ピエタ

 足元を、波が洗ってゆく。
 ざらざらと、丸い小石が音をたてる。
 寒い。
 吹きすさぶ風に、拡散してゆく白い息。
 今にも雪が降りそうな空の重さ。
 ここに君がいてくれれば――――
 自分の思考に、笑いがこぼれる。
 厭な笑い。
 君は、いない。
 そう。
 どこを探しても、もはや、君という現象は、存在しないのだから。
 思い出すのは、些細なやりとりだ。
 彼は、居間で、テレビを見ていた。
 その背中を眺めながら、
『君が、もし、誰かに殺されれば、ぼくは、必ずその誰かを、殺しますよ』
 そんなせりふがするりと口をついて出たのは、彼の見ていた番組が、復讐譚のミステリィだったからだろう。
 ぎょっとして振り返った鳶色の瞳に、ぼくは、自分が映っているのを見て、ほっとする。
 君は、いつも、どこかへ消えてゆきそうで、不安でたまらなくなるのだ。
『すぐ殺すだのどうだのって………あんた、物騒すぎ』
 だいたい、誰がオレを殺すって? ここにはオレとあんただけじゃん。
 そう言って笑った顔が、あっけらかんとしすぎていて、かえって、心配になる。
『ぼくには、敵が多いですからね』
『しかたないよなぁ。これまでのあんた、考えたらさぁ』
 あっけらかんと言い放たれて、少しだけ、ぼくは、過去を振り返った。
『ぼくの前では、天国の門も閉ざされるでしょうね』
 ぼくの両手は、赤く濡れている。
 たとえ、改心したとしても。ぼくが屠ったも同然の、あまたの犠牲者たちの上に、今のぼくは、あるのだから。
『こんな幸せな時は、ぼくを不意に、震えさせるのですよ』
 本音だった。
 こんな時間がいつまでも続きはしないだろうと。
『あんたさぁ………』
 ちょいちょいと、ぼくを手招いて、彼は、ぼくを抱きしめた。
『今日は、特別――だかんな』
 照れ屋な彼の特別―――――彼の体温を感じながら、ぼくは、思わず、そっと、彼の額にくちづけていた。
『まるで、聖母さまのようですね、君は』
 かつて、見た記憶のある、キリストを抱くマリア像の自愛に満ちた表情を思い出して、それが、彼と重なるような気がした。
 そんな彼の表情に、ぼくは、どうしようもないくらいの切なさを覚えていた。
 そうして――――
『神であろうとなんであろうと。ぼくから君を奪うものは、容赦しませんから』
 そう宣言するぼくに、彼は、あきれたような、あきらめたような、複雑な表情をして、
『あんたって、時々、オレよか年下に見えるよな』
 そう言ったのだ。


 あの二日後、彼は―――――


 以前彼と来たときには、ここは、まぶしいばかりの、光にあふれていた。
 けれど、今。
 光は失われた。
 ぼくの心は、冷たく、凍り付いてゆく。
「雪―――ですね」
 頬に触れてとけていったひとひらの雪が、まるで、彼との最後のくちづけのようで、ぼくは、目を閉じずにいられなかった。

 ふと、背後にひとの気配をかんじたような気がして、ぼくは、振り返ろうとした。
 しかし。
 それよりも速く、
 ―――まったく。探したじゃないか。
 紛れもない彼の、怒った声。
 ――――あんたって、けっこう粗忽だよな。
 けれど、これは、ぼくの、願望。
 何度、同じことを繰り返しただろう。
 ひとの気配は錯覚で、振り返っても、彼はいない。
 それでも、振り返らずにはいられなくて。
 やっぱり、ぼくは、振り返ったのだ。
 満面笑顔の、彼を、求めて。

 そうして、ぼくは、そこに―――――

 ――――――はじめ。
 ――――――迎えに来たよ。
 光を帯びて、彼が佇む。
 ぼくに差し出してくる、その手を、握り返すのに、どれほどの勇気が必要だったろう。
 ぼくは、はじめを抱きしめた。
 あの日と同じように、はじめの額にくちづける。
 抱きしめ返してくれる、はじめの腕に、現実を感じながら。


 浜辺に佇む老人が、痛ましげな表情をして、十字架をひとつ、指で描く。
 青いビニールシートのかけられた異邦人の死体が運ばれてゆくのを、ただ黙って、老人は見送っていた。



おわり

start 2007/02/24
up 2007/02/28
◇ いいわけ その他 ◇

 もしも先にはじめちゃんに死なれたら、高遠君はどうなるかなぁという極道な思考の元頭に現れたネタ。
 でもね、最後、はじめちゃんは実は生きてて――――というオチも考えていて、あやふやなエンドにしようかなと着手したもの。
 が、書き始めのものがマジシャンシリーズっぽくなったあたりから風向きがおかしくなりだしたので、昨日、一気に書き直したものをブログからサルベージ。そのままアップです。
 少しでも、楽しんでいただけるといいのですが。物が物だけに、微妙かな。
 タイトルを、『エピタフ』から、『ピエタ』に変更。やっぱ、こっちのほうが、しっくりする気がする。
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