なんだよそれっ!



「おい浅野ぉ。おねーさん出てるぞ」
 浅野の友人の佐々木が、つけはなしたままのテレビ画面を、シャーペンの尻で指し示した。
 ドロナワの試験勉強だったが、明日で試験が終わりともなれば、なんとなく気分も違うというものだった。
「ん・あ?」
 言われて、浅野は、ノートから顔を上げた。
 リビングの大型テレビのブラウン管を見れば、主人公の主上が、悪漢どもを前に、“大見得”をきっている。
 特殊メイクで、主上の髪が黒から赤へと変貌を遂げてゆくこのシーンは、この番組のカタルシスだ。キラキラとファンシーな効果音が、悪漢たちの緊張した表情と対照的だ。
 主上を背後に盾になっているふたりの少年が、悪漢どもに主上の正体を喧伝する。
 狼狽した悪役一味が、その場に平伏した。
 主上が、証拠を高々と掲げ、声も朗々と、糾弾する。
 たちまち、首領格の悪役が、配下を鼓舞する。
 派手な、クライマックスの殺陣(たて)が、軽快な音楽と共に、画面上で繰り広げられる。
 赤い髪が、優雅にひるがえり、髪の赤を際立たせる地味な色調の男物の衣装が、風を孕んで、舞う。
 峰打ちで、悪人が次々と倒れてゆく。
 最後に残った、親玉を、主上が成敗する。
 キリのよい音楽が流れ、場面が三段抜きでストップする。エピローグに移る準備だ。
 場面転換の後、無表情に溜め息をつく金髪の御側御用人に、それまでの颯爽としたさまとは正反対に、うろたえたえて主上が対峙する。
 それをとりなすのが、端整な、エリート然とした、側近だ。
 主上の困り果てた表情がアップになり、〆のモノローグが流れた。
 『景王顛末記 暴れん坊主上  終わり』
 結局、最後のスタッフロールまで見てしまった浅野だった。
「や、あいかわらず、おねーさん、凛々しいよなぁ」
 下僕志願がたくさんいるという噂の、若手で人気実力共にナンバーワンの女優にうっとりとしながら、佐々木がつぶやいた。
 今更である。
 佐々木が、浅野の義理の姉になる中嶋陽子の熱烈なファンだということは、浅野は知りすぎるくらい知っている。
 なんたって、佐々木は、浅野が中嶋陽子の弟になる前からの付き合いで、中嶋陽子が女優になる前から、彼女にうっとりしつづけてきたというキャリアの持ち主なのだ。ちなみに、ファン倶楽部会員でもあり、一番こそ逃したものの、十一番というなんだか気持ちのよさげな番号をゲットしていたりする。
「いいよなぁ浅野は」
 あいかわらずうっとり夢見ていますという風情の佐々木に、
〔さあはじまったぞ耳栓耳栓〕
と、浅野は内心準備万端である。
 まぁ、佐々木は、長い付き合い上それを充分承知していて、飽きずに、中嶋陽子の魅力をまくしたてる気満々なのだから、お互い様だろう。
「……だろ?」
 耳栓の効力がききすぎてたのだろう、目の前にある佐々木の目玉に、思わずギョッと身を退く浅野は、
「試験が終わったら、また、バイトすんだろ?」
 佐々木の質問に、
「まぁ、頼まれてるからなぁ」
 天井を見上げる。
 浅野にしてみたら、行きたくない気持ちが強いのだ。が、姉の頼みである。
 浅野は、姉に弱い。二つ上の姉は、浅野にとっても、実は、憧れの女性である。というか、両親が再婚する時に、こどもたちの苗字はそのままにしときましょう――と取り決めた裏側に、やけにロマンティックな理由があったことを、浅野は知っている。で、まぁ、浅野は、一時的にその気になったことがあるのだ。要するに、「ぼくは大人になったら姉さんを嫁にもらう!」という野望だったりするのだが。もっとも、それは、幼稚園の時の話だ。今では、そんなことは起こり得ないと、浅野は、諦観している。
 姉が、準レギュラーの俳優に惚れていることは、公然の秘密だ。
 というか、ふたりは、付き合ってるのだから、秘密も公然のも、関係はない。
 さわやかカップルとか、なんとか、時々、週刊誌とか情報番組とかで取り上げられてたりする。
 さわやかか〜? と、浅野なんかは、首を傾げる。
 や、お似合いはお似合いだと思うのだ。ただ、ふたりが一緒にいるところを見ると、なんかこう、迫力が勝ってる気がするのは、自分だけなのだろうか――と、時々思うのだった。
 陽子自身男前度と気風と美貌が際立っているのだが、隣に、すらりとしてはいても武道全般をそつなくこなすという同性に抜群の人気を誇る(や、女性も同様だが)俳優が連れ立つのである。比べられるのも馬鹿らしいから、オレなんか近寄りたくない……と、浅野は、常日頃願っている。
 しかし。
 しかし――だ。
 これを知っているのは、家族と、佐々木くらいなものだが。世界を飛び回ってる多忙な両親や、姉に代わって、浅野家の食卓事情を引き受けているのは、浅野だった。いや、正確を期すると、朝晩の食事以外は、お手伝いさんがしてくれている。
 で、まぁ、高校二年の男子が嫌がりもせずに毎日せっせと食事を作っているのは、料理とか菓子作りが楽しいからだったりする。だからといって、料理や菓子作りを職業にしたいとは、考えていない。制約とか関係なく楽しみたいからだ。元々は、外食とかで、もう少し甘いほうがとか辛いほうがとか、自分好みの味を追及していたら、自分で作ってみたほうが簡単だよなと、思いついたのが、嵌ったきっかけだ。だから、浅野の料理を味わえるのは、基本的に、家族と佐々木くらいなものなのだ。
 案外好き嫌いの多い姉なのだが、浅野が作った食事だけは、好き嫌いを言わずに食べる。――それって、えて勝手じゃないか〜? と、思わないでもない浅野なのだ。が、まぁ、浅野自身、姉のお願いには弱いのだ。結局、試験期間中は例外として、中嶋陽子専用ケータリングサービス業をしている浅野なのだった。
(ま、バイト代が入るからいいけどさ)
 そんなわけで、撮影の合間の待ち時間の、陽子と恋人桓堆とがいるときに、行き合わせる羽目になることもあったりする。
「な〜んか、飽きちまったな。勉強」
 突然の佐々木の台詞に、
「だな」
 浅野は相槌を打っていた。
 明日で最後だと思えば、がんばれる反面、明後日からのことを思って、気力が萎えもする。
 あとは、冬休みを待つばかり。
 ま、詰め込むばかりじゃ、能率も下がる一方だ。
「あ、浅野、オレ、腹減った」
「おまえ、そっちが目的で来てないか?」
「え〜。気のせい気のせい」
 佐々木がへらへら笑う。
 結局、自分と佐々木は、類友なんだよなぁ。そんなことを思いながら、浅野は、昨日のうちに作っておいたチーズケーキとコーヒーを、リビングの隣のキッチンから持って来たのだった。
「うまそ〜」
 さっそく手づかみの佐々木に、笑ってしまう。
「も少し味わえよ〜」
 いくら測って混ぜて焼いて冷やすだけという簡単なレシピとはいえ、味わって欲しいと思うのは、作った側の当然の思考だ。
「いや〜マジウマ。おまえってば、いい嫁さんになりそ」
 おまえもかい。
 佐々木の台詞に脱力する浅野だった。
 ついこの間、まぁ、試験発表の頃だから、十日くらい前になるが、
『陽子よりいい嫁さんになりそうだな』
と、からかったヤツがいたのだ。
 嫁ってなんだよ! と、突っ込まなかった自分を褒めてやろう。
 どうせ、この男前には敵わないのだから。
 悪い癖だとは自覚のある、へらりとした笑いを顔に貼りつけた自分にちょっとうんざりしていると、背後から首に肘をかけられた。
『だろー。でも、桓堆にはやらないからな』
 いつの間にか背後にやってきていた姉に、ぐりぐりと、頭を撫でられたのだった。


 桓堆が、赤い襦袢を羽織って、煙管を吹かしている。
 桓堆が演じているのは、首切り役人の役だ。主命で斬首を命じられるまでは、暇であるらしく、ふらふらと町を歩く素浪人っぽい役柄だ。まだ、陽子の正体を知らない。ともあれ、吉原での居続けの翌朝という設定らしい。足元には、なまめかしげな女優がひとり、まだ眠りの中にある。
 廊下側が騒がしくなる。
「おやめくださいっ」
 制止の声。
 パシンと、効果音も荒々しく開かれた障子の向こうには、こざっぱりした若衆姿の、おしのびの主上。
 障子の外に立ち尽くし、目を見開いて生唾を飲み込んだ。
「カ〜ットッ」
 監督の声が、大きく響いた。
 ざわめきが、途端に、満ちる。
 とりあえず、これで、食事休憩に入るらしい。
 浅野に気付いたらしい陽子が、手を振って合図する。
 当然のように、赤い襦袢を羽織ったままで、桓堆が陽子と並ぶ。
 若衆姿の陽子と傾き者(かぶきもの)の格好の桓堆とが並ぶさまは、
(う〜ん。一部の女の子が喜びそうだな………)
 などという感想を、浅野に抱かせる。
「おまたせ。どうしたんだ、変な顔して」
 緑の瞳で覗き込まれて、
「いや、凄いツーショットだって思ったんだ」
 本音がこぼれる。
「写真でも撮るか?」
 片手で陽子の肩を抱き寄せて、桓堆が、笑いながら言うのに、
「いや、遠慮しとく。佐々木が泣いて喜びそうだ」
 ふと悪友を思い出して、浅野は、ぼやいた。
 それを聞いて、その目で佐々木の陽子フリーク振りを見たことのある桓堆が、笑う。
 家に陽子が桓堆を連れてきたとき、何度か佐々木と顔をあわせている。
 たいてい誰もいない家に佐々木が来ると、リビングの大型テレビでゲームをしたりするため、鉢合わせするタイミングも間々あるのだ。部屋にもテレビはあるが、迫力が違うから、居間にたむろするのだ。そうやって、ふたりで盛り上がっていたときに、入ってきた陽子と桓堆に、佐々木の反応は、見ものだった。ふたりを見た佐々木は、ぼーっと、我と状況も忘れて、ふたりに見惚れた。プレイしていた対戦型のシューティングゲームで、佐々木のキャラは、派手な音と光と色を上げて、大クラッシュした。そんなことも気にならないらしく、佐々木は、飛び上がるように立ち上がって、浅野の腕を引っ張ると、キッチンに走りこんだ。そうして、紅茶、コーヒーどっちがいいんだ〜と浅野の腕を振り回しながら、おやつのつもりで冷やしておいたシフォンケーキと生クリームを皿に分けはじめた。落ち着けという浅野のことばなど、聞いてもいなかっただろう。で、準備が整ったトレイを運んだ後、佐々木は、ぺたんとラグの上に腰を落ち着けて、ぼーっと、ふたり、特に陽子に、見惚れ続けていたのだった。
「それは、ぜひとも撮ってもらわないとな」
 悪戯そうにそうつぶやくと、もう一度陽子の肩を抱いて、ピースサインをして見せるのだった。
 肩を竦めて、結局浅野は、ふたりを写真におさめたのだ。
「あいかわらず美味そうだな」
 撮影所の片隅で、浅野が、重箱弁当を広げた。
「ちゃんと中華だ。サンキュ」
 嬉しそうに陽子が笑うのに、浅野は、手間暇が報われたような気がする。
「チャーハンに、エビチリ、温野菜のサラダに、中華風味の鳥の唐揚げ。奮発してフカヒレのシュウマイっと。デザートは杏仁豆腐で、とりあれず、ウーロン茶な」
 どこにでもあるようなメニュウだが、全部、陽子の好物だったりする。
 多めに作ったそれを、三人でつつくのが、なんとなく、習慣になっていた。
 お邪魔虫だろうと、最初こそ断っていたのだが、仕事現場でお邪魔虫も何もないだろうと言われては、断りきれなかったのだ。
 目の毒なんだけどなぁと、浅野がぼやいていたのも最初のうちだけで、それが当たり前になってしまえば、人間慣れるものである。
「なんかあったかな」
 現場がやけに騒がしい。
 陽子のことばにふっと、視線をそちらに向けた浅野の箸から、最後のシュウマイが、転がり落ちた。
 信じられないとばかりに、浅野の瞳が、大きく瞠かれる。
 監督やディレクターや、いろんな関係者に取り巻かれて立っているのは、濃い色の三つ揃いもすっきりと着こなした、苦みばしった男だったからだ。
「ゲッ!」
 思わず知らずもれた声は、思いもよらぬほどの大きさで、響いた。
 男が、話していた監督から、目を逸らせたのを、浅野は、見た。
 男の目が、自分を捕らえたような、気がして、浅野は咄嗟に、陽子の背後に隠れた。
「どうしたんだ?」
 陽子と桓堆の注意が浅野に逸れる。
「オレ、帰るな」
 あたふたと立ち上がった浅野は、こそこそとといった擬態語がふさわしいような動きで、騒ぎとは正反対の非常口へと向かおうとした。
 なんだってあいつがこんなとこに――――ぐるぐると頭の中を回るのは、そんな思考ばかりだった。
「中嶋くん、青くん」
 ディレクターの大きな身振りと声が、撮影現場に響く。
 一同の視線が、陽子と桓堆に注がれる。
 自然、浅野にも向かうことになる。
 ギクリとばかりに硬直してしまったのは、浅野の不覚だろう。
 そのまま走り去っていればよかったのだと臍を噛んでも、遅すぎる。
 ギクギクと、出来損ないの木偶みたいな動きで、浅野が頭だけで振り返る。
 途端、黒々とした瞳に射竦められたのだ。
 戸惑う関係者の声を気にとめる様子もなく、男が、近づいてくる。
 脂汗が流れるものの、蛇に睨まれてしまった憐れな獲物のように、浅野は、動くことすらできなかった。
「見つけたぞ」
 両方の肩に手が乗せられ、耳もとで、低くささやかれた。
「!」
 記憶の底に忘れたふりをしていた記憶が、まざまざとよみがえる。
 振り向きたくなかった。
 肩に乗せられた手が、力を込めて、肩を掴んでくる。
 うっすらと鼻先に漂うコロンに、ぞわりと、背中が逆毛立っていた。

 あれは、夏休みも終盤のうだるような午後だった。
 佐々木と賭けをして、通りすがりの十三番目の誰かに告白をするという、趣味の悪いゲームをする羽目になった。
 告白して終わりだと思っていた浅野は、その後、男に攫われるように、ホテルに連れ込まれたのだ。
 思いだしたくもない、悪夢のひと時からどうやって逃げたのか、次の日、自室で目覚めた浅野は、満足に動くことすらできなかった。おかげで、夏休みの貴重な後半は、なんかうやむやのうちに過ぎた感がある。

 物問いたげだった佐々木の頭を一発殴ってから、五ヶ月が過ぎていた。

「俳優志願の捨て身の売り込み――かと、思っていたのだが。まさか、中嶋陽子の弟だとはね」
 心臓が、大型のエンジンにでも変わったかのようだった。
 うるさい。
 気が遠くなる。
 確かに、運転手つきのロールスロイスに乗ってはいた。連れ込まれた先が、某有名ホテルのロイヤルスィートだったから、金持ちだろうとは思ってた。しかし、まさか、『暴れん坊主上』の提供企業の持ち主だとは、思いもしないことだった。
「郁也と、お知り合いだったのですか?」
 驚いたような、陽子の視線が、痛い気がする。
 桓堆の視線が、興味深そうで、いたたまれない。
「そう。前からのね。だから、借りてゆくよ」
 おおようにそう言われては、否とも言えないのか。
 肩を抱かれるような格好のまま、浅野は、十三番目の男――籍昇紘に、撮影スタジオから連れ出されたのだった。
 騒げばなにごとかと注目を集めそうで、それもできないまま、いつかと同じだろうロールスに、連れ込まれる。
 流石に、寸前、足が止まったものの、腹を括るしかないんだろうと、浅野は、しぶしぶ、後部座席に乗り込んだのだ。


おしまい



from 13:55 2005/11/26
to 11:27 2005/12/28


◇あとがき◇
 や、意味なし、落ちなし、山なし――――になってしまったぁ。
 書き始めは萌えてたんだけどなぁ。
 とりあえず、『砂の音』の後話かなぁ。
 微妙なので、繋げなくてもいいかなと思わないでもないけど、佐々木くんが出たあたりで、繋がってしまったのでした。って、最初っから出てますけどね。
 途中の、傾き者な桓堆さんは、某“Kantai Collection”さまのイラストに触発された、赤線妄想が元なのです。亡八者な桓堆さんとおかかえの花魁な陽子ちゃん。で、このふたりだと、ハッピーエンドは無理だよなぁと溜め息をついてたのですが、ドラマにしちゃえば、問題なし! ですねっvv が、劇中劇(?)が、『暴れん坊主上』なので、花魁にはできなかったのでした。残念。
 最近暗い話が続いてたので、明るいの〜と、置いてたのに手をつけましたが、中途半端かなぁ。
 少しでも、楽しんでいただけますように。
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