不思議 |
ある日遙一くんは森を散歩していました。 台風が過ぎた翌日の空気は、すがすがしくて、フィットンチッドを胸いっぱいに吸い込みます。 どれくらい歩いていたでしょう。 気がつけば、道の真ん中に、二メートルくらいの木の幹が転がっていました。落雷にでもやられたのでしょうか、真っ二つに裂けて、黒く焼けこげています。 じっとそれを見下ろしていた遙一くんは、あることを思いつきました。それを軽々と持ち上げ、足どりも軽くおうちに戻っていったのです。 世界的なマジシャンでもあるお母さんに教えを乞い、遙一くんは、拾った木から一体のマリオネットを作り上げました。 濃い褐色の髪の毛と、鳶色の瞳の、可愛らしい男の子の人形です。 初めて作ったにしてはとても上手にできたわねと、お母さんも褒めてくださいました。 とってもうれしくなった遙一くんは、人形を自由に動かせるように、今度も一生懸命に練習しました。人形を自由自在に操れるようになったら、一緒にマジックショウをしましょうとお母さんが約束してくださったからです。 それは、遙一くんのマジシャン・デビューが遠からず訪れるだろうという証でした。 そうして、遙一くんのデビューの日がやってきました。 大きな会場です。 お客様も満員で、遙一くんのお母さん――近宮玲子の登場を期待と興奮に満ちたまなざしで待ち焦がれています。 遙一くんの心臓もドキドキと早鐘のように全身に血液を送りつづけています。 ライトが消えました。 お客が息をのむ気配があります。 しばらくの間の後、ピンスポットがステージを照らし、タキシード姿のマジシェンヌ――近宮玲子が艶やかに微笑みました。 お母さんが手を振って遙一くんを招きます。 さぁ、マジシャンとしての第一歩です。 遙一くんは背中をシャンと伸ばして、ステージ上で彼を待つお母さんのところに進みました。 お母さんの誇らしげな紹介が、彼の心に染みわたります。 優雅に、満面の笑みをたたえて、遙一くんは腰を折りました。そうして、顔を上げるのと同時にステッキを振り上げると、薔薇の花びらが会場中に降りそそぎました。 お客の歓声が、とても心地好く聞こえてきます。 お母さんの助手を務めながら、そのすばらしい手腕に見惚れてしまう遙一くんでした。 そうして、いよいよ、遙一くんの作ったマリオネットの演技の時間がやってきました。 操る糸が自然にぱらりとほどけ、マリオネットがくたりと倒れます。 しかし、マリオネットは、次の瞬間ギクギクと起き上がり、ひとりで動き始めるのでした。 遙一くんとマリオネットのおっかけっこの始まりです。 やがて捕まってしまったマリオネットは、遙一くんの腕の中でじたばたともがきます。 勝手に糸を外して動いちゃダメだろうと遙一くんが嗜めると、マリオネットはクスンと涙を流しました。 (え?) 遙一くんの金色の瞳が、一瞬見開かれます。 なぜなら、こんなシナリオはないからです。 シナリオでは、いやだ〜と喚き暴れるマリオネットにお菓子を与えて宥めてから、糸を付け直すことになっています。その後、マリオネットはくたりとただの人形に戻ってしまう。そういう、簡単な、ものでした。 人形が涙を流すなどと、そんなシチュエイショんを考えてはいなかったのです。 それに、人形が流したのは、本当の、涙。………仕掛けであふれ出るようになっていないから、そう考えるしかないのです。 しかし、だからと言って、舞台上でパニクってしまっては、マジシャンの名折れです。 腹をくくった遙一くんはにっこりと微笑んで、 「どうしたの?」 と、たずねてみました。 「オレ、人間になりたいよ〜」 またもや、驚きです。 人形の描いただけのくちびるから、少年の言葉が飛び出してきました。 「人間になって、どうしたいの?」 「美味いものを腹いっぱい喰うんだ!」 その台詞に、会場から爆笑が聞こえてきます。 お客は、これを出し物だと信じて楽しんでくれているようです。 しかし、この先どうなるのでしょう。 遙一くんの心臓は、今にも壊れそうなほどに大きく波打っていました。 「太りますよ」 「美味いもの喰って太るなら本望だい!」 クスクスと失笑が聞こえてきます。 「なー、よーいちなら、オレのこと人間にできっよな」 「はい?」 お客がシンと静まり返ります。 ドキドキしながら、遙一くんは一か八かの賭けを口にしました。 「……どうすればいいか、君は知っていますか?」 「知ってるさ!」 手ごたえに、ホッと、息を吐きました。 「じゃあ、教えてください」 「よーいちが、オレにキスすればいいんだよ」 「はい?」 「そーすっと、オレってば人間になれんだ。だから、ほら、はやく」 思わぬ方法に、遙一くんのこめかみに汗がにじみます。 人形が、首を伸ばして顔を近づけてきます。 「わかりました。じゃあ、キスしますよ」 「はやくっ」 遙一くんは、覚悟を決めて、チュッと軽く触れるだけのキスを、描いただけの人形のくちびるに落としたのです。 何事も起こりません。 観客たちがざわめき始めます。 お母さんの白くなった顔が、ステージの袖に見えています。 遙一くんの胃が、キュウと、締めつけられるように痛み始めました。 そうして、お客のざわめきがひときわ大きくなったその時です。 カシャン。 軽い音をたてて、人形が、床に倒れました。 遙一くんが自分の手を、いいえ、床に落とした人形を凝視します。 突然、人形が手で持っていられないくらい重くなったような気がしたのです。 けれど、たったのは、軽い音に過ぎませんでした。 (なにをやってるんでしょうね) 呆然と独り語ちた遙一くんの思考が、瞬間、ストップしました。 観客のざわめきも水を打ったように止み、会場は痛いくらいの静寂に包み込まれました。 「うわっ」 「きゃぁ」 観客の悲鳴は、人形からほとばしった、まばゆいばかりの光のせいでした。 光は思うさま会場中に乱舞したと思えば、あまりにも突然掻き消えたのです。 そうして、遙一くんは、自分の目が信じられません。 なぜなら。 人形があったところから顔を上げてギクシャクと立ち上がったのは、全裸の少年だったのです。 あわてて、遙一くんは自分の着ている上着を少年に着せかけボタンを合わせました。 にぱっと笑った少年に、会場から拍手が沸きあがります。 全裸はいき過ぎだと思ったむきもあったでしょうが、それよりもなによりも、マジックの出来がすばらしく、少年の笑顔がなんともいえないくらい微笑ましかったのです。 万来の拍手につつまれて、少年と遙一くんとはステージの袖に引っ込んだのでした。 遙一くんを迎えてくれたのは、心配そうで不思議そうな表情のお母さんでした。 しかし、それは、彼も同様でした。 屈託がないのは、ただ、突然現われた少年だけです。 まだお母さんの出し物は残っていますし、遙一くんのお仕事も残っています。 ふたりは、目と目を見交わして、全ては舞台の後にとあらゆる疑問を胸の底に押し込めて、少年にここから動かないように言い含めると、もう一度ステージに出て行ったのでした。 こうして、その日のステージは、大成功に終わったのです。 もちろん、遙一くんのデビューも、大成功でした。 翌日の新聞を初めさまざまなメディアは、近宮玲子と息子を褒めちぎったのです。 そうして、母子の間に残った疑問は、当の本人によって、一応の解答が得られることになりました。 しかし、それは、頭を抱えるようなことでしたが。 なぜなら、少年はこういったのです。 『え? オレ? ず〜っと人間になりたかったんだ。人形になる前は、森の木だったんだけどさ。オレの根元で美味しそうに弁当とかをぱくついてる人間見てて、なんだか羨ましくなっちまってさ。それで、ず〜っと、ず〜っと、人間になれますようにって、願ってたんだ』 『それだけですか?』 『そ。だからオレ、今とっても幸せなんだ』 少年が屈託なく笑います。 結局それ以上は、残る疑問点については、なに一つわからないままでした。 『じゃあ、これから、君のことは、なんと呼びましょうか?』 『………はじめ』 『わかりました。はじめくんですね。それでは、これからよろしく、はじめ君』 元は木だった少年を放り出すわけにもゆきません。 結局少年のことは最後まで彼らが面倒をみることにして、遙一くんとお母さんとは、はじめと名乗った少年と握手をしたのでした。 遙一くんがはじめ少年に困った感情を抱くようになるのは、まだまだ先のこと。 この後、遙一くんとお母さんとはじめ少年は、仲良く暮らしたということです。 おしまい
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う〜ん。
突発的に可愛いお話が書きたくなって、描いたのですが、面白くないよ〜な。
こんなのでも少しでも楽しんでいただけると嬉しいです。