ごめんね3 |
◆◆◇◆◆はじめの知る高遠遙一という人物は、どこか天然ボケの入っている、育ちのいい坊ちゃんというイメージなのだが。 そう。ここで、断言してしまえない事実にぶつかるのだ。 『イメージなのだ。』で、済めばすっきりと落ち着ける。しかし、どうしても、『イメージなのだが。』と、落ち着きのない語尾になってしまう。 高遠遙一と言う人物は、伯爵家の当主で画家という、華やかなイメージだけではおさまりの悪い、予断を許さない存在に思えてならないのだった。 それは、アトリエではじめに向けられている琥珀色の瞳の奥に潜む、『なにか』のせいかもしれない。そうして、また、夜ごとの褥(しとね)で繰り広げられるいとなみの際に垣間見えることのある、高遠の『なにか』。 この『なにか』というのが、曲者なのだ。 疑問を疑問のまま置いておけないのが、かつてのはじめだった。しかし、今のはじめにとって、『なにか』というのは、他人の秘密であり、第三者が立ち入ったが最後、誰かが傷つかずにはおれないかもしれない領域だった。 高遠相手に馬鹿をやっていれば忘れていられる、両親の死に対するいまだ癒えてはいない感情を、その『なにか』に触れることで、掻き毟ってしまうかもしれない。もしくは、抜き差しならない何かに囚われてしまうかもしれない。そんな、ぼんやりとした危惧があった。だから、はじめは、その『なにか』に対して、目を瞑ってきていたのだ。 それでも、ふとした拍子に、高遠の琥珀色のまなざしの奥に、獰猛な感情の焔を垣間見ることがあった。 アトリエで、ベッドの上で。 もしくは、時折りの外出の際に。 獰猛でありながら冷ややかな、得体の知れない、焔。 それを見るたび、はじめは、背筋を駆け上る寒気を覚えずにはいられなかった。 いったいこいつは誰なんだ。―――そう思ってまじまじと凝視するはじめの視線に気づいた高遠からは、それらの気配はきれいさっぱりなくなるのだが。それでも、はじめは、そんなことのあった後も、高遠がまるで別人になったかのような違和感を拭い去れないのだった。 なんのかんのといいながら、はじめは高遠のことが嫌いじゃない。 元に戻るにはここにいないといけないのかもしれないということもある。 抱かれることには自己嫌悪がつきまとうが、からだが先に馴染んでしまっている。 高遠に「ねっ」とおねだりなんかされてしまうと、「絶対やだ」と、拒絶しきれない自分を知っている。 「やばい」のか、既に「おわっちゃってる」のか、悩みどころはたくさんあって、毎日、はじめの溜息の量は増えるばかりだった。 「はじめくん。これを着て私につきあってほしいのですが」 そう言って部屋に入ってきた高遠は、漆黒の燕尾服を着こなしている。 長崎がソファセットのテーブルの上に置いた箱を開け、取り出した燕尾服一式を黒檀の衝立にかけてゆく。 「堅苦しいところはやだって」 「一緒にきてくれるだけでいいんですよ。立食のパーティーですし、ね」 「ねっ」と、目を覗き込んで言われると、弱い。 「今回だけだぞ」 しぶしぶそう言うと、 「わかっていますよ」 そう言って、頭を撫でる。 (オレはガキかい) 突っ込む気力もない。しかし、 「ち、ちょっとまて」 じゃあと、当然とばかりに襟のボタンを外されかけて、はじめは焦った。 「自分でやっから」 「そうですか?」 名残惜しげな声の響きとともに喉もとにあてられていた白い手が退いてゆく。 ふと、その指に鈍い光を宿すものを見つけて、 「あれ? あんたって、いつもはそんな指輪してなかったよな」 はじめが何気なく言った瞬間、 「―――」 「……」 奇妙な間が訪れた。 「オレなんかわりいこと言った?」 「いいえ。これは、特別な指輪なんですよ。見ますか?」 目の前に差し出された高遠の白い右手の中指に、血のような赤をたたえているのは、金の台座に六角形の細工をほどこしている、なにか石のようなもの。それを無造作に抜いて、高遠がはじめの掌に乗せる。 「へぇ、三角に薄くした石を合わせて六角形を作ってるわけか」 「ええ。珊瑚の細工なんですよ。高遠の当主にのみ伝えられているものなんですけどね」 「そっか。大事なものなんだな」 「大事ですよ。もういいですか」 「あっ。ありがとな」 「どういたしまして」 そうして、はじめは、高遠が手袋を嵌めるさまをなんとなくながめていたのだった。 はじめが連れてゆかれたのは、燕尾服から想像したとおり、どこぞの華族の夜会だった。 春の宵ということもあり、庭のあちこちに焚かれた松明の灯が、庭いっぱいの桜の木を照らしている。 木々の間を縫うように庭を散策し、どこがどうとは言えないのだが微妙にちょうしっぱずれのオーケストラの生演奏にあわせてワルツのステップを楽しんだり、立食と高遠が言っていたとおり、喉を潤すものや腹を満たすもの、みな好き好きにやっているようだった。 燕尾服に華族の夜会。 肩が凝ると慄いていたはじめは、この雰囲気ならそうでもないかと、ほっと肩の力が抜けてくるのを感じた。 ただし、それは、外野として夜会を見ているときだけのことだった。 高遠がその場に姿を現すや、空気がざわめいた。 それは、淑女達の溜息のせいだった。 あちこちで、ひそひそととささやく声。 じかに声をかけるもの。 それまでの夜会の気だるげな雰囲気が、トーンアップしたような、上っ調子の変貌だった。 「高遠伯爵」 淑女、おそらくは既婚者だろう女たちに囲まれてにこやかに相対していた高遠(とはじめ)は、かけられた声に、振り返った。 「戸倉子爵。今宵はお招きをありがとう」 にこやかに微笑みながら高遠と握手を交わすのは、鼻の下に髭をたくわえた、四十代くらいの男だった。 「よくいらしてくださいました。おや、こちらが、あなたのモデルですか」 爬虫類めいた視線が、ちろりとはじめを捕え、手を差し出してきた。しかたがないと、応えて伸ばした手を、熱い掌が包み込んだ。 握手が済むと、興味が失せたのだろう、戸倉子爵の視線ほかは、すぐに高遠にもどされた。 「オレ、あっちにいっから」 ぽしょりとささやくと、高遠が、頷いた。 「ほんじゃな」 ひらひらと手を振って、はじめは舞踏室から庭に下りる五段の階段に向かった。 行きがけの駄賃に、皿の上に盛ったご馳走をぱくつきながら、はじめは、古めかしい夜会のさまを眺めていた。 背筋が突っ張る。 知らず緊張していたらしい。 どれくらいの間ぼんやりとしていただろう。 右肩を軽く叩かれ顔を向けたはじめは、逆光に浮かび上がる高遠の顔を認め、息を吐いた。 「用が済んだのか?」 無言で「おいで」と手を振る高遠につられるように、からだごと高遠のほうを向く。 春風に揺らぐ篝火に照らし出された高遠の顔は、赤く染まり、まるで、見知らぬ他人のようだった。 (ああ、あの雰囲気だ。けど、いつもより、強い。なんで?) 獰猛なまなざしに秘められた、冷ややかな焔。 背筋に怖気が立ちのぼってゆく。 「なんかあったのか?」 右手を頬に伸ばし、小さくささやいた。 「………ああ。はじめくん」 かすかすと、高遠らしからぬ張りのないトーンの声が、色の失せたくちびるからこぼれて落ちた。 「用が済んだんなら、帰るか? 気分悪そうだしさ」 「そうですね」 はじめの手を両手でくるみこむようにして握り、高遠が肯(うべな)った時だった。 プツン――――― オーケストラの微妙に調子っぱずれの音が途切れ、とってかわったのは、その場に集まった人々の、何とはわからぬ緊張に満ちたざわめきであった。そうして、それは、同時に、はじめにも馴染んだ雰囲気であったのだ。 「はじめくんっ」 駆け出したはじめに、高遠は刹那呆気に取られたように立ちつくしたが、 「やれやれ………」 と、つぶやくや、肩を竦め、はじめの後をゆるやかな足取りで追ったのである。 ◆◇◆◇◆「うわっ」 飛び起きたはじめは、胸を押さえた。 荒い息。 脂汗。 脳裏には、いまだ、昨夜の戸倉子爵の死に顔があった。 あの後、人々の緊張の中心に駆けつけたはじめは、そこに、鼻の下に髭をたくわえた、あの男の骸を見る破目になったのだ。 喉に細いワイヤーの跡がくっきりと刻まれていた。窒息死なのだろう。戸倉は泡を吹き、喉をかきむしって絶命していた。 その苦悶の表情が、これまでにはじめが経験してきたたくさんの事件を思い出させたのだ。 そうして、その結果の、両親の死を。 息が荒い。 胸が苦しい。 (喉……かわいた) 見回した視界に飛び込んできたのは、差し出されている透明な切子グラスに注がれた水だった。 礼もそこそこに、奪い取り、一息に飲み干す。 「おかわりは?」 低いトーンの声が、背中に響く。 「わりい」 タンブラーからあふれ出る透明な水が、グラスを満たしてゆく。 二杯目を半ばまで飲み、どうにか人心地がついた。 「サンキューな」 「どういたしまして。落ち着きましたか」 「ああ」 白い手が、コップを受け取り、サイドボードの上、タンブラーの隣にもどす。その手が背中に回り、優しくさすってくれるのを、はじめは心地好く感じていた。 背中をさすってくれているのが誰の手かなど、今更である。 高遠の体温が、はじめの鼓動をゆるやかに、おだやかなものへとトーンダウンさせてゆく。手が、背中を離れ、やがて、抱きしめるように前へと回された。 高遠のするがままに身をまかせ、はじめは、瞼を閉じた。 安らぐのだ。 こうして、高遠にゆるく抱きしめられているのは、どうしてだか、落ち着く。 どれくらいそうしていただろう。 「なぁ、たかとー」 「はい?」 薄いパジャマの布越しに、高遠の胸が上下するのを感じる。 「あれ、あんたがやったんだよな」 「あれ?」 「………とぼけんなよ。あの、戸倉って男のことだよ。あれ、あんたが殺したんだろ」 「どうして、わかりました?」 面白がっている。 あっさりと認めたのは、どうしてなのだろう。 ぼんやりと、そんなことを考えながら、どうしても、謎を解かずにはいられない自分の業(ごう)を疎ましいと、心の底から感じていた。 「うん。推理ってーのは今回必要なかった。直感だな。これは。帰ろうかとオレが言ったあの前のあんたの雰囲気。あれが、ひとを殺した直後の雰囲気なんだろーなって、閃いちまった」 「聡いですね」 「わりいな。あんまひとんこと突っつきたくはねーんだけどさ。黙ってるってーのも、性に合わないみたいだ」 「で、どうします?」 「どーもしない。多分、あれって、はじめてじゃねーよな」 「ええ」 「だったらさ、あれで最後にしないか?」 「私個人でどうにかなるものではないのですけど」 「……もしかして、本業って」 「ええ」 「……………」 「考えてみましょうか」 「ああ」 「私の願いを君が叶えてくれるなら」 「条件?」 「そうです」 「いいぜ。言ってみろよ」 「そうですね。君が、この先ずっと、私と共にいてくれるというのなら」 「いや、それは、無理かも………」 「私のことが嫌いですか?」 今更な質問に、はじめは、まじまじと高遠を凝視した。 顔を背後に向けて高遠と視線を合わせるのは、少々体勢的にきついのだが、それでも、せずにはいられなかったのだ。 「……嫌いじゃないんだけどさ」 「嬉しいですね」 「けど、ずっと一緒にいるってーのは、無理かもしれん」 (自分でもどうなるかわからねぇってーのに、うかつな返事はできねーよな) 「そうですね」 高遠のあっさりとした返事に、はじめは複雑な心境に陥るのだった。 「お、おい。なにしてんだ」 焦ったのは、高遠が例の指輪を抜いて、はじめの指にはめたからだ。 「大事な指輪だろ」 「もし、君が、いつかのように私の目の前から突然消えることがあったとしても、君が私のものだという証です。それに、この指輪は、ね、高遠の当主の証であると同時に暗殺の道具なのですよ。これがなければ、私は仕事ができない。誓いましょう。私は、仕事を、辞めると」 そうして、その三日後、まるで、はじめのことばが呼び水となったかのように、はじめの姿は高遠の前から消えたのだ。 to be continued
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