耳 飾




 秋になったというのに、陽射しは、まだまだ強い。


地面に筵をひいて商品を並べている店のことを直店(じかみせ)と言う。広場にずらりとならんだ直店の店主たちは、思い思いの商品を筵の上に並べている。
しかし、暑い。笠を目深に、滴る汗を拭わずにいられない。竹筒から水を飲むものもいる。空になった竹筒に井戸から水を注ぐ者。昼飯時ともあって、持参の弁当を頬張っている姿もちらほらと見受けられた。
その店の親爺も、また、昼飯後の一服とばかりに煙管(キセル)に火を移そうとしていた。煙草は贅沢な嗜好品だが、こればかりはやめられない。それに、煙草は、妖魔除けにもなる。煙草の匂いを、嫌う妖魔は多い。吸う吸わないにかかわらず、旅人や、こうして外に店を出すものの何割かは、少し無理をしてでもそっと荷物に護符と一緒に忍ばせているのが普通だった。親爺は目を眇めて、ぽつりと赤い火が草に移るのを、眺めていた。
と、誰かが彼の店の前で足を止めたらしい。親爺が、煙管を咥えたまま、前を向いた。
瞬間、忘れていた陽射しに、目を射られた。今朝は家を出るのが遅くなってしまい、最悪の場所しか、空いていなかったのだ。商売にはならないだろうから帰ろうかとも思ったが、家に帰っても、店は息子夫婦が切り盛りしていて、することがない。上げ膳据え膳は年寄りには何よりだが、ただぼんやりしているだけでは、呆けてしまう。親爺は、半ば意地で、人出が多くなる昼過ぎから夕刻にかけて逆光をうけてしまう場所に、腰をすえていたのだ。
陽射しに眩む視界に、客が背の高い男だとしかわからない。ただの冷やかしか、破落戸(ごろつき)のいちゃもんつけか。親爺は、慎重に、目をしばたかせながら、相手を見上げていた。
男が、しゃがみこんだ刹那、親爺の鼻先を、馥郁とした香が、掠めて消えた。
(ほぉ………伽羅じゃないかね)
高価な香木の名前がするりと出る。
そんなものが身に移るほどとなると、この男は、
(遊び人か、金持ちの放蕩息子とでもいったところか)
この辺りは、花街に近い。親爺がそちらに頭を働かせたとしても、無理からぬことだった。
漂って消えた香は、遊女の移り香とでもいったところだろう。それも、最高級の置屋でも一位二位といった、ごく希少な遊女のものだ。でなければ、伽羅など、使えもしない。嗅いだこともないといったものばかりだ。
放蕩を尽くした昔の自分に懐かしく思いをはせながら、親爺は、ぽんと、煙管を煙草盆の端に打ちつける。
「いらっしゃいませ」
皺深い顔に、接客用の笑みを貼りつけた。
すっと伸ばされた手が、無骨そうな指先が、迷いもなく掴みあげたものに、親爺の細い目が、しばし瞠目する。
色とりどりの細工を施した装飾品の中で、それは、小さく、暗い色調のものだった。深い緑の石を刻んだものを金の鎖で連ねた耳飾が、男の指先でかすかに光を弾いて澄んだ色に変化する。
「お目が高い」
思わず、親爺が、うなる。
さして大きなものではないので、そうそう人目にはつかないが、見る目をもった者が見れば、一目で高価とわかる、そういった、一品だ。直店の客といえば、懐が温かいものではないと相場は決まっているが、それでも、極稀に、見る目を持ったものが来ることがある。そういう目の肥えた客は、金持ちの道楽息子や隠形(おしのび)の仙であったりする。質のよい客を捕まえて、できれば、今は息子夫婦へと譲った店の、新規の客にしたかった。そんな思惑から、しのばせていた、範国の品だった。
親爺の見守る先、男の指先で涼やかに、石が触れ合う音がする。
男が、耳飾を、目の前で、揺らめかせては、耳を澄ませている。
「………いい音だ」
低く、落ち着いた声音が、親爺の耳に届いた。
「これなら、あの方によく映えることだろう………」
うっすらと、笑んだ気配があった。
「親爺、これを貰おう」
「はい」
しばらくお待ちをと、親爺が続けた時だった。
「桓堆」
張りのある涼やかな声が、その場に響いた。と、男が、立ち上がる。
「これは主………陽子。また抜け出してこられたのですね」
桓堆と呼ばれた男の声が、かすかに、ひるんだのを、親爺は感じた。
新たに現われた、少年とも少女ともつかぬ雰囲気を漂わせる影に、親爺が、
「いらっしゃいませ」
声をかけた。
「あ、ああ。ここは、装飾品を扱っているのか」
「はい。どうぞ、ご覧にになられてください」
知らず、腰が低くなる。そんな、風情を、新たに現われた客は、漂わせている。
影がしゃがみこんだ拍子に、一本に束ねられている長い髪が、さらりと前に流れ落ちた。その髪から一瞬だけふわりと漂った香に、親爺の瞳が大きくなる。
それは、先ほど桓堆から漂ったものと同じ、伽羅だったからだ。
「きれいだな………。鈴や祥瓊も喜びそうだ」
そう言って伸ばされた手は、思いのほかに細く、たおやかそうに見えた。
(女………)
こんな手の男は、いない。親爺は、しげしげと、袖口から伸びたその白い手を眺めた。
飾り気はないもののよく手入れされている細い指先が、品物の上をしばらく惑い、組紐の先に飾りをつけたものを二本持ち上げる。
「これなら、土産に買って帰っても、文句を言われないだろう」
そう言って、桓堆を見上げた。
「さては、ふたりに黙って出てきましたね。賄賂ですか?」
「厭なことば使うなぁ、おまえ。あ、親爺、これを」
差し出された金子は多すぎた。
「今釣り銭を」
「それで、桓堆。おまえは、なにを買ったんだ?」
つりを数えながら、横目で見ていると、伸び上がって顔を覗きこんでくる少女に、桓堆は、押されている。
「い、いえ、その………」
「桓堆にいいひとがいたなんて、しらなかったな」
「そ、そんなっ」
たじたじといった感じで、どう見ても年下だろう少女に負けている桓堆に、親爺は、先ほど予想をつけた男の印象を打ち消すことにした。
どうやら、遊び人でも、物慣れた放蕩息子でもなさそうだ。存外真面目な男らしい。
それに――桓堆のほうは、目の前の少女に、ほの字であるらしい。そうして、少女のほうも、桓堆を悪(にく)からず思っているようだ。
「おつりです。ありがとうございました」
「じゃな、桓堆」
ひらひらと手を振る少女に、
「親爺、すまんが、さきほどの代金は、これで足りるか?」
慌てたように懐から掴み出した金子を、親爺の掌に押し付ける。
「はい。いま、釣り銭を」
「いい。釣りはいらない」
懐に耳飾をしまいながら、桓堆が、
「お待ちください」
と、少し離れてこちらを見ている少女に駆けてゆく。
大小ふたつの影が、ゆっくりと直店の間を去ってゆく。
ふたりを見送りながら、
「いい客になりそうだったのに、逃してしまったな」
残念そうでもなく親爺が、つぶやいた。
「しかし、あの御仁は、はたして、耳飾をあのひとに贈れるのかな」
ただ者ではないだろうふたりの今後に思いをはせながら独り語ちた親爺は、その日三人目の客に呼びかけられて、頭をひとつ振った。
「いらっしゃいませ」


おわり

from 9:48 2004/09/24
to 12:38 2004/09/24


あとがき
 初めての、『十二国記』二次創作です。自分ではこのふたり、心の底では思いが通じてると信じてるのですが。ことばにしたことはないという。桓堆将軍は、立場にこだわって、強く出れない。そこを、陽子ちゃんにからかわれてるって言う関係が、好きです。そんなわけで、カップリングものといいきるには、微妙です。
第三者、しかも、色気も何もないおじーさんが出張ってますが。
最近、どうも、第三者視点と言うのに、凝っている模様です。少しでも楽しんでいただけると嬉しいのですが。
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