼっこをしてたりしたんだ。
僕は、とても、くつろいでいた。
そんなある日だった。
昇紘は留守だったし、世話してくれる女たちも、どこにいるのか、わからなかった。
「坊ちゃん、昇紘の旦那さまはおりますね?」
犬が牙を向いて威嚇してる先に、痩せた男が、愛想笑いをしながら、立っていた。
なんだか、背中がぞわぞわして、僕は、不安になった。
犬の首を抱きかかえて、必死で、首を横に振る。
「お出かけなんですかな?」
そう――と、今度は、縦に振った。
「ところで、坊ちゃんは、市民、ですかな?」
はじめて聞くことばだった。
僕は、首を傾げた。
「この国の、生まれですよね?」
顔を近づけられて、僕は、ぞわりと、全身で、後退した。
「ちがうんですか?」
横に振る。
男の目が、きろりと光ったような気がした。
「なら、市民、ですよね」
わからなかったから、僕は、首を横に振ったんだ。そうしたら、懐から、笛を取り出して、吹き鳴らしたんだ。
「貴族がいるぞ」
笛から口を話した男は、今度は、そう、叫んだ。
この国の人間は、平等に市民じゃないといけない。
そんな急ごしらえの法律があるなんて、僕は、もちろん知らなかった。
だって、昇紘が教えてくれた僕の歳は、十五才。十一年間も、お父さまに塔に閉じ込められてたんだから。
そうして、もうひとつ。
市民じゃない人間は、殺人者よりも悪い人―――貴族や王族で、そういう人間は、巡邏の市民に見つかれば、数日間の牢に閉じ込められた後に、死刑にされる。
そうやって、数ヶ月前、この国の王さまとその家族は、処刑されたんだそうだ。
その話を聞いた時、どうしてだか僕の頭は、酷く痛んだ。
やっと、塔から出られたと思ったのに。
僕は、気が狂いそうだった。
丸く磨り減った石の床を、両側から引きたてられるように歩きながら、僕は、泣いていた。
天井の高い、がらんとした空間の周囲を囲むように、狭い部屋が、鉄格子で区切られている。
どんよりとした目で、閉じ込められている女や男が、僕を見た。
僕も、その中のひとつに入れられるんだって、そう思った。
けど――――
覆面をした男が手に持っているものを見て、僕は、その場に、腰を抜かしそうになった。
イヤだ。
どうして。
首を振って、床に足を突っ張る。
けど、今更どうにもならない。
ごつい、鉄の枷が、僕の手首に、つけられるのを、僕は、見ていた。
そのまま、天井から、ぶら下げられる。
イヤだ。
なにをされるのか。
僕は、イヤというほど知っている。
絶望が、ひたりと、僕の足首までを濡らした。
背中で、腹で、爆ぜる鞭の痛みに、僕の喉は、ただ、空気を震わせることもできなかった。
気を失ってた僕は、水をかけられて、気づいた。
水が、全身の傷に、染みたからだ。
目がかすんだ。
なんで、僕が――とか、色んな感情が、芽生えては、消えていった。
ただ、ぼんやりと、僕は、目を開けていた。
誰かが、目の前にいる。
「坊ちゃん、さて、これからが、お楽しみだ」
とか、これがたまんねぇんだよなとか、わけのわからない会話が大きくなったり小さくなったりして、耳に届く。
と、突然、片方の足を持ち上げられた。
ほとんど着衣は意味を成していない。その状況で、足を持ち上げられたら………。
しかし、暴れる気力など、もはや、僕にはなかったんだ。
そんな僕の耳に、
「こいつなんか、おかしかないか?」
上ずった声が聞こえてきた。
「あ、あ。両方ある」
「こいつ、ふたなりだ」
足を持ち上げていた手が、突然、離れた。
刹那。
衝撃に、全身が、痛んだ。
男女両性を持つ者は、魔女であるのだと。そうして、母は、他国の魔女と呼ばれる一族の出なのだと。それゆえに、母は僕のそれを、自身の出自と共に、ひた隠しにした。
信心深く厳しい父が、たとえ第一位の王位継承者であろうとも、そうであるとされるものを見逃すことはないと、よく知っていたのだろう。
だから、僕は、十一年前のあの日、父の手で塔に閉じ込められたのだ。
世間には、第一王子は、突然の病で死んだことにして。
ようすを見に来ることもなかった父は、だから、塔で僕がどんな扱いを受けていたのか、知らなかったのだろう。
昇紘に助け出されて僕が知ったのは、僕の出自のすべてだった。
昇紘は、かつての母の婚約者で、僕の存在を確かめるために、この国にやってきたのだと。
僕は、ぼんやりと、昇紘を見上げていた。
傷のせいで、全身が痛かった。
熱が酷いらしくて、昇紘は、心配そうに、僕に付き添ってくれていた。ようやく、熱が引いて、昇紘は、寝物語に、僕が知らなかったことを、聞かせてくれたのだ。
既に、父も母も、兄弟たちも死んでいるということは、あまり、実感が湧かなかった。あまり、思い出すことも、思い出も、ないからだろうか。
けれど、自分が、両性だというのは、ショックだった。
男だと、信じて疑っていなかったから。自分が幽閉された原因だと、知ったから。
どうして――と、今は亡いお母さまに詰め寄りたい気分だったけど、
「おまえの母は、おまえの父を心から愛していたのだ」
と、そう言われては、僕という存在が、お母さまを苦しませていたのだと、詰ることもできない。
昇紘はお母さまをまだ、愛してるんだなぁと、僕が、昇紘を見上げると、僕の頭をなでながら、
「この国に、復讐をしたいか?」
と、昇紘は、僕の目を覗き込んできた。
僕の世話をしてくれていた女たちが、くるくると元の姿に戻ってゆくのを、僕は、呆然と眺めていた。
三人の女だったもの。それは、掌に収まるくらいの、三体の、木彫りの人形だった。
僕と昇紘と犬は、馬車に乗った。
広場を通りかかるとき、昇紘は、馬車の窓の帳を引いた。
怒号が満ちる中、何か、鋭いものが落ちる音を、聞いたような気がしたけど、きっと、神経のせいだろう。
港について、僕たちは、船に乗り込んだ。
どこか遠くにあるという、魔女の国に、向かう。
甲板に立って、僕は、遠ざかる国を見ていた。
「悲しいか?」
僕は、首を横に振る。
結局、僕は、復讐をしたいほど、この国に愛着がありはしなかった。
生まれ育った国だというのに。
一時は、第一位の王子でもあったのに。
すべては、実感が伴わないものでしかなく、僕のこれからが、昇紘と共にあるのだと、それだけが、現実味のあるものだった。
昇紘の手が、僕の顎を持ち上げる。
くちづけを受けながら、僕は、ドレスの裾がひるがえるのを、目の隅にとどめていた。
広場近くの河に、痩せた男の骸が浮かんでいることなど、僕には、関係のないことだった。
おわり
start 19:00 2006/05/06(06/01/26)
end 23:57 2006/05/06
◇あとがき◇
すみません。久しぶりの更新なのに〜変なもので。
声出ない浅野くんって設定、今好きみたいです。
これでも、昇x浅。
でも、最初の頃は、半陰陽ものにふさわしく(?)鬼畜テイストの予定だったのですよ〜。それが、なぜか、溺愛。まぁ、昇紘さま以外に色々と苛められちゃってたので、たまにはよろしいかと。
なんか、勘が狂ってる気がする。
精進精進。
少しでも楽しんでくださると、嬉しいんですが。
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