「いかがです?」
おじさんの声に、
「ああ、思った通り、いや、以上のできだ」
「ありがとうございます」
頭を下げておじさんたちは引き上げて行った。
オレは終わったと溜め息を吐いた。
さっさと脱ごうとジャケットに手をかけたときだ。
「これなら、このままでかけることができるな」
オレを見下ろしていた昇紘が誰にともなくつぶやいた。
腕時計を確認する。
「一条」
「はい。予定通り滞りなく済みましたので、あとはおまかせください」
一条さんが頭を下げた。
「後しばらく待っていろ」
言うと、昇紘は奥の扉に消えた。
ことば通り十分ほどで戻ってきた昇紘は、それまでとは違うフォーマルな背広姿に着替えていた。
オレの肩を抱くと、
「出かけるぞ」
と、促してきた。
どこに行くのか、まったく見当もつかなかった。
何の予定もないと思っていただけに、もしかしてこれは、最初からこいつが図ってたんじゃないのか? と、イヤな予感がした。
「仕組んだな」
車のシートで、オレは隣に座る昇紘を見上げた。
肩を竦めて、
「しかたがない。嫁を紹介しろとうるさい輩が騒ぐのでな。お前も、今夜だけは我慢しろ」
私もお前を誰にも見せたくないというのが本心なのだからな。
“嫁”と言われて、オレは、真っ赤になる。
羞恥もあれば怒りもある。
たしかに、オレは、こいつの“嫁”だろう。
けど、そういう存在として紹介されるのは、嫌だ。
嫌だ。
恥ずかしすぎる。
けど、覚悟を決めないとダメなんだろう。
嫌だけど。
しかたないんだろうなぁ。
オレは、全身の力を抜いた。
「今夜だけだな」
言いながらも、冷静な部分が、済むはずがないとささやいている。
多分、これからも、避けられない場面というのが出てくるのだろう。それくらいは、オレにも想像がついた。この男の“嫁”というか、パートナーになっちまったんだから。オヤジがそこを心配してたのを思い出す。だってな。克服したとはいえ、他人の視線が苦手って意識は抜けきっちゃいない。人前に出るのが駄目なままで、だから、オヤジが教えてくれてたピアノも結局は諦めた。ピアノの発表会が駄目じゃ、趣味の域をどうしたって抜けないだろ。一応は頑張ってみたけど、自意識過剰と言われようと、会場中の視線が自分に向けられてると思うと、震えが止まらなくなるんだ。ちびっこいころは、この上に、小さく縮こまって泣きわめいてたから、少しはマシになってる。でも、やっぱ一度植え付けられた恐怖ってやつは,少しなら薄れても、消えるってことはないのかもしれない。
「悪いな」
少しもそうは思っていないだろう声だった。
けど、オレの頭に置かれた手が、オレの肩を抱き寄せる手が、なんだか妙に心地好かったんだ。
そんな場合じゃないのに、なんでなんだか、オレは、昇紘の肩に頭を預けた。
目を閉じる。
嗅ぎ慣れたコロンが鼻先をかすめてゆく。
昇紘の手が、オレの肩を撫でる。その往復する手の感触がとても心地好くて、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
「郁也」
呼ばれて目を開けたオレは、腹を括った。
所謂高級料亭と呼ばれるようなところの門前に車は停まっている。
中谷さんが開けてくれたドアから出たオレは、昇紘に促されて、足を踏み入れたんだ。
畳敷きの廊下やら、上品そうな熟年の女将さんとか、常日頃オレにはほとんど関係ないものに圧倒されていた。
そうして、オレと昇紘のふたりが通されたのは、料亭の奥にあるひときわ立派な襖障子に閉て切られた一室だった。
心臓がばくばく言ってる。
まったく知らない人間の目が向けられるんだと思うだけで、気が遠くなる。
小学部入試の時の面接なんか目じゃない気がしてくる。
あとは中等部、高等部だ、つい最近の大学入試の面接もあったな。
全部全部緊張したけど、なんというか、今日ほどじゃないような気がする。
いや、うん。
みんな七十より上だよなぁ。
なのに、粘り着くような視線がからみついてくるんだ。
ゾッとする。
どうしても沸いてくる震えを必死になってオレは堪えようとしていた。
そんなオレの耳に、
「ごぶさたしております」
声だけ聞けばへりくだってるけど、態度はいつもと変わりない昇紘が、先に腰を下ろして、オレを促した。
コの字というのかな? 底辺の開いた四角って言えばいいのか? そんな感じで膳が並べられた和室に二十人くらいが座っている。その中で、床の間を背にした一番偉そうな老人に昇紘が頭を下げた。
とりあえず昇紘に倣ったオレは、やっぱ、それでも途切れない視線に、脂汗が滲むのをとめることができなかった。
やっぱ、ヤダ。
頭を下げたまま目をきつくつむったオレの耳元で、
「すぐ終わる」
昇紘が小さくささやいてくれないと、顔を上げることもできなかっただろう。
どうにか顔を上げたオレだった。
「そちらが当主の選んだ伴侶どのか」
肩が震える。
まだ子供ではないかとか、色々色々、ざわめきが聞こえる。
昇紘が紹介してくれるのに、もう一度無言で頭を下げる。
喋るのは、無理だ。
と、二代前の当主の弟にあたるという長老が、脇にずれる。そうして空けられたふたり分のスペースに、オレと昇紘は移動した。
それから始まったのは、おそらく無礼講という感じの親戚たちの宴会なんだろう。
が、どこかに堅苦しさが残っている。
銚子を持った老人が、昇紘とオレの前に進んで、自己紹介をしてゆく。その時の、舐めるような視線が、オレの落ち着かない心をささくれ立たせた。
祝い酒だということで、どうしても断れない高位の長老っていうのが何人かいたんだ。
誕生祝いと言って以前昇紘が勧めてくれたワインより、度数が高かったんだろうか。
大叔母の旦那さんだという長老の杯を最後に、オレの意識は途切れている。
そうして、オレは、夢に見た。
ガキの頃のことを。
たくさんの色とりどりの目玉に囲まれたあの恐怖を。
おわり
up 17:11 2012 08/25
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