暴 虐
瞬間、頭の中が、真っ白に灼けた。
反動に、手が大きくぶれ、肩が、痛んだ。
鼻をつく、火薬の匂い。
大きな、瞳が、ぐらりと、傾(かし)いだ。
血が、まるで、大輪の牡丹のように、少年の胸元に滲み出していた。
自分の握っているものが、ただのものではなくなった、その現実に、思わず大きく、手を振り払った。
しかし、銃は、離れない。
手に吸いついたかのように、離れてはくれなかった。
「うわぁっ」
自分が放った悲鳴に、目覚めた。
動悸が激しく、喉元まで心臓がせりあがってきたかのようだ。
苦しい。
痛い。
浅野は、ぎくしゃくと、自分のいる堂間を見渡した。
暗い闇に沈む火の気のない室内には、ひとの気配がなかった。
いつもは、酒を呷っている、いやな目をした、小司馬も、いない。
ああ、そうだ。ここは、いつもいる部屋じゃない。
昇紘という男の屋敷の、空き部屋のひとつだ。
小司馬の酒臭い匂いも、どこを焼き討ちしたとか、制圧したとかの、自慢話を聞きたくなくて、適当な部屋に転がり込んだのだった。ここならば、小司馬の、怒声や罵声、気に入らないことがあったときの八つ当たりを受けなくても、済む。
壁に背凭れたまま、ゆっくりと、浅野は、息を吐き出した。この世界に来てから、ゆったりとからだを伸ばして眠れたことは、ない。
この世界は、怖い。
簡単に、ひとが、ひとを、殺す。まるで、ゲームの中のように、簡単に殺されてゆく。
そうして、今日、オレもまた………。
上着が皺になるくらい握りしめていた手を、意識して、開く。
両手を、目の前にかざす。
闇に慣れた目が、自分の手の輪郭を、闇の中に見出した。
この手で、ひとを、撃ったのだ。
それも、あんな、ガキを………。
あのガキは、死んだのだろうか。
懐の中を、さぐる。
手の先に触れた固い感触に、全身が、震える。ゆるゆると取り出した、そのフォルムもまた、闇の中に、黒々と見えている。
捨てよう。
浅野は、それを、振りかぶった。
(オレは、ひとごろしだ…………)
震えが止まらない。
どうしてこんなことになったのか。
同級生の少女のところに、あの、不審な金髪の男が現われた。それが、きっかけだった。
「中嶋――」
彼女が、この国の王なのだという。それが、すべての元凶だ。
無理矢理、押し付けられた、役目。今頃は、彼女だとて、戸惑っているだろう。おとなしい少女だった。
泣いているだろうか。
不安に震えているか。
助けを求めているに違いない。
「そうだ………オレは、中嶋を、助けないと」
それには、武器が要る。
振りかぶったそれを、浅野は、思い直して、もう一度懐に収めた。
「助けて、そうして、帰るんだ」
オレが、オレでいられた場所へ。
こんなにも、苦痛で、不安で、恐ろしい場所から、とっとと逃げ出さなければ。
ふらりと立ち上がった浅野の脳裏に、少年の、倒れてゆく姿が、よみがえる。
恨みがまし気に、糾弾するかのように、自分を見つめる一対の瞳が、もうひとりの少年のものと重なる。
それらを打ち消すように、浅野は、頭を振った。
「オレは………」
足元が、揺らいだ。
頭を振り、倒れるのを防ごうととっさに伸ばした手が、何かに、触れた。
なめらかな上質の布の感触に、顔を上げた浅野は、自分を見下ろしているまなざしのきつさに、身を竦ませた。
闇の中、篝火のものだろう外からの光に、相手の顔など、わからない。なのに、その、視線の鋭さだけは、痛いくらいに感じられたのだ。
「え、と……すみません」
自分が相手のからだに手を突っ張っていることに気づいて、慌てて手を引いた。
ことばが通じる相手―仙―だといいが。
漠然とそんなことを考えていると、
「えっ?」
突然、顎を、掴まれた。
背の高い相手が、浅野の顔を無理矢理上に向ける。
痛いと、訴えることもできなかった。
ぎりぎりと顎を潰されそうな痛みに、必死になって、手を突っ張る。布につつまれた、がっしりと硬い胸板の感触に、顎の、首の、痛みに、理不尽な行為に、涙がこみあげてくる。
どれくらい、そうして、不自然な体勢を強いられていただろう。
「おまえというのも、一興だろう」
嘯(うそぶ)くような低い声が、浅野の耳に、届いた。
声の主が誰かは、わかった。しかし、なんのことか、わからない。
「あ、の……昇紘…………さ」
問い返そうとして、浅野は、言うことができなかった。
突然、顎を解放されたと安堵するまでもなく、強い力で顔を固定されたのだ。
熱い、乾いた掌の感触が、両頬を、包み込んでいた。
そうして、くちびるに触れたものが何なのか。判ったのは、口腔を自在に這いずる、他人の舌のせいだった。
背筋を駆け抜けたのは、間違いなく、怖気(おぞけ)だった。
反射的に、それを、噛んでいた。
他人の舌の、ぞっと震えがくる、やわらかいような硬いような、気味の悪い感触と、かすかな鉄の味を、感じた。
「っ」
刹那に頬で爆ぜた平手の衝撃に、浅野は、他愛なく、その場に、転がった。
懐から、拳銃がこぼれ落ち、音をたてる。
その硬質な音に弾かれたように、浅野は、近づいてくる昇紘をからくも避(よ)けて、堂間から、外へと、まろび出たのだった。
月明かりとてない庭は、しかし、要所要所に篝火がもうけられている。
追いかけてくるかと、恐怖に振り向けば、昇紘の姿は、ない。
ホッと、安堵したその刹那、目の前に、立ちふさがる大きな影に、浅野は、悲鳴をあげて、走り出した。
理屈ではない。
怖かった。
なにをされるのか――それを思っただけで、不快感よりも先に、恐怖がわきあがる。
息が上がる。これ以上は走れない。そう思ったとき、目の前に、四阿(あずまや)が現われた。扉もない狭い入り口以外は、腰の高さほどまで装飾壁が張り巡らされている。
振り返れば、目の前に昇紘が現れそうだ。それでも、確認しないのも恐ろしい。
昇紘の姿は、ない。
前に向き直るのも、不安だったが、そんなわけにもいかない。
頽おれるように、四阿に飛び込んだ浅野は、朱塗りの太い柱に凭れ、そのまま、蹲ったのだった。
「なに、やってんだろーな。オレ」
全身の震えをいなそうと、つぶやいてみる。
膝の上に額を乗せ、できるだけ自分を小さくする。
「こっから出よう………」
おかしくなりそうだ――そう続けようとして、
「出すつもりは、ない」
降ってきた、強い声に、浅野の全身が、強張りついた。
顔を上げる勇気もなかった。
肩に、強い意志を持った、手を感じて、全身が大きく震えた。
「浅野。顔を上げるのだ」
抗えない音を昇紘の声の中に敏感に感じ取り、ほんの少しだけ、浅野は、顔を上げ、すぐに、伏せた。それよりほかに、なにができただろう。
昇紘の瞳には、剣呑な色が宿っている。それが、なになのか、浅野には、わからない。ただ、自分が、なぜか、今までにないくらい追い詰められていることを、まざまざと感じ取っていたのだ。
「立て」
降ってくる声に、全身を縮こめる。
チッと、かすかな舌打ちを聞いたような気がした。
「!」
肩を砕かんばかりの力で握りしめられ、浅野は、無理矢理、立ち上がらされた。
「い……いやだっ」
何かはわからない。ただ、ここで抵抗しなければ――そんな本能的な衝動に、浅野は駆られていた。
「聞き分けのない」
忌々しげな響きとともに、背中に、したたかな衝撃を感じ、浅野は、咳き込んだ。
ひとしきり咳が治まった瞬間を待ちかまえていたのだろう、涙でかすむ目を瞬かせていた浅野の、荒い息に薄く開かれていたくちびるは、昇紘の噛みつくようなくちづけに塞がれたのだ。
浅野の抵抗を楽しむかのように、そのくちづけは、長く、つづけられた。
おわり
from 9:48 2004/10/07
to 12:32 2004/10/07
あとがき
こんな感じかな。浅野君視点って、難しいです。