ごめんね 1




「今の君を残してゆくのは気が進みませんが………」
 整ったくちびるから無意識の溜息をこぼし、明智がはじめを見下ろす。
「なーに言ってんだよ。らしくもない。あんたはいっつもみたく宇宙からの嫌味節をふりまいてくれてたほうがらしいって」
 明るく言い放つはじめの瞳を覗き込み、
「無理をしないで下さい」
 真摯なことばだった。
 そうして、明智は出勤したのだった。


◇◇◆◇◇


 金田一はじめの両親が、死んだ。
 それは、青天の霹靂だった。
 はじめの目の前でのことである。
 両親は、はじめを庇ったのだ。
 はじめは、涙を流すことすらできなかった。
 葬儀を終えた後、はじめはベッドを背に、床にうずくまってしまった。
 湿気がこもった部屋の中ということもあり、彼の姿は、あまりにも憐れだった。
 明智は、さまざまなもので散らかった室内を横切り、カーテンを引き開けた。ついでに窓も全開にする。
 冷たい冬の空気が、部屋のよどみを吹き散らした。
 しかし、はじめからは何の反応もない。
 振り返った明智の視線の先には、ぼんやりと天井を眺めているはじめの姿があった。
 葬式から一週間が過ぎようというのに、制服姿のままで、はじめは、くすんだように見える。
「金田一くん、しっかりしなさい」
「………」
「君がそんなで、ご両親が喜ぶとでも?」
「なんか、皮肉……だよな」
 かすれた声には、力もない。
「金田一くん」
「なんで、あん時、オレが死ななかったんだろ。あいつが狙ってたのは、オレだったのに……オレは、推理に夢中で、そんなことにちっとも気づいてなかった。どー考えたって、あん時死んでるのは、オレのはずだ。なのに、おやじとおふくろが、死んじまうなんて…………」
 はじめが弱々しい声で呟いた。
 これではいけない。
 背中を走り抜ける悪寒。
 明智は、思った。
 このままでは、この少年は、遠からず潰れてしまう。
 あの、明るくにぎやかな少年が、このままぼろぼろに荒んでしまうのを見るのは、しのびない。いや、明智にはとうてい、耐えられそうになかった。
「金田一くん。立てりなさい」
 厳しく叱咤する。
 しかし、何の反応もかえらない。
「しかたがありませんね」
 パンッ!
 パシッ!
 鋭い音が二度、部屋に響いた。
「あ、けちさん………なにすんだよっ!」
「やっと正気づきましたか。金田一くん」
 頬を押さえながらも食ってかかるはじめに、にやりと明智はひとの悪い笑みをきざんで見せた。
「ぼさっとしていないで、さっさと準備なさい」
「準備って……」
「これからしばらく、君には私と一緒に暮らしてもらいます」
「じょーだんっ!」
 思わず後退さろうとして、ベッドに阻まれる。
「当面の着換えだけでかまいません。さっさと準備してください」
 明智の薄い色に逆らえない意志の強さを感じて、はじめはようやく重い腰をあげたのだった。


 明智のマンションで寝起きをはじめて一週間、はじめは明智の小言に辟易していた。
 重箱の隅をほじくるような姑めいた小言の山に、ぶちぶちと文句を言って過ごすことがリフレッシュになっているのかどうかは別として、少しずつ、はじめを取り巻いていた無気力は癒されていったのだ。
 おそらくは、家族を思い出させるものが明智のマンションにはないということが良かったのかもしれない。


「金田一くん」
 はじめお手製の、よく焦げたハンバーグを前に、明智が口を開いた。
「なに?」
「私は明日から、出勤します」
「あ、そ」
「大丈夫ですか?」
「なーに心配してんだよ。だいじょーぶだって」
「今日みたいにキッチンを滅茶苦茶にしないで欲しいものですけど」
 明智の家にやって来て八日目。さすがに、いつまでも迷惑かけてんのもなぁと、せめて晩飯でも作ろうと腰を上げたのはよかったのだが、きれいに整えられていたキッチンは見るも無惨なありさまになってしまった。
「わーるかったな」
 これなら、学校の授業でならった記憶を頼りに出来るだろうとたかをくくったのだ。しかし、いざ手をつけてみると、こつがわからない。結局、炭になりそうなハンバーグになってしまった。
 明智ははじめの鳶色の瞳を覗き込んだ。
 一見明るさを取り戻したように見えるが、まだ、それは、表面だけのことだ。
 はじめが、あれだけ好きだった推理に対してアレルギーめいた反応を見せることを、明智は一緒に暮らして知っていた。
 クイズ番組や推理小説二時間ドラマなど、少しでも推理に関することがらを、はじめは避けていた。
 それは、おそらくは無意識の行動ではあったろうが、そうした行動が、しばしば明智の目につくのだった。
「ひとりで大丈夫ですか? なんでしたら、剣持くんに連絡を」
「へーきだってば!」
「心配です」
「あんたが出勤する代わりにおっさんが休んだら何にもなんないじゃん。おっさんの有給くらい、家族のためにも残しといてやれよ。それに、あんたはオレんことなんか心配してないで、仕事してこいって。あんたのキャリア、オレのせいでだめんなったなんて言われたら、寝覚めわりーし」
「出世ですか。………興味ないんですけどね」
「興味もてばいいじゃんか」
「興味ね。……今の私の興味は、君のことだけなんですよ」
「は?」
 あまりにもするっと言われたことばに、はじめの表情が一刹那空白になる。
「言うつもりはなかったのですけどね。金田一くん」
「はい?」
「私は、君のことが好きらしいんですよね」
「………」
 はじめはまじまじと明智を凝視した。
 冗談でそんなことを言う相手ではない。それは、知っている。
「明智さんって、ゲイ?」
「君に関しては、どうも、そうみたいですね」
 にっこりと微笑まれても、困る。
「ああ、別に、自分の感情を押しつけるつもりはありませんので、安心してください」
 大人の余裕だろうか。
 その夜もまた、はじめはまんじりともせずに過ごしたのである。


◇◆◇◆◇


 明智がマンションを出てゆく気配で、はじめは目覚めた。
 客間のベッドの上で布団にくるまったまま、ぼんやりと壁を見つめる。
 独りになれば、心が痛かった。
 涙は随分前に枯れてしまった。
 なかなか眠れない。
 なにもかもが不安でならなかった。
 両親ばかりが思い出された。
(なんでオレを庇ったんだよ!)
 いまさらだった。
 こんな感情はいらない。こんな思いに捕らわれるくらいなら、自分が死んでいたほうがよっぽどましだった。
 残されたものが、こんな思いをするだなんて。
 もちろん、これまでも、感じたことはある。しかし、それは、事件の被害者であったり加害者であったり。肉親の死ではなかった。
(オレってば、さいってーだ)
 はじめは布団を頭からかぶって丸くなった。


◇◆◆◆◇


(ん……うるさい…………)
 鳥のさえずりに、はじめの眠りは破られた。
 いつの間にか眠ったらしい。
(も少し寝たっていいよな。明智さん、いないし)
 目を瞑ったままでそう考えていると、空気が動いた。
(えっ?)
 誰かの足音が聞こえる。
 慌てて起き上がったはじめは、こんどこそその場で硬直した。
 きょろ……と、周囲を見回す。
(どこだ?)
 はじめがいるのは、ガラス張りの温室のような部屋らしかった。
 ガラスの天井から陽が射しこみ、あたたかい。
 周囲には観葉植物が繁茂し、色鮮やかな鳥までが飛んでいる。
(夢?)
 頬を抓ったが、
「てっ」
 痛かった。
 その時、
「誰です」
 鋭い誰何とともに木々を掻き分けて現れたのは、ひとりの少年だった。
 白いドレスシャツに濃紺のズボン。その上に、白衣を羽織っている。
 スラリとようすの好い少年は、絵筆の先を布で拭いながら、はじめを凝視してくる。
 陽射しを弾いてか、一対のまなざしが、琥珀のように光った。
「君は……」
「あ、っと」
「新しい使用人かな」
「誰がだ」
 当たり前のように言われた台詞に、思わず突っ込んでいた。
「使用人じゃない? じゃあ、どうしてここに居るんです」
「ここ? ここって、いったい………」
「神隠しにでもあったような顔をしていますよ」
 はじめと同い年ほどだろう少年が近づいて来る。
「お、おまえ、だれ?」
 はじめの途方に暮れた問いかけに、
「僕? 僕は、高遠遙一。高遠伯爵家の当主です。ちなみに、君が今いるところは、僕の趣味のアトリエです」
(伯爵? 伯爵ってなに………)
 呆然と高遠を見返すはじめの視線の先で、高遠遙一がふわりと笑った。
「君は?」
「え? あ……はじめ、金田一はじめ」
「では、金田一くん、とりあえず、そこからこちらに移りなさい。いくらここがあたたかいとはいえ、冬です。風邪をひきますよ」
 高遠が指差したのは、彼の隣である。
 彼に示唆されてはじめて、はじめは自分がぬれねずみなのに気づいた。
 睡蓮の葉が浮かんでいる池のなかに、はじめは座り込んでいたのだ。
「っ!!」
 慌てて池から這い上がるはじめに、高遠が手を差し伸べる。
 はじめの全身からおびただしい量の水が流れ落ち、寒気が背中を駆け上がる。
 はじめは、三度、盛大なくしゃみを連発した。
 クスクスと笑いながら、高遠は自分が羽織っていた白衣ではじめの頭を拭った。
「イテッ! 痛いって。貸してくれれば自分で拭くから」
 ごしごしと力まかせに拭かれて、はじめの瞳に涙がにじむ。
「そうですか」
 手渡された白衣で、はじめは頭と顔を拭いたのだ。
 バスタオルの用途などもとよりない白衣は、すぐに水を吸えなくなる。
「寒そうですね」
 独り語ちた高遠がはじめの顔を覗き込む。
 一度意識してしまうと、体温を水に奪われたせいで、寒い。
 あたたかいと感じたのが嘘のようだった。
 小刻みに全身を震わせているはじめの手を引いて、高遠は、どこかへと向かった。


 長く薄暗い廊下をどれくらい歩いただろう。擦れ違う和服姿の女性達が、高遠を認めるや一旦足を止めてお辞儀をする。そうして、はじめてはじめに気づくらしく、不思議そうな顔をするのだ。


 通されたのは、入るのにしりごみしそうな、豪華な絨緞の敷き詰められた一室だった。おそらくは、和室だったものを、畳を上げたりして洋風にしつらえ直したのだろう。
 全身ずぶぬれの自分が、本当に入っていいのだろうかと、何度も高遠を見る。
「遠慮せずに」
と、鷹揚に招く高遠に、はじめも意を決した。
「いつでも湯は沸いていますから。湯殿はそこの衝立の向こうです。ああ、着換えはこれを」
 高遠が投げて寄越したのは、アイボリー色の毛糸で編まれた、ガウンだった。受け取った瞬間、ほのかに薔薇の香が立ったような気がした。
 高遠が「湯殿」と言っただけあって、なかなかに古色蒼然とした風呂だった。
 飴色の湯船。壁も天井も、すのこに至るまで、檜らしい。
 たっぷりとはられた湯につかりながら、どうしてこんなところにいるのだろうと、はじめの思考は空転をしていた。


 膝上までのガウン一枚という心もとなさはあったが、腰紐で縛って落ち着く。胸元が大きく開いているのが、気になるといえば気になるが、すっかりあたたまった今となってはなんということもない。
 はじめは高遠に勧められるままに、火のはいっている暖炉の前の椅子に陣取ったのだ。
 やがて、ノックの音がして高遠がうべなう。ドアを開けて入ってきたのは、一人の実直そうな男だった。
 男は、寄木細工の丸テーブルの上にお茶のセットを整え、その場に控えた。
 熱い紅茶を二杯、一気に飲み干して、はじめは高遠が自分を見ていることに気づいた。
「なに?」
「……いえ。あたたまりましたか?」
「サンキュ」
 角度によっては琥珀色にも金色にも見える珍しい色の瞳が、自分から離れないのが気になってしかたがない。
「それで、君はどうして僕のアトリエにいたのです?」
「い、や……それが、オレにもさっぱりなんだよな。おまえが信じるかどうかはわかんねーけど、朝起きたら、あそこだったんだ」
「それまでは、どこに?」
「どこって、明智さん家のマンション…………」
「まんしょん? それは、なんです?」
 高遠が小首を傾げると、質の良さそうな髪の毛が、動きにつれてながれる。さらりという音まで聞こえてきそうだった。
「マンションはマンションだって! えと、そうだな、アパートの高級なヤツって感じか。広いって感じ? う〜ん。……まぁ、明智さん家は、ふつーよか数十倍は高価そうだけどな」
「あぱーと?」
 今度ははじめが首を傾げたくなる番だった。
「おまえいったいいつの生まれだよ。アパートも知らねーって? ……集合住宅? う〜ん、昔風に言えば長屋ってとこか」
「長屋ね。それならわかりますよ。ああ、僕の生まれは、明治八年ですが、それが?」
「明治ね。っ! 明治っ?!」
 思わず目を見開いたはじめの目の前には、どうみても十六から十八のどれかだろう、美貌の少年が椅子に腰を下ろしている。
「おまえいったい何才なんだよ」
「十六ですが。なにをそんなに驚いているんです」
 ふに落ちないとばかりに、高遠がかすかに瞠目する。
「なんだ、オレよか一こ下じゃねーか。つーことは、今は、明治二十四年?」
「半月ほど前に年が明けましたよ」
「じゃあ、二十五年か」
 さらりと言ってのけられた事実がじんわりと認識されてくるにつれて、はじめの頭がグラグラと揺れる。
 血の気が引いたのか、からだが揺れる。
「あ、れっ」
 視界では高遠たちが伸びたり縮んだり、奇妙なダンスを繰り広げている。
 はじめは、自分が椅子の上で傾いでいることに気づいてはいなかった。ましてや、椅子から立ち上がった高遠が、今にも倒れそうなはじめに駆け寄ろうとしたことになど。


「っ!!」
 何か強かな衝撃を受けたような気がして、気づいた。
 ドキドキと心臓が鳴っている。
 息が荒い。
 それでも、
「ゆ、め……だよな」
 五感が、自分が今いるのがどこなのかを知っていた。
 明智のマンションのゲストルームだ。
「何時だ?」
 ベッドから起き上がったはじめは、時計を見て、頭を抱えた。
 デジタル時計が、pm六時五十七分を告げている。
 丸々一日を寝て過ごしたのだ。
 昨夜、やっと、世話になってばっかりじゃ悪いからと、せめて夕飯なりと作ろうと決意したばかりだというのに、このていたらくである。
「いや、だいじょーぶだ。多分。明智さんはそんなに早く帰らねーだろーからな……きょーは、カレー気分だな。よしっ!」
(カレーならハンバーグよか楽勝だよな。昨日のリベンジだ)
 独り語散ながら気を取り直して部屋をでたはじめの意識からは、先ほどの夢とも何ともつかない出来事はきれいさっぱり消え去っていた。
 廊下を隔てた向側のドアを開けたはじめは、せっかく掻き集めた自分のやる気がたちまちのうちにしぼむのを感じた。
 リビングのライトがついているし、音量を絞ったテレビが放送されている。
 それに、キッチンのほうから水音や包丁でなにかを刻む音が聞こえてくるのだ。
「明智さん、ごめん」
 そう言ってキッチンに入ったはじめは、
「まさか、金田一くん、今日一日寝て過ごしたっていうんじゃないですよね」
と、おそらくは無意識のうちにだろう、小言モードのスイッチが入ったらしい明智が、振り向いたそのままの格好で固まるのを見た。
「………明智さん?」
 明智の色の薄い瞳が、はじめの頭の先から爪先までを、何度も往復する。
「君、なにを着てるんです」
「は?」
「そんなガウン、どこにありました?」
「ガウン?」
 昨夜はちゃんとパジャマに着替えて寝た。
 ガウンなんかは着る習慣もないし、第一持っていない。
 しかし、なにか引っかかるものがあった。
 それが何なのか、考えるより先に、はじめは自分を見下ろした。そうして、
「なんなんだ〜」
 瞬時にしてパニックを通り越してしまったのだ。
 その場で凍りついてしまったはじめから、明智は視線を外すことができなかった。
 はじめが着ているのは、アイボリー色の膝までの毛糸のガウンだった。どこにそんなものがあったのか、どう考えても明智にはわからない。しかし、どう考えてもわからない疑問よりも気になるのが、今のはじめの格好だった。
 なぜか?
 簡単である。
 明智にとって、今のはじめの格好は、酷く目の毒だったのだ。
 なぜなら、胸元の合わせが大きく開いているガウンは、ボタンで留める物ではない。しかも、寝乱れて、腰紐が今にも解けそうになっている。
 はっきり言って、はじめに対する恋愛感情を意識している明智にとって、これ以上に目の毒なモノなどありえない。
(淫行罪で身を誤ることほど、情けないものはありませんからね)
 気を引き締めて、
「金田一くん、そんなところで呆けてないで、さっさとお風呂に入ってきなさい」
 とんと、軽くはじめの背中を押した明智である。
to be continued
start 22:07 2002/12/04
up 21:40 2003/03/10
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