「イテテ、イテ、ッテー!!」 一が横たわっているのは診察室の寝台である。 ドクター・ルドルフは整体やマッサージの心得が有り、筋肉痛が酷いというのを聞いて親切に申し出てくれた。 だが、痛い。 一は涙目になりながら唸り、終わる頃にはすっかりくたびれ果てていた。
『ありがとうございました………』 しかし、傷む全身を起こしてみると。 「お、軽い?」 ひょいと上がる腕。足も大分良い。 すごい、と感心しながら椅子から降りた一は、にこにこ笑顔のままルドルフが差しだした品物に固まった。 『要らないの?』 「要るかンなモン!」 一は思わず日本語で返した。 「ったく………」
それこそ新婚夫婦並に励んだとしても、絶対に孕む事はない。 これでどちらかが遊び人という話だったら、病気予防も考えなければならないが……… 一が一番良く知っている。あの忙しさ+アレで、他にまで手を出していたら正真正銘人間ではない。
ぶつぶつと愚痴りながら通路を歩いていた一は、不意にバランスを崩してつんのめった。 何時の間にやら階段まできていたらしい。ぼーっとしていて危ない。 何しろ今日はショウの当日である。朝から高遠は忙しく、一は一でブレイズ、バートラム、船長のメンバーと論議を繰り広げていた。
「君は観客席に居ることが、仕事なんだ」 「そんなんしたらオカシイだろ?!俺、只の助手なんだぜ」 「バートラム、一の立場も分かってやれよ。アンタが引きずり込んだんだろう?」 「………」 無口な船長を除いて、全員が引かない。 バートラムは一がVIP席で閲覧する事を望んでいる。 その方が高遠にも良い、というのが理由である。 一とブレイズは勿論反対だった。只でさえ助手としては破格の扱い、怪しいのに、この上席まで一等では完全にバレてしまう。 「心配ないよ。ミランダは最前列の席をキープしているが、そこからVIPルームは身体を捻らないと見れないじゃないか」 「そうだけど………」 「逆に、舞台袖に君が居るのは良くない。あそこは何もかもバタバタして、スタッフも走り回っている。君の安全面から考えても、私の隣が良い」 「う………」 熱心に説くバートラムに、それまで黙りこくっていた船長クーリイが問うた。 『オーナー………貴方は、彼に何をさせたいのですか?』 『まったくだ。俺もそれを聞きたいよ』 賛同するブレイズに曖昧な笑みを浮かべ、バートラムが流す。 『遙一が素晴らしいショウをするだろう。それでは不満かね?』 ―――つまり馬の前にぶらさげられた人参か俺は。 一の思考はストレスと相まって捻くれ始めていた。 ミランダの視線が気になって、外では非常に緊張する。 高遠も気をつけてくれてはいるのだが、ちょっと一がよろけたり躓いたりする度疾風のようにやってくるので逆効果かもしれない。
部屋に戻った一がクローゼットを開け、準備をしていると。 コンコンとノックが鳴る。 「はい」 『失礼します』 顔を見せたのは船長のクーリイだった。 彼はバートラム並に忙しい筈なのだが、その合間を縫って一を案内してくれる事になっていた。 『ああ、どうも』 今では一も簡単な日常会話程度なら話せる。鍛錬、というか耳で、実地で覚えた結果である。 ブレイズのおかげで品の宜しくないリアクションもお手の物。 制服のおかげでネクタイは結べるが、全体的にいまいち、何だろうと首を傾げていた一はクーリイに言われて初めて気付いた。 『靴はどうしました?』 『………そっか』 いつもの履き慣れたスニーカーでは、当然フォーマルは似合わない。 船上ではドレスコード(服装規定)があり、夕食後の時間ラフな格好で出歩くことは出来ないのだった。 『とても良く似合っていますよ』 クーリイは紳士なので、穏やかな笑みを浮かべて格好を褒めてくれたが一にしたら七五三以来のおめかしで、落ち着かないことこの上ない。 何度もネクタイを弄り、シャツの中で身を捩らせ、終いにはぴょんぴょん跳ね出した一に彼は微笑んだ。 『やっぱ、どっか、おかしい』 口を尖らせる一をドレッサールームへ連れたクーリイは、椅子に座らせヘアブラシを手に取る。 一の髪を縛っているゴムを取ると、慣れた手つきで梳かし始めた。 『慣れないでしょうが、この方が服装には………』 『お、おろすの?』 『ええ』
人が集まり始めている会場前のロビー。 クーリイに連れられた一は即人に囲まれ、色々と質問を受ける羽目になる。顔を引きつらせながら拙い英語で年齢など答えていると、ブレイズがすっ飛んできた。 「何処のお坊ちゃんかと思ったぜ」 「なあ、おかしくないか?」 「確かに笑えるが、おかしいって程じゃない」 悪戯っぽい視線を巡らせ、クーリイは急いで一を引っ張っていく。 「彼女が来たな。とっとと楽屋へ顔出して来よう」 そのまま警備員が立っている扉を抜け(抜ける際、急ぎ以外は誰も中に入れないようにと忠告を忘れなかった)て狭い通路を走る。 「ミランダは直ぐ来るぜ。ま、其処で引き返す事になるだろうが」 ブレイズはかなりの洒落者である。 白のタキシードに花を飾り、まるで披露宴の新郎みたいな派手さだ。 金髪は緩く編んであるし、それを結ぶリボンも純白で気取っている。 容姿が良いからこそ許されるのだろうが、それにしても凄い格好だった。 「ブレイズ、それ………」 「ああ。いい男だろ?」 「っていうか………なんつーか………」 「はっはっは」 快活な笑いで一を案内した彼は、忙しいスタッフの合間をすり抜けて控え室に辿り着く。 「よし」 ノック後、扉に手をかけたブレイズは中からの返事に顔を顰めた。 返事は二つ、だったからだ。
『………失礼します』 陰気な、ぼそぼそした声で挨拶を残して去っていった男はミランダのマネージャーだった。 彼は一瞬ちらりと一に視線を走らせ、そのまま立ち去っていく。 「遙一」 「高遠」 それぞれに呼びながら部屋に飛び込んだ2人を、高遠は立ち上がって迎えたのだが、一を見ると動きが止まった。 「………」 「な、なんだよ」 無言で食い入るように見つめてくる相手に、居心地が悪くなった一がぶっきらぼうに問う。 隣に立っていたブレイズも呆然としていたが、ややあって「ああ、気が利かなくてゴメン」などと良いながら部屋を出て扉を閉めた。どうやらそのままドアに凭れている。 「なんだあ?」 鈍い一が怪訝な顔でドアを見ていると、高遠はステージ衣装のまま近づく。 気配を感じて振り向くと、もう遅かった。 「んんっ!」 押し退けようとする手さえ掴み、半ば抱き上げるように腕を回すと唇を触れ合わせる。 こんな時に何を考えているんだっ、と噛みつきそうになった一も、徐々に力が抜けて脱力した。 反射のようなものだ。触れられれば逆らえない。
「あのなあ………」 やっと解放して貰えた一は、荒い息を付きながら椅子にへたり込む。 ステージ前に頑張れよ!と言いに来たのに。 「違うんだよ………俺はその」 頭の中が真っ白で、考えるのが億劫だ。今からこれでは先が思いやられる。 「誰がこれを?」 高遠はゆるりと手を伸ばして髪を撫でた。 その目には微妙な嫉妬の色が覗いている。キリが無い男である。 「あ?えっと、船長さん………」 「クーリイ、ですね」 「ホールまで案内してくれた」 一の視線はぼんやりと台の上を彷徨った。キスの後はいつも照れくさいし、恥ずかしい。 「これ着けるのか」 一が手に取ったのは、シンプルだが形の整った白い仮面だった。 顔半分を覆うタイプ。高遠が度々これを身につけてステージに上がっていることは、一も知っている。 高遠は、素直に仮面を見つめている一の前に膝を降ろした。 「君が着けてくれますか」 「へ?」 にこ、と笑顔を向けられて一は凍った。この笑い方。 一見冗談のように見えるが、相手が限りなく本気であることを一は知っている。
こほん、と咳払いをして。 改めて慎重にそれを手に取り、目の前の顔に嵌めようとした一は次の瞬間物音に飛び上がった。
「やあ遙一!調子はどうだい?一も来ていたのか………ん?」
バートラムの後ろでは、頭を抱えて地団駄を踏んでいるブレイズの姿が見える。 恐らく止めたにもかかわらず、何が?とか何とか言いながら突破してしまったのだろう。 一応オーナーで雇い主であるバートラムである。ブレイズは相手が悪かった。 「お邪魔だったかな?」 「ええそうですよ」 完全に邪魔である。 高遠は冷たい声でそう言い放つと、一を椅子から立たせる。 「ショウを楽しんでくださいね」 「う、うん」 にっこりと笑うその笑顔の裏に、得体の知れない迫力を感じて一は引きつった笑みを返した。
バートラムの招待客は錚々たるメンバーだった。 その中で、ふんぞり返って見るわけにも行かず。窮屈な思いで身じろいだ一に飲み物が差しだされる。 重厚なカーテンで両端を覆った二階VIP席。オペラグラスでショウを見るというのはなんだか間が抜けている。 一は姿勢を正し、殆ど無意識にグラスへ口を付けた。 「ケホッ」 中身は酒だった。慌てて置いて、周囲を見渡す。 バートラムは始終にこにこと機嫌が良く―――座っている御婦人と愛想良く会話していたが―――部屋が暗くなり、ショウが始まると同時に口を噤み、背筋を伸ばす。 一もステージに浮かび上がる"今夜の主役"に視線を移した。
照明が当てられ、拍手が鳴り響く。 一礼して下がった高遠はあの仮面を着け、マントを翻して――― 消えた。 マジックはもう始まっている。
一は舞台に居る高遠の表情(?)を読める程"堪能"ではない。 本当に、普通に凄いなあと見る。 トリックを考えるヒマはない。終わってからあれ?え?と戸惑うことはあっても。 だから、ふとバートラムが漏らした言葉の意味が浸透したのは、大分時間が経ってからだった。 「………いいね。凄くいい。選択は間違っていなかった」
ショウが終わった直後の大音量の歓声、拍手。 一はのろのろと立ち上がり、部屋を出た。 興奮が頭の中にだけあって、外には出ない。そんな状態を会話で邪魔されたくなくて、足が動いたのだった。 ―――全く違う物だった。 仕掛けの規模など関係ない。観客は本物の魔術みたいだと思ったに違いない。
ところがホールを横切ろうとした一の前に、立ち塞がる人影があった。 顔を上げると、酷く思い詰めた表情のミランダが仁王立ちに立っていて。 一は思わず仰け反って声を上げた。 「うわっ!」 そんな態度にも頓着せず、ミランダは一の手を掴む。 『誰なの?!』 『は?』 『彼の恋人は誰かって聞いてるのよ!知ってるんでしょ!?』 唐突な行動の意味を量りかね、驚いた一は一歩後退って言った。 『いったい何の話ですか?』 薄絹のストールを振り乱し、彼女はヒステリックに叫ぶ。 『じゃああのステージは何!!』
『と、とにかく落ち着いて………』 ミランダを端のソファーに座らせたものの、一は心底困っていた。 馬鹿正直に実は俺なんだよね、などと言ったら最後絶対殺される。何しろこの剣幕だ。 ビクビクと成り行きを見守っていると、彼女は親指の爪を噛みながらブツブツと呟いている。 『あんな、あんなの………酷いわ。違う………』
彼女もステージに立つ者として知っている。 今日の舞台は彼女が見た中でも最高の出来だったと思う。 そしてそれは情緒面の問題だ。 彼女の知っている高遠のショウはミスの無い完璧な物だが、何処か冷めている部分が必ず見えた。 自分の行うショウに客観的な視線を持つのは良い事なのだが、やはり豊かな表現力を得る為には多少オーバーな程入り込む必要がある。
魅せよう、という気概。 楽しませようとする心。
技術では申し分のない高遠。 それでもやはり若いせいか、一部の客達からは人間味が感じられぬと評される事があった。だが今日の舞台はその要求を完全にクリアしていた。 ミランダは私生活では問題の多い人物だが、仕事や舞台に関しては鼻が効くし勘も働く。 その変化が―――恐らく一人の人間によってもたらされたことを。 『………許さない』 自分以外の女が、そうした。 そう考えるだけでミランダの嫉妬心は燃え上がった。激しやすいタイプの彼女は足音も荒くホールを出て行く。 「お、おっかねえ………」 ぶるりと身を震わせ、後退った一は其処で我に返る。 こっそりドアを通り、控え室に走った。
既に着替えていた高遠は、スタッフに労いの言葉をかけているらしい。 邪魔にならないよう部屋で待ちながら、何とはなしにロッカーを開ける。 ガランとしたその空間。 ―――? 微かに違和感を感じ、覗き込もうとした一は物音に振り返る。 「っと」 丁度ブレイズと共に帰ってきた高遠が、一の姿を目に止めて笑みを浮かべた。 「すっごく、良かった」 興奮する心境のまま駆け寄ると、優しい微笑を浮かべて目を伏せる。 「君のおかげですよ」 思わず赤面した一の肩にブレイズの手が置かれた。 「まったく、ねえ。大したもんだよねえ」 「んなこたないって!」 「まー、かわいい」 からかい口調でつつき、散々笑っていると今度はバートラムが顔を出した。 「速いね、一。流石」 「………ストップ!」 突然遮られ、目をパチクリさせたバートラム。ブレイズ。 一は先刻感じた違和感の正体に気付き、し、と指を立ててロッカーのドアを開ける。 少し、ドアが重いのだ。これが違和感の正体。 「………」 ご丁寧にグレー色のガムテープで固められた小さなブロック。 玩具のようなそれが、盗聴器である事に気付き皆の顔色が変わる。 「私の船でそんな事をするとはね」 バートラムが深いため息を吐く。 犯人の心当たりはありすぎる程だろう。 「巫山戯た真似しやがって………!」 ブレイズがそれを掴み、床に落とし靴で踏みつけた。
ミランダのマネージャーは性根はともかく、器用な男だ。 ショウの前に取り付けたのだろう。ココまでするか、と一は呆れたが同時に怖くもなる。 「その人、なんでココまでするの?」 首を傾げた一に、バートラムが説明する。 「彼はミランダの才能に惚れ込んでいる。確かに―――歌に関しては、彼女はなかなかなのさ」 ブレイズが顔を背けるが、悔しそうな表情からそれが真実であることが伺えた。 一はまだ怖くてステージを見に行っていないが……… 「オーナーと同じ理由で彼女と遙一をくっつけたがってるんだよ」 フン、と聞こえてきそうな態度で言い放つ彼にバートラムが苦笑する。 遠慮のない物言いはブレイズが気を許している(もしくは敵対している)時の特徴であり、親しみなのだ。友人でもある2人は慣れているらしい。 「とにかく、気をつけてれば大丈夫だろう」 バートラムがそう締めくくったが、物事はそうスムーズに運ばない物である。
一が見つけたのは一つ。 仕掛けられた盗聴器はもう一つ、あった。 勿論高遠の部屋は入れない。それ故にミランダのマネージャーはドアの前、通路の横にはめ込まれている水槽(ちなみに熱帯魚が泳いでいる)にそれを仕掛けたのだ。 彼にしては保険の意味だったのだが、これがビンゴだった。
「ヤバイ、かな」 「本当にすみません」 「アンタのせいじゃないんだから」 「一くん………」 「あれ?やっぱり高遠のせいかなー。馬鹿やって少し人気、落としてみる?」
クスクス笑いと軽口。 和やかな空気と、何処か甘い言葉の響き。 言葉が分からず、日本語辞書と首っ引きでも………察せられる。 尋常じゃない親しさ。 破格の対応。 全てに合点が行くのだ。
イヤホンを置いて、男はゆっくりと後ろを振り返る。 『何か分かったの?』 丁度ミランダが顔を覗かせた所で、彼は言った。
『打つ手は、あるさ。何も心配は要らないよ、ミランダ』
頭が痛かった。
「………う」 朦朧とした意識でゆっくりと目を開ける。 視界いっぱいに広がった灰色。一は何度も瞬きをしたが、実際瞼が動いたのは一度だけだった。 身体が重く感じられ、動きも鈍い。
『目を覚ましたか。クソ、案外早いな』 ぼそぼそとした声。 聞き覚えがあるような………と視線を巡らせると、くすんだ色のスーツが見えた。 ぐい、と引っ張られ、バランスを崩す。 「う、あ……」 束ねた髪を引っ張られ、無理矢理引きずられて一は声を上げた。 『煩い』
転がされたのは、大きな箱の中。 一は後ろ手で縛られて、身動きが出来ない。思考もぼんやりしていて、抵抗の2文字は浮かばなかった。 乱暴に押し込まれる。 『こんなガキには相応の末路だ』 吐き捨てられた言葉に不穏なものを感じつつ、一は痛みに目を瞑った。
―――暗い。
遠ざかる足音と、静まりかえった周囲。 そうして―――物音一つ聞こえなくなる。
部屋を出たのは昼過ぎ。 昼食をルームサービスで済ませ、高遠を送り出した後デッキへ向かった。 チーフ・エンジニアのマイケルが普段は見れない機関部の見学に誘ってくれたのだ。第一印象の通り、子供好きな彼は一を可愛がっている。 一度など担ぎ上げられ、肩車をされた。大男のマイケル+一の身長で、頭を天井にぶつけたのは言うまでもない。痛かった。 だが気のいいマイケルと一は気が合った。だからウキウキと急いでいた。 (………それで) エレベータを待っていた。 (………それから) 不意に後ろから腕が回され、何か、白いものが……… (エーテルかクロロホルムだな………) やられた。 すっかりバレたのか。ミランダのマネージャーは薄い表情で一を荷物のように扱い、こんな場所に放置した。 (何処だよ………此処は………?) 見ようにも、箱の中に入れられ縛られていて身動きが取れず、薬物のせいか身体も動かない。 (いてて………)
まったく駄目だった。 視界も白くぼやけている。指一本動けそうにない。 時間が経っていく感覚も薄くなり、ともすれば眠り込んでしまいそうな程。 ただ待つしかない。動けない、声も出ないではどうしようもない。 だが此処は何処だろうか……… 汗を滲ませて必死に考える一の耳に、物音が近づいてきた。 『急げよ。時間通りにセットしないと』 『順番札が無いぜ。何処行ったんだか………』 『最初の箱だろ?切れ込みがあってストッパーが無い』 がらがらと押されている。どうやらキャスターが付いているらしい。 人が持つ箱なら重さで分かるだろうが、この状況では。 『この間のショウは大成功だったろう。寄港地で乗り込んできた客が詰めかけてる』 『でも、今日のタカトウは感じが違ったな。大丈夫かね』 『彼のミスなんて、想像出来るかい?』 『それにしても………』 (タカトウ………高遠………そうだ) 自分が居ないことに気付いたのか。 マイケルの所に行くはずだったから、騒ぎになっているかもしれない。 『よし、この位置だ』 『中には何が入ってるんだ?』 『切断用の人形さ』
切断用の人形?!
『前日に彼自身がチェックを入れていた』 『なら良いな。行こうぜ』 良くない。とんでもない。 運ばれていく箱の中、必死に身体を動かそうとしたが上手くいかない。 もしかしたら、何か別の薬を打たれたのかしれない。 (とにかく………なんとかしないと………!)
寄港地でのショウは、それだけを目当てに来て帰る客が半数以上を占めている。 ミランダは落ち着かない気分で席に居た。前から一列置いた席である。 彼女はマネージャーの言った言葉が気がかりで、先刻から忙しなく視線を巡らせていた。 (あの子………) 話を聞いたときはまさか、と思った。 次いで怒りが込み上げる。ミランダはヒステリックに泣き叫び、宥めようとするマネージャーに当たり散らした。 だが……… その時、相手が言った一言。心に棘のように突き刺さっている。 『心配要らない。全て任せてくれ』
いつでもそうだった。 彼女は要求を伝えるだけでいい。後は全てやってくれた。 したいようにするのは当然だと彼は言った。 ミランダは―――信じたのだ。 自分には、その権利があると信じた。 いつだってそうやってきた。
(でも子供なのよ…) 震えが止まらない。何か、とんでもなく悪い予感がする。 『遅くなってすまないね、ミランダ』 びくり、と震えた肩。 隣に席をとったマネージャーが、満足げな笑みを浮かべて座る。 『ねえ、どういうこと?あの子、何処へやったの?!』 『君が心配する必要はない。大丈夫、全て上手くいくさ………さ、ショウが始まるよ!』
照明が落とされ、暗くなった室内。 誰かの笑い声が瞬間に途絶え、静まり返った。
ショウの半ばを過ぎた頃。 ステージ中央には大きなボックスが運び込まれ、着々と次の準備が出来ていく。 ミランダは気配を感じてふと目を上げた。 高遠がマイクを使って、観客に呼びかけている。 手伝って頂けますか、と流暢な英語が流れると、客席の人間はこぞって立ち上がりアピールした。老若男女関係なく、皆熱心なファンである。 そんな中、高遠は素早く先刻まで使用していたトランプカードを切って、一枚引き出す。 ―――ハートの7。 『では………A7番の席の方』 ライトの光が、青ざめて座り込むミランダを暗闇に映し出した。
半ば無理矢理ステージに上げられた彼女を、マネージャーが慌てて引き留めようとする。 『止めろ!ミランダ、行くんじゃない』 『何………?』 丁寧な扱いで案内され、高遠に手を取られた彼女はしかしそれどころではない。 真っ青な顔色でしきりに合図し、周囲の者から落ち着けと宥められているマネージャーが気がかりなのだ。 しかし関係なく、ショウが進んでいく。
マジックとしては良くある物だ。ギロチン台とボックスが合体した装置の前で、ミランダは途方に暮れた。 下りてこいと喚くマネージャーと、ショウを進めようとする高遠の合間で戸惑っていたのだ。 『では』 手に握らされたレバーを引くと、刃が下りる。 中には刃が切れる事を証明する―――この場合は人形が―――入っている筈だ。ミランダは以前見て知っている。 『さあ、ミランダ』 促されてレバーを握った彼女は、もう警備員に押し止められる程取り乱しているマネージャーの姿を見て気付いた。 『………まさか』 人形のサイズは普通の人間と同じ、約170センチ前後のもの。 断面を分かり易くするため、それなりに素材は重くなる。
出来ない、と首を横に振る彼女を高遠は静かに待っている。 しかし客がざわめき始め、彼女の手が一向に動かないのを知ると、レバーを上から掴む。 『ミランダ』 『駄目よヨウイチ止めて!!』 強い力を感じた瞬間。 彼女は刃を止めようと、無我夢中で反射的に隙間へ手を差し込んだ。 『キャアァァァ!!!!』 会場は大混乱に陥った。 甲高いミランダの悲鳴に合わせ、彼方此方で鋭い声が飛びかう。 止めろ、だの、危ないだのという意味をなさない言葉。 誰もが吹き出す血を想像し、目を瞑った瞬間。 ボックスの金具が外れ、中から人形の首が転がり落ちた。
ザアアアアア、という音。拍手。 まるで豪雨のような音に、ミランダは閉じていた目を開く。 両手はあった。 動くし、マニキュアを塗った爪も指も、変わらない姿で其処にあった。 『き、切れてない………』 呆然と呟く彼女は、両手を上にかざした。拍手の音は更に大きくなる。 人形の首だけが切れて、床に無造作に転がっていた。
ショウの終わったホール。ミランダは放心状態で椅子に腰掛けていた。 観客は全て席を立ち、後の船上パーティーに出ている。一人も残っていない。 警備員に連れていかれたマネージャーは姿を見せない。 しでかしたことの自覚がジワジワと染みだし、背筋が寒くなる。 ガチャ、とドアが開いた。 入ってきたのはオーナーのバートラムとブレイズである。 『まさか本当に手ェ突っ込むとはね………』 憮然とした声。 ブレイズである。ちなみに表情は無い。 心なしかムスっとしているような気もするが。 『言ったろう?私の人を見る目を信用しろと』 『へえへえ』 長い髪を掻き上げ、フンと鼻で笑った彼は行儀悪く椅子の背もたれに乗りかかった。 『歩けるんだろ?ボケっとしてないでさっさと行こうぜ』
急き立てるようにして連れてこられた場所は医務室である。 怪訝な顔をするミランダに、バートラムが人差し指を立てて合図する。 『静かにね』 彼女が入ると、カーテンの奥でルドルフに脈を取られていた一が顔を上げた。 「いてっ………」 『こら、まだ無理をしない』 頭を抑えている。痛むらしいが、やがてゆっくりと壁を背にして起き上がる。
『此処で、見てたよ。酷い冗談に付き合わされたなあ』 苦笑する表情に怒りの色は何処にもなく、ミランダは拍子抜けした。 『あなた………無事、だったの?』 『頭と手首は痛いけど、それ以外は平気。どこも切れてないよ』 顔色は良くないが、冗談を言う余裕があるのだろう。 『高遠が手抜きしないのはアンタも良く知ってるだろ?箱の開平部分に番号札貼ってるんだと。それが剥がれてたから開けたら、俺が入ってたってワケ』 一が居なくなったせいで船内を捜索していたら、時間が来てしまい事前のチェックが入らなかった。 マネージャーはそれを計算に入れ一を海に放り込まなかったが、逆にそれで助かったのである。 薬のせいで息も絶え絶えな一を見つけた高遠は驚いただろう。 心配させちゃって悪いことをしたなーと思いつつ、医務室で眠ったおかげで大分落ち着いている。
『それ以降がもう………大変だったけどね………ステージ上でアンタのマネージャーぶっ殺すって言うから止めてさあ………バートラムさんとブレイズとドクター、俺4人がかりで説得して』 さりげなく聞かされたがとんでもない話である。ミランダは青くなった。 『安心したまえ。彼は警備員がちゃんと保護している』 『じゃないと何時切り刻まれっか分からんからな』 『あいつ案外気が短いでやんの。言っとくが、ツラで騙されちゃ駄目だぜ』 バートラム、ブレイズ、極めつけに最後の一の発言。 その妙に現実味の伴う言葉。 はっきりとした敗北感を噛み締め、ミランダはなんとか笑顔を浮かべることに成功した。 『………そうね、本当に。ちゃんとしなきゃ』
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『妄想道場』の一太さまよりいただきました。
まだ、エピローグがあるのです。アップさせていただけるのが、待ち遠しいですね。
はじめちゃんも高遠くんも、何気に怪しいオリキャラたちも魅力的ですよね。ああ、楽しいです。本当にありがとう、一太さん。感謝感激です♪