キメラ





 それは、冬の雨。寒い夜のことだった。


"Yes,sir."
 大佐の命令に、敬礼で返す。
 これも仕事だと、思ってはみるものの、この命令には少しばかり、心が重い。
 内容自体はいたって簡単だし、楽なものだ。
 そう、所謂、お使いってヤツだな。
 俺、ジャン・ハボック少尉に命じられたのは、某国家錬金術師の家に、査定間近と告げるだけの、至って簡単極まりないものだった。
 ただ、あそこの家の、ちっこい女の子の笑顔に、弱いってだけの理由で、気が重いのだ。
 父親と広い家に、たったふたり(アレクサンダーとかって犬もいるけどな)で暮らしてる。
 玄関に出てくるのは、研究に没頭してる父親じゃなく、当然その子だったりする。
 大きな犬といつも一緒に、ほんの少しだけ寂しそうな期待してるような、そんな表情が、はにかみがちの笑顔の奥にちらついている。
 歳は、三つか四つってところだろうか。
 名前は、たしか、ニーナ・タッカーといったはずだ。
 以前、あんまりからだに悪いと大佐に言われつづけた挙句、禁煙しようかって気分になったことがある。そん時、同僚のブレダの勧めで飴玉をポケットに忍ばせていた。まぁ、すぐにやめたがな。で、だ、玄関の段差にしょんぼりと腰掛けていたニーナに、飴玉をやって、頭を撫でてしまったんだよな。
 ―――あれは、マズった。
 情がうつっちまう。
 人間ってーのは不思議だ。皮膚感覚にめちゃくちゃ弱いんだよな。
 一度触れてしまうと、次から、無視できなくなる。
 なんとなく気になって、通勤のルートに、タッカー家の前を入れてしまうくらいには――だ。
 朝、新聞や牛乳を、小さな両手いっぱいに抱えてるニーナに挨拶するのが、俺の朝の日課になっていた。
 で、なんで気が重いかっつーと、報告に行くと、ニーナが俺を引き止めたいのを一生懸命我慢してるのを見ちまうわけで、それが、辛いというか、後ろ髪を引くというか。
 ま、言ってしまえば、きわめて個人的な理由でしかないんだがな。
 ―――――でも、ま、今回はそれもないかな。と、少々寂しく思い直す俺だった。
 なんたって、今回は、エドとアルとがタッカー家に滞在中なのだ。きっと、調べ物のあいまにかまってもらって、お嬢ちゃんはご機嫌だろう。
 そうして、俺の予感は、見事に的中したのだった。

 ほのぼのと司令部に戻ることができた俺は、まさか数日後、あんなことが起きるなんて、思ってもみなかったのである。


 雨が降っている。
 冷たく寂しい、夜の雨だ。


 バスク・グラン准将とその部下に、タッカーとキメラとが連行されてゆく。
 エドの錬成で護送車が倒れ、キメラが逃走した時、俺はひそかにその後をつけた。
 気になって、成り行きを見守っていたんだ。
 あの小さなニーナと、その守護者のようなアレクサンダーが、よりによって実の父親に合成されるだなんて、誰が信じたいだろう。しかし、それが、まぎれもない真実だった。
 今、俺の目の前には、スカーと呼ばれている指名手配の男と、キメラとが、いる。
 男の手が、キメラの頭にのせられる。
 男が、神の名を唱え終えようとした刹那、俺は、叫んでいた。
「止めろっ、xxxx!」
 呆然と、男が、俺を見た。
「今、………今、俺をなんと呼んだのだ?」
 しまった―――後悔は、文字通り遅すぎた。
「その名――を、なぜ、おまえが知っている」
 男の手が、ニーナの頭の上から、離れた。
「ニーナ、おいで………」
 俺と男とを見比べて、ニーナが、しゃがむ俺の横に来た。
「もう恐くないからな。いい子だ」
「なぜ、きさまが、捨て去った俺の名を知っている―――――答えろ」
 xxxxが、じれて、叫んだ。
 答えるかどうするか、俺は逡巡した。
 言ったところで、今夜は新月ではない。今日の俺は、ジャン・ハボック少尉のままなのだ。信じはしないだろう。それに、もし、xxxxが信じたとして、このタイミングで俺の正体をばらしてもいいものか。後々の、俺の計画に、障りがでないだろうか。
 悩んでいる俺と、今にも掴みかからんばかりのxxxxの間に、
「オレが、教えたんだよね〜」
と、少年の声が降ってきた。同時に俺の前に背中を見せて立ったのは、
「エンヴィ」
 反射的に叫んだ俺に振り返って、立てた人差し指を振るのは、いつもの少年の姿。
 エンヴィを見て、xxxxの赤い目が、大きく見開かれた。
「きさま……ホムンクルス!」
 ふたりは、顔を見知っていたらしい。
「きさまっ」
 xxxxが、エンヴィに襲い掛かろうとして、
「ちょーっと、ここでそれは、マズイんだよね〜」
と、逆に押さえ込まれた。
「ジーナ。おまえはそのキメラを連れて家に帰ってなさい」
 くれぐれも鋼のや軍部に見つからないよーに。まるで保護者のようにそう念を押して、クッと口角をもたげたふてぶてしい笑みを貼りつけた。
 俺は、わかった――と、答えるよりなかった。
「ジーナ………? まさか」
 xxxxがつぶやく声が聞こえたような気がしたが、俺は、振り返らなかった。

 その後、彼らの間になにがあったのか、俺は、知らない。

 俺が家に帰りついた時、既にエンヴィが居間のソファでくつろいでいた。
「やあ、遅かったね」
 笑うエンヴィはいつもと変わらない。
 ニーナが少し怯えた気配を見せたので、
「大丈夫だよ」
と、胴を軽く叩いてやった。雨に濡れたからだを拭い、居間の隣のキッチンで、ニーナが食べられそうなものを見繕った。皿にもったそれを床に置いて、
「お食べ」
 そう言うと、少し首をかしげた。
 ニーナのものである名残の金の色が、さらさらと揺れて、悲しい。
 やがて、低い声が、ぎこちなく、
「いただきます」
を、綴った。
 俺は、自分とエンヴィの分に残しておいたチーズやサラミ、それにワインを持って、居間に引き返した。
「やるかい?」
「赤だったら、もらおっかな」
「オッケー」
 悪酔いしそうだったが、アルコールが欲しかった。エンヴィがいるならビールよりワインだろうと、赤を選んで正解だったらしい。
「この色――」
 クスクスと、グラスを照明にかざしてエンヴィが笑う。
 俺はそんなエンヴィを眺めながら、チーズを一口ほおばった。
 ワインをあおり、ぼんやりと天井を見上げた。
 カシカシと床に爪の触れる音がして、ニーナが居間に入ってきた。
「おいで――――」
 ソファの横を軽く叩くと、俺の膝に頭を乗せて、寝そべってきた。
 さらさらの髪といくぶんこわめの体毛を撫でながら、俺は、これは正しいことだったのだろうか、との疑問に苛まれていた。
 xxxxのように、天に帰してやることのほうが、実はニーナにとってもアレクサンダーにとっても、幸福だったのではないか。
 死にたい――と、ひとことだけ喋って自殺したという、キメラの話を思い出していた。
 しかし、目の前に死にかけているものがいて、助けない人間なんて、いないだろう。たとえ、職業軍人であっても、ここは、今は、戦場ではない。
 喉の奥で笑うエンヴィに、俺の思考は、中断された。
「?」
「ほんと、おまえってば、楽しい玩具(おもちゃ)だよね」
「玩具―――まぁ、否定はしませんけど」
「で、玩具が玩具を助けて、どうするつもりなのかな? それは、もう、分離できないよ」
「できない?」
「無理」
「エンヴィにも?」
「ぜーんぜんっ」
 心の片隅に、エンヴィならもしかして――などという甘い考えがまったくなかったとは、言わない。
 がっくりとうなだれた俺の顔を面白そうにのぞきこんで、
「オレがそんなに万能だったらよかったんだけどねー。このキメラ、多分、失敗作だと思うよ。時が経つにつれて、ただの犬と変わらなくなるかもしれないよ」
「なっ」
 あまりのことに、俺はことばに詰まった。
 寂しくて、辛い思いをして、殺されかけて、あげく、待っているのが、そんな未来だなんて……。
「犬と変わらなくなるほうが、こうなってしまったこの子にとっちゃ幸せかもしんないけどね」
 これは、感傷かもしれない。それでも、やはり、小さな女の子と犬にとって、それは、過酷過ぎる運命に思えてならなかったのだ。
 暗澹とした気分になった俺の頭を、エンヴィが抱きしめた。
「ジーナ。今からでも遅くない。オレが、やさしく殺してあげようか」
 エンヴィのささやきが、俺の心に染みてゆく。
 けれど、
「いや、いい。俺が面倒を見る―――いいだろう?」
 俺の口をついて出たのは、そんなことばだった。
 抱擁を解いたエンヴィの、縦長の瞳孔が、細く細く収縮して、俺の目の前にある。
「オレは別に、かまわないけどね。けど、こんなことが、しにくくなるかな」
 悪戯そうな声でエンヴィがそう言った次の瞬間、彼のくちびるが、俺のに重なった。
 少しずつ、体重をかけてくるエンヴィに、俺は、抗うすべをもっていない。


 うっとりと俺が目を閉じる寸前、ニーナが顔を上げて俺たちを見たのが、視界の隅に映っていた。





おわり

up 22:16 2004/06/16

あとがき
 偽善的内容です。う〜ん。なんか思いついて、書いてしまいまし
た。
 自分でもわかってるんですけどね。こういう感じだったらどうか
なぁと。
 アニメバージョンも原作バージョンも、ごっちゃ混ぜですが……。
 少しでも楽しんでいただけると嬉しいです。

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