義父の愛人



 ボクが、そこを訪れたのは、偶然だった。
 ひとりで、行き先を決めないまま行き当たりばったりのドライブとしゃれ込んだまではよかったのだが。如何せん、初心者マークが取れていないドライバーだったりする。突然の嵐に、ボクのドライブは、中断された。
 弱り目に祟り目ってヤツだ。
 しゃれこんだ――っていうのは、嘘だ。ほんとは、家にいたくなくて、飛び出したっていうのが正解。なんで? なんでって、凄いショックなことがあったんだ。知りたくなんかなかった。知らないままでいたかったんだ。けど、ボクは、知ってしまった。
 なんか、空模様がやばいかなって、思った。
 けど、まるで、ボクの心の中みたいに、激しい嵐が襲ってこなくてもいいんじゃないかい。
 土砂降りの雨の中、雷鳴が夜空を切り裂く。
 耳を聾する神鳴りは、ボクの心臓を、びくつかせる。
 はっきり言って、ボクは、雷が大の苦手だったのだ。
 車の中は絶縁体(?)だから安全だとか、それは眉唾だとか、色んなことが頭の中をぐるぐると駆け巡る。
 山の中、丈高い木々が、風に揺れる、そんな風景が照らし出されては消えてゆく。
 うわ、また光った。
 げっ、あれは、落ちたよな。
 なんか、尻がむずむずして、ボクは、いても立ってもいられなくなったんだ。
 舗装されていないような山道、嵐の中、初心者のボクには悪条件が重なる。けれど、車を捨てる気はしなかった。
 やっと、念願の免許証を手に入れたのだ。
 車は、義父から贈られた。
 できれば彼のようになりたい。ボクが憧れる、強くて賢い義父である。
 けど………
 憧れてる義父から贈られた車を、その辺に捨てることもできなくて、だから、ボクは、必死になって、山道を走らせたのだ。
 そうして、気がつけば、ひっそりと佇む洋風の館が目の前にあった。
 ぼんやりと明かりが灯っている。
 ボクは、人心地がついた思いで、車から出た。
 重厚な両開きのドアを、叩く。
 呼び鈴になんて、気付いていなかったのだ。

 軋む音をたてて、ドアが開いた。
 手にした蝋燭に照らされて、現れたのは、ボクと同い年くらいだろうか、ひとりの青年だった。
 蝋燭の炎が、今にも消えそうに揺らぐ。
 彼は、ボクを招きいれると、ドアを閉めた。
 背丈は、ボクと同じくらいだろうか。だとすると、百七十あるかどうかってところだ。でも、横は、ボクのほうがあるな。ひょろっとして、なんか、か弱そうだ。
 停電しているのだろうか。
 蝋燭を持ったまま、彼は、ボクを見ていた。
 何も言わない。
 何も聞かない。
 なんだか、居心地が悪くなって、
「ごめんなさいっ。一晩泊めてください」
 ボクは、自分から、沈黙を破ったのだった。
 なんか、むっとしてしまう。
 口を利かないんだ。
 いくらなんでも、失礼だろう。
 そんなボクの不満は、広いホールを抜けて、リビングらしいところに通されて、解消した。
 暖炉に火がいこってる。
 それだけで、ボクは、生き返った気分だった。
 あくまで気分だけだった。なんでって、濡れた服を脱ぐのが憚られたからだ。おかげで、ボクは、暖炉の前を陣取ってたけど、寒さに震えてた。
 まったく、体温が奪われて、寒いの寒くないのって。
 でも、脱ぐのはやっぱり――と、思ってると、やわらかいものが、頭から被せられて、ボクは、振り返った。
 彼は、数枚のバスタオルと、着替えを持ってきてくれていた。
「ありがと」
 ばつが悪い。
 とりあえず、ボクは、彼がリビングの奥のドアらしきとこに引っ込んだのを見て、着替えに取り掛かったのだった。
 人心地がついた気分で、暖炉の前に腰を下ろしていると、鼻先を、いい匂いがかすめた。
 なんつーか、無愛想っちゃ無愛想なんだけど、いいヤツ、なんだろうなぁ。
 ポタージュとパン、それに、かなり分厚く切り分けられたハムが、ボクの前に、差し出されたのだ。
 暖炉の火でハムを炙りながら食べてると、まただ。
 こんどは、コーヒーが、目の前に出てきた。
 ミルクと砂糖がたっぷりで、甘い。
 ちょっとでいいから、笑えばいいのに。
 そりゃ、見知らぬ人間がいきなり転がり込んできたら、迷惑だろうし、警戒もするだろうけど。けど、きっと、笑った顔は、案外、ハンサムだと思うんだ。凄くハンサムってわけにはいかないけど、どことなく雰囲気があって、何気ないしぐさに、ドキッとしてしまう。
 だから、
 笑った顔を見てみたい。
 声だって聞いてみたい。
 気がつけば、ボクってば、そんなことを考えてた。
 
 名前も知らない彼のことが、頭から離れなかった。
 あの次の朝、ボクは、追い出されるみたいに、あの館から、出なければならなかった。
 つい、二日前のことだ。
 彼じゃなく、中年のおばさんが、ボクのことを胡散臭げにじろじろ見たと思えば、サンドイッチとあったかいコーヒーの入った魔法瓶をいれたバスケットを手渡してくれて、そのまま、車に押し込められたのだった。
 あそこのひとって、愛想はないけど、基本的に親切なんだな。
 けどやっぱり、愛想がないから、前の晩の彼のことなんか、聞くこともできなかった。
 取り付く島もないってヤツだったんだ。
 おかげで。
 着てきた服のこともいい出せなかった。
 お気に入りだったんだけどな。
 バスケットも、魔法瓶も、あの日着替えに借りた服も返したい。
 場所はわかる――と、思うんだ。
 行こうか。
 止めようか。
 ボクは、教授の声を聞くふりをしながら、考えていた。
 都合がいいことに、明日から、三連休だ。この授業が終わってすぐに出れば、どれだけ迷っても、明日の午前中にはつく気がする。
 よし、行こう!
 迷惑がられたって、いいや。
 ボクは、心を決めた。
 その瞬間、教授がボクを、指名したのだった。
 イジワルッ!

 案の定、迷いに迷って、どうにか記憶にある山道を登ってた。
 ボクってば、こんな山道を車で登ってたんだ。
 普通車が二台すれ違うのにぎりぎりくらいの幅しかない。しかも、ボクの側は、木が生えてるとはいえ、絶壁だったりして。
 初心者のくせして、ボクって、か〜な〜り、大胆なことしてたんだ。
 対向車がきませんように。なんて、祈りながら、ボクは、ハンドルを握ってた。
 ボクの祈りが通じたのか、一台の対向車もなく、どうにか、あの館らしい家にたどり着けた。
 やったねっ!
 でも、ここ、こうやって朝の光の中で見ると、記憶にあるような気がする。
 いや、この間の記憶じゃなくって、もっと、ずっと、古い記憶。
 ボクは、記憶を掘り起こそうと、ぼんやりしてた。
 と、後ろから、クラクション。
 焦って、ボクは、もうちょっとで、ハンドルきり損なうとこだった。
 やばいやばい。
 ボクが、館の前に車を停めると、当たり前だけど、後ろの車も、停まった。
   あれ?
 めちゃくちゃ、なじみのある車なんだけど。
 黒の、ロールス。ナンバーは……。
 げっ。
 なんで?
 それは、向こうも同じらしかった。
 我が家(・・・)の、運転手が、リアシートのドアを開けると、
「お義父さんっ」
 ボクは、相手の顔を、まじまじ見てしまった。
 そこには、ボクが憧れてやまない、義父が立っていた。
 義父……それは、籍家の頂点に立つ、籍昇紘のこと。
 でも、なんで、ボディーガードもつけないで、こんなところに。
百花(ひゃっか)
 さすが、お義父さん。
 表情も、声も、いつもと変わらない。
 冷然と、ボクを見下ろしてくる。
 よっぽど、運転手のほうが、びっくりしている。
 呆然としていると、すい――と、義父の視線がボクの持っている荷物に移動する。
「あの夜の客は、お前か」
 なんで?
 どうして、義父さんが、それを知っている?
 と、見上げた視線の先で、義父が、ふっと笑った。
 それは、滅多に見ることができない、義父の笑顔。
 それには、噛み殺しそこねた笑い声というおまけまでついていて、ボクは、ただ、信じられないものを見て聞いていることに、居心地の悪さを感じていた。

 義父について、館の中に足を踏み入れれば、この間の中年の女性が、ボクをみて、びっくりした顔をしていた。
「娘だ」
 義父のことばに、深々と頭を下げる。
 ボクは、へにゃりと、笑って挨拶した。
「先日はありがとう。これ、返しに来たんだ」
 びっくりするよな。
 ボクだって、びっくりしたんだし。
 呆然って感じで、荷物を受け取った。
「あれは?」
 あれ?
「お部屋でございます」
  「動けないのか?」
「いえ。まだ、その……少しだけ………。お呼びしてまいりましょうか?」
「いや。そうだな、呼んでくれ」
 義父にしては歯切れが悪い。
 前に、彼に通された、暖炉のある居間で、ボクは、義父と向き合って、お茶を飲んでいる。
 薄焼きのビスケットをつまんで、ボクは、義父を見る。
 義父は、いつものポーカーフェイスに戻っている。
 だんだんと、変な気になってくる。
 なんか、ボクは、いてはいけない場所に居るんじゃないだろうか。
 そんな気がして、ちろちろと、ボクは、父の顔を盗み見する。
 あの日、はじめて、義父の愛人の話を耳にしたあの日のように、ボクの心臓は、ドキドキと痛いくらいだ。
 そりゃあ、義父だって、大人の男なんだし。母もいない今、愛人のひとりくらいいたっておかしくはないとは思うけど。でも、やっぱり、義理とはいえ、ひとり娘に黙っていなくったっていいじゃないかと、思ってしまう。
 教育上、よろしくない?
 そうかも。
 こんなこと言ってるボクだって、ショックで、家を飛び出しちゃったくらいだし。
 娘心は、複雑なんだい。
 でもね、母はもういないんだし、愛人のままじゃなく、正妻に迎えたって、別に、かまわない。
 うん。
 ボクは、反対しないと思うよ。
 愛人のままって、女のひとが可哀想だしね。
 あの日立ち聞きした感じじゃ、若いみたいなこと言ってたから、相手が嫌がらなければ、ボク、友達って感じならなれるかもしれないし。
 ダメかなぁ……。
 その時のボクの思考は、予感みたいなものだったのかも。
 だって………
 あの夜、笑った顔が見てみたいって、ボクに思わせた彼が現れたときになって、ボクはやっと、気付いたんだ。
 あの夜よりももっと青白いような顔をして、彼が、居間に入ってきた。
 ああ、そうか。
 だから。
 義父は、ボディーガードを連れていないんだとか。
 あの夜のことを知っていたんだとか。
 愛人を正妻にしないんだとか。
 しないわけじゃなくて、できないだけなんだとか。
 いろんなことが、頭の中でぐるぐる踊っていた。
 ボクを見て立ち止まったところを見れば、彼は、ボクが来ているのを知らなかったんだ。
 ただ、戸惑ったように、怯えたように、ボクと義父とを見比べている。
「郁也。おいで」
 義父が、手を差し伸べた。
 とても、口調が穏やかだ。
 いつもみたいに平坦なところがない。
 なにか、いいことがあったみたいな、そんな、やわらかさがあった。
 けれど、彼、郁也と呼ばれた彼は、義父とは対照的だ。
 ぴたりと立ち止まったまま、このままじゃ、後退りそうだった。
 笑った顔を見たいのに。
 辛そうだ。
「郁也」
 首を左右に振っているのは、無意識みたいに見える。
「あの夜のことは、私の勘違いだった」
 義父が立ち上がって、素早く彼の手を取った。
 ああ、お義父さん、彼のことがとても好きなんだ。
 ボクは、そう、思った。
 だって、あの義父が、だよ。
 政財界で恐れられている、籍昇紘が、なにがあったのかは知らないけど、自分から非を認めて、自分から彼を招きに立ったんだ。
「許してくれるね」
 彼の握った手を撫でながら、謝っている。
 義父と一緒に暮らして、十年以上になるけど、こんな、穏やかなお義父さんを見るのは、はじめてだった。
 いつだって、どこか、冷静で、焦ったりしない。
 そんな義父に、ボクは、憧れていたんだ。
 けど、こんな、お義父さんも、いいな。
 なんか、ちょっとだけだけど、可愛い気がする。
「紹介しておこう。郁也、彼女は、籍百花。私の、娘だ」
 弾かれたように、彼は、義父を見上げた。
 ボクは、お礼を言うタイミングを見失っていた。
 だって、義父を見上げて、ボクを見て、そうして彼が、気絶してしまったからだ。


「イヤだ。もう、いやだっ」
 涙に濡れた悲鳴が、ボクの耳に届いた。
 行儀が悪いのは重々承知してるんだけど、興味があったんだ。
 だって、その声が、郁也って呼ばれてた彼のだって、ピンときたから。
 彼の声には、切羽詰った苦しさみたいのがにじんでたけど、だからかな、ちょっと、艶めいてるみたいな気がして、ドキドキしたんだ。
 図書室の隣が、彼の部屋だったんだな。
 暇だったし眠れなかったから、ボクは、なんか面白い本がないかなって、漁って部屋に戻る途中だった。
 そうしたら、聞こえてきた。
 見渡せば、暗い廊下に、うっすらと光の筋が落ちている。
 お義父さん。ドアくらいしっかり閉めてよね。
 でないと、好奇心が、疼いてしまう。
「あ、あんなこと、しておいて」
「だから、悪かった」
「今更っ」
 ちょっとくらいなら、いいかな。
 少しの間は、ボクだって葛藤したよ。言っとくけどね。でも、結局、興味が、勝っちゃったんだ。
 そうして、ボクは、見た。
 知ってしまった。
 彼が、どうして、青い顔をしてたのか。
 どうして、義父を拒絶するのか。
 薄く開いたドアの向こう、明るい光の下で、彼は、義父に抱きすくめられてた。
 でも、少しも、幸せそうじゃない。
 辛そうで、今にも、逃げたそうに見える。
   何故逃げないんだろう――そんな疑問が芽生えてくる。
 何か、理由があるんだろうけど。
 そんなことを考えていると、義父が、彼を抱きしめたままでパジャマをたくし上げてゆく。
「いやだっ」
 うわ。
 どうしよう。
 やっぱ見ないほうが……。
 焦ったけど、もう、足は、その場に縫いとめられたみたいに動けなかった。
「き、嫌いだっ」
 悲痛な叫びみたいなそのひとことが、ボクの耳を射抜いた。
 それは、同時に、義父の機嫌を、損ねたらしかった。
 だって、お義父さんってば、それまでは、多分、彼の抵抗を楽しんでたんだろうけど、そのことばで、いきなり、パジャマを、引き裂いたから。
 うわ……お義父さんって、案外激情家なんだ。
 冷静、冷徹、冷血漢。そんな風に父が評されてるのを、ボクは知ってる。
 でも、それくらいじゃないと、企業のトップになんか立てないってことも、ボクは、知ってるんだ。
 だから、ボクは、義父の素の顔をはじめて見たような気になって、ただ、息を潜めて、目を凝らした。
 そうして、彼の背中に、無数の傷が刻まれているのを、見てしまったんだ。
 あれは………もしかして、鞭の痕?
 まだ、生々しい気がする。
 あんなの撫でられたら、痛いよ、ね。
 引きつってしまう。
 唾液だって、染みるだろうし。
 ああ、だから、あんなに、青ざめてたんだ。
 動きが、鈍かったんだ。
「嫌い?」
 義父の声が、低い。
 あれは、ボクだって、聞いたことがない。
「なにを言うかと思えば。……お前に、私のことを好きだの嫌いだなどと評する権利など、ありはしない」
 楽しそうな口調で、でも、その実、氷点下の声音で、義父が歌うように言う。
「お前は、お前の意思に関係なく、私のものなのだからな」
「ちがう……」
 彼の声は、力ない。
「ちがわない。お前が、私以外のものに抱かれること、それは、罪だ。だから、罰を与えるのは、当然、私の権利だ。そうだろう?」
 あまりの暴論に、ボクは、呆然となった。
 うわ、お義父さん、なんてこと……。
 当然、彼だって、首を横に振る。
「だ、抱かれてなんか……」
「疑わせるような状況下にあったことも、同じくだ」
「そんなっ」
 泣いているのだろう。背中が小刻みに震え、声も、時折り、(ひず)む。
「若い女性の着衣がこの家にあったことが、そもそも間違いなのだ。若い女など、この家に入れるな」
 お義父さん、あなたってひとは………。
 すっごい独占欲の塊みたいなひとだったんですね。
 愛人を正妻にするのが嫌なわけじゃなくて、正妻にできないってことなんか問題じゃなくって、ただ、彼を、誰の目にも触れないように、自分のものにしておきたい――それだけのことなんですね。
 はじめて知った義父の姿に、ボクは唖然とするばかりだ。
「だって、嵐で……それに……あんたの娘だって」
「だから、謝っただろう」
「でも……あんなこと………」
「悪かった――そう、何度言えば、気が済む」
 そこまで聞いて、なんだか、ボクは、馬鹿らしくなった。
 彼が彼自身に気付いてるかどうか、僕にはわからないけど、なんだか、彼は、義父に甘えてるような気がするし。
 結局、これって、痴話喧嘩なんじゃないかって、遅ればせながら気付いたからだ。
 ふたりに聞こえないように、深く息を吐いて、ボクは、その場を後にした。

 結局彼の笑顔は見れなかったけど、お気に入りの服は帰ってきたし、まいっか。
 ボクは、義父に、
「家に連れてくれば?」
と、ささやいてみた。
 それに返されたのは、意味深な、太い笑み。
 これから義父がどう行動するのか、ちょっと楽しみなボクなのだった。
おわり



from 12:07 2005/10/13
to 16:38 2005/10/13


あとがき
 女のひとに嫉妬する昇紘さん――目指して、妙な内容になってしまいました。
 よくあるパターンッちゃパターンかもしれないけど、しんみりしっとりした話にはなりませんでした。
 少しでも楽しんでいただけると、いいのですが。
 無国籍パラレル――ですね。
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