Missing Link



 そうだな、まずは自己紹介を。
 私の名前は、謝 雅都(シャ カレト)。職業は、医師だ。
 臨床医になるつもりはなかったのだが、経済的な面で、どうしても、研究だけをしていることができず、大学時代の先輩に勧められるまま、彼がオーナーをしている療養所勤務をすることになった。とりあえず、ここでなら、空き時間に自由な研究をすることに対して、色々な便宜を図ってもらえる。もちろん、研究結果は、企業の利益を第一に――と契約してはいるが。あれは、どちらかというと、便宜的な契約に過ぎないだろう。第一、私の研究テーマは、あまり、企業の利益とは繋がらないものなのだ。と、思うのだが、その辺、実はよくわからない……。まぁ、所謂、学者馬鹿の部類に、カテゴライズされる一人には違いないのだった。
 ここに勤務することに決まってなにが嬉しいかといえば、本土とは海で隔てられた孤島という性質上、衣食住は、すべて保障されているということと、上流階級の保養所のような場所という性格の強いここは、基本的に、あまり忙しくもないということだろうか。その気になれば、担当ブロックの朝の診察だけすれば、研究室にこもっていることも可能なのだ。少なくとも、私の担当する患者は、煩わしくも忙しい都会の生活から大手を振って一時避難したいというひとたちばかりだった。
 私は、私を誘ってくれた先輩―籍昇紘――に、このうえなく感謝していた。
 なぜなら、先輩が入所させた少年の担当を引き受けるのと引き換えに、私はそれまでの諸々の雑事から解放されることになったからだ。
 まさか、自分が、少年に対してこんな想いを抱くだなどと、想像だにしていなかった。

 あれは、先輩の弟が、亡くなったとそう聞いた翌日だっただろうか。
 療養所所長と連れ立って弔問に出かけた籍家の本宅で、私は、焼香をした後、奥に通され、待たされた。
 ひとの口に戸は立てられない。屋敷の奥でもまた、ひそひそと、籍清流の噂がささやき交わされていた。
 手の施しようのない末期癌に絶望しての、衝動的な自殺――――。公にささやかれていたものとは違う、スキャンダラスな真実は、やがて、当事者を目の当たりにすることで、私にとってもまたリアルな現実となったのだった。
 待たされた時間はどれほどだったのか、現れたのは、籍家の使用人ではなく先輩の秘書をしている男だった。彼に導かれるまま、私は、歩いた。
 やがて通されたのは、屋敷の奥、日当たりのよいこじんまりとした一室だった。
 あるのは、部屋の真ん中のベッドと箪笥が数棹だけという、簡素な部屋では、既に、先輩が、私を待っていた。
 お悔みの常套句を口にしようとした私を目線で制し、
『こっちへ』
と、手招いた。
 明るく晴れた陽射しの中、白い紗に囲まれたベッドの中では、ひとりの少年が、眠っていた。
 一目で、どこかが悪いのだと、直感していた。
 浅い息。
 陽射しが明るければ明るいだけ、少年の顔色の悪さが、際立った。
『彼は?』
 籍家の直系男子は、先輩とその弟だけだったと、私は記憶していた。
『私の、息子だ』
 だから、先輩のことばに、私は、驚いた。
 そんな私を見て、先輩は、喉の奥で笑いを噛み殺し、
『遠からず、そうなる予定の者だ』
と、付け加えたのだった。
『跡取りに望まれているのですか?』
 思わず、聞き返していた私に、
『いや。跡継ぎなら、分家から相応しい者を選ぶことになる。これは、そう、罪滅ぼしかもしれない』
 そのことばの半ばから後は、独り語とだったにちがいない。
『罪滅ぼし……ですか?』
 それは、なんと、先輩に不似合いなことばだったことだろう。
 しかし、私は、先輩のそのことばに、待っている間に耳にしていた、使用人たちの会話を思い出していた。
 ――信じられない。清流さまが、あんなことをなさったなんて。
 ――よりにもよって、男の子を監禁していただなんて…………。
 ――清流さまだけじゃなく、昇紘さままでが、あの男の子に、夢中だとか。
 ――それで、あの少年の意識は戻ったの?
 ――いいえ。でも、戻らないほうが、幸せかもしれません。
 ――あの少年の父親は、五日ほど前に事故で亡くなられていたとか。
 ――じゃあ、それも知らないまま……清流さまに?
 ――故郷には、もう、身内もおられないそうですよ。
 ――昇紘さまはどうなさるおつもりなのかしら。
 ――シッ。昇紘さまの秘書よ。
 それぎり、使用人たちの噂話は、途絶えたのだった。
 私は、誰からも恐れられている籍家の次期総帥候補のふたりを魅せたという少年を、まじまじと見下ろさずにはいられなかった。
 どこにでもいる普通の少年に見えた。
 そう。
 籍家のふたりを惑わすほどの魅力など、欠片も感じられなかった。

 しかし――――――

 私は、ネームプレートを握りしめた。
 手に痕がつくだろう。それほど、きつく握りしめていた。
 キリキリと、胸が痛む。
 これは、違う。
 こんなこと、あっていいはずがない。
 そう、これは、自分では、治すことができなかった患者を、横から取られた上に、快方に向かわされたことに対するジェラシーなのだ。
 そうに違いない。
 決して、あの少年、雇い主の愛人に、個人的な執着があるわけでは……ない。
 そう思わなければならないほど、私は、彼に、執着してしまっている。
 海に張り出したガラス張りのカフェテラスで、彼は、かすかに、笑っている。まだぎこちない笑みではあるが、テーブルの上に飾られている花にも、要所要所に置かれているブーゲンビリアの鉢にも、怯える風情すら、ないように見えた。
 ほんの少し前までは、手の施しようがないくらい、怯えていたというのに。
 なにが、彼を、変えたのか。
 私は、目を背けたかった。
 けれど、できなかったのだ。
 膝の上のシャムネコを撫でながら、彼は、白衣を着た女性と何かを話している。
 あの女性は――――
「ドクター・シンクレア………」
 海風に乗って、少年の声の断片が、耳に入り込む。
 そう。
 そうだ。
 ドクター・メレディス・シンクレア。循環器が専門の外科医だ。
 直接、彼に、関わりはない。
 なのに、なぜ。
 ああ、胸が痛い。
 私は、いまだ、彼に、ドクターとしか呼ばれたことがない。
 彼は、私の名前を、知らないのだ。
 それが、こんなにも辛いとは、考えだにしなかった。
 立ち上がった少年が、ドクター・シンクレアと一緒に、ネコを抱いたまま、カフェテラスの出口に向かってくる。
 私が立ち尽くしている場所に。
 ドクター・シンクレアと喋りながら、私に気づくことなく通り過ぎようとした少年に、
「昇紘さまを妬かせたいのですか」
 大人気ない一言を、気がつけば、私は、投げかけていた。
 彼にしか聞こえないだろうささやきに、少年の目が、怯えたように、私を捉えた。
 少年の表情で、少年の瞳に自分が映ったことで、私は、やっと、その場の呪縛から解き放たれることができた。
 私は、ふたりとすれ違いに、カフェテラスに入っていったのだ。
   背中に、彼の視線を感じながら、私は、こみあげてくる充足感を、隠すことができなかった。


おわり



from 22:01 2005/10/06
to 23:34 2005/10/06


あとがき
 今まで『夏翳』本編で触れてなかったこと二つ。
 ドクターの名前と、浅野くんのお父さんについての補足説明的なSSです。
 浅野くんのお父さんについては、安直な流れを選んでしまいました。別のバージョンでは、お父さんは、新しい奥さんと結婚するのに浅野くんを捨てた〜なんつー極道な流れにしてたのです(これだと、浅野くんが人に捨てられることに対しての恐怖感を云々なんて風呂敷を広げられそうだなと思ってたりしてたのですがね。)が、実のお父さんに捨てられるのは、事故で亡くしてしまうよりも可哀想過ぎるので、没。って、浅野くんが不憫王なことには、なんら変わりはありませんけどね。
 っつーことで、浅野くんの主治医の名前は、謝 雅都です。
 少しでも楽しんでくださると、幸いです。
 何気に気になって、辞書で確認したらば、Linkが正確でした。 051118
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