SALOME



 ヨカナーン。あたしはあんたにくちづけするよ――――


「ジャン」
 突然かけられた声に、俺――ジャン・ハボックは振り返り、そうして、硬直した。
「久しぶりね」
 そう嫣然と微笑んでいる、黒い髪の美女に、記憶はないはずだった。
 しかし、鼓動が、荒馬の暴走めいて、痛いほどに脈打つ。
 ガンガンガンと、こめかみが脈動する。
「あら、つれないわね。昔の恋人を忘れたの?」
「こ……いびと………?」
「まさか、あたしの名前まで忘れただなんて、言わせないわよ?」
 青くかすむ視界には、豊かに波打つ黒い髪……黒い瞳。白く豊満な胸元には、身食いする蛇の刻印。
「あ………ああああ!」
 その場に膝を折る。
 貧血の前哨の、青く染め上げられた視界には、見えるはずのない映像の断片が、万華鏡を覗いているかのように、次から次へと現れては消えてゆく。
 それは―――それは、俺の、失くしてしまったはずの、記憶だった。

 しとど落ちる、脂汗。

 心配そうに自分を見上げている、赤い瞳の少年は、

「XXXっ!」

 それは、狂人の記憶だった。狂人ゆえに、前後の脈絡は、ない。ただ、病み衰えた精神が、ありとあらゆるものを呪い、心の拠り所たるイシュヴァラすらをも否定した。否、むしろ、憎悪していた。
 止めようとする弟を振り切り、自分は、戦塵の只中へと、まさに身一つで入っていったのだ。
「御座(みくら)に神のおわしますなら彼女を、もどしたまえ! それがならぬなら、我を、殺したまえ。神よ、この世界にあまたおわします神々のうち、まこと唯一の、真の神と言われるなら、その証をこの身に! ただ一柱(ひとはしら)の、我らイシュヴァールの神よ」
 狂人の戯言をつぶやきながら激戦の只中をうろついた。
 身を守るものさえ持たず、身を守るつもりすらなかった。
 事実、瓦礫の下敷きとなった自分が死ぬのは、時間の問題だと思われた。
 そうして、再会したのだ。
 彼女と。
 目の前で失われた、最愛のひと。―――ラストと。
 死に直面した刹那の奇跡に、神を讃え、許しを請う自分を、ラストは感情のうかがえないまなざしで見下ろしていた。
 
 イシュヴァラは奇跡を起こしてみせたのではない。
 あれは、まがうことない、悪夢だった。

 気がついたとき、自分は、自分ではなくなっていた。
 金の髪、緑の目、白い肌。
 どうしたことだと、立ち上がろうとして、無様に寝台から転がり落ちた。
 近づいてくる複数の足音。
 顔を上げると、そこには、
「ラスト」
 しかし、そのまなざしは……愛を語り合った、あの、輝かしいばかりの光を宿したオニキスのまなざしは、深遠を見下ろすものの闇の色だった。
 そこで知らされた真実は、正気づいた自分を、再び狂気の淵へと突き落とすものだった。
 自分の研究が目的で近づいたのだ――と、ラストは、愛のことばをつむいだ同じくちびるで、切って捨てた。
 協力するなら、生かしておいてあげる。
 その姿は、近来まれに見る傑作だから、壊すには忍びないのだ――とも。
   ぐらぐらと思考がおぼつかない頭の中に、寂しいと言うなら、抱いてあげる――彼女のことばがいつまでもこだました。

 彼女に手を貸す――と、そう約束したふりをして、自分は、彼女たちから、逃げた。
 そうして、ふたたび、戦場をうろつく羽目になったのだ。


「ラスト」
「やっと呼んでくれたわね」
 白い顔が嫣然と微笑んだ。


 ずたずたに傷付き、ジャンという名前以外のすべての記憶すら失っていた自分を助けてくれたのは、あの悪夢の戦場に駆り出されていた、国家錬金術師、ロイ・マスタングだった。
 黒い髪、野望に輝くオニキスの瞳。
 彼に助けられ、自分は、いつしか、彼と恋仲になっていた。
 彼に名を呼ばれて、陶然となる自分。
 彼に触れられて、うっとりと、身をまかす。
 彼を、ロイを、愛している。


「そう………残念ね」  ラストがつぶやいたと同時に、ひやりと冷たいものが、俺の腹を貫いた。
 即座に灼熱に変わったそれが、ラストの仕業だと気づいたときには、遅かった。
 薄れてゆく意識のなか、愛してる―――と、ラストの声を聞いたような気がしたが、それは、俺の、最後の未練だったのかもしれない。

 ひんやりとしたものをくちびるに感じながら、俺は、意識を手放したのだ。

End
up 2004/05/19(20:37 2004/04/14〜21:39 2004/04/14)

あとがき

 日記に書いたSS『サロメ』…相変わらずなんてタイトル…は、そのうち、仕立て直そうと思ってたんですけど、今気力が……なので、元のままアップ。
 ほんとは、記憶喪失のハボさん妄想を『サロメ』に組み込んじゃおうかなと思ってたんですが。
 ロイさんに助けられるわけですね。お約束♪ でもって、ロイさんに依存しちゃうんですよ。そんな自分に気がついて、ロイさんから自立して、ロイさんのためになりたいと、奮起しちゃうハボさん。そんな話を妄想してましたので、なんか、しっくり合いそうです。う〜ん。

 『サロメ』は、このままじゃ死にネタっぽいですね〜。そんなつもりはないんですが。ついつい、あちこちで読んじゃった、ネタバレのようなネタバレでないような本誌5月号の感想から、妄想が暴走したブツなんで、微妙かな。
 詳しくは書きませんでしたけど、バレバレだなとは思いますが。実はハボさんがスカーさんのお兄さんだったりしたら………なんて、めちゃくちゃとっぴな発想だったりもします。← アニメ版だとオッケーかもしらん。晩のメニュー、てんぷらを揚げてるときから萌えて萌えて(あぶないxx)、早く書きたいと思っちゃってたんですね。早書きだから、荒いです。読み直して、笑いましたもんvv
 そのうち本編を書きたくなるといいな。
 少しでも楽しんでください。

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