悪  戯


「なんだよこれ?」
 鳶色のまなざしが見上げてくる。
「チケットですよ」
「だから、なんのチケットだっつーてんだろ」
 大きな鳶色の瞳が、いかにも迷惑そうな表情をやどして自分を見ている。そんな顔で睨まれていても、ますます可愛らしく思えるのだから、重症である。
 高遠は、はぁ――と、これみよがしに溜息をついた。
 男にしては赤い、口角のくっと持ち上がったくちびるが、色っぽい。
「オレは、忙しいんだって。さっきからそう言ってんだろ」
 そう言うと、くるりと背を向ける。
 条件反射のように手が伸びた。
「ちょっ、なに」
 慌てた相手をターンさせ、腕の中に抱きしめ、くちづける。
 もがくからだの熱が、高遠を煽る。
 やがておとなしくなったはじめが、高遠にからだをあずけた。
 くったりと力を抜いたはじめのくちびるを思うさまに蹂躙しながら、金のまなざしがしてやったりといったように、はんなりと弛んだ。
 敏感というのかなんというのか、はじめはキスに弱い。
 抱きしめられるというシチュエイションにも弱いのは、おそらく、抱きしめる側もまた男であるという状況のせいなのだろう。おそらく、思考が止まってしまい、全身が硬直してしまうのだ。
 それをよいことに、いつも、高遠ははじめのくちびるを堪能する。
 もちろん、これだけで済ませるはずもない。
 もがくはじめを抱き上げて、高遠は、寝室へと向かった。


◇◇◆◇◇

 当代人気の売れっ子作家、それが、金田一はじめである。
 血飛沫が飛び散り有象無象の魑魅魍魎が跋扈するホラーの作風と、ひとの心を操るサイコ・パスを主役にした復讐譚のミステリィ。かとおもえば、ころりとトーンを変えた、リリカルなロマンスや人情もの。―――その作品は、情け容赦のないホラーであれ、いずれも感動的で、幅広く、ひとの心をつかんで離さない。
 もっとも、金田一はじめという名を聞いて、ああと頷くのは、担当の編集者くらいだろう。
 はっきり言ってしまえば、はじめは、高校生であると同時に覆面作家なのだった。
 そうして、高遠遙一はといえば、言わずと知れた、世界的マジシャンである。
 スケジュールは常に詰まっていて、一年中世界を飛び回っている。
 おかげで、この最愛の恋人との逢瀬さえも、遙一自身の自由にはならない時が多い。
 まぁ、よほど会いたければ、どうやってでも時間は作りますけど――とは、高遠遙一本人の弁である。
 しかし、こうして時間を割いてやってきても、遙一の恋人は、喜んだ顔を見せることはない。
 いつも、迷惑そうな、不機嫌そうな、そんな顔で、遙一を見上げるのだ。
 そんな顔が、逆に遙一を煽ってることに、たぶん、はじめは、気づいていないのだろう。
 気づいてやっているのなら―――それはそれで、楽しいのですけれどねと、遙一はうそぶく。
 所詮、恋愛など、先に好きになったほうの負けである。
 負けた自分を楽しむというのも、ありですよね。
 ―――――私も、もの好きですよねぇと、遙一自身思っていたりする。
 少年らしさを色濃く残したなめらかな肌が、喜悦に赤く染まって、なまめいて見える。
 にじみ滴りながれる汗が、肌重に幾筋もの線を描く。
 噛み殺したうめき声が、反り返る喉のラインが、存在のすべてが、遙一を惹きつけてやまないのだ。
 愛している―――ささやいたところで、今のはじめには、聞こえないだろう。
 わかっていても、言わずにはおれなかった。



 上半身をベッドヘッドに預けて、はじめの髪を梳いていた。と、
「で、このチケットは、いったいどういう意味なんだよ」
 かすれた声で、それでも、問いただしてくる。
 いいかげんしつこいですねと思いつつ、
「八月のその日から二週間、オフをとりました。クルーザーにご招待しますから、はじめくんも休んでくださいね」
 ベッドのうえに起き上がれないでいるはじめを見下ろす。
「あんたってば、いつだってごーいんなんだよな」
 あきらめたようにつぶやくはじめのくちびるを掠め取り、
「いいですね」
 遙一は、念を押した。


◇◇◆◇◇

 今朝まで原稿にかかっていたというはじめは寝不足なのだろう。目の下の隈が、やけに色っぽい。どちらかといえば、それは、惚れた欲目なのだったが、惚れてしまえばナンとやらの、遙一には大きなお世話である。
 桟橋までくるのに、ちらちらとはじめに向けられる視線がどれほどあっただろう。それを思えば、遙一の秀麗な眉間に皺が刻まれる。もっとも、それは、遙一の勘違いなのだ。そう、職業柄常にひとの視線に晒されている遙一は、どちらかというとオフの日のひとの視線には極端に鈍くなる。だから、自分に向けられた視線を、はじめに向けられたものだと、勘違いしてしまったのである。
 不快ですね―――と独り語ち、
「これをかけてくださいね」
 有無を言わさぬ押し出しで、それまで自分がかけていたサングラスをはじめにかけさせたのである。


 クルーザーで船出して三日目だった。
 突然の暴風雨には、いくら遙一の腕をもってしても、かなわなかった。
 けっきょく、暗礁に乗り上げたクルーザーの通信機器までもがおしゃかになり、遙一は膨らませた救命ボートにはじめと食料とを積み込んで、オールで海原に乗り出したのだ。
 みるみるクルーザーが波に飲み込まれてゆく。
「お酒ですが、飲めますか? 無理してでも飲んだほうがいいですよ」
 雨に濡れて震えているはじめに、準備万端怠りない遙一は、ポケットからワイン入りの携帯用ボトルを取り出して投げ渡した。
   未青年ということもあって、興味や冒険心ばかりが先に立つのだろう、はじめは案外酒に弱い。逆に、案外弱そうに見えて、実は遙一は酒に強い。だから、ついつい心配してしまって、あまり度数の高くないワインを携帯用ボトルに入れるという、ミスマッチをしてしまったのだ。――ぬるくなったワインほど始末に終えないものはない。
「ああ。サンキュ」
 ボトルの蓋を開け、はじめが呷るようにしてまずいワインを飲んだ。
 仰向いた瞬間綺麗なラインを描いたはじめの喉に、遙一は思わず見惚れていた。状況を考えれば、危険きわまりない。
 しかし――――――。
 遙一の口角が、深い笑みを刻む。それは、会心の笑みというヤツである。


 やがて流れ着く無人の島で、最愛の恋人との休暇がはじまるのだと思えば、遙一が笑いを噛み殺しそびれるのもいたしかたない。
 邪魔も入らない。
 あらかじめ、スタッフたちには邪魔をするなと伝えてある。
 スケジュールをやりくりして、やっと取れた休暇だった。
 たまには、恋人と二人っきりのバカンスを堪能したいと願っても、バチはあたらないのにちがいない。
 そう、クルーザーが難破したのも、あらかじめの計画通りだった。
 これから向かう島も、実をいえば、遙一がこのために手に入れた、彼所有の島である。
 休暇も終わるころになれば、ヘリが迎えにくる手はずは、すっかり整っている。
 襲いくる幾多の荒波を乗り越えて、遙一は、はじめとの完璧なバカンス目指して、オールをこぐ手に力をこめた。
 


おしまい

あとがき

わはははは(^^ゞ) すみません、かんすさま。高金バージョンにリメイクしてみました。どうでしょう。
元話は、かんすさまにプレゼントさせていただいた魚里最初で最後だろう猪高小説です。ほぼもとのままです。
使ってみたい壁紙がありまして(ええ、これです。ちょっと外してますね)、どうしても夏の海のお話を捏造したかったのです。途中まで書きかけてはいるのですが、微妙なものなので、こちらにしてみました。極道……まっしぐらです。
 魚里自己満足の一品ですが、少しでも楽しんでいただけると嬉しいです。
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