花屋で仕事人 2



 深夜。
 新月の深い闇が、揺らいだ――かに見えた。
 ビルの谷間からふらりと歩道に現れた影が、そのまま、不自然に倒れ伏す。
 一瞬の間をおいて、運悪く通りがかった通行人の悲鳴が、その場に響いた。
 赤い回転燈をまわしけたたましい音を立てながら、緊急車両がその場に止まる。
 手際よく黄色いロープが張り巡らされ、現場を保存していた派出所の刑事が、出張ってきた上役に敬 礼をする。


 少し前、はじめは、ゲーセンでしたたかな散財をした後、繁華街を家路についていた。
 金曜の夜ということもあり、学生の姿が目立つ。
 慣れた道のりを、ひとをよけながら歩いていると、見知った後姿を見つけたような気がした。
(高遠さん?)
 今日は臨時休業の張り紙が出ていた。昨日何も言ってなかったのにと、そのままの足でゲーセンに向 かったのだ。そのせいで散財をしたのだという理不尽な怒りめいたものが沸いてきた。
(ちぇっ。デートかよ)
 デートだと思ったのには、さして根拠はない。しいて言えば、昨日彼のところで見た見合い写真の山 のせいだろうか。
 子供だと自分を軽くあしらったりしない高遠のことを、容姿を別にしてもはじめは気に入っている。 だから、彼に恋人がいるかもしれないという、突然浮かんできた考えに、寂しいと感じた。
(チェックしてやる)
 大きなお世話である。
(高遠さんの恋人だったら、優しそうな美人か、きつめの美人だよな)
 オレの目にかなわない女だったら許さないぞという、ほとんど小姑根性のような決意で、はじめは高 遠の後をつけたのだった。
 人気のない路地に入ったところで引き返していればよかったのだ。
 そう思ったところで、遅すぎる。
(何だってこんな、人気のないところで……不倫だったら、邪魔してやる)
 少年特有の潔癖さで、なおも、高遠の後をつけたはじめだったが――――
 はじめが見たのは、野暮ったい黒ぶちのめがねで高遠がひとを殺す現場だった。
 左右にピンと伸びたツルの先が、一本だけついていた街灯の光をはじいた。ツルに刃物が仕込んであ ったらしい。
 めがね本体を手に握り、高遠は、男の喉を切り裂いたのだ。
 よろよろと路地を進む男の首から噴き出す血を、見たような気がした。
 悲鳴が、夜の空気を引き裂く。
 瞬間、はじめは、足元を何かにすくわれたような心地のまま後退り、かすかな音を立てたのだ。
 振り返った高遠の色の薄い目が、まるで夜行性の獣のような色を宿して、はじめを捉えた。
 刹那その瞳に現れ消えた、殺意と逡巡とを、はじめは、確かに、見た。
 まるで獲物に襲いかかる蛇のように伸びてきた手に二の腕を掴まれ、はじめは、高遠に引きずられる ようにしてその場を後にしたのである。


 冷蔵室のモーター音が、静かな部屋に充満している。
 花屋の奥の居間に、はじめはいた。
 全身が小刻みに震えている。
 差し出されたマグカップに、無意識に手を伸ばす。
「飲んで」
 いつもと変わらない穏やかな声だった。
 しかし、それに、逆らいがたい何かを、はじめは感じた。
 おとなしくマグを口元に運び、一口飲む。
 はじめが好きだと知ってから、常備してくれるようになったコーラの炭酸が、口の中ではじける。
 震えが、少しゆるやかになった。
 音たててマグをテーブルに置き、二の腕を抱きしめるようにして交差させてさする。
 目の前に、先ほどの光景が、フラッシュバックする。
 男の首を掻き切る慣れたしぐさ。
 高遠の、冷ややかな、目の色。
 高遠の顔を見ることもできない。
「なんで………」
 何を言えばいいのか。
 糾弾すべきなのか、それとも、理由を質(ただ)すべきなのか。はじめの飲み込んだ言葉を掬い取る ように、
「どうしてあんなところにいたのです」
 高遠が、静かに、たずねた。
「………」
 まさか、見かけたからつけたとは言えず、はじめは首を横に振る。
「まったく。現場を見られるなんて、とんだ失態ですよ」
 コトリというかすかな音に、はじめが思わず伏せていた目を上げると、めがねをはずしテーブルに置 いた高遠が、前髪を掻き上げていた。
 整った、はじめの好きな顔が、そこにはある。
 しかし、ひとのよさそうな雰囲気は拭い去られ、高遠がまとうのは、張り詰めた、冷ややかさだった 。
 高遠のまなざしが、ゆるりとはじめの視線を絡めとる。
 ゾクリ―――刹那はじめの背中を走りぬけたものを、なんと表現すればいいのか。
 ただならぬ気配に、はじめは慄(おのの)いた。
 とっさに立ち上がろうとしたはじめの頤(おとがい)を、白く優美な手がひるがえるようにして捉え た。
 互いの呼吸が触れるほど間近に、高遠の顔が迫っていた。
 動けない。
 軽く、ただ顎に手を添えられているだけなのに、身じろぐことすら封じられ、はじめは、あんなにも 気に入っていた高遠のめがねをはずした顔を凝視していた。
 色の薄い瞳が、はじめから逸れない。
 最後の手段と目を閉じても、痛いほどに、高遠の視線を感じる。
 心臓が、痛いくらいに泣き喚く。
 逃げろ、危険だ―――と。
 しかし、すでに、はじめは、高遠の術中にある。
 肉食獣に魅了せられた小動物のように、動きのすべてを、思考すらも奪われ、ただ震えるばかりだ。
「はじめくん」
 どこかあざけりを含んだような声が、はじめの耳朶を打つ。
「君、僕の顔が気に入ってるのでしょう」
 コクコクと、小刻みに頭を縦に振るはじめに、
「だったら、妹ではなく僕――ではだめですか」
 何を言われているのかわからなかった。
 そんな場合ではないことがわかっているにもかかわらず、まじまじと高遠の顔を凝視してしまうくら いに、性能のいいはずの頭はすこしも動いてはいなかったのだ。
「僕が君のものになれば、君は、僕がすることを黙っていてくれますよね」
 『したこと』ではなく『すること』――と高遠が言っているのを理解しているのかどうか、もとより 高遠が言っていることを理解しているとは言いがたいのだが、ここで諾と言わなければならないという 強迫観念から、はじめは高遠に屈したのだ。
「大丈夫。怖がらなくても。やさしくしてあげます」
 そう言うと、高遠は、過ぎるほど赤いくちびるではじめの口を封印するかのように、深いくちづけを 落としたのだ。

 

おしまい
030930


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