ラプソディ イン ブルー




「え〜と。親父どの、何を言ってっか、自分で判ってる?」
 ひよこのような黄色い髪を掻きまわしながら、背の高い青年が、自分よりも背の低い父親を見下ろしている。
 場所は、居間。それも、数ある居間のひとつといったところだろう。おそらく、常には使われていない部屋であるらしく見受けられる。やや埃っぽい室内に据えられている家具調度は、どれもが粋を凝らした年代ものばかりだ。
「わかっているとも」
 精一杯胸を張って、自分よりも高い位置にある息子の顔を、父親が見上げる。
「それって」
「みなまで言うな」
 再び口を開いた息子に、
「ジャン、私だとて、辛いのだ。しかし、しかしだ。こうでもしなければ、我が家の領地は、すべて、あの評判の悪い外国人に奪われてしまうことになる。そうなれば、苦しむのは、領民たちなのだぞ」
「だからってねぇ」
 家を傾けた張本人に、諭される謂われはないと思うが、それでも、領民たちが苦しむだろうことは、事実だった。
「財政建て直しは、望むところですが、そのために、実の子を、売りますか」
 煙草の煙を肺腑まで吸い込み、ジャン・ハボックは、一息に吐き出した。
 勢いよく、紫煙が、居間の高い天井へと密度を薄くしながら広がってゆく。
「家のため。ひいては、領地、領民のためだ。我慢してくれ、ジャン」
「あんたが行けばいいでしょう。どうせ、借金は全部あんたが賭け事に手を出したせいなんだし」
「父親に向かって、なんて口の利き方だ!」
 振り上げた手を、軽くいなしながら、
「その父親が、自分のこどもに何を強いているか、あんた、理解してます?」
 煙草を灰皿でもみ消し、ジャンが、ソファに座った。
「……わかっているとも」
「そうっすか。じゃあ、姉上が、家出をしなければならなかった理由も、わかってらっしゃいますね。………からだの弱い姉上が、行方知れずだなんてまったく。学校から呼び戻されるまで、知りませんでしたよ、オレは! まさか、こんな羽目にならなければ、オレには知らさないままだったんじゃないでしょうね」
 これに、ギクリと父親がからだを竦めるのを見て、ジャンは深いため息をついた。
「探させてるんでしょうね」
「もちろんだ」
「オレが探したいくらいなんすけど」
「駄目だ! ジョーゼフィンは、ちゃんとプロに命じて探させている。おまえには、ジョーゼフィンを探すよりも大切な用がある」
「オレは、そんな七面倒な役目はごめんです。だいたい、相手が騙されるわけないっしょーが」
 足を組み、尻ポケットから、潰れたパッケージを引きずり出す。
 よれよれの最後の一本を咥え、ハボックは、マッチを擦った。
「いや。あれはおまえとよく似ている。向こうも、あれに会ったのは、半月前の夜会で一度だけというていどに過ぎん。あの夜会には、おまえも出席しとったはずだぞ」
「いや。だから、オレが言いたいのは、そーゆーことじゃなくってですね」
「ともあれ、ジャン。おまえは、明日、私と一緒に、向こうに会いに行くのだ。これは、当主の決定だ」
 父親の振り上げた拳を潰してやれたら爽快だろうなぁと、胡乱な空想をしながらも、いっちゃってる父親の視線に、ジャンは、肩を落としたのだった。


「だからって、こんな格好ヤっすよ」
 鏡に映った自分の全身を見ないようにしながら、ジャンがぼやいた。
「何を言う。おまえは、ジョーゼフィンの身代わりなのだぞ」
 だから、その設定自体、無理なんですって。
 ジョーゼフィン――頭二つは背の低い双子の姉を思い浮かべながら、ジャンは天井を仰いだ。
 領地から一日ほど汽車に揺られて着いた都市、その格式高いホテルの一室で、ジャンは、目を眇めて鏡の中の自分と対峙していた。
 ベネチアレースをふんだんに使った、アール・ヌーボー・スタイルのドレスは、裁断の妙もあるのだろうが、お針子たちの腕の冴えもあるのだろうが、ジャンの男らしいからだのラインを見事に隠している。その上に、毛皮のコートを着込めば、とりあえず、黙って立ってさえいれば、付け髪をつけられたことだし、化粧までされているから、どうにか誤魔化せるかもしれない。背の高さはいかんともしがたいが、声の質も男でしかないのだが。
(ううう……何の因果で、オレがこんなかっこーを…………それもこれも、このバカ親父のせいだっ)
 握り締めた拳を、父親の頭に振り下ろしたい衝動を必死で堪えながら、鏡台の上に出しっぱなしにしておいた煙草に手を伸ばした。
 と、
「これは、預かる」
 素早く伸びた手が、煙草とマッチとを取り上げた。
「淑女が、煙草のにおいをまとわりつかせているわけにもいかんだろう」
「くそ親父」
 ぼそりとつぶやかずにはいられなかった。


 父親がホテルの部屋を出て行った後、ジャンは、ソファーにどっかりと腰を下ろし、足を行儀悪く組んだ上に、あまつさえ、腕組みをした。
 どんなやつが来るのか―――それが、気になった。それに、気になるといえば、こちらのほうがいっそう気になってたまらないのだが、姉の行方である。一年のほとんどを部屋で過ごすからだの弱い姉が、家を出てゆくほど、切羽詰った理由である。
 相手は、よほど厭なヤツなのかも知れない。
 穏やかでやさしく、笑みを絶やさない姉に嫌われる男――――それが、ジャンの想像を越えるのだった。
 半月前の夜会で姉を見かけた――と、父は言った。
 半月前の夜会というと、まだ休暇中だったから、珍しく気分がいいという姉と一緒に出かけた、G公爵主催のあれのことだろう。
(んな男、いたっけか?)
 首を捻る。
 楽団の奏でるワルツの音色。上等な料理に酒煙草。光を弾くシャンデリア、紳士淑女の燻らせる化粧や香水や酒、煙草のかおり。シルクサテンのつややかな光。ささやき交わす会話に、意味ありげな目交(めま)ぜ。
 気だるい時間の流れの最中に、ゆるやかなワルツを一曲だけ姉の相手をして踊った。あとは、ふたりで壁の花を決め込んだ。酒と料理を適当に手にして、庭に出た。
 東洋風の紙製のランタンがつるされた、オレンジ色に照らされた庭は、まだ寒くもなく、かえって心地好いほどで、姉も、咳き込むことはなかった。
 そういえば、もうそろそろ暇乞いでもしようかと、帰る段になってから、姉がイヤリングの片方がないことに気づいた。
 探してこよう。かまわない。そんなささやかなやりとりの後で、結局自分は姉を置いて、イヤリングを探しに行ったのだ。
 姉をひとりきりにしたのは、
「ふん。あの時か」
 なら、自分が知らなくても仕方はない。
「おっせーな」
 伸びをしたときだった。
 ノックの音が二回。
 いよいよだと、ジャンは、唾を飲み込んだ。
 返事をしては男とばれてしまう。顔を引き攣らせて、ジャンは、ドアに近づいた。


 切れ長の黒い瞳と同色の黒い髪、名をロイ・マスタングという、遠い新大陸からやってきた富豪を、ジャンは、見下ろした。
 はじめまして。
 お目にかかれて光栄です。
 やわらかなトーンの声が、見上げてくるまなざしが、ジャンの背中に粟を生じさせた。
 自分が求婚しにやってきた相手に見下ろされながら、それでも、怯まずに、にこやかな笑みをたたえるロイ・マスタングを、とりあえず、ジャンは室内に通した。
 さっきまで自分が座っていたソファを無言で勧め、ジャンは、紅茶を淹れようとマスタングから離れようとした。
 しかし、
「なにをっ!」
 取られてくちづけられた手を、咄嗟に引き、口元を押さえた。
 やばい。
 まずい。
 口を利けば、一発で男とばれる。
 内心の焦りは、しかし、杞憂に終わったらしかった。
「しつれい。あなたがあまりに美しいものですから」
 歯が浮くどころか、溶けてしまいそうな台詞に、全身に鳥肌が立った。
(め、目が悪りーのか)
 喚きたかったが、首を横に振るだけにとどめて、我慢した。
「シャイなかただ」
 笑みは、女性相手なら、効果覿面に違いない。しかし、自分は、女装をしているとはいえ、男なのだ。効き目は、ない。どころか、逆効果だ。
  (いかん。こいつ、プレーボーイだ。こんなヤツに、ジョーゼフィンをやれるもんか)
 いくら領民のためとはいえ、ジョーゼフィンを泣かせる手伝いなど、したくはない。
(この見合い、ぶっ壊してやる)
 くるりと背を向け、拳を握り締めたジャンは、マスタングの口元に刻まれた意味ありげな笑みに、気づかなかった。


 見合いを壊すと決意したものの、同時にジョーゼフィンの名誉を傷つけるわけにはゆかない。
 散策に誘われたのをいいことに、何かないかと、頭を巡らせる。
 女性の前で醜態をさらしてしまえば、すかしたプレイボーイなら逃げるだろう。安直に考えて、行動に移してみたのだが、どれもこれもが、逆に、自分に跳ね返ってくる始末だ。
 それを見て、マスタングは、微笑む。それも、上品に、周囲の女性の視線を集めて、笑うのだ。
(せ、せーかく悪)
 目の前に差し出された手を睨んで、ジャンは、ため息をついた。
「いつまでも床に座り込んでいると、冷えますよ」
(こいつ、楽しんでやがる!)
 楽しげな声に、直観した。
 知っているのだ。自分がこの見合いをぶっ壊そうと、相手の醜態を誘っているのを知っていてぎりぎりでかわしては、逆に自分の醜態を楽しんでいる。
(こんなヤツに、絶対、ジョーゼフィンをやれるもんか!)
 決意を新たに、マスタングの手を力任せに握った。


 何かないか――と、周囲を見渡す。
 和やかな、午後の公園は、小春日和の心地好さだ。
 池のほとりでは、子供たちが白鳥を相手にパン屑を投げているし、それを見て微笑んでいるカップルもいる。犬の散歩や、乗馬のついでと足を伸ばしたのだろう、紳士淑女がさんざめく。
「まだ、懲りませんか?」
 こそりと囁かれ、ジャンは、頭半分は背の低いマスタングを見下ろした。
 にやりと笑う不敵な面構えに、
「あんたが、この求婚を取りやめるまでは、懲りないな」
 誘われるように、口をすべらせていた。
 口を押さえても、もう遅い。
 しっかり地声で、凄んだのだ。
 これでは、自分が男だと、ばればれだ。
 クックック………と、噛み殺しそこねたのだろう笑い声が、次第に大きくなってゆく。
「やっと、口を利いてくれましたね。ジャン!」
 ひときわ大きく笑った後、がらりと真顔に変わって、マスタングが、ジャンを見上げた。
 笑いの名残できらりと輝く黒いまなざしに、ジャンの青い瞳が、惹きこまれそうになる。
 しかし、ジャンは、マスタングのことばに引っかかるものを感じていた。
 ジョーゼフィンでも、レイディでもなかった。今、彼は、確かに、自分のことを、
「きったねー」
「何がです」
「やっぱり、知ってやがったな」
「なにをです?」
「………」
「君がジョーゼフィンの身代わりだということを? この私に恥を掻かせようと悪戦苦闘していたということ? それとも、君が、男だということをかな、ジャン・ハボック」
 そこまで知られていたのなら、今までオレがやってたことって何よ。
 やさぐれた双眸で、ジャンは、マスタングを見据えた。
 それを受けて、マスタングは、引く気配を見せない。
「いい性格してますね」
 他には何も思いつかないジャン・ハボックだった。



「それで、あなたは、実物もお気に召されたのかしら」
 薄暗がりの中、ほのかな花の香がみちている。
 はかなげな声が、今にも消え行きそうだ。
「とても」
「そう」
「悪いひとですね」
「ええ。わたしは、あの子とは違う。あの子は、明るい、太陽の下がよく似合うけれど、わたしには、暗い、月の影こそがふさわしい。わたしは、わたしの望みを叶えるためなら、あの子を売ることだって、厭わない」
 硫黄の匂いがして、燐寸に火がともった。
 蝋燭に火が移され、照らし出された室内には、ひとりの女性と男性の姿がある。
「それで、あなたの望みは、叶うのですか」
 黒髪の男が、ベッドに横たわる金髪の女性を、見下ろした。
「ええ。わたしの望み、それは、あの子に一目惚れなさったあなたの妻になること」
 ジャン・ハボックによく似た女性が、ほんのりと、微笑んだ。
「悪い話ではないでしょう。わたしは、どうせ、もう、そう、長くは生きられない。だから、きっと、父は、身代わりのまま、わたしをあなたと結婚させるでしょう。―――父はそういうひとですもの。それが、わたしにもあなたにも、幸運を運ぶことになる。わたしは、ジャンとして、この世を去り、あなたは、わたしの名前の弟を妻に娶る。わたしの体が弱いことは、みんなが知っていることだから、こどもを生めなんて、ジャンに言うものはいない。入れ替わりは、完璧に終わる」
 長く話したことが辛いのか、枕に背もたれて、深く息を吐く。
「悪い話ではありませんね」
 ゆらめく蝋燭の明かりに照らされて、マスタングとジョーゼフィンの顔に、陰影が踊る。
「けれど、レイディ。あなたは、いったい誰を愛しておいでです」
 マスタングの問いに、ジョーゼフィンは、無言のまま、嫣然と、笑った。
 しばらくの静寂を破ったのは、マスタングだった。
「愚問のようですね。……それでは、契約を」
「ええ。契約の証を」
 蝋燭の炎が吹き消され、ギシリとベッドがきしんだ。後には、衣擦れの音と、あえかな、どちらのものとも判らない喘ぎだけが、暗い室内を彩った。




おわり

from 15:12 2005/01/10
up 10:31 2005/02/01

あとがき
 どこがハ〜レクィン・ヒストリカルなんだろうな、お話になってしまった。
 ハーレクィンなハボックんになりましたねxx 所謂、道化師というヤツで。愛されてこその道化師ですが、あいかわらず受難。ごめんね。
 影の主役は、ジョーゼフィンですねこれ。
 皆瀬さま、不良技師2号さまありがとうございます。こんなんでよければ、お持ち帰りしてやってください。
   少しでも、楽しんでもらえると嬉しいのですが、微妙かなぁ。
 

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