白昼夢



「さあこれで完成。君の名前は…そうね、高遠、高遠遙一くん。私と………の、愛しい息子」
 細かな木屑や布の切れ端の散らばる広い作業場で、近宮玲子はできたばかりの”息子”を抱き上げた。
カシャン…と乾いた木々の触れ合う音がかすかに響く。
「そうね、君にはわたしの家の一番いい場所を提供しよう。いらっしゃい」
 まるで人間にでもするかのように話し掛けると、近宮玲子は件の”息子”を抱いたまま作業場を後にした。
 近宮玲子の腕の中には、一体の等身大の人形が抱かれている。
 丁寧に植えられた顎の長さまでの黒くさらさらの頭髪。白くなめらかに整った容貌は、角度によって表情がいろいろに変化する。赤すぎるくちびるが、この人形の性別を不透明にしている。しかし、百八十センチはあるだろう身長と凹凸のない胴の部分が、この人形の性は男なのだと想像させる。
 白いシャツブラウスの生地は、上質のシルクだろう。深いボルドー色のスラックスも、たぶんシャツと同じ生地に違いない。腰に巻いた黒いサッシュベルト。スラックスと同色の革の靴。
 作業場から廊下伝いに行けば母屋に戻る。チューダー朝風の、白壁に交差した黒い梁が剥き出している二階建ての家。周囲をぐるりと取り囲む庭には深紅の薔薇が咲き乱れている。人里離れた一軒家。ここが、人形師である近宮玲子の自宅だった。
 さんさんと午後の日の光が射し込む居間。
「先生」
「近宮先生」
 そこに一歩足を踏み込めば、住み込みの弟子達が彼女を取り囲む。
「さあ、君たち、このこが私の息子だよ」
 誇らしやかに持ち上げたのは、妖しいほどに美しい青年の人形。
 女の弟子がうっとりと溜め息をついた。


 ゆるゆるとした覚醒。
 そそぎこまれるあたたかな思い。向けられる愛情のこもったまなざし。呼びかけてくる、確かでやさしい声。それは、近宮玲子の愛情――母性――だった。
 惜しむことのない愛を受けて、それは、目覚めた。人形ではあったけれど、自分は近宮玲子の息子なのだと……。その強烈な認識は、それを一個の自我のある存在へと変貌を遂げさせた。
 けれど、それは、ただ見ているより術のない存在でしかなく。
 ただ、見つづけた。
 とろりとした欝金のまなざしで。
 近宮玲子とその弟子達の愛憎劇を。


 満ちた月が夜空を飾る。
 紫紺の帳。
 居間のソファの上に静かに座す等身大の人形を、レースのカーテン越しの月光が照らし出している。
ひそとも音のしない、静かな夜――のはずであった。


「なにをするの」
 陶器の砕ける音。
 何かが倒れる音。
 そうして、近宮玲子の悲鳴が夜のしじまを引き裂いた。
 目の前で”母”が殺される。
 それになすすべのない己が身。
 呪う言葉を紡ぐはずのない、恨みを晴らす術を持つはずのない、ただの木偶。
 こうして、”母”の流した血にまみれているだけの、人形なのだ。
 自我がなんの役にたつだろう。こんな結末を迎えるのなら、目覚めることなどなければよかったのだ。彼は、そう考える。
 とろりとあたたかな”母”の血潮にひたりながら………。
 その身を呪った。
 人ならざる木偶に魂が宿ったのなら、この身もまた人へと変貌を遂げていればいいものを。
 そうすれば、自分は”母”の仇を討つだろう。
 このまがいものの眼に生々しく映し出された、母親殺しの犯人達をこの手で殺すものを。
 どろりと冷え乾いてゆく”母”の血潮。


 一度でいい。
 呼びたかった。
”お母さん”と―――。
 そうして、ひとことでいい。
 言いたかった。
”僕を作ってくれてありがとう”と―――。
 言う時間も許されることなく、”母”は死の闇へと下ってゆく。

 自分だけが、こんな不完全な存在でとり残される。

 淋しさが、哀しさが、彼の空洞のボディの奥で荒れ狂う。

 そうして――――

 それは、神の気まぐれであったのか、悪魔の慈悲であったのだろうか。

 今、彼の目の前に、恐怖に顔を引きつらせた髭面の男。
(………)
 口の端から血をしたたらせ、首が落ちる。
 ゴトン……鈍い音を立てて。
 ドウッ! ……重々しく胴が床に倒れた。
 床に広がりゆくでろりと赤黒い血潮に映ったのは、ナイフを手に持った彼――近宮玲子の”息子”だった。
(……これが、僕…ですか…………)
 まだ人形のままの自分を心の奥底で残念に感じながら、彼は手にしたナイフを顔へと持ち上げた。

 人形が、ないはずの舌でナイフを染めた血潮を舐める。

 それを目撃したのは、たった今死んだばかりの男の妻。
 絹を引き裂く悲鳴をあげて洋館を逃げ惑う。しかし、ついには追いつめられ、殺された。
 近宮玲子の”息子”高遠遙一の手際に容赦はない。
 いまや殺戮の館と化した、近宮の人形の家。
 次の犠牲者は、まだ若い男。男の断末魔を眺めていた彼は、ふと気づいた。ひとり殺すごとに自分の体の動きが楽になってきていることに。
(まさか…)
 最後に、今ひとりの男。この男が曲者だった。怯えながらも、反撃に出た。
(!!)
 男が、彼の右手を引き千切る。
 もとより痛みはない。しかし、衝撃が彼に襲いかかった。ジョイント部分の複雑な構造。人間の動きにできる限り沿うようにと彼の全身を繋ぐ幾本もの神経組織のような細いコード。それがまるで本物の人間の腱や筋のように千切られた肩口から垂れ下がっている。
 カチャリ。
 かすかに左側に傾いだように見える視界。
 それでも、彼は手にしたナイフを男に向かって、投げた。
 反転する視界。
 視界いっぱいに、倒れてゆく男の姿を認め、彼、高遠遙一は満足感を覚えていた。
 後は母と同じ世界に行ければ、もうそれでいい。
 高遠遙一は静かに意識を失っていった。


(お母さん………)


 雨。
 情け容赦なく降る雨がそれを濡らしていた。
 血の痕を黒くこびりつかせ、右腕を無くした等身大の人形。
 大量のゴミ。
 ゴミの山に、それは捨てられていた。
「おまえ、人になりたいか」
 突然の声。
 それ――近宮玲子の復讐を果たした、”息子”高遠遙一――が、動かないはずのくちびるの端をかすかにもたげてみせたようにみえた。
「人になりたいのなら」
 声の主が示す先には、楽しそうな一家団欒の光景が映し出されていた。
 父と母だろう年配の男女。母親によく似た鳶色の瞳の少年と少女。
「金田一はじめというあの少年」
 ギャアギャア。
 突然のカラスの叫びが声を掻き消した。
 そうして、同時に声の主も高遠の姿もゴミの山から消え去っていた。
 後にはただ、冷たい雨がゴミの山とカラスをいつまでも濡らしつづけた。
おしまい
15:45 2002/03/13
あとがき
久しぶりの高遠くんだったので、楽しい反面こんな高遠くん書いて良いのか〜? と悩みましたね。
これ実は童話調のノリで書こうと思ってできた内容だったのですが、なんか妙な話になりました。
やはり「むかしむかし」で書き始めないと童話のテンポに浸れないのかな???
人形の高遠くんネタはず〜っと温めてたのですが、なかなか形にならなくて。悩みましたよ〜(^^ゞ ところが今日買い物に行くのに車の運転をしてるときふいっと湧いて出たんですよ。童話の形ででしたけど。
少しでも楽しんでもらえればいいのですが。

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