思う壺 昇紘視点





 放心と恐慌を繰り返した三日間だった。
 私は怯えたり惚けたりした郁也を抱きしめてすごした。
 仕事は手につかなかった。



 しがみついて泣きじゃくる郁也がとても愛しくてならない。
 コート越しに、震えるからだを抱きしめた。
 一瞬だけ硬く強張ったからだが、何かに気づいたのか、ふと強張りを解いた。
 途端、救いを求めるかのように、縋りついてきた。
 すまない。
 すまなかった――と、謝罪がこぼれる。
 もう少し早く駆けつけていれば、こんなことにはならなかったろう。
 部屋に踏み込んだ瞬間に飛び込んできた光景が、フラッシュバックする。
 見知らぬ男が、郁也の腰を抱え上げていた。
 郁也の絶叫にも似た、布の裂ける音が耳を打つ。
 咄嗟に男を郁也から引き離していた。
 見下ろした先の光景が、私の脳を貫いた。
 血の気の失せた表情のなか、虚ろに見開かれたままの褐色の瞳が、私を見てはいないことはわかっていた。
 心臓が早鐘のように忙しなく大きく響く。
 あられもなく投げ出されたままの上気した皮膚の上、蹂躙された証が忌々しいほどのコントラストを宿す。
 胸の奥底深く、どろりとしたものが煮えたぎった。
 擦られ血を滲ませた手首の傷が、裂けたシーツが、どれほど郁也がこの行為を恐怖したのかを物語っていた。
 それはそうだろう。
 誰にであろうと、郁也が進んで身を任すなどありえない。
 あっていいはずもない。
 なぜなら、自分に抱かれるのでさえ郁也は好んではいない。
 腹立たしい現実ではあるが、そんな郁也を逃げ場がなくなるように追い詰めてゆくことを楽しんでいることもまた事実だ。
 慣れない、慣れようとしない郁也が、愛しい。
 愛しくてならないのだ。
 その、私の愛するものを蹂躙した男に、殺意が芽生える。
 たとえ最後までいきついてはいなくても、万死に値する。
 赤く染まったまなざしが郁也の心を表しているかのようで、私の心臓が握り潰されるかのように痛んだ。
 どれだけ泣き叫んだのだろう。
「大丈夫。大丈夫だ」
 私はそっと抱きしめた。
 郁也の怯えが、恐怖が、伝わってくる。
 苦しい。
「もう済んだ」
 気を抜けば酷く歪んでしまうだろう声を、何気ないもののように心がける。
 おまえを害した者にはそれ相応の罰を与えよう。
 たとえ法に背くとしても、それだけの力を私は持っている。
 おまえのために―――など欺瞞だ。
 私は、私のためにこそ、男を罰せずにいられないのだから。
 私は男を押さえている黒服にそっと合図を送った。
 そうして、私は郁也を抱き上げた。
 郁也の体重私にかかってくる。それが、腕の中に郁也がいるのだと、救い出すことができたのだと、失うことなく済んだのだと、実感させてくれた。
 腕の中、郁也は絶えることのない嗚咽をこぼしながら震えつづける。流れ落ちる涙は、止まるようすも見せない。
 そんな場合ではないとわかってはいても、押し殺してもこみあげてくる愛しさに郁也を手放す気にはならなかった。



 いつもとは違う部屋をつかったほうがいいだろうと、客室を準備しておくようにと指示を出した。
 風呂もたてるよう伝えていた。
 コートを脱がせようとすると激しく嫌がる。
 それをなんとか宥めて、風呂場に連れていった。
 触ると嫌がる郁也の全身を清めることは骨だった。それでも、自分以外の誰にもさせる気はなかった。
 男の痕跡を新たに見つけるたび、拭い去ろうと擦り立てそうになった。それをしてはいけないと、何度も自分を諌めなければならなかった。
 郁也は全裸になることにどうしようもないほどの恐怖を覚えているらしかった。
「大丈夫だ」
と、今日一日で何度繰り返しただろう。
「なにもしない」
「大丈夫だから、すべて、私にまかせなさい」
 聞こえているのかどうか、私にはわからなかった。
 それでも。
 疲れきっているだろうからだを、怯えきっているにちがいない心を、少しなりと温めてやりたかったのだ。
 こんな郁也を見るのは、辛い。
 辛くてならない。
   二度と、今日のようなことを起こすつもりはない。
 それにはどうするべきか。
 愛しいものを傷つけないためには、本当にどうすればいいのだろう。
 髪の毛一本損なうことのないように。
 それが可能であるのなら、何と引き換えにしてもかまわない。
 そこまで考えて、ふと、私は笑った。
 笑わずにおれなかった。
 ここまで愛してしまっていたのか―――――と。
 それはあまりにも新鮮な驚きだった。
 放心してなすがままの郁也の全身をぬぐい、パジャマを着せた。
「もう少し我慢できるか」
 ベッドの上に横たえようとすると、首を振った。
「喉が、渇いた」
 掠れた声に、全身に鳥肌が立った。
 それは欲情だったのか、それとも嫉妬だったのか。
「待っていろ」
 首を振って、芽生えてこようとするなんともわからない感情を散らした。



 家に戻った後、郁也はすぐに学校には通えなかった。
 二日ばかり、家にこもっていたらしい。こればかりは時間が必要だとわかっていはいた。
 それでも不安でならなかった私は、黒服を郁也の家の周りに張らせていた。
 郁也が自分から学校へ行ったと報告を受けたときは、自分がどれだけ緊張していたのかを知った。
 よかった。
 すぐにも顔を見たいと思ったものの、それよりもなによりも強いのがそれだけだった。
 心の底から沸いてくる思いに、私は笑っていたらしい。
 ドアのところで立ち尽くす秘書に気づいたのは、しばらく後のことだった。
 あの三日が私の予定を狂わせていたのは事実だったため、すぐに会うことは無理だった。しかし、顔を見たいという思いもまた強く私を駆り立ててやまない。
 我ながら狂っているな。
 それでも、この思いは決して不快なものではなく。
 自嘲がこみあげてくる。
 どうしようもない。
 私は携帯で中谷に命じたのだ。
 しかし――――――――――
 郁也は来なかった。
 中谷が持ってきた腕時計を見て、年甲斐ない想いに沸き立つ私の心はしんと冷えたのだ。
 中谷の手にあったのは、郁也の誕生日に贈った時計だった。
 ああそうなのか。
 郁也の言わんとすることは、理解できた。だからといってそれを認めるつもりなど微塵もありはしなかったが。
「郁也」
 これが彼の手首に絡みついていたのだと思えば、くちづけずにはいられなかった。
 手の中の腕時計を眺めて私はその夜をすごしたのだった。
 それから二日を私はただ待っていた。
 もちろん、郁也を諦めるつもりなど毫ほどもありはしない。
 今更だろう。
 これまでの人生で、私をこれだけ狂わせる存在などいはしなかったのだから。
 手放すなど、愚かなことだ。
 そのためにどうすればよいか。
 私は、時計に細工をすることにした。
 それができるのを待つ間、私は考えていたのだ。



 ドラマの視察を打診した。断られるわけがあるはずもない。
 そうして、私は郁也と再会したのだ。
 わずかに三日会わなかっただけで、私は郁也に飢えていた。
 それを実感したのは、郁也の姿を見た刹那だった。
 見逃すつもりも手放すつもりもありはしないのだと。私は私の思いを知らしめるために場所を鑑みることもなく郁也に性的なくちづけを与えた。
 久しぶりの郁也のくちびるは、甘いコーヒーの味がした。
 


start 10:00 2009/09/26
up 17:33 2009/09/26



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