CHOCOLATE CAKE
あ、なんかヤな予感。
目の下をピンクに染めて、アルトがオレを見上げてる。
その後ろで歳不相応な笑いを口元に刻んでいるのが、オレの甥っ子の史月だ。
あ、と。
アルトは、有人って書く。オレはもっぱらアルトって呼んでるけどな。えと、戸籍上は、オレの弟になる。けど、オレとの血のつながりは、まるっとない。昇紘の甥っ子なんだよな。
ふたりとも幼稚園の年中組だったりする。
今オレがいるのは、オレ専用のリビングだ。古い城を外国から移築したって言うのが、籍の屋敷だから、部屋だけは腐るほどある。そのひとつなんだけどさ。この部屋の奥に、まぁ、オレの勉強部屋はあるんだな。オレは、リビングにいるほうが多い。テレビを置いてるのがこの部屋って言うのもあるけどな。こっちのほうがゆったりできるし、庭側の壁が全面ガラス窓だから明るいっていうのもある。もう夕方だし、暗くなってきてるけどな。ともあれ、オレは、テレビをかけながしながら、課題を片付けてる最中だったんだ。
来週までにレポートというか、英作文を提出しないといけないんだよなぁ。
なんで英文科なんかに進んじまったんだか。
潰しがききゃあしない。
まぁ、卒業したって、就職はさせてもらえなさそうだけどな。
この間の喧嘩の原因がそれだったし。
あいつのパートナーって言うのが、オレの現実だからしかたないのか。
今でも年末のパーティーとかに連れ出されてるが、はっきり言って、オレは、苦手なんだ。卒業したら、あいつのパートナーとしてそういうのに頻繁に出なきゃならなくなるとかって言われたら、ぞっとするに決まってる。
溜め息だ。
やりたいことでもあれば逆らえるんだろうけど、これと言ってやりたいことがないのが、オレの敗因だろう。
どうせ草食系男子だよ。ほっといてくれ。
おかげで、肉食系のあいつにがっつりととっ捕まっちまってる。
「ね。イクちゃん」
にっこり笑うアルトの隣に、いつの間にかシロがお座りしてて同じようにオレを見上げてる。
まだ細っこいしっぽがぴろぴろ揺れてるのが、可愛いが。
「あ? ごめん。聞いてなかった」
とたん、アルトの顔から笑顔が掻き消える。
う……。
「悪かったって」
オレはしゃがみ込んだ。
「で? もっかい言ってみな」
チロリと史月を見ると、後頭部で腕を組んで、なんか楽しそうだ。絶対何か変なことをアルトに吹き込んだに違いない。
「あのね。チョコレートくれる?」
「はい?」
チョコが食いたいのか?
ローテーブルの小皿の上に、今日大学からの帰りに買って来た板チョコがあるけどさ。あれは、ビターだぜ。
おちびには、きつくないか?
「甘いのが好きだよな」
「うん」
満面の笑みだ。
この笑顔が見れるようになるまで、かなり時間が必要だった。
仕方ないよなぁ。
ここに引き取られたのが、両親の死がきっかけとあっちゃ。
アルトからこの笑顔を引き出したお手柄は、彼の横にいる、グレートピレネーズの仔犬、シロにあったりする。
オレは、それまでだって一応史月を預かったりしてたから何とかなるだろうと軽く考えてたんだけどな。実際は大違いだった。
「今はビターしきゃないから、今度買って来てやるよ」
「ちがぁう」
アルトが首を振る。
「チョコが食いたいんだろ?」
「食べたいんじゃない。イクちゃんからほしいの」
食べたいわけじゃないんだけど、ほしいってか?
「ごめん。わからん」
まだ日本語が不自由なんだなぁ。外国で暮らしてたらしいから、しかたないけど。
オレは、史月にSOSを求めた。
「イクちゃん、明日何の日?」
史月が訳知りそうに聞き返してくる。
「明日? あしたっつーと、二月……の………げっ」
床に座り込む。
いや。へたり込んだ。
「史月ぃ、おまえ、なにを教えたんだ?」
「バレンタインデーだよ」
毎年イクちゃんがチョコレートケーキをくれるんだって。
毎年って何だよ、毎年って。
いつから恒例になったんだよ。
「イクちゃん。アルトのこと、好きだよね?」
おずおずとわくわくの混ざり合ったような、不思議な感じで言われて、オレは複雑な気分だった。
もちろん、嫌いなわけはない。懐いてくるちびっ子は、可愛いさ。
けどな。
バレンタインのチョコレートケーキって。
去年たまたま作っただけだろ。
それも、史月にねだられたからだし。
それは、たまたま去年のバレンタインデーのことだ。
他意はなかった。
「朝だって言うのに、健気だね」
陽子ねぇが、肩をすくめた。
「ありがたいが、こう多いと、残りは今年も寄付だな」
陽子ねぇの旦那が、面白そうに返す。
実家の居間でのことだ。
時間は午前十一時過ぎ、仕事柄帰宅時間がまちまちな姉夫婦が、珍しくふたり揃ってリビングにいた。
史月はまだ幼稚園だ。オレは、授業が終わったんでこっちに遊びに来た。佐々木とは学科が違うから、そうそういつもつるんでいられるわけじゃないしな。
そうして出くわしたのが、姉夫婦と、まだ半日残ってるバレンタインの戦利品の一部だった。
オレは、何も貰えないのになぁ。
佐々木だって何個か貰ってたって言うのにさ。
一個もなしだぜ。泣けてくる。
ま、まぁ、な。
あればあるで、多分、絶対、あいつが煩いだろう。あいつはそういうヤツだ。
でもな、オレは知ってる。あいつも、一応チョコを貰ってるんだぜ。
秘書課女性一同からだから、ギリだけどな。どんな顔して受け取ってんだか。見てみたい気もするけどな。
なのに、オレには義理チョコもダメだなんて、まったく。
ぶちぶちとリビングのテーブルに山盛りになってるチョコレートの箱を見てると、
「あげようか?」
なんてにやりと笑ってくる。
「姉さんに貰っても、うれしかない」
義理過ぎる。
「言うね」
「俺がやろうか?」
楽しそうに言う義兄さんに、
「もっと嬉しくない」
脱力しそうになった。
男に貰ってどうするよ。
「そりゃそうだ」
たかがチョコレートなんだけどなぁ。
されど、チョコレートだったりするんだな。
何となくの流れで、昼飯はオレが作る羽目になった。
嫌いじゃないからいいけどさぁ。
冷蔵庫の中、ろくなもんないじゃん。
ミックスベジタブルと、ベーコンだけ? おいおい。こどものいる家の冷蔵庫じゃないぞ。
そりゃあ、ここ一週間、史月はオレの方にいたけどさ。
タマネギと人参、それにジャガイモはストックしてるか。
飯も炊けてないしなぁ。
かといって、パンがあるわけでもない。
仕方ないので、ピラフとミネストローネを作ることにした。
卵でもあれば、オムライスにするんだけどな。
買い置いてないんでやんの。
文句言いながら作ったにしては、まぁまぁので気だったらしい。ふたりともお替わりしたからな。
「適当にチョコ食べていいから」
そう言って、ふたりは寝室に行った。
仕事明けだから仕方ないけど、結局オレが史月を迎えに行くわけね。
幼稚園から帰った史月は、テーブルの上のチョコの山を見てはしゃいだ。
「ねぇさんもにぃさんも寝てるからあまり大声出すなよ」
「わかってるよ」
歳のわりにませてるんだよなぁ、こいつって。
やっぱ、環境かな。
「今日ってバレンタインデーなんだって、イクちゃん知ってた?」
「知ってるよ」
溜め息混じってます。
「もらった?」
「……………………」
ふって、片頬で笑いやがんの。
誰の影響だよ、誰の。
まったく。
「ボクも貰わなかったんだ」
くれるって言ったんだけど、いらないって言ったんだ。
本当に好きな相手から貰わないとね。
誰の入れ知恵だよ、このませガキ!
「だから、ね、イクちゃん」
なにが、「ね」なんだ?
「ボク、イクちゃんからほしいなぁ」
「ふつう、バレンタインって、女の子が男の子にあげるんだけど」
「なんでよ? かーさんも女の人から貰ってるし、とーさんだって男の人からも貰ってるよ」
あのふたりを例に挙げるなって。
あれは、規格外もいいとこだよ。
オレは普通なんだから。
至って普通の男なんだって。
「だからね。オレは、イクちゃんからほしいな」
なにが「だから」なんだよ。
脱力もいいとこだ。
しかたないか。
言い出すと頑固なんだよなぁ。
目の前には山ほどのチョコがあるし。
ま、いいか。
久しぶりにケーキでも作るか。
オレはよっこいしょとリビングのソファから立ち上がった。
材料を仕入れて来たオレは、わくわく顔の史月を残して、キッチンに立ったんだ。
「ん。まぁまぁだな」
ほかほかと湯気が立っているチョコレートケーキからは、甘くいい匂いがたっている。
「こら、まだだ」
伸びてきた手をペチコンと叩く。
「え〜」
叩かれた手をさすりながら、史月がぼやく。
「冷めないとな」
ふうん。
「いいにおいだな。郁也のケーキか、楽しみだ」
キッチンに顔をのぞかせた陽子ねぇに、史月は、
「かーさん久しぶり」
なんつう挨拶だよ。
「史月久しぶり。元気そうだね」
「うん」
「しばらく、家にいられるよ」
「え〜」
「その不満そうな反応はなに?」
「かーさんもとーさんも料理下手なんだもん」
いつ聞いても、久しぶりの親子の会話とは思えない。
史月は淡々としてるし、陽子ねぇも、なんか、こう、母親ってイメージとかけ離れてるよな。だからって、史月のことを嫌ってるってわけじゃないのは、知ってるけどな。
ちょっとだけ変わってるってことなんだ。
日本では知らないひとはいないだろうってくらい、有名な女優だからなぁ。
おかげで結構引っ掻き回されてるオレだったりするんだけどな。
みんなで食べたケーキは、半分残った。
それをオレは置いて帰るつもりだったんだけどな。
「史月に少し残してくれればいいよ。あとは、彼にあげたほうがいいと思うんだけどな。包んであげよう」
断る暇もなかった。
やけに可愛らしくラッピングされた箱が差し出される。
「やるつもりなんかないんだけどなぁ」
「なに寂しいこと言ってるの。恋人とのイベントは楽しみなさい」
そのうちイヤでも飽きるから。
「それは、もう飽きたということかな?」
「まさか」
一般的なたとえ話だよ。
そう言って抱き合う万年熱愛夫婦に、オレはことばもない。
「ほっといていいから」
史月までもが、肩をすくめてみせるバカップルぶりだ。
でも、ま、うらやましいけどな。
ふたりはほんとに好き合ってるんだから。
オレのあいつに対する感情は、まだ、相変わらずなんとも複雑怪奇なんだが。
自業自得だから、どうとも言えないのもわかってるけどな。
ともあれ、オレは、陽子ねぇがラッピングしてくれたケーキを持って帰ることになったんだ。
オレはテーブルの上のケーキの箱を、睨みつけていた。
どんな顔をして渡せばいいんだ?
証拠隠滅が一番か。
箱を開けようとしたオレは、その場で固まる羽目になった。
「それはどうしたんだ?」
昇紘のいつもより低い声が、すぐ傍でしたからだ。
気配を殺すなよ。
びっくりするだろ。
「お、お帰り」
「ああ。それは、誰からだ?」
目が怖い。
「いや、その……」
言いよどんでるオレの手から、それを取り上げると、昇紘は、リボンをほどいて、ふたを開けた。
「バレンタインか」
何となく、やばいかもしれない。
この後の展開が目に見えるような気がして、オレは焦った。
勘違いからあんな目に遭わされちゃたまらない。
だから、オレは、
「違うっ! それは……オレからお前にだっ」
ヤケクソだった。
首から上が、真っ赤になっているのが、わかる。
「お前から?」
「そうだよ。悪かったな」
そっぽを向いたオレの背後に、いつの間にか、昇紘は回り込んでいた。
そうして。
昇紘はオレを抱きしめてきた。
これって、ねぇさんたちと同じだよな。
ということは、端から見れば、オレも、バカップルに見えるってことだろうか。
なんか、どっちに転んでも同じ展開が待ってたんだなと思うと、オレは、昇紘の腕の中で脱力したのだった。
今年もか……。
「はいはい」
オレは、複雑な気持ちを抱えたまま、アルトのふわふわの髪の毛を撫でたのだった。
up 14:48 2010/02/13 remaked
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