王さまのお気に入り 2




 アルシードに住む者なら、失われた世継ぎの君のことを知らないものなどいはしない。

 十三年前。

 遠く王家の血を引く姫との間に生まれた王子は、身分の隔てなく開け放たれた国王の居城の露台で、国民の祝福を受けた。
 それは、間違いなく、その王子こそが王位継承権第一位、未来の国王に他ならないという披露目だった。
 しかし、その夜、厳重な守りを誇る王宮から、王子は何者かによってかどわかされたのだ。
 切れ者と評判の国王が手をこまねくはずもなく、すぐさま国中に探索の手は放たれた。
 しかし。
 その夜以来、アルシードの世継ぎの座は空席のままであるのだ。



 テオじゃなくイクヤと呼ばれるようになってからも、みんなを名前で呼ばなけりゃならなくなってからも、三年が過ぎた。
 迷子になるみたいに広い館をぽんと贈られて、僕のものだといわれた日が、はるかに遠いように思える。この館が、皇太子だっていう僕だけのためのものだって知って、どれだけ驚いたかしれやしない。
 あれからずっと、自分にのしかかってきた信じられない現実に、僕は、今でも押しつぶされてしまいそうだ。

 三年前のあの日。
 僕は、一足先に王宮に戻っていた陛下によって迎えられた。
 父だという実感も沸かないまま、僕は、これから僕が暮らすのだという皇太子の館に案内された。そこは広い城内でも、王さまが日常的に生活する城にほど近い、日当たりの良い館だった。規模で云うなら王さまの居城の三分の一くらいだろう。それでも、あの辺境の領主の館くらいはありそうで、僕は、自分の環境の変化にめまいを覚えるだけではすまなかった。
 事実、翌日からの二日間を、僕は、初めての館のベッドで過ごしたのだから、情けない。
 僕の看病をしてくれたのは、母さんだった。
 僕の家族もまた、ここに迎えられた。僕の乳母とその夫、それに、僕の乳兄弟というのが、みんなに与えられた役割だった。館の敷地に小さな家を一軒構えて、みんなはそこで暮らすらしい。
 こんなこと陛下に知られたら、やっぱりやばいかなって思うけど。僕にとっての家族は、どうしたって十三年間一緒に暮らしたみんなだから、僕は、ただ、みんなと別れずにすんでよかったと単純に喜んでいたんだ。それに、兄さんのこともある。兄さんの名前はジーンっていうんだけど、かなり頭がよくって、ちゃんとした勉強をさせたいって、母さんも父さんも考えてたらしいんだ。でも、田舎じゃあ、な。あんま裕福じゃないから都会で勉強をさせるって云う踏ん切りもつかなかったらしい。それに、流れの民って家族は一緒に暮らすんだって云うのが伝統らしいんだよな。僕だって、離れるなんて、考えたことなかった。
 ―――ともあれ、僕の熱は三日目になって下がった。要は、環境の変化に、神経が疲れたって云うことだったから、重病ってわけじゃないんだよな。
 起き上がれるようになった僕のところに、陛下からの使いだってひとが来てさ、僕を陛下の居城に案内してくれた。
 僕のところが一番近いって云ったって、それでも結構歩かなきゃならなかった。
   そうして、僕は、陛下にとある部屋へと案内されたんだ。
 ひとの気配の感じられない部屋だった。
 女性のものらしいやわらかな色調で整えられた繊細な部屋の中、咲き初めた春の花がやさしい香を漂わせている。
「后の部屋だ」
 陛下の声は、穏やかだった。
 まるで大切な宝物でもあるかのように、目を細めて室内を眺めるさまに、陛下がどれだけこの部屋のひとを愛しているのかがわかるような気がした。
「イクヤ」
 肩を抱かれるようにして導かれ、連れて行かれたところは、その奥の部屋だった。
 扉ではなく、豪奢な織物が、矩形に刳り貫かれた出入り口にかかっている。
 織物をめくった途端馥郁とたちのぼったその香に、僕は、ほんの少し、めまいを覚えた。
 なぜだろう。もちろん僕には、その匂いをかいだ記憶なんかない。
 なのに、懐かしいんだ。
 胸の奥に熱いものが溜まり、せりあがる。
 部屋の真ん中にベッドがあった。
「そなたは、この部屋で生まれたのだ」
 支柱に支えられた天蓋から垂れ下がる帳はやさしい春の色で、軽やかな刺繍が縫い取られている。
 居心地のよさそうな室内だった。
 まるで今にも帳の奥から、僕の母だという顔も知らない女性が手を差し伸べてくれそうだった。
 そのやさしい声さえも耳の奥によみがえるかのようで、僕は、顔を伏せた。
「そうして、ここから、攫われた」
 陛下が帳を掻き分けると、そこには小さな、それでいてみごとな細工の、ベッドがあった。
 中にはなにもない。
「后は、そなたの帰りを待ちわびて、そうして、やがて、はかなくなった」
 今は、お前の帰還を喜んでいるだろう。
 そういいざま、陛下は太い金糸の紐を引いた。
 ベッドの足元のほうの壁に掛けられた織物が、するすると左右に分かたれてゆく。
 そこに現われたものを見て、僕は、目を見張った。
 そこには、壁一面の画布に女性の全身像が描き出されていた。
「そなたの母、ユゥフェミアだ」
 窓越しの陽光が画布を照らし出す。
 淡い緑色のドレスが、そのひとの印象をやわらかく彩る。
 小作りの白い顔を際立たせる濃い目の褐色の髪はかるいうねりを見せて豊かに流れ落ちる。褐色のまなざしが、春の花の色に塗られたふっくらと小さなくちびるが、僕を見てやさしく微笑む。それなのに、小ぶりの冠も細く華奢な首を取り巻く真珠の首飾りも、手首に巻かれた腕輪さえも、そのひとにとっては、重い枷のように見えたのは、なぜだろう。
 王妃さまといわれてつい想像してしまうような、人目を引く美女ではなかった。一幅の絵だというのに、その全身から漂う穏やかそうな雰囲気が、いつまでもそのひとの傍にいたいと思わせる。
 やさしそうな。
 おだやかそうな。
 心地好さそうな。
 このひとの傍にいたかった。
 その刹那、僕は、育ててくれた両親も兄も忘れていた。
「泣いているのか」
 目元を拭ってくれた陛下の指の感触に、僕は、我に返った。
「暫し待て。お前の屋敷に複製画を届けさせよう」
 陛下はそのことばを忘れることなく守ってくれた。
 あれから一月ほどして届けられた肖像画を、僕は、陛下が言うように寝室に掛けてもらった。
 三年、朝晩眺めているけど、やっぱり、自分の母さんだって思えない。
 髪とか瞳の色は似てるけど、でも、顔が似てるなんて思えない。
 まぁ、僕は、あまり体格がいいほうじゃないけど。うん。母親が違う二つ年下の弟に、負けてるけどな。
 だからって、女に見えるなんて云われたことない。
 オレが陛下の子供だっていう証拠は、陛下が生まれたばかりのオレの首にかけたって云うあの指輪だけなんだ。
 オレは、知ってる。
 オレが本当に陛下の息子なのかどうか、疑ってるひとがたくさんいるって云うことを。
 定住していないってことは、その国に税を落とさないってことでもあるから、どこの国でも、流れの民は、あまり、歓迎されない。
 だから、そんなのはただの嫌ごとだってわかってるけど。
 でも。
 流れの民は装飾品に目がないからな。道端で死んでいた子供の首からでも金目の物を奪って自分のものと言い張ってるんじゃないのか――――。
 聞いたとき、目の前が真っ赤になった。
 装飾品に目がないわけじゃない。普通に定住して暮らす町や村のひとと違って男も女もが少々過剰と思えるほどに装飾品をつけてるのは、それが持ち運びが簡単で換金しやすいからなんだ。そりゃあ、いつも身に着けるものだから、それなりのこだわりっていうのがあるのは事実だけど。
 オレは流れの民の生活を本当に知っているってわけじゃない。けど、そんなふうに謗られるのは、いい気持ちのするもんじゃない。
 陛下が誰よりも先にオレを自分の息子だと認めたってことで、声高に云うってわけじゃないけど、悪口って、やっぱり自然に耳に入ってくる。
 悔しかった。
 オレは、別に、王さまになんかなりたくない。
 王さまに向いてないって、知っている。
 ふさわしくなんかないんだ。
 それは、誰に言われるまでもない。自分で嫌ってくらいわかっている。
 陛下はまだ若くて元気だけど、いつかはオレがあとを継がなければならなくなる―――――なんて、絶対無理だ。
 オレは出来るかぎりはがんばった。
 今だって、がんばってる。
 でも、オレは、木切れを削ったり彫ったり、そんなことが好きなんだ。
 なのに、今のオレときたら、毎日決められた時間割に縛られてて、木切れに触れるのは、陛下と摂る夕飯の後と風呂の前までのほんのちょっとの時間だけ。それだって、勉強や剣やら弓やら馬を習った後は疲れきってしまってて、木切れを握って彫刻のための道具を取ってってやってるうちに眠ってしまってたりするんだ。情けないよな。
 こんなところにいるのは絶対間違いだって、毎日痛いくらいに感じてて、十六の男が、泣きたくなるんだ。
 十六なんて、町や村にいれば、働いててあたりまえなのにな。
 こんなんじゃ、城の外で暮らすことも無理だ。
 中途半端なんだ。
 こんなオレと比べるんだから、母親違いの弟のジュリオのほうが、よっぽど皇太子らしい。
 彼とオレとを比べる周囲の死線は冷ややかで、オレは消えてしまいたくなる。
 流れの民なんかに育てられたからだ―――皇太子らしくない振る舞いや失敗をするたびに、誰かがそんなことをつぶやく。
 オレが云われるのは、もう、仕方ないって思うけど、それは、同時に母さんたちが謗られることだから、オレにとって、とっても痛い言葉だった。
 だから、オレは、二年前に、決意したんだ。
 十四にオレがなる本当の誕生日に、なにか望みがあるかって陛下に訊かれて、お願いした。
 みんなを城から出してください―――って。
 あの懐かしい辺境に、みんなを帰してください―――――って。
 母さんと父さんとに、この城の生活が、合っていないのもわかってた。オレが失敗するたびに、流れの民を悪く言うことばが母さんや父さんの耳に入るのが、辛くてならなかった。母さんたちにごめん――って、言いたくて、でも、言えなくて。そんなオレを、ジーンが、そっと誰もいないところで、慰めてくれる。昔みたいに抱きしめてくれるんだ。
 ジーンは残ると云ってくれた。オレのためだけじゃなくって、自分が残りたいんだって。
 母さんも父さんも、そうしたらいいと、言ってくれた。
 オレを独り残すのは、辛いから―――声に出しては云わなかったけれど、オレには伝わった。
 ふたりは、いつだって本当に、ジーンと分け隔てなく、オレを愛して育ててくれたんだから。オレも、みんなのことが本当に、大好きなんだから。
 陛下は、叶えてくれた。
 みんなが一生生活に困らないように、色々と心を配ってくれた。
 だから、オレが母さんと父さんとに会ったのは、二年前が、最後だ。
 そうして、オレふたりに会うことは、なかったんだ。
 ――――――もう、二度と、ありはしなかったんだ。



 馬にはどうにか乗れるようになった。
   剣も弓も、形だけなら、な。誰かと対戦するのも、狩りに出かけるのも、苦手だけど、付き合えと云われれば付き合わないわけにもいかない。
 なぜって、付き合えって云うのは、陛下がほとんどで、あとは、ジュリオだからだ。
 忙しい陛下が毎日みたいにオレに会いにきてその日の成果を見たいと云われたら、畏れ多すぎて、断るなんて出来ない。
 ジーンは、ジュリオがオレに近づくのをあまり快くは思ってないみたいだけど、それでも、兄上と云って慕ってこられると、無碍にも出来ない。
 たまに、おしのびで狩りにと誘われると、やっぱり、断れないだろ。
 どう考えたって、オレなんかにふたりが気を使ってくれてるんだってわかるんだから。
 陛下といえば、夕飯以外のときにも、最近はオレを身近に置くようになった。
 結構これがきつくてさ。
 毎日の勉強に加えて、陛下が執務室での仕事や謁見をしているとき、その傍で見ていなければならない。ぼんやりと見てるだけじゃなくちゃんと目や頭を働かせてないと、不意打ちみたいに問いかけてくるから、気を抜けない。
 陛下の家臣の目もあるから、下手なこと云えないし。
 オレがどれだけ神経をすり減らしてるか、わかって欲しい。
 なのに、ジュリオは、
「兄上がうらやましい」
って、云うんだ。
 なんでよって、思った。
 そりゃあオレは今は皇太子なんだけど、その前は、ジュリオが一番その座に近かったわけだ。だから、陛下は、今のオレにしているようなことを、とっくにジュリオにしてるはずだって思ってた。
 けど、違ったんだ。
「兄上が行方不明のあいだも、私は第二王子というだけの存在でしたから。第二王子なんて、父上にとってはいてもいなくてもかまわない存在に過ぎないんです」
 今も昔も―――――
 なんて、寂しそうに云うんだ。
「今も昔も、父上が愛されているのは、お后さまと兄上だけなんです」
 夕飯すら一緒にしたことがないと云って、オレよりも大人びてるジュリオが諦めたように笑って見せるのに、なにが云えただろう。
 金髪で青い目のジュリオは、オレよりも頭ひとつぶん背が高い。南方の血をひいている浅黒い肌は、たくましさを際立たせている。まだ十四なのに堂々とした態度は本当に、彼こそが次の王には相応しいといわれるのももっともだって思ってしまう。
 だから、ジュリオの母親にオレが嫌われてても仕方がない。
 ジュリオによく似た豪華な美女である彼の母さんは、后じゃない。あくまでも、妃にすぎないんだそうだ。王の妃ということは、その、妾ということなんだそうで、ジュリオは、あくまでも妾腹ということになるらしい。
 三年前引き合わされたときの彼女のあでやかな笑みに、怖さを感じてしまったのは、あながちオレの不安ばかりのせいではなかったのだろう。
 そんなことも頭にあったんだって思う。

 ―――ああ、呼称な。突然変わったって、びっくりしただろ。

 うん。変えて一年くらいになる。
 オレは、自分を僕と呼ぶことをやめたんだ。本当なら、私とか気取ったほうがいいんだろうけど。そのほうが、だから流れの民は――なんて眉を顰められないで済むんだろうけど、あの時は、いろんなことに腹が立ってたんだ。
 いくらオレが内にこもるタイプだっていったって、堪え切れなくなるときだってある。
 そう。
 一年前。
 とにかく当時のオレは、必死でがんばってた。
 自分向きじゃないって重々わかってることを――だ。
 それでも、陛下とジュリオとジーン以外は、眉をひそめる。
 だから、オレは疲れちまってて、陛下にお願いしたんだ。
 陛下がオレに甘いってことは、周囲が一番嫌う現実だったけど、背に腹は変えられなかった。
 陛下のことを、オレは、まだ、一度も父上と呼んだことはない。陛下も、別に、気にはしていないみたいに見えてた。でも、なんとなく、陛下がオレを見る視線に、オレの態度に対する苛立ちのようなものがあるって云うことは、うっすらとだけど気づいてたんだ。だからって、呼べるはずもない。オレにとっては、陛下は、陛下なんだ。自分が陛下の血を引いてるなんて、どう考えたって、本当のことのようには思えない。そんなオレを知ってて、陛下は、オレを甘やかすんじゃないかなって、なんとなく、そんなふうに思ってたんだ。
 だから、陛下はきっと叶えてくれるだろうって、たかをくくってたのかもしれない。

 ―――なにを言っている。

 低い声だった。
 いつものように、食堂でオレは陛下の隣の席について夕飯を食べていた。
 ぼんやりと、ただ、食べてたんだ。
 味なんかわからない。
 心もからだも疲れてた。
 何をどうすれば、オレを認めてくれるのか。
 頭の中は、混乱しきってたし。
 だから、無意識のうちに、溜息をついてしまってたらしい。
 ワイングラスをテーブルにもどす音が、かすかにした。
「心配ごとがあるのか」
 静かな声だった。
 確認するまでもない。陛下がオレを見てる。
 視線を痛いくらいに感じた。
 返事をしないわけにはいかない。
 そっぽを向いているのも、不自然だし、礼儀にかなわない。
 右斜めを見れば、陛下の黒い瞳がオレを見ていた。
 かすかな苛立ちめいたものは、見えない。ただ、オレを慮ってくれているのが、わかった。
 ふと、辺境にいる母さんと父さんを思い出した。
 焦った。
 二年にもなるのに、まだ、馴染めないのか。
 そう思うだけでこみあげてくるものに、オレは、蓋をしようと、必死になった。
 情けないだろう。
 人前で。
 しかも、食事中なんて。
 限界だったんだ。
 だから、涙を堪える代わりに、云ってしまった。
 絶対に、陛下に向かって云ってはいけない言葉を。
「帰りたいんです」
 刹那。
 温度が下がったような錯覚を覚えた。
 陛下のまなざしがたちまち凍りつくのを、オレは、見たんだ。
 けど、一度堰を切ってしまった感情を押しとどめるすべを、オレは、失ってた。
「皇太子の地位を返上したいんです」
 留まらない。
「僕には、荷が重過ぎるんです」
 だから、お願いです。
 こらえていた涙まで流して、オレは、訴えていたんだ。
 けど――――
「なにを、言っている」
 陛下の声は、氷点下の厳しさだった。
「そなたは、皇太子だ。私が見出し、認めた。私の唯一の嫡子は、おまえだけだ」
「…………ジュ、リオは」
「関係ない」
 冷酷なほどあっさりと切って捨てる。
 椅子から立ち上がり、王が、オレの背後に移った。
 椅子の背ごとオレを抱きしめ、オレの髪を掻きあげた。
「ユゥフェミアによく似た顔をして、私を裏切ろうというのか」
 きつい拘束に、からだが震える。
 怖い。
 忘れていた感情を、思い出す。
「陛下っ」
 瞬間、オレは、激痛を感じていた。
「父と呼ぶようにと、何度言えば覚えるのだ」
 髪の毛を鷲掴みにして、陛下がオレを仰のかせる。
「そなたの父は、私だけだ」
 ごめんなさい―――――と。
 何度も、
 父上、許してください――――そう云って、オレは、謝ったんだ。

 陛下が、怖い。
 あれから、陛下の視線が、やけに、恐ろしく思えるようになってしまった。
 情けないけど、あの時の恐怖があるから、必死で、陛下を父上と呼ぼうとがんばった。
 それで、つっかえながら、どうにか、父上と呼べるようにはなったんだ。
 けど。
 わかるだろう。
 心の中では、陛下は陛下のままなんだ。
 一緒にいた時間が違いすぎるんだ。
 だろう?
 陛下のすっと釣り上がり気味の眉が、が、オレがつっかえるたびに、顰められる。
 陛下の意志の強そうに引き結ばれたくちびるが、何かを云いたそうに引き攣れる。
 また、あんなに怒られやしないだろうかって、オレの背中が、ぴりぴりと逆毛立つ。
 だけど。
 オレはどうしたって、木彫り職人の息子だっていう意識が抜けない。
 木彫りで身を立てたいって、強く思うようになってしまった。
 多分、これは、逃避なんだろう。
 わかってるんだ。
 それでも。
 どれだけ眠くても、木切れと小刀を持たないではいられなくなっていた。
 木を掘りながら、うとうとしていたらしい。
 危ないだろう―――と、ジーンが小さくささやく。
「明日もはやいんだし」
 こっそりとささやく言葉は、あまり昔と変わらない。少し、やわらかな口調になってるけど、それは、仕方ないのかもしれない。誰が聞き耳たててるかわからないしな。あえて変えないようにしてるんだろうと、ジーンのやさしさが、心に染みる。
 声が普通の大きさのときは、ジーンも、丁寧な言葉を使う。
 それが、寂しくてなんなくてさ。
 まだ、ここに来たばかりのときだったから、盛大にごねたんだ。
 こっそりと、離れのみんなの家に行ったときだったけど。
 そのときの約束を、ジーンが忘れないでいてくれるのが、オレにとっての慰めだった。
 はっきり云って、ジーンがいなけりゃ、オレは、きっと、どうやってでも城から逃げ出したに違いないんだ。
 ジーンは、時々オレに勉強を教えてくれている偉い学者先生と対等に話したりしているから、ここで時間を貰って勉強することが楽しいんだろう。
 ジーンの勉強時間は、オレが勉強したり武術の訓練をしている間なんだ。どうも、これって、特別扱いらしいんだけど。でも、ジーンの頭がいいことは、いつの間にかまわりに知られるようになってたから、表立っては誰も何も云われないみたいなんだ。
 あまりオレも邪魔はしたくないけど。
 ジーンは、多分、オレより忙しいはずだから。
 まじめに復習したり予習したりしてるのに、オレの面倒を見なけりゃならないし。いったいいつ寝てるんだろう。
 ジーンが勉強してる間は、オレの身の回りは、別の小姓がみてくれてる。けど、オレがやらないといけないことを終えた後は、ジーンがみてくれる。そういう決まりになっているらしい。
 ジュリオにきいたんだけど、ひとりの王族に小姓は十人近くいるみたいだから、オレの世話をやいてくれる小姓の数が特別多いってわけじゃないんだろう。それでも、オレ、服を着るのも風呂にはいるのも、靴を履くのだって、基本独りでできるんだ。当然だろう、赤ん坊じゃあるまいし。
 風呂なんか、裸を他人に見られたくないって意識のほうが強すぎる。
 オレのからだは、どんなに鍛えても、悲しいかな、筋肉がつかない性質らしくて、まだ、あばら骨が見えるんだ。そんなの、ジーン以外に見られたくない。
 色々あって、結局、オレは、ジーンに頼っちまうんだ。
 甘えてるよな。
 当然って、甘えてる。
 変なところで、オレ、我儘になってるみたいで、なんか、ジーンに申し訳ない。
 でも、そう云ったら、
「俺は、お前の面倒を見るって云うことで、勉強させてもらってるからな。それに、お前の我儘なんかなんてことないしなぁ」
って、笑いながら、答えてくれたんだ。
 オレ、思わず泣きそうになって、
「泣くやつがあるか。まだまだ、ガキンちょだな」
って、ジーンに額をこつかれちまった。
 こんなとこ誰かに見られてたらことだから、こっそりとだけどな。
「おまえが王さまになりたくないって、知ってるけど――。けど、王さまって、悪くないだろ」
 ジーンとオレ以外には誰もいない寝室で、寝る前に飲まされてる薬の準備をしてくれながら、ジーンが小さな声で云う。
「やだよ。オレの一言で、何でもかんでも決まっちまうんだ。今日だって陛下は、罪人の処罰の書類に署名してたけど。あれのうちの何枚かは死刑の決定だった…………。ひとの生死とか決めなきゃなんないなんて、考えられない。そりゃあ、罪の報いなんだろうけど、けど、さ。それに、外交なんて、捌ききる自信ないって」
 銀の盆に銀のずっしりとした杯が乗っている。それを受け取りながら、オレは顔を顰めた。
「軽く考えるっていうのも問題だけど、おまえみたく考えすぎっていうのも、問題だよな」
 ジーンの青い目が、ランプの明りにきらめく。
「まぁ、今の王さまが出来過ぎっていうのもあるんだろうな。お前が、そこまで萎縮してるのは」
 蜂蜜をひとたらしほんのり甘い、けど、癖の強い薬湯を、オレは、凝視する。
「もっと鷹揚にかまえてもいいと思うぞ。オレは、お前じゃないから、こう云えるんだろうけど。そうだなぁ。王さまの周りには、出来のいい相談役とかが何人もいて、王さまは彼らに相談したり任せたり、自分はなんにもしないっていうひとだっているんらしいんだけどさ」
 ――――それでも、いいんじゃないか?
 がんばって、それでも駄目なら、そういうのだってありだろう?
傀儡かいらいでいろって?」
 薬を飲む勇気が出ない。
 これは、毒なんだ。
 毒にからだを慣らさなきゃならないんだ。
「ま、それができるようなら、はなっから悩まないよな」
 ――――オレが、相談役になれるようにしっかり勉強してやるよ。
「ほんと?」
「ああ。その代わり、オレがおまえを傀儡にするかもしれないけどな」
「ジーンなら、いいか」
 杯の中で、薬の面が、揺れている。
「馬鹿、冗談だって。まったく。生真面目すぎるんだよな。おまえってば。………あんまり悩みすぎるなよ。さっさとそれ飲んで、寝ちまえ」
 王さまになってもずっと、ジーンが傍にいてくれるんだったら、それなら、がんばれるかもしれない。
 そう。
 いつだって、ジーンは、頼りになる兄さんなんだ。
 けど、いつかはオレの傍からいなくなるかもしれない。父さんと母さんのところに戻って、オレはここで独りっきりになるんだ。――――考えてみれば、そんな不安がいつだってオレの心の底にはあったらしい。
 不安が現実になるのが嫌で、ジーンに面と向かって訊ねることすらできなかった。
 いつか、帰るんだろう? ―――― って、聞いて、肯定されることが怖かったんだ。
 それがオレの単なる悪い妄想なのだったら、だったら、オレも、ジーンが安心して勉強できるように、力になろう。
 ずっと、ここにいてもらえるように。
 陛下が怖いって、云ってられない。
 陛下の跡継ぎに相応しいように、努力しよう。
 なんとなく、久しぶりに胸のつかえが取れたような気がして、オレは、一息に毒を飲み干したんだ。

 それから、オレは、少しは変わったんじゃないかな。
 ジュリオにも、そう云われた。
 陛下の表情も、なんとなくだけど、やわらかくなったような気がする。
つづく





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