Love Song 2







ふっと、意識が闇の中から浮き上がり、もうすぐ目覚めのやってくる、ぼんやりとした感覚がはじめを包んでいた。復活し始めた聴覚が、普段なら、薄い壁を通して聞こえてくる騒がしげな音を捉えるはずなのに、今日に限って、気味の悪いくらい、静まり返っている。

なんか、変だな……っていうか、おれ、いつの間に眠ったんだっけ…?

まだ半分眠っている頭が、考える。

違和感が、身体に纏わりついている。

何かが、違う。

はじめは、重い瞼を無理やり開いた。

薄暗い部屋の中に、机の上のデスクライトがオレンジ色の明かりを広げている。

そちらに顔を向けると、人影が、見えた。

相部屋の草太かと思って、声を掛けようとして、凍りつく。

そこに座って、本を読んでいる人物、それは、草太では、無かったのだ。

ゆったりと足を組み、机に片肘を着きながら、何かを待つように、静かに本を読んでいる。ページを繰る音さえ、聞こえてきそうな気がして、はじめは思わず、息を飲んだ。

瞬間、気配に気付いたその人物は、ぱたりと本を閉じると、こちらに顔を向けた。

怜悧な美貌が、オレンジの灯りに照らし出されて、月色の眼が、暗く光りを捉える。

「気がつきましたか?」

「あ、あんた…なんで、こんなとこに…」

クスリ、と、赤く薄い唇の両端が擡げられる。

「ここは、ぼくの部屋と対になっていますから」

言っている意味がよくわからなくて、はじめはしばらくの間、まだ、焦点の合わない眼差しで、高遠を見ていた。

白い陶器を想わせる肌、高く鼻筋の通った鼻梁、薄く、朱を引いたように紅い唇、そして、闇の中でさえ、その色がわかる気がしてしまう、月色の虹彩を湛えた目。

こうして見ている分には、やはり、高遠は、とても綺麗だ。

「まだ、寝ぼけているようですね?」

高遠は側まで来ると、そっと、しなやかな指先で、はじめの頬に触れた。

やさしげなその仕草に、逆に訝しささえ感じる。

「どういう意味だ?」

「きみの荷物は、ここにすべて運ばせました。今日からきみは、ここで暮らすんです」

一気に覚醒した。

はじめは、飛び起きようとして、けれどその瞬間、身体の中心に激痛を感じて、再びベッドに倒れ込む。あまりの痛みに、身体が強張って、自由が、利かない。冷や汗が、滲んだ。

クスクスと、高遠の忍び笑いが聞こえた。

「まだ、起き上がれないでしょう? 初めてなのに、結構、無理させましたからね」

頬に触れていた高遠の指が、すう、と、はじめの胸元まで滑ってゆく。

その先には、紅い、花びらのような印が、幾つも散っていた。

「きみは、ぼくの玩具だと、言ったでしょ?」

その言葉を聞きながら、はじめは、部屋の中の闇が、質量を増したような気がしていた。

自分の身に起こったことのすべてが、記憶に、呼び覚まされたのだ。

それは、ベッドヘッドの鉄パイプに掛けられた手錠に繋がれ、逃げることはもちろん、抵抗することすら出来ない状態での、陵辱だった。

しかも、はじめだけが脱がされ、高遠はというと、着衣のまま、だったのだ。酷く、屈辱的な、行為。

はじめは、歯を食いしばって、堪えた。ただ、堪えるだけの、長い時間。

あまりの痛みに、涙が零れていることにすら、気が付かないほど。

けれど、みっともなく叫ぶことだけは、辛うじてこらえていた。

それははじめの、最低限のプライド、だったろうか。

ただ、手錠に繋がれた時、まさか、全員で回すつもりなのかと、はじめは怯えていたが、高遠はそうはしなかった。何の気まぐれか、周りにいた上級生たちは、全員、高遠によって部屋から追い出されていた。

だから、はじめに触れたのは、高遠、ただひとりだけ。

それが、幸運だったとは、決して、言えはしないが。

「きみの…なまえは?」

高遠は、初めての行為を受けているのだろう身体を、容赦なく揺さぶりながら聞いた。

「…は…はじ…め…」

答えたのは、意識が、すでに朦朧としていたから、だろうか。

「はじめ、ですか」

そっと、耳元に唇を寄せると、高遠は囁く。美しい、悪魔のように。

「今日からきみは、ぼくの玩具ですからね、はじめ」

薄い唇に、冷たい笑みを浮かべて。

闇に、囚われてしまった気が、していた。

それは、とてつもなく深く、そして、暗い、闇。

まだ、明るい部屋の中で、闇を身の内に感じながら、はじめは意識を、手放していた。

今までの自分からは、考えられないくらい、非日常的なその出来事は、けれど、この先も、決して逃れられないのだと、高遠は言う。

知らず、涙が、はじめの眦から零れ落ちる。

高遠は、はじめに顔を近づけると、クスクスと笑いながら、その涙を、舐めた。

「きみが、悪いんですよ? ぼくに、歯向かったりするから」

言いながら、首筋に、くちびるを滑らせてゆく。

はじめの身体が、反射的に、びくりと震えた。

「ぼくはきみが、とても気に入りました。だから、ぼくが飽きるまで、ここに置いておくつもりでいますから」

覚悟することですね…

高遠の言葉を聞きながら、はじめは静かに瞼を閉じた。

傷ついていたのだろうか。いつの間にか手錠を外され、手当てされていた手首がズキズキと痛んでいた。でも、こんな痛みなど、きっと物の数にも入らない。

心の痛みに、比べたら…

はじめは、胸の中で、そう、呟いていた。

一週間が過ぎて、ようやくはじめは、授業に出られるようになっていた。

傷ついた身体にさえ無茶をする高遠のせいで、一昨日まで、ベッドから起き上がることすら出来なかったのだ。

しかし、その間、意外なほどの甲斐甲斐しさで、高遠ははじめの面倒を見ていた。まあ、それは、高遠にしてみれば、ペットを可愛がる感覚に近いのかもしれないが。

けれど、こうして動けるようになったということは、はじめの身体自体が、高遠との行為に慣れた、ということになるのだろうか。

はじめは、暗い眼差しで、窓の外を見つめた。

すっかり、真夏めいた日差しが、外界を照らしている。四階建ての校舎の最上階に位置するはじめたちの教室からは、かなり遠くまで景色を見渡せた。学園の広い敷地の中には、ちょっとした木立と池を擁する公園、それに隣接するように瀟洒な学生寮が建っている。全寮制のこの学園は、当然のように生徒全員がそこで寝起きしているわけなのだが、学年ごとに分けられているその建物を見ながら、はじめは重い溜息を吐いた。

今、はじめはそのどれにも属さない、高遠の住んでいる別館に住まわされている。

すでにそのことは、大方の生徒や教師にも知られていて、それが、どういう意味合いを持つのかということも、当然、知られているわけだ。

しかし、学校内でこんな不謹慎な事が公然になっているのにもかかわらず、教師の誰一人として、高遠やはじめに注意の一つも寄越さない。たぶん、高遠の祖父である、理事長ただ一人だけが、何も知らされていないのだろう。恐らく、PTAも、知ってて知らんフリ>を決め込んでいるに違いない。自分の子供にさえ、被害が及ばなければ構わない、と。

すべては、何をするかわからない高遠が、怖いからだ。

触らぬ神に、祟り無し。

たったひとりの犠牲で、高遠が大人しくしているのなら…くらいの事は、考えていそうだ。

どうせ、すぐに飽きるだろうと、たかをくくっているのか。

高遠のことだから、こんなことは、以前にもあったのかもしれない。

はじめの口から、重い溜息が零れる。

…おれは、生贄かよ。

結局、誰に助けてもらうことも期待できず、はじめは、針の筵のような好奇の視線や、嫉妬の眼差しに堪えなければならなくなっていた。

嫉妬…

そう、高遠は、あの性格の悪さはともかく、見た目は非常に綺麗で、頭も学年トップを争うくらいの出来の良さを誇っている。そのためか、憧れる生徒はあとを絶たないのだ。

今朝、はじめが上履きに履き替えようとしたら、中から画鋲が大量に転がり落ちてきたし、ロッカーを開けようとすると、隙間に剃刀が挟んであった。

これが、男のすることなのか?

とは思うが、この寮生活というのは非常に特異な空間で、おばさん以上の年齢の女性しか存在しないこの学園生活の中では、やはり、同性に恋をする男も、数多い。

男の嫉妬は怖い。

一日目から、そのことをはじめは痛感していた。

ついこの間まで友人だった奴らも、巻き添えを恐れてか、決してはじめの側に近づいて来ない。けれど、きっとそれだけではなく、偏見なんかも、多分にその中には混ざっているのだろう。

仕方が無い、とは思うが、精神的にはかなりきついものがあった。いくら楽観的なはじめでも、さすがにこの状況では、救いと呼べるようなものは無かった。

今のはじめの、学校内での評価は、恐らく、高遠の慰み者、といったところ。

教師ですらも無関心を装い、はじめと目を合わそうとはしない。

いつもなら、うるさいくらい纏わり付いてくる後輩の佐木でさえ、姿を見せなかった。

彼などは、この今の状況を作るきっかけになった、当事者だというのに。

別に、そのことを責めるつもりなど、はじめにはこれっぽっちも無いし、佐木のせいだなんて考えたことも無い。身から出た錆。そうは思っているが、やっぱり、少し、寂しい。

…高遠が怖いのはわかるけどさ、みんな、結構、薄情者だよな…

久しぶりの学校生活は、溜息と、昼寝とで占められた。

「どうしたんですか? 浮かない顔ですね?」

その声に、はじめは本気で食べ物を喉に詰まらせて、死ぬかと思った。夕食の時間、食堂で一堂に会して、食事を取っている最中のことだ。

「ごほっ! ごほっ! ごほっ!」

咽ながら胸を叩いていると、「はい」と、横から水が渡される。

一気にそれを飲み干して、詰まっていたものを飲み下して、ようやく、人心地着いた。>…というわけにもいかない。

水を渡してくれた人物を、キッと睨みつける。

そんなはじめの態度を気にするでも無く、目の前の男は、長い足を組みながら微笑んだ。

「久しぶりの授業は、面白くなかった?」

誰のせいだ! 誰の! 

コップを握り締めたままの手が、ぷるぷると震えた。

「なっ!」

思わず大きな声で叫びそうになったはじめに向かって、

「しっ、しずかに」

そう言って、目の前のすべての元凶は、口元に白くてしなやかな人差し指を立てる。

…なんで、あんたがここにいるんだよ?!」

声を潜めて聞くと、今度は、さあ? とでも言いたげに、大げさに肩を竦めて両手を開いて見せた。どうにもからかわれているようで、はじめの眉間に皺が寄る。

「ここは、二年のテーブルだぜ? なんで、三年のあんたが座ってんだよ!」

「いいじゃないですか、そんなことぐらい。きみの側に、居たいだけv

ワザとらしく、はじめの耳元に口を寄せて、囁く。周りに、見せ付けようとするみたいに。

ああ、きっとまた、おれへの風当たりがきつくなるな。

痛いくらいの視線が、あちらこちらから、まるで、突き刺さるかのように感じられた。

「あんたってば、本当に、悪魔みたいに性格悪い…」

「ふふ、それはどうも。今に始まったことじゃありませんから」

そう言って高遠は、それはそれは天使のような、綺麗な笑みを浮かべた。

この男の無神経さには、ついてゆけないかも…

はじめは、諦めたように、がっくりと肩を落とすしかなかった。

                          05/09/15

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