ビロードの闇 2




 昨日のあれは、ショックだった。
 あれって、夜の話じゃない。
 その前の話だ。
 以下しばらくオレの過去語りになってしまうけど、我慢してほしい。

 オレは、はっきり言って、ひとの視線を集めるのが好きじゃない。
 目立たずにひっそりと………というのが、オレの座右の銘なんだ。
 実際、それは上手くいってた。
 オレが並みだっていうのもあるけどさ、親父もおふくろさんも姉さんも、インタビューなんかで家族の話題になっても、オレのことは避けてくれている。それがオレのことを恥ずかしがってるからっていうのじゃないって知ってる。昔の誘拐のことがあるから、オレが育った今になっても、また攫われるんじゃないかって、心配してるんだ。過保護だよな。実を言うと、オレの“浅野”って姓は、おふくろ……オレを生んでくれたおふくろの姓だ。親父の姓は、“浅野”じゃない。親父は、来栖千早っていう。本当なら、オレは、来栖郁也なんだよな。使ったことないから、なんか他人の名前みたいだ。
 それはともかく、高二の時は、色々あった。
 うんざりするくらい、色々だ。
 元凶は、悪友というか、親友というか、腐れ縁の佐々木だ。
 あんなゲームをするなんていわなけりゃ、オレは、昇紘と出会うことなんかなかったろう。
 色々あって、すったもんだして、オレは、結局、昇紘に掴まっちまった。
 半年くらいの間に、そうなった。
 で、もう今となっては、オレも諦めの境地ってやつだ。
 高校三年になったオレは、とりあえず大学受験に向けて勉強した。
 時々は昇紘と会ってたけど、勉強があるって判ってくれてたから、抑えてはくれてたみたいだ。
 だからって、ありがたいなんて思わないけどな。
 オレにとってのあいつは、避けることができない天災みたいなもんだ。
 今もな。
 ともかく。
 この十一月に、一足早くオレは大学に合格した。
 私立だったし、推薦だったっていうのもある。みんなより一足早く受験から解放されたってわけだ。ああ、佐々木も一緒だ。つくづく腐れ縁なんだよなぁ。さすがに学科は違ってるけどな。
 あとは、自宅学習を心待ちにして、学校に通ってた。
 んだけど。これが、問題だった。
 誘拐されるのって、体質になるんだろうか? オレは、オレの十七年間、もうじき十八年になるけど、その間で、三回誘拐されたって計算になる。
 ちびっ子の頃と、去年の思い出したくもない真山に攫われた時と、ちょっと前だ。今はちょっと、思い返したくないからパスするけどな。
 ともかく、三回目があってから、なにがどうなったのか、親父が突然帰ってきた。おふくろさんと一緒にだ。ちょうどおふくろさんは、親父が招かれてたオーケストラがある国で映画の撮影をしているところだったらしい。ああ、言うの忘れてたけど、おふくろさんは、映画監督をやってる。オレは見たことないけど、結構マニアでコアなファンがつく作品ばっかりを作ってるらしい。批評家に言わせると、女性特有の繊細さと男勝りの大胆さを併せ持つ作品群なんだそうだ。
 で、次の日に、あいつが来たんだ。
 言うまでもないよな、あいつだ。
 親父とおふくろさんと、あいつとオレ。
 応接間でテーブルを挟んで顔を突き合わせた。
 なんかやな雰囲気だなって思った。
 親父が見たことないみたいな厳しい雰囲気をまとってる。いくらクラッシックの世界では“氷の帝王”なんてベタに呼ばれていても、家ではそんなそぶりも見せない親父が、ソファに座ってあいつと対峙してたんだ。
 なんか似てるって思った。歳は親父のほうが少し上か、二人がそろうと迫力だ。
 おふくろさんもなんとなく複雑そうな顔をして座ってた。
 そこで交わされた会話が何だったかなんて。
 オレは、思い出すたびに大声で叫びだしたくなるんだ!
 会話の終わりに、二人は手を握りあった。
 冷静そうに見えたおふくろさんまでだ。
 オレの意思は?
 そう思ったけど、すっかり意気投合してしまったふたりには、オレの声は届かなかったに違いない。
 そうして。
 オレは、“浅野郁也”から“籍郁也”に変わってしまったんだ。
 何がなんだか判らなかった。
 いや、判りたくなかったんだろう。
 親父たちがオレを捨てたわけじゃないっていうのは知ってるさ。
 けど、なんだって、男のオレが、“嫁”に出るわけ?
 そうだろ?
 でも、誰も彼も、オレが昇紘を好きだって思ってるからな。相手がオレを欲しいと言ってきたら、相手のことを確認してこれならって思ったら、オッケーなんだろう。
 結局そういうことなんだろうなぁ。

 オレは、あいつの家の住人になった。
 待遇は、今更だが、聞いてくれるな。
 発狂したくなってくる。

 それで、だ。
 我が家から高校までは、近かった。毎日佐々木と歩いて通ってた。
 けど、籍家から学校までは、遠いんだ。
 自転車だと一時間か。
 電車だと、何度か乗り換えないといけない。
 これがあいつのお気に召さなかったらしい。
 かといって、今更転校するわけにもいかないだろう?
 もう数ヶ月もすれば卒業だ。
 そこで、あいつが選んだのが、自動車通学だったわけだ。
 溜め息だ。
 あいつの自動車なんて、どれもこれもが高級車ってやつだ。
 目立ちたくないオレとは、相容れやしない。
 泣きたい。
 オレは後数ヶ月の辛抱だって、興味津々の視線を我慢してたんだ。

 そうして、やっと、昨日がきた。
 今日から自宅学習期間なんだ。
 おかげで、オレはこんな…………だけどな。

 それで、だ。
 オレとしては、晴れ晴れとした気持ちで家(籍だけどな)に帰った。
 これで、興味本位の視線とはおさらばできるって。まぁ、後は、卒業式があるけど一日くらいなら何とかなる。ま、まぁ、大学があるけどな。なんとか目立たずに過ごしたい。オレの本音はこれだけよ。うん。
 閑話休題。
 元に戻って。
 玄関に入ると執事の相模さんが電話を受けてたんだけど、オレに気づいて、受話器を渡すわけよ。
「旦那さまです」
とかってさ。
 その旦那さまってどっちのだ? と、突っ込みたいのはやまやまだけど、自分で穴掘ってどうするよと、戒める。
 何気なく受け取った受話器から、あいつの声が聞こえてきて、
「会議に使う書類を忘れたから届けてくれ」
 だと。
 珍しいよな。
 いいけど。
 ここにいてもすることってあんまないしな。
「わかった」
 いいお返事だ。我ながら。
 帰りにどこか寄り道して羽伸ばそう。
 こんなんだって判ってたら、佐々木に誘われたの断らなきゃよかったな。
 そんなことを考えてると、相模さんが、白い書類封筒を差し出してきた。
 さすが、第一執事さんだ。準備万端。
「じゃ、行ってくるから」
「お車を……」
「いいって」
 さっき帰ったばかりで運転手さんも一服してるだろうしな。たまには動かないとな。なんて、オレは珍しいことを考えた。
「自転車で行くから」
 制服のポケットに財布はあったよな。小銭入れの中に札を折り畳んで押し込んであるのを確認して、まだ何か言いたそうな相模さんに手を振った。
 久しぶりの自転車は気持ちよかった。
 風は冷たいけど、それすらもが心地よくてさ。
 時間が時間だから、電車も混んでないしな。駅に着くまで、さあ帰りはどこに寄ろうかなって色々考えてたんだ。
 で、オレは、こんなところで躓いてる。
 うん。
 きれいなおねーさんが、不審者を見る表情でオレを見てる。
「籍……会長ですか?」
「え? あー、うん、そう」
 籍グループの本社の受付にオレはいる。
「ご用件は?」
「届け物なんだけど」
「お名前を」
「……………」
 ここで詰まっちまったのが、敗因かなぁ?
 いや、だってよ、オレの意識の中じゃオレの名前って、まだ“浅野”なわけよ。で、ここでいきなり“籍”って、言えるって?
「お名前は?」
「あーと、浅野郁也で大丈夫だと思うんだけど」
 我ながら微妙な受け答えよな。
 自分でもそう思うんだから、おねーさんが、ふたり顔を見合わせてひそひそしてるのも判らないでもない。けど、
「申し訳ありませんが」
って、きっぱり断られると、情けなくなる。
 オレ、そんなに怪しそうに見える?
 会社にくるんだから、って、スーツくらい着てきたらよかったのかもしれない。
 相模さんの何か言いたそうな目を思い出す。
 溜め息が出てくるなぁ。
 しかたない。
「すみませんでした」
 オレは頭を掻いて、とりあえずそこを離れた。
 いぶかしむような視線が、痛い。
 大人の男が三人がかりくらいでやっとひとまわりできるかもしれない太さの柱があったから、それに凭れて、オレはポケットを探った。
 携帯持っててよかった。
 必需品と言われてるけどな。あんまり使わないからなぁ。めんどくさい。
 短縮の何番だったかまで忘れてるくらいだから、使用頻度も判ろうってもんだろう。
 一だったか、二だった? いや、ゼロとか。仕方ないのでアドレスを開く。
 あいつの名前を見つけて、オレは、ボタンを押した。
「どうした」
 ワンコールで出た。
 溜め息何個目だ、オレ。
「届け物。今下にいるんだけど。なんで、受け付けに話が通ってないんだよ」
 声が大きくなりそうなのを、抑える。
 柱の陰に隠れたら悪いことしてますとかってますます不審がられそうだから、受け付けとはほぼ直角の位置でオレは立ってるんだけどな。視界の隅じゃあ、おねーさんたちのちろちろとした視線を確認してたりする。
「今行く」
「はい?」
 待ってろって言われなかったけど。待ってないといけないんだろうなぁ。
 珍しそうにオレを見ていくビジネス姿の男や女。
 本社だから、エリートとかだったりするんだろうな。
 ひとの出入りがかなりあるんだ。
 仕事中の会社なんか静まり返ってる印象があったりしたけど、そうか、結構にぎやかなんだな。
 ぼんやりと待ってると、受け付けのおねーさんの一人が近づいてきた。
「君。いつまでもそこにいられちゃ邪魔なんだけど」
 きついなぁ。
 結構美人なのに。
 それにそんなこと言われても、オレだって、困る。
「あ、と。今来ると思うから」
「来るって、誰が?」
「知り合い」
 ちゃんと届け物って最初に言ったよな、オレ。
「これ届けてくれって」
「誰に?」
 目が吊り上がってますけど。
 おねーさん、ひとの話聞かないタイプなのね。
「せき……」
 全部言う必要はなかった。
「郁也」
 聞き慣れた声がホールに響いた。途端、ホールのざわめきが消えた。
「会長っ?」
 おねーさんのひっくり返った声で、ざわめきがよみがえる。
「君は?」
 冷たい声だった。
「う、受け付けの……」
 この子がと、オレを示しかけたのを昇紘が遮った。
「悪かった」
 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、おねーさんが昇紘を見上げる。そうして、その台詞が自分に向けられたのじゃないと知って、目をますます大きく見開いた。
 ま、いいか。これさえ渡せば、用は済むんだし。
「じゃ、これ。渡したからな」
 ひさびさにファストフードでも食べて、本屋とゲーセンでも覗こうかな。ああ、一応相模さんには連絡入れといたほうがいいんだろうなぁ。
 なのに、
「急いで帰らなくても、暇だろう」
 寄っていくといい。
 そんなこと言われてさ。 「え。いいよ。どうせ暇じゃん」
「制服でこの辺をぶらつくのか?」
 まぁ、たしかにオフィス街だけどさ。
「あんたが持ってこいって言うから、急ぐかな〜って思って、着替えられなかったんだって」
「それは、悪かった。だから、償いをしようというのだ。おとなしく従え」
 あんた何さまよ。
 突っ込みたかったけどさ。ふと我に返っちまったんだって。周囲の興味津々の視線と、すぐそばのおねーさんの存在に。
 だから、
「わかった」
 オレは本当にこの日何度目なんだかしれやしない溜め息をついて、うなづいたんだ。
「え、ちょっ、な、なんでよっ」
 なのに、昇紘ってば、オレの肩を抱き寄せようとするんだ。
 首から上が煮立ってるみたく熱い。
 そんなときに限って、
「目立つぞ」
 なんて、言うんだ。
 こいつ絶対苛めっ子だ!
 オレが目立つの嫌いなの知ってて弄ってるに決まってる。
 オレは、そうして、こいつの計略にまんまと嵌っちまったのだった。




つづく




up 10:17 2009 12/07
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