いたづら





「ねぇ、少尉〜」
 ハボックが斜め後ろから呼びかけられて、見上げると、赤い顔をした、少年のとろんとした顔が すぐ目の前にあった。
「おいおい。大将、酒飲んじまったのか?」
 見れば、エドワード・エルリックが、右手に彼の瞳と同色の液体の入ったグラスを持って、彼の 足元に腰を下ろすところだった。へたり、と、腰が抜けたように、カーペットの上にへたり込む。
「うん。ふわふわすんね」
 赤く染まった顔が、彼を年よりも幼く見せている。
 首に伸びてきた手が、するりと、蛇のようにハボックを抱き寄せようとした時、
「こらこら、鋼の。少尉は、わ・た・し・の! だ」
 それまで黙ってエドワードの好きにさせていた、ロイ・マスタング大佐が、制止する。
 マスタングは、ハボックのすぐ隣で、彼にもたれるようにして酒を飲んでいたのだが、それをするり と無視してのエドワードの暴挙は、さすがに、これ以上許すことができなかったらしい。
「あのですね………」
 ハボックが、ひとり、脱力する。

 ここは、ハボック少尉の下宿である。
 マスタングが、不意に訪ねてきて少したったころ、エドワードもまた、珍しくひとりで、訪ねて来た のだ。
 ふたりとも、ハボックの顔を見るなり言ったのは、
「何か食わせてくれ」
「少尉、なんか食べさせて」
 だった。
 まぁ、一人で食べるより、二人三人と、大人数で食べるほうが、飯は美味い。ちょうど、作って いたのがシチューだったこともある。作り置きしておこうと、寸胴鍋に七分目ほどあるから、充分 足りるだろう。あとは、サラダでも作れば、オッケーだと、野菜籠から、たまねぎとジャガイモ、冷蔵 庫から、レタスときゅうりを取り出した。
 そうして、三人での夕飯を終えた後、エドワードにはカフェ・オ・レ、自分と大佐とにはアルコー ルを準備して、リビングで和んでいたのだった。

 なんというか、大佐からアプローチらしいものを受けている自覚はあるが、そういう意味で、大佐 を好きなわけではない。
 そのうち、振り向かせてあげよう――などと、余裕でウィンクされても、正直、嬉しくはない。
 自分の性癖は、きわめてノーマルだという自覚のあるハボックであるのだが、このところ、この、 年の割には小さくて、見てくれからは信じられないくらいの重責を背負っている、国家錬金術師 までもが、好きだといってきて、憚らないのだ。
 ふたりとも、自信家なところが似ているらしく、ストレートに、ダイレクトに、あたりを気にすること なく主張してくれるものだから、
(そのうち肺じゃなく胃に穴が開きそうだな)
と、ハボックは嘯くのだった。
 断っても諦めないのだから、嘯くしかないだろう。うつろな笑いが、頬の辺りに貼りついて、そのう ち顔面神経痛でも患ってしまいそうだ。
 ふたりが言い合っているのをぼんやりと、眺めるともなく見ていたハボックは、いつの間にか半分 寝ていたらしい。
 膝に感じた衝撃に我に返った。
 見れば、エドワードが、ハボックの膝に頭を乗せて、眠り込んでいる。
「おやおや……」
 マスタングが、肩を竦めて、エドワードの頬を、素手の指先で突っついた。
 小さな吐息をたてて、エドワードが、マスタングの手を振り払う。しかし、起きる気配はなかった 。
「大将、おい。寝るんだったら、俺のベットを提供するから」
 肩をゆするものの、眉間に皺を寄せるだけだ。
 ハボックは天井を見上げて、
「どーしましょーっかねぇ」
 独り語ちた。
「狸寝入りかもしれないな」
 ふっふっふと、笑いながら、エドワードを見下ろすマスタングの視線は、シビアだ。
「まさか」
 言下に気って捨てたハボックの顎に手を伸ばして、
「それはどうかな」
と、言い抜きざま、
「!」
 ハボックのくちびるに、くちづける。
 思いも寄らなかったタイミングのせいで硬直したハボックが、マスタングを引き離すよりも早く、
「大佐ーっ!」
 錬成の光と、高いトーンの恫喝とが、部屋を満たした。
「ほらな」
 得意そうにマスタングが頷く。しかし、エドワードの錬成した鎖でぐるぐるまきにされている状況 では、あまり格好よいとはいえないだろう。
「なにが、ほらな、ですか」
 平常心を取り戻したハボックが、大差を見下ろして、溜息をついた。
「大将も。ほら、俺の部屋を壊さないでくれよな」
 元に戻して――と言うと、恨みがましげなまなざしが、ねめつけるように見上げてきた。
「………した」
「はい?」
「大佐にだけ……したっ! オレだって、少尉にキスしてほしい」
「っ!」
 脱力するとは、このことだろう。
「するんじゃないぞ、ハボック」
 ぐるぐる巻きにされたままで、上司が叫ぶ。
「少尉」
 見上げてくる少年が、飼い主に捨てられそうな犬に見えて、ハボックは、とりあえず、喚く上司 を頭の中から追い出した。
「あのなぁ」
 ぽりぽりと頭を掻きながら、
(泣く子と上司には勝てないってか)
 すっと、上半身をかがめて、触れるだけのくちづけをしたのだった。
「ハボックゥ」
「いいか、今回だけだぞ」
 上司の情けない叫びを無視して念を押すと、こくこくと、壊れた首振り人形のように、エドワー ドが、首を振る。
「それじゃ、もう、大将は寝るんだぞ」
 そう言って、ベッドルームに押しやった。
 音たててドアが閉まる。
 振り返ったハボックの目の前に、いつの間にか鎖を解いた、マスタングが立っていた。
「ソファで申訳ありませんが、大佐ももう寝てくださいね」
 こちらもまた首を振るマスタングに、収納棚からタオルケットを取り出して、ハボックは渡した。 にっこりと微笑んでいるハボックが実は怒っているのだと、その緑の瞳が色薄くなっていることに気 づいたマスタングは、
「ハボックゥ………」
「自業自得っすよ。大佐があんなことしなけりゃ、大将も煽られることなかったんです」
 とりあえず、滂沱と流れている涙は見なかったことにして、ハボックは、テーブルの上を片付けた のだ。



おわり

from 20:38 2004/07/31
up 21:32 2004/07/31


あとがき
 落ちてませんね。
 微妙ですが、少しでも楽しんでいただけると嬉しいです。

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