秋 祭






「おまえ、だれ?」
 不意にかけられた声に、オレは焦った。
 広い屋敷の、庭の隅、土蔵の近くだ。
 焦って振り返って、そこに立っているガキんちょに、頬が弛んだ。
「なんだ、健悟じゃないか。七五三か?」
 だから、そんな軽口をきいてしまった。
 紋付袴姿の、五才の男の子、それが、この家の一人息子、健悟だ。
 健悟が、オレのことなんか知らないってことを、オレは、まるっと忘れてたんだ。
「おまえ、だれ?」
 再度の詰問口調に、オレは、自分がしでかしたことに気づいた。
 まぁ、やっちゃいけねーこととかってわけじゃねーんだよ。ただ、説明が面倒だからなぁ。……世の中には、しらねぇほうが幸せなことがあるって、よく言うだろ。まぁ、健悟にとってオレって存在は、そういう類(たぐい)のもんなんだ。だから、こうして話したりしちゃまずいんだよな。それに、オレのほうにも、問題がある。
 ぽりぽりと頬を人差し指で掻きながら、
「はじめ」
 それだけを言って踵を返した。
 質問にはこたえてっだろ。
「まてって」
 健悟の喚き声が聞こえてはいたけど、オレは振り返らなかった。


「今日、男の子と喋りましたね」
 涼しげな声で、ヤツが、言う。
「ああ」
 隠したってしかたがない。ヤツは、知ってるんだからな。
「喋ったって言っても、ふたことみことだぜ」
 そう。たったそれだけなんだけどなぁ………。
「そうでしたね」
 ひんやりとした空気が、ヤツのまわりから消える。
 オレは、ほっと、安心した。
 あんだけのことで、酷い目にはあいたくない。
 どれだけたっても、はっきり言って、あれには慣れない。
 目の前の、金の目をした高遠には、慣れたけどな。
「はじめ………」
 名前を呼ばれただけで、背中がゾクゾクする。高遠の声には、そんな、蠱惑が潜んでる。
 吐息を吸い取られるように、くちづけられて、オレは、ただ、高遠を受け止めることだけに意識を集中する。
 こんな時他のことを考えてると、すぐにばれてしまう。そうして、高遠の行為が、酷いものに変わってしまうのだ。それだけは、イヤだ。だから、オレは、集中する。
 そんなオレの耳元で、高遠が笑う。
「いい子ですね。そう。君は、私のものなのですから、それを肝に銘じておきなさい。他のものになど意識を向けて御覧なさい。私はなにをするかわかりませんよ」
 知っているでしょう―――やさしげなトーンの声が、オレの記憶をくすぐる。
 それは、血の色をした、記憶だ。
「わ、かってる……だから」
「ええ。そう。はじめがいい子にしていれば、私は、誰にでも、やさしくなることができます。そう。私を閉じ込めているこの家の人間にでさえ、寛大になることができるのですから」
 高遠の白い手が、オレの弱点をもてあそぶ。
 オレの息はあがり、やがて、オレは、何も考えられなくなった。


「つまんね」
 結局高遠のヤツは、ふたことみこと健悟と喋っただけなのに、怒ってる。
 機嫌よさげだったのにな。
 今更だけど、我儘なヤツ。
 オレは、高遠のヤツに外出禁止を申し渡されてしまったのだ。
 外は、気持ちよさそうな、秋の午後。
 まだ白く開くには早い、ススキの野原が、見渡せる。
 彼方に見える、黒い林。
 子供たちの喚声が、遠く聞こえる。
 合間合間に、太鼓の音や笛の音。お囃子の音色が混ざっている。
(そっか……祭なんだ)
 懐かしさがこみあげてくる。
 高遠が閉じ込められているせいもあって、オレもまたそう出歩くことはできない。せいぜいが、この家の敷地内くらいだ。それも、あまり人目につかないように、気を使ってである。
(最後に行ったのって、いつだっけ?)
 思い返す。
 ゆらゆらと揺れる、奉納ちょうちんの灯。色んな屋台の客引きの声。境内での催し。オレの手を引いていたのは、あれは、
(おふくろ……だっけ)
 あの後、オレは、人買いに攫われたのだった。
(そっか、オレが攫われたのって、秋祭りだったんだな)
 あまりに遠い記憶は、霞がかって、とてつもなく不確かだ。泣き喚き逃げ出すオレを、連れ戻しては宥めすかしていた、案外ひとがよかったらしい人買いの記憶すら、すでに、あやふやで、思い出せもしない。
 オレがはっきりと思い出せるのは、はじめという名前と、なんでだか、高遠に会ってからあとの記憶ばかりだ。
 ちりちりと、部屋にぶら下がっている鈴が鳴る。
 高遠が呼んでいる。
 今日は、この家の主人が、高遠のところに来る予定の日で、だからオレは、ここでひとりぼんやりと外を眺めていたのだ。もともと、ぼんやりとすることが苦にならない性格だから、いいんだけどな。いざとなったら、寝ちまうし。
 よっこいしょ――と、掛け声をかけて立ち上がる。
 襖を開けると、高遠が、オレに気づいて手招きした。
「はじめ、こっちへ」
 清潔な客間には、さきほどまでいた、この家の主人の気配が残っている。
「ん」
 高遠の望みなどわかっているので、オレは、おとなしく、高遠の膝に、腰を下ろした。
 オレの胸元に腕を回して、高遠がオレを抱きしめる。
 肩に顎を乗せて、ゆらゆらと、オレを、揺らしはじめた。
 厭なことでもあったんだろう。
 たいてい、この家の主人が来た後は、高遠は、オレを抱きしめて、半分眠る。なぜ半分かというと、高遠の意識は、たいてい、いつも、半分目覚めているからだ。
 まぁ、こんなことで、高遠の気が休まるんなら、オレは、べつにかまわないんだが。
 線の細そうに見える高遠は、穏やかな気性だと勘違いされやすいが、その実どんだけ気性が激しいか、この家の主人もよく知っているのだろう。ここのところ、高遠の逆鱗に触れるようなことは、していないようだ。
 おかげで、オレも、助かる。
 高遠が一旦キれちまったら、オレにも宥めるのは難しいからだ。
 オレは、高遠に揺すられながら、全身の力を抜いて目を閉じた。
 どれくらいそうしていただろう。
「行きたいですか?」
 耳元で、高遠がささやいた。
「んー? どこへ?」
「秋祭りですよ」
 ここのところ、おとなしくしていたみたいですからね、退屈でしたでしょう。
 そう言って、高遠の過ぎる赤を宿したくちびるが、弧を描いた。
「そりゃ、行きたいけどさ………」
 一人で行っても、さして面白くないんだよな。
「私と一緒でも?」
 オレの心の声が聞こえてでもいたのだろうか。
「でも、おまえ、出られないだろ」
 オレがここに来てから、一度も、高遠は外には出ていない。彼自身も、閉じ込められていると言っているから、出られないと思っていた。
「奥の手が……ね」
 悪戯そうに笑ってみせた高遠は、やけに艶めいて見えた。


 そうして、オレたちは今、神社の参堂を歩いている。


 ゆらめく幾多の灯と、ひとのさんざめき。
 めちゃくちゃ久しぶりの感覚に、オレは、眩暈を起こしそうだった。
「はぐれますよ」
「へーきだって」
 強く手を握られて、なんだか恥ずかしい。
 あそこでは、そんなもんじゃないことが日常茶飯事なんだが、こんだけひとがいるところで男ふたりが仲良く手を繋ぐってーことは、すっごい非日常的な気がしてしかたがない。
 やけに、繋いだ手に意識が集中する。
「誰も気にしてやいませんよ」
 おだやかな高遠。
 それだけで、オレは、なんだか、幸せな気がしてならない。
「あ、あれ、美味そう」
 胸の奥がくすぐったくて、オレは、ちょうど鼻先を掠めた食い物の匂いに、これ幸いと、反応した。
 じゅうじゅうと音をたてて焼けている、満月のような、食べ物に、黒っぽい褐色のとろとろした液体がかけられ、こげた匂いを周囲に振りまいている。
「はい。ひとつね」
 屋台のオヤジから受け取ったオレがかぶりつこうとした時だった。
「あっ! はじめっ」
 甲高い少年の声が、耳に突き刺さった。
 この声には記憶がある。
 振り向いたオレは、そこに、年配の女性に手を引かれた健悟を見つけた。
 なんとなく、やばい――と、そう、思った。
「いてっ」
 高遠の手が、きつくオレの手を握りしめたのだ。
「たかとー」
「帰りますよ」
 やっぱり。
 高遠の機嫌は、滑落している。
「あ、おいって」
 来た道を、引き返す。
 背中に、健悟の、
「待て」
という叫びを聞いたような気がしたが、それどころではなかった。


「高遠……」
 戻ってからというもの、高遠の機嫌は最悪だった。
 赤い記憶が、胸の奥底でざわめく。
 でも、大丈夫だ。
 オレは、健悟に、近づいてはいない。
 必要以上に近づき、そうして、高遠のことも忘れるほどのめりこんだ挙げ句の惨劇を、オレは、心に刻み込んでいる。二度と、あんなことを起こしてはいけない―――――と。
「高遠」
 オレは、高遠の前に座り込み、白い、高遠の手を、握った。
 そうして、高遠の、掌に、ゆったりと、くちづけたのだ。
 誰かが言っていた、掌へのくちづけは、「あなたが欲しい」という意味があるのだと。
 それを高遠が知っているのかどうか、オレは知らない。でも、とても、口では言えなかった。だから、これでも、オレにとっては、精一杯の意思表示だったのだ。
 オレは、高遠のことが、好きだ。
 他の誰よりも。
 だから、あれくらいで、怒るな――と。
 ぴくんと、高遠の全身が、震えた。
 ゆっくりと、高遠の瞼がもたげられてゆく。
 現われた金のまなざしが、オレに向けられた。
 とろりと溶け流れる黄金のような、灼熱を潜めたまなざしが、オレに、据えられている。
「はじめてですね」
 そう。オレからの、意思表示は、はじめてだった。こんなにも長く一緒にいるというのに、オレには、どうしても、できなかった。自分から高遠を欲しがるのは、恥ずかしくてならなかったのだ。
 高遠の瞳が、至近距離へと近づき、オレは、そっと、瞼を、閉じた。


「お待ちください」
「健悟坊ちゃま」
「だんなさまに叱られます」
 騒がしい声と足音が近づいてくる。
 なんだろう。
 何の騒ぎだろう。
 高遠に酔わされているオレの意識は、なにが起きているのか、まったく把握していなかった。
 突然、ガラリと大きな音をたてて、襖が開かれた。
「ぼっちゃまっ」
 息を呑むような悲鳴が、オレの意識を、目覚めさせた。
「なんだ」
 襖を開けたのは、健悟だった。
 その場に立ち尽くしたまま、室内を見渡している。
 ずかずかと入り込み、あちこちを確認する。
「確かに、はじめは、ここに消えたんだ」
「ですから、それは、坊ちゃまの勘違いです。ここは、ご覧の通り、明智家の守り神を祭っている場所ですから、だんなさま以外の誰も、勝手に出入りなどできません」
 泣きそうな顔で、女が食い下がる。
 今、健悟には、オレが見えてはいない。
 ずっと昔、高遠に捧げられた、オレは、高遠の、贄なのだ。
 オレの何を気に入ったのか、高遠はオレを喰らいもせず、ずっと傍らに留めている。そうして、以来、高遠は、ひとりの贄も、喰らってはいなかった。
 背後に、高遠の起き上がる気配があった。
 高遠が、オレを抱きしめる。
 その場にいる誰ひとりとして、オレたちの姿を見ることは、できなかった。
 健悟の視線が、オレたちを素通りして、祭壇を、凝視している。
「そんなばかな」
 途方に暮れたような、健悟の声が、可哀想だった。
  



おわり



start 15:36 2004/11/23
up 20:15 2004/11/23


あとがき
 ひっさしぶりのはじめちゃんですが、妙に、甘い? 健悟君、当て馬になってますね。ごめんね。
 たまには、誘い受けっぽいはじめちゃんも、いいかなぁ……。
 少しでも楽しんでいただけますように。
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