ビロードの闇 1




 それは、ガキの頃の夢だった。
 ちびっちゃいときのオレは、親父につれられて、世界各国を回っていた。
 親父が、成功したピアニストだったからだ。
 世界で名が売れて、どこの国でもチケットは完売御礼。それは、今も変わらないけどな。
 よく陰口を叩かれていたらしい。
 顔とからだで人気があるんであって、技術的には二流だとかなんとか。
 親父は、ハンサムだったんだ。美形って言えばいいのか。言っとくが、オレは並みだ。少しは似てればいいのになぁ。どうも、オレは死んじまったおふくろに似ちまったらしい。おふくろと親父が結婚する時は、かなり騒がれたらしい。財産も家柄もない、ホンッとどこにでもいるような平凡な日本人の女に、世界的なピアニスト、しかも絶世の美青年が、熱烈なプロポーズをして結婚となったからだ。事実、親父はやらずぶったくり、セレブな女のほうからのプロポーズも日常茶飯事だったらしい。それがなぜ? とか、おもしろおかしく書き立てられてた。ネットで調べたりして、知ったんだけどな。
 正直なところ、ほっといてやれよって、オレなんか思っちまう。
 大きなお世話、だ!
 雑音は気にもしないシビアさが親父にはあったから、潰れなかったんだろう。
 けど、おふくろのほうが参ってしまって、精神的に追いつめられて、死んでしまった。けど、オレはちびすぎて、覚えていない。
 薄情なやつなんて言われても困る。ちびもちび、オレは、そん時おふくろの腹ん中だったんだから。
 オレは、死んじまったおふくろから生まれた訳だ。
 結構ヘビーな生い立ちだろ?
 ま、本当に大変だったのは、オレよか親父だったと思うけどさ。
 けど、オレは、自分で言うのもなんだけど、結構真っ当に育ったと思う。
 ともあれ、夢の中でオレは二つか三つだ。
 まだ幼稚園に上がってない。
 そりゃあそうだろう。
 このことがあって、親父は本拠地を日本に決めることにしたんだから。それ以前は、金はあっても家はない状態で、あちこちのホテル暮らしだった。日本にはおふくろの思い出が多すぎたんだろう。
 当時の親父はまだ三十代前半ってとこで、美貌には渋さが加わりだした頃だったみたいだ。
 男も女も数秒で悩殺できるだろうって、まことしやかにささやかれてるような親父には、もちろん、熱狂的なファンがくっついていた。
 けど、当時の親父にとって、愛情を感じられるものと言えば、死んじまったおふくろと、その忘れ形見のオレだけだったんだ。
 それが、不幸のもとだったのかもしれない。
 オレは、親父のファンに誘拐されたんだ。
 その間のことは、まるっきり覚えていない。だから、多分、そんなにひどいことはされなかったんだと思う。そうだな、それ自体はオレのトラウマにはなっちゃいない。
 オレのトラウマは、その後のことだ。
 助けられたオレを待っていたのは、たくさんのフラッシュや興味本位のひとの目だった。
 丸い光や、まぶしい閃光、それに、ぎょろぎょろのいろんな色のめんたま。それらがオレを苦しめた。
 ま、オレもがきんちょだったんだ。
 けど、だからこそ、その辺りの記憶は結構明瞭だったりしてな。
 とはいえ、ず?っと忘れてたんだ。
 なんでいきなり夢で見るかなぁ。
 オレは、半分まだ眠ったまま、そんなことを考えた。
 とっくの昔に克服したトラウマを今更見る理由が思い出せない。
 うん。
 まだ、眠いんだよ。
 頭がまだ死んでんの。
 だから、触るなってば。
 オレは、そんな気分じゃ、な……いっ?
「えっ?」
 突然、オレは眠りから覚めた。
 なにがなんだか、ちょっとの間わからなかった。
「少しの間だというのに、よく眠っていたな」
 オレの視線の先には、前髪をたらしたままの昇紘がいたんだ。風呂を使った後らしく、石鹸の匂いがする。
 床に手をついて、オレを覗き込んでいる。
 床?
 なんで……。ベッドじゃないっけ?
 そうして、オレは周囲を見渡した。
 どこよ、ここ?
 純和風の部屋みたいだった。
「え……と?」
 こんな部屋記憶にないぞ。
「どうした、寝ぼけているのか?」
 顔を近づけてくる。
 ぽたりと、昇紘の髪から、しずくがこぼれ落ちた。
 はだけ気味のガウンの合わせから、四十男の逞しい胸板がのぞいている。
 デスクワークが基本のわりには、結構いいからだしてんだよ、こいつってば。
 むかつく。
 オレなんか貧相きわまりないっていうのに。
 そんなことを考えて返事をしないオレに焦れたのか、昇紘は、いきなりくちびるを重ねてきやがった。
 やだも、なにもない。
 有無をいわせない強引さってやつだ。
 いつも、こうなんだよなぁ。
 ため息をつきそうな気配が伝わったのか。
「余裕だな」
 一旦くちびるを離して、昇紘はオレを見下ろした。
 いつもは引き結ばれている口角がくにりと持ち上げられる。
 背中が、ぞわりと逆毛立った。
 こういう笑い方をこいつがする時は、ろくなことがない。
 どこか意識がまだ眠りこんでるらしいオレは、なんだか他人事のようにそれを見上げてる。
 それが気に入らないんだろう。
 オレの隣に滑り込んできたと思うと、オレの胸元を撫ではじめた。
 そうして、オレは、やっと、オレを眠りから引きずり戻したのが、こいつの悪戯だったんだと理解したんだった。



「も………やだぁ」
 しつこい。
 喘ぎ声なんかあげたくないのに、食いしばった口はゆるくなってるから、どうしても、でてしまう。
 それをかみ殺そうとするオレを、こいつは、楽しそうに笑う。
 見られてる、知られてると思うと、それだけで全身がよりいっそうの熱を孕んで、ちょっとした動きでも刺激になってしまう。
 こいつに慣らされてしまったからだが、こいつに触れられることを喜んでいるのが、判る。
 それが悔しい。
 自分が、完全にこいつのものにされてしまったことが、悔しくてならないんだ。
「どうした」
 笑いを含んだ声に、全身に小波が立つ。
 判ってるくせに。
 涙がにじむ。
「何が欲しい?」
 意地悪い声に、オレは首を左右に振った。
 いらない。
 からだが求めてはいても、認めたくないと最後の意地を張る。
 自分からは絶対に、求めたくなかった。
 そんな無様なこと、したくない。
 オレの譲れない一線なんだ。
 何もかもをこいつに明け渡したオレの。
 だから、これくらいは、いいだろ。
 だって、オレはこいつには適わないんだから。
 だから、せめてここだけでもオレはこいつに譲ってやってるんだって、そういうスタンスをとらしてくれたって、罰はあたらないって思うんだ。
 ククッと、こいつが笑う。
「欲しいだろう?」
 ささやかれて、真っ赤になる。
 こみ上げてくる欲求に、うなづきそうになる。
「強情だな」
 楽しそうな声だ。
「これでも、か」
「ひっ」
 全身が慄き、震える。
 いいざま、こいつのくちびるが、胸に降ってきた。
 過敏になった皮膚の上、昇紘のくちびるが滑る。
 声が、出る。
 必至になって、オレはくちびるを両手で押さえようとした。
「やぁっ」
 なのに、根性悪い。
 こいつは、オレの両手を押さえてしまったんだ。
 離せっ。
 言いたいのに、口からでるのは、情けないくらいの喘ぎばかりで、自分が追いつめられているのをいやでも感じる。
「いっ」
 さんざん弄られて放置されていた胸の飾りをいきなり噛まれて、目の前が真っ白になった。
 痛い。
 耳の奥で鼓動が大きくなる。
 それと一緒に、オレ自身が大きく反応をしたのが判った。
 けど、
「や………た、のむからっ」
 塞き止められた熱が、荒れ狂い、全身が激しく震える。
 どうにかなってしまいそうだった。
 もう、何も、考えたくない。
 こいつに、すべてをゆだねたい。
 そんな思考がオレの頭の中を浸食してゆく。
「いきたいか?」
 笑いを含んだ昇紘の声に、オレは、多分、うなづいたんだろう。
 その瞬間、オレの意識は、途切れたんだ。




つづく




up 13:04 2009 12/05
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