夜の底 闇の魚の回遊す
ああ、またこの夢だ。
巨大な、クジラくらいあるだろういや、もっとでっかいかもしれない、そんな魚の真っ赤な口に飲み込まれてゆく夢だった。
このところ眠ると、決まってこの夢を見る。
おかげで、ただでさえ寝不足だって言うのに、へろへろだった。
そうして、アニメの予告のような、映像を見る。
印象的な赤い髪の少女、おとなしそうな少女とこども。目つきの悪い頬のこけた男。血を流して倒れてゆくガキ。そうして、目つきの鋭いいかめしそうな顔つきの男………。暗い目つきをしたオレが、髪が首の後ろまで伸びているオレが、ピストルを構えて、ガキを撃ちつづける。何度も何度も、目つきの悪い男に、殺されつづける。梢のからまりあった隙間から見える青い空が、ぐるぐるといつまでも回っている。その視界に、入り込んできた、オレを覗き込んでいる、青い髪の少女と、頼もしそうな男。オレのだろう、諦めたようなあきれたような、力の抜けた笑い声。そんな断片が、目が回るほどの忙しさで、目の前に繰り広げられ続ける。何度も、何度も。
どっかでこんなアニメか漫画でも読んだのだろうか。
それで、引っかかってでもいるのか。
オレは、寝た気がしなくてくらくらする頭を抱えながら、起きた。―――――つもりだった。
「へ?」
オレの思考が一瞬止まる
なぜって、オレは、さっきまで悩まされていた夢の断片みたいな部屋にいたからだ。
正確というか、オレがわかる範囲で言えば、その、ベッドみたいな寝床の上にいた。
やけに凝った透かし彫りみたいのがされている、小豆色の濃いののような木でできた、小さな部屋風のベッドみたいなところだ。
天井には極彩色で色づけされた花が描かれている。上がり口のところには、白くて透けるような薄い布が両側の柱にまとめられている。
しかし、何でオレは、ここにいるんだろう。
夏期講習の真っ最中だったと思うんだが。
あれ?
なんの授業だったっけ……か。
英語……数学、物理………?
記憶があやふやになってくる。
おかしい。
不安になってくる。
落ち着かない。
そうだ。
ひとがいないから、ひとの気配がないから、不安になるんだ。
オレは、ベッドから降りようとした。
と、
「どこに行く」
心臓が破れるかと思った。
いつの間に。
ついさっきまで、ひとの気配がなかった部屋に、いつの間にか、男がひとり立っていた。
変な服装をした男だ。地味派手というのか、黒い床まである衣装に、腰のところに巻きつけてる帯に金銀の刺繍がしてある。オレより背は高い。百八十はあるかもしれない。かといってひょろんとした印象ではなく、縦横の釣り合いがいいガタイをしている。不細工ではないが、ハンサムというのでもない、妙に印象的な男だった。むすっとして不機嫌そうな顔の中、きつい男の目が、オレを見据えている。
なんか、怖そうな。………でも、 あれ? どっかで見たような…………。
思い出そうとして、けど、思い出せない。もどかしさに、眉間に皺が寄る。
「ちょっと」
ドアだろうと伸ばした手を、掴まれて、オレは、その場に、硬直した。
「逃がさない」
振りほどけないほど強い腕の感触よりも、背後から抱え込むようにして耳もとでささやかれた声に、オレの全身が、鳥肌立つ。
ねっとりと、耳を通して脳の中に押し込められるような、その声には、なにか、オレを恐怖させるような、なにか――が、潜められているかのようで、オレは、咄嗟に動くことができなかった。それが、いけなかったのだろう。気がつけば、男のくちびるが、耳の付け根に押し当てられていた。きつく吸ってくるその熱いような痛いような、震えがくる感触に、オレの全身は、真っ赤になったに違いない。
「なんで」
糾弾しようとした声が、跳ね上がるように途中で、途切れたのは、男のくちびるが、耳もとから、喉へと滑ったからだ。
何でこんな目に。
逃げられないように背後から抱き込んでくる腕は、少しも弛まない。
苦しくて、気色悪くて、怖かった。
腕の力が弛んだと思った瞬間、オレは、もがこうとした。もがいて、逃げようと思った。しかし、男のほうが、上手だった。
オレのシャツを、引きちぎるようにして引き裂いたその残骸で、オレの腕を、縛ったのだ。
引きずられるように、降りたばかりのベッドに、押しこめられて、オレは、男の顔を、見上げていた。
怖くて、厭でならなくて、涙がこみあげてくる。
情けないなんて思う間もなかった。
こらえきれずにしゃくりあげた瞬間、目尻を、涙が濡らしてこぼれた。
それに触れて、男は、
「なにを泣く………郁也」
オレの名を呼んだ。
オレの名前。
そう、オレの名前は、郁也。浅野郁也――だ。
この名前は、オレの、二十三歳上の兄から貰った。
十六の年に行方不明になった、兄だった。
母は、オレが、兄の生まれ変わりだと、信じて疑っていなかった。失踪後六年して、死亡と見做されるらしい。その、六年目の年にオレは、生まれた。それは、母の中で、区切りがついた瞬間だったのかもしれない。
一年一年、兄に似てくる――――と、
『死んだ人間と同じ名前をつけるなんて。運命まで似通ってしまう』
と、兄は死んだのだと、そう思いつづけていた祖母が口癖のように、オレを見るたびにつぶやいていたことばを、思い出す。
「ようやく探し当てたのだ。二度と手放さない」
首を横に振るオレの頭を無理矢理固定して、男は、オレのくちびるに、噛みつくようにくちづけてきた。
裸の胸に、男の着ている服の布地が生々しく触れてくる。
ぐるぐると回りはじめた視界を、こみあげる涙が、侵してゆく。
どこからともなく現れた魚が―――黒くてでかい魚が、魚の赤い口が、オレと、男とを、情容赦なく飲み込んだ。
おわり
from 11:22 2005/08/12
to 13:36 2005/08/12
あとがき
なんか、意味不明に終わる。このバックグラウンドと同じで書きかけにしてたの没にしたのだ。なんか、こう、だらだらと長い話になりそうだったので、思い切って切り捨てにしてみたのでした。
最後の辺、ちょっと気になる箇所があったので手直ししてみました(20:21:45 2005/08/12)。ちょっとでも読みやすくなってるといいんだけど。
大概、ワンパターンになってるような……。こんなのでも、楽しんでくれるひといるのだろうか。ちょっと不安だけど、楽しんでいただけますように。
タイトルを、突発で思いついたので。