心地好く秘密めいたところ 3



 あれは、とても印象的な光景だった――と、何度も反芻した出来事を、彼はまた 脳の中によみがえらせた。
 そう、あまり人中にいたくなくて、わざわざ選んだ寒い夜。散歩をしていたあの公園で のことだ。
 突然、
「やべっ」
と、男の声が、耳を射た。
 ひとがいたことに慌てて木陰に身を隠し、彼は、信じられない光景を見ることになっ たのだ。
 よくよく考えれば、木陰にいたのだから、わざわざ繁みに隠れなくてもよかったのだが 、それは、とっさの反応だった。
 もっとも、だからこそ、あの光景を見ることができたのだ。
 ぼんやりとした夜間照明の光があますところなく照らしたのは、一人の青年仕官が 身を翻し、偶然彼が隠れたのと同じ方向の繁みに飛び込んだ、その瞬間だった。
 懐かしく、同時に、忌々しい青の軍服が、彼の心臓に厭な鼓動を刻ませた。
 苦しげに、全身を縮こまらせて呻く青年を、彼は、声もなく眺めていた。
 助けなければ―――そう思いはしても、フラッシュ・バックする過去が全身を縛め、 容易に動くことができなかった。
 凝視しつづける彼の視線の先で、それは、起こった。
 ぐっ―――――と、喉にこもる呻きの後に、青年の全身が大きく脈動したのが、 見えた。そうして、みるみる青年将校の姿は、小さくなっていったのだ。
 その姿―――――  繁みにさえぎられたわずかばかりの照明に照らされたのは、すらりとスタイルのよい、 女性。
『アルジェナ………』
 十年前の内乱で失われた恋人の名を、彼は音もなくつぶやいていた。



 あの内乱のさなか、彼とは別の救護班に属していた女性看護兵、アルジェナ・エイ ブ班長は、イシュヴァールとの混血だった。
 だからか、殲滅の様相を呈してきたあの悪夢の戦場で、敵味方の区別のない、そ の毅然と秀でた姿は、こと味方には不評であった。
 もっとも、彼は、彼の同僚の下に配属された彼女を初めて見た瞬間に、『見つけた 』と、そう思っていたのだ。
 恋に、理由など必要ない。
 ただ、彼女だ―――と、そう直感したに過ぎなかった。
 彼女へのあまりの風当たりのきつさに、彼は、同僚と話をつけ、彼女を自分の下に 引き抜いた。
 そう。それは、叶えられたのだ。
 ただ、それと同じ日に、彼女が、戦場で傷付いたこどもを見つけ、駆け出す直前ま では。彼は、あの狂気にみちた戦場で、わずかばかりの憩いに胸をときめかせていたの だった。
 制止しようと伸ばした手は、空を掻いた。
 直後、戦場は、まばゆい光に包まれた。
 目を潰すほどの光が消えた後、その場に、生あるものは、いなかった。
 ぎりぎりの境界線に、彼は、立っていた。後一歩、後一歩踏み込んでいれば、彼は 、アルジェナと同じ運命をたどっていたに違いない。
 一瞬遅れて、彼の足元には、疾うに慣れてしまったおぞましい音を立てて落ちてき たそれが、転がっていた。
 それが、アルジェナ・エイブの、彼が愛した女性の右腕だと気がつくまで、彼は、ただ 呆然と、足元を、足元に転がる褐色の細い腕を、凝視しつづけていたのだ。



 イシュヴァールとの混血に特有の、美しい褐色の、肌。
 なぜだか、乏しい光源に、それが見て取れた。
 肌理(きめ)の細やかな、なめらかな手触りが、掌によみがえる。
 ――――――欲しい。
 心の底に凍えたはずの渇望が、ふつりと、彼の喉元まで、沸きあがって爆(は)ぜた 。



 ―――ああ、またあの視線だ。
 敵意、もしくは殺意など、微塵も感じられない、視線である。
 しかし、それは、気がつけば薄紗のように、ハボックの全身に絡み付いてくるのだった 。


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from 12:49 2004/04/11
up 18:59 2004/04/24

あとがき

 前回がいくらなんでも極道すぎかなと、アップ。これ以後は、実は、まだ。精進します。はい。
 ハボさんが最後にしか出てませんが、ご容赦願います。
 少しでも、楽しいと思ってくれると嬉しいのですが、微妙すぎですね。
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