CIFF LINKS



 あれは、八月の暑いさなかだった。
 私は、不注意から壊してしまったカフリンクスを修理に出すべく、顔なじみの宝石店を訪ねていた。
 今時バネ式ではない、チェーンタイプのカフスなど、アナクロすぎて面倒極まりないのだが。それは、特別な意味を持つカフリンクスだった。
 籍一族のトップに立つ証であるため、一族の会合の時は、つけないわけにはいかないのだ。
 時代錯誤な一族の、時代錯誤な決まりごとに、いいかげんうんざりしていたものの、面倒だと思いながらも、私は、そのカフリンクスが、気に入っていた。
 時代を経て深みを増した金に、毛並みも一本一本彫り込まれたみごとな虎の細工は、名品と言ってもいいだろう。牙を剥いた口の中、捕らわれた深い色の翡翠の玉が、揺れる。
 三日後の会合に間に合うようにと店主に、無理を言った。
「ありがとうございました」
 客を送り出す声に混じって、涼やかなベルの音が耳に届く。
 静かで趣味のよい店の外に一歩出れば、午後の陽射しは凶悪にふりそそいでいる。
 夏とはいえ、暑すぎる。
 ガードレールが途切れるまで歩くのも、うんざりだった。
 うんざりと言えば、三日後の一族の会合だ。長老と言うだけで無能な老人たちに、嫁を持てだの子供を作れだの言われるのは、業腹だった。私は、自分の子供が欲しいとも思わなければ、妻が欲しいとも思わない。どちらも、ただただ、煩わしいばかりの存在にしか思えないのだ。――そんな私のことを、朴念仁と呼ぶものがいることなど、もとより承知だった。
 それともうひとつ。我がグループが協賛して放映している人気テレビ番組がある。若手を多用した、娯楽時代劇だ。次のクールから新たな準レギュラーを登場させると言う予定があり、なにかと、芸能プロダクションから接触がある。グループのトップを篭絡してしまえば万事オーケーだとでも勘違いしている輩が多すぎる。――もちろん、そんなプロダクションからは、選ばないように、私は釘を刺していた。
 ああ、煩わしい。
 毎年夏には、何もかもを、放りだしてしまいたい欲求に捕らわれる。
 夏の暑さが、私を苛立たせていた。
「あの、すみません」
 おずおずとした少年の声がかけられたのは、その時だった。
 振り返った私の目の前には、高校生くらいの少年が立っていた。清潔そうな短い黒髪を無造作に流して、小奇麗な身形をしている。その時私が見たのはそれだけだった。
 何の用だと、先を促す暇もなく、少年は、
「好きです」
と、聞こえるか聞こえないかぎりぎりの声の大きさで、まくし立てたのだ。
 私からは、少年の伏せた頭と、かすかに朱に染まった耳しか見えない。
 小刻みに震えているのは、羞恥からだろうか。
 我にもなく、思考がフリーズしていたらしい。
 ああそうか。
 少年が顔を上げ、清々しいばかりの表情を見せた瞬間、息を吹き返した脳が、活発に動きはじめた。
 漠然と、少年の告白の理由がわかった気がした。
 おそらくは、駆け出しの俳優というところなのだろう。プロダクションに言われたか、それとも、運を掴もうと自ら、賭けに踏み切ったのか。
 なかなか、芸達者だったと、冷静に値踏みしている自分がいた。
 私は、少年の上腕を掴むと、手を振った。
 待たせていた車が、音もなく、路肩に停まる。
   途端、少年がもがきはじめた。
 中谷が開けた後部座席のドアから、私は、少年を、車内に押し込んだ。
 強張りついた少年が、シートの端から私を見上げている。
 その、追い詰められた小動物めいた表情に、私は、柄にもなく心が沸き立つのを覚えていた。
 顔は、悪くない。
 スタイルも、最近の若者らしく、手足が長く、均整が取れているようだ。
 口角がほころびてゆくのを、私は他人事のように、感じていた。
「いいだろう」
 必要以上に声が低くなる。
「告白には、応えなければな」
 ものいいたげに開かれたくちびるを、私は、自分のそれで、塞いだ。
 強張ったくちびるが、震えている。
 食いしばられている歯列を割るのは、意外に簡単だった。
 逃げ惑う舌を絡めて、きつく吸い上げた。
 少年の全身が、弾むように、震えた。
「いい反応だ」
 力の抜けたからだを抱き寄せて、
「xxホテルへ」
 私は、中谷に命じたのだった。


 私がシャワーを浴びている間に、あの少年は、逃げた。
 まさかとは思った。
 しかし、少年は、無垢だった。
 かすかな疑問は、からだを繋げた瞬間、確信へと変わった。
 しかし、もう、遅い。
 痛みにもうろうとしていた少年で、私は、欲望を満たしたのだった。
 あれから五ヶ月。
 時折り、記憶が甦り、らしくない後悔を覚えた。
 それと同時に、名も知らぬままの少年に対する、欲望もまた、私は覚えずにはいられなかったのだ。
 そう。
 私は、あの少年に、心を、奪われてしまっていた。
 人を使って捜させた。
 しかし。
 如何せん、情報が少なすぎた。

 だから、それは、天の配剤だと、私には思われたのだ。

 舞台から引き抜いた新たな準レギュラーの俳優は、人気を博した。
 視察を兼ねて撮影現場を訪ねた私を待っていたのは、思いもよらぬ再会だった。
 赤い髪の主演女優の背後に隠れた少年こそが、捜しあぐねていた存在だった。
「ゲッ!」
 踏み潰されたカエルの断末魔のような声が、現場に響いた。
「彼は?」
 私の問いかけに、監督が、戸惑った表情を見せた。
「俳優ではないのか………」
「違いますよ。彼は、浅野……とかいったかな。中嶋陽子の、弟ですよ」
「そうか」
 ディレクターが、
「中嶋くん、青くん。ちょっと」
と、手招いた。
 しかし、ふたりなどどうでもいい。
 今の私には、ただ、強張りから解けて非常口へと向かおうとしている少年、浅野にだけ、向かっていた。
 急がなければ、また逃げられてしまう。
 素性が知れたというのに、この時の私は、ただ、彼を二度と逃すまいと言う焦りに捕らわれていたのだ。
 周囲の視線など、気にしている余裕はなかった。
「見つけたぞ」
 再び硬直してしまったらしい、わたしの心を奪った少年の肩に、両手を乗せる。
 手の下で、少年が、面白いくらい大きく震えた。
「俳優志願の捨て身の売り込み――かと、思っていたのだが。まさか、中嶋陽子の弟だとはね」
 知らず、両手に力がこもる。
「郁也と、お知り合いだったのですか」
 中嶋陽子が、訊いてくる。
 そうか。おまえの名前は、郁也と言うのか。
 早くその名で呼びたいものだ。
「そう。前からのね。だから、借りてゆくよ」
 今度こそ逃がしはしない。
 この状況で下手に逆らえば、おかしな目で見られるのは、郁也のほうだろう。
 焦りを押し隠して、私は、郁也の肩を抱くようにして、促したのだった。


おしまい



from 10:39 2006/01/10
to 16:52 2006/01/11

◇あとがき◇
 肩を抱いたりしたら、充分変に思われますってば、昇紘さん!
 『砂の音』『なんだよそれ!』の、昇紘さん側からの、アプローチでした。
 少しでも楽しんでくださると嬉しいんですけどね。
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