もしも……


 新聞の地方欄に、小さく、以下のような記事が掲載されたのは、二月半ばのことだった。
 xxx県xxxx海水浴場で、二月xx日未明、意識不明の少年を、通りがかりの無職男性〇〇〇〇氏七十二才が発見、警察に通報した。少年は、傷を負っており、意識は不明。身元を示すものは携帯しておらず、警察は、なんらかの事件にかかわりがあると見て、捜査を開始している。

 清潔を通り越してしまっている無味乾燥な室内に、レギュレーターの音が、沈鬱な響きをたてていた。無骨な機械の画面が、波形紋を送り出しては次の波を映し出すたびに、ピッピ……と甲高い機械音が、鳴らされる。
 機械から伸びたさまざまなチューブに繋がれているのは、土気色の顔をした、少年だ。
 長めの黒髪が乱れて顔にかかっているのが、なおのこと肌色を沈痛なものに見せている。
 象牙色に退色したカーテン越しに、早朝の陽射しが、室内を薄ぼんやりと照らしている。
 少年は、ただ、眠っている。
 昨日、救急で運び込まれたこの少年の身元は、いまだわかっていない。
 脇腹の深い傷は、内臓に達していたものの、かろうじて一命を取り留めた少年は、こうして、ICU(集中医療室)で、生命維持装置に繋がれている。
 部屋の外で県警の刑事が目を光らせているのは、傷が、何者かが意図しての刀傷であったからである。
 斜め上から、鋭い刃物で突き刺すようにして、少年は傷つけられたのだ。
 なにが起きたのか――すべては、この少年の意識が回復するのを待たなければならなかった。

 しかし―――――

 担当医の許可を得て入室して数分。ふたりの目つきの鋭い男たちは、顔を見合わせ、溜め息をついた。
 少年の意識が回復して、事情を聞けると勇んではみたものの、彼らの観測は、希望の段階で、潰れた。
 なるほど、少年はベッドの上で目を開けている。上半身を起こしてもいる。
 しかし―――
 少年は、彼らの質問に、なにひとつ反応を返さなかったのである。
 少年の、褐色の瞳は、ただ、開いているだけで、瞬きすらもが、やけに、間遠なものと見えた。
 本人からの情報を諦め、外堀から固めようと、警察が少年の身元を探り出すべく動きはじめて半月後のことだった。
 身内かもしれないと問い合わせてきた男女から、ようやく、少年の身元が判明した。
 少年は、名前を浅野郁也といい、隣の県の、高校二年の男子生徒だった。

「どう? 郁也」
 窓辺で振り返った女性が、ボリュームを落としたMDのスイッチを入れる。
 個室に、アップテンポの音楽が、流れはじめた。
 痩せた左手に点滴と、指先に血圧計に繋がる端子をつけられただけの、少年は、何の反応も見せない。
 ただ、彼女が起こした時と同じ体勢のまま、心持ち項垂れている。
「あなた、この歌が好きだって、よく聞いていたじゃない」
 反応は、ない。
「ね、郁也。いったい、なにがあったの」
 四十代くらいだろう、少年に似た面差しの女性が、少年に縋りつかんばかりになって掻き口説くものの、やはり、反応はない。
 少年から身を離して、女性は、目頭をそっと拭った。
 帰ってきただけで、いい。
 幼馴染の少女は、いまだ、あの嵐の日から、行方不明のままだ。生死すら、不明である。
 そう。
 息子は、帰ってきたのだ。
 無事に――とは言いがたくても、今、まさに、自分の目の前にいる。
 これ以上を望むのは、贅沢というものかもしれなかった。
 すわり心地が好いように背中の枕の位置を変えてやり、微熱のためににじむ汗を拭ってやる。
 転院したのが、良かったのかいけなかったのか、微熱がいっこうに引こうとはしない。
 くちびるの乾きが、目についた。湿らせたガーゼをあてがった後で、吸い飲みで、ミネラルウォーターを含ませる。
 そういえば、水がもうきれそうだと思っていて、忘れていた。
「買ってくるわね」
 目を離せばまた、目の前から少年が消えるのではないか。
 そんな危惧を打ち消しながら、女性は、鞄を取り上げた。

「え?」
 スライド式のドアを開けた瞬間、女性は、思わず、我が目を疑った。
 ドゴン――と、鈍い音をたてて、ペットボトルが床に落ちる。
 我に返った女性が、慌てて拾い上げた。幸いにも、裂けてはいなかった。
「いくや?」
 少年は、浅い息が苦しそうではあるものの、買い物に出かける前の体勢のままで、眠っている。
 少年のからだを横たえてやりながら、
「気のせい――よね」
 自分で自分に言い聞かせる。
 しかし、心臓は、さっきの驚愕に、鼓動が速い。
 さっき、ドアを開けたあの時、彼女は、息子の背後に佇む誰かを見た――ような気がしたのだ。
 息子の後ろは、すぐに壁なのに、薄ぼんやりとした、男のものらしい、人影が、窓からの陽射しに、透けていた。
 その、袂のような長い袖から突き出した両手が、息子の両肩を、捕らえるように掴んでいるのが、生々しく見えた。―――ような気がして、心臓が止まりそうだった。
「カーテンの影が変なように見えただけよ」
 つぶやきながら、彼女は、備え付けの冷蔵庫に、ペットボトルをしまいこんだ。

 少年の傷が悪化したのは、その夜のことだった。
 連絡を受け駆けつけた両親が見守る中、少年は、危機を脱した―と、思われた。
 ICUのベッドに横たわる少年を見守っていた両親は、安堵に、いつしか、舟を漕いでいた。
 静かな室内に、機械の音ばかりが、単調に響く。
 女性が目覚めたのは、偶然だった。大きく舟を漕いだ瞬間に、からだが傾いだのだ。
 絞った照明に、目が慣れるまでに、少し時間が必要だった。
 目を瞬かせ、それを認めた瞬間、彼女は全身で、慄いた。
 駆け抜けた戦慄が、まるで氷水のようで、鳥肌が立つ。
 逆毛立つという感覚を、彼女は、全身で理解していた。
 動こうとして、動けない。
 ただ痛いくらいに瞠いた瞳の中、息子を見下ろしている、朧な影があった。
 外国風の暗色の衣装が、現実味を乏しくさせている。
 ピッピッピッ………と、息子の心臓が動いている証の音が、耳につく。
 ああ!
 この影は、連れてゆくつもりなのだ。
 息子を!
 連れてゆかせはしない。
 しかし、決意はなによりも固いのに、指一本動かすことができないのだ。
 視線が、朧な男の横顔に、釘付けられている。
 厳しそうな横顔が、そのくちびるが、動く。
 いくや――――と、息子の名前を、朧なくちびるが、紡いだ。
 いや!
 手が、ゆるゆると、もたげられてゆく。
 やめて!
 やがて、掌が、息子の額に当てられた。
 連れてゆかないで!
 こみあげる涙に霞む視界に、自分の鼓動がうるさいほどの耳の奥に、目の前で繰り広げられている光景が、刻み込まれてゆく。
 誰か! 誰か、郁也をたすけてっ!
 しかし、声が、空気を震わせることはなかった。
 空気が、まるで、まとわりつく水糊のようにねっとりと濃度を増していた。
 眦が裂けんばかりに瞠いたまなざしに、朧な男が、息子の上に上体を被せてゆくのを、映していた。
 !
 くちびるが重なる。
 男の口角が、ゆるりと笑みを形作ったのを、彼女は、見た――と、思った。

おわり



start from 18:34 2005/09/14
to end 21:38 2005/09/14
あとがき
 う〜ん。こりは……なんでしょう。
 久しぶりのアップがこんなダークな話でいいものなのでしょうか。うう。最初のインスピレーションは、《エスチロ》管理人、ハズさまの素敵な昇紘x浅野のイラストから湧いたのですが……。いえ、ほんっとうに、素敵なんですよ〜。
 蓋を開けると、暗いだけの、変な話になってしまいました。こんなんでも、楽しんでいただけるといいのですが。
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