Love Song 7


「もう、一体、何してたの? あんたたち!」

保険医の、増井は呆れたように、声を上げていた。

 

いきなり集団で現れた高遠たちは、明らかに何かしたでしょ! な状態のクセに、「ちょっとしたディスカッションで」などと、すっとぼけたことを言ってのけてくれる。

増井は、これまでも何度と無く、高遠たちの喧嘩やいざこざで出来た傷を手当てしてきたが、今回のは、さすがに酷いと思った。

かなり硬いもので殴られたと思しき、頭から血を流してる生徒から、体中打撲の生徒から、どう考えても、あんたこれ、首絞められた跡でしょ! な生徒まで。高遠にいたっては、深々と右手を切っていて、これは縫わないとどうにもならない状態だった。

 

「この程度なら、絆創膏でも張っとけば大丈夫ですよ」

しれっとした顔で、高遠は言ってくれる。手から、だらだらと血を流した状態で。

「何言ってるの! こんなに出血してるし…それにもし、神経に傷でもついていたら、一生麻痺が残るわよ!」

そんな保険医の声に真っ先に反応したのは、なぜか高遠ではなく、はじめだった。

「うそ…」

体中打撲だらけで、熱もまだ引かないはじめは、またベッドに寝かされていたのだが、保険医の言葉に、のろのろと身体を起こしてきた。

「それ、ほんと…? 増井せんせ…」

「きみも起き上がっちゃ駄目じゃない! 大体、きみも病院でちゃんと診て貰ったほうがいいんだから!」

「えっ?」

突然、顔を強張らせると、はじめは保険医に、窺うような視線を投げる。

「なんで?」

「なんでじゃないわよ! そんなに高い熱があって、しかも、きみ、貧血気味でしょう? ちゃんと検査を受けた方がいいわ」

てきぱきと、高遠の怪我の手当てを続けながら、保険医は言った。

「でも、おれ…行きたくない…」

「もう、高遠くんといい、きみといい、何言ってんの! 大事に至ったら、困るのはきみたちなのよ!」

「…高遠は、すぐ診て貰ったほうがいいとは思うけど…でも、おれ、この身体で、病院に行く勇気無い…」

はじめは、赤くなって俯いた。

 

ぼろぼろになったシャツはすでに脱いでいたので、はじめは今、上半身に何も着ていない状態だった。その身体には、打撲と擦り傷でわかりにくくはなっているが、明らかに不自然な赤い痣が、いたるところに付いている。傍にいた佐木が、つらそうに眼を逸らした。

「…う〜〜〜ん…きみの気持ちも、わからないではないけど…でもねえ…」

保険医は、困ったような表情を浮かべて、はじめを見た。

 

じつは増井は、高遠の無茶でかなりつらいのだと、はじめに相談されたことがある。

これはあくまで裏ルートの話なのだが、この寄宿学校という閉鎖された空間で、生徒同士のこういった話は、じつは枚挙に暇が無い。大して知識も無い者同士がそういった関係になって、具合の悪いことになってしまうことも、ままあるわけで。

そういう時に、この増井が相談に乗ってくれるというのが、公然の裏情報だったりした。

 

ある日、増井を訊ねてきたはじめは、赤い顔をして、なかなか話を切り出して来なかった。

見た目は普通の、ややだらしなく制服を着こなしている生徒。そんな印象しかなかったが、はじめの様子を見て、「ああ、裏の話なのだな」と気付いた増井が、それとなく話を振ってやらなければ、結局、何も言わずに彼は帰っていたかもしれない。

それほどにはじめは、女性の先生に対して、この手の話をするのは抵抗があったようだ。

いや、女性とは限らないのか。本当なら、誰にも話したくないことではあるだろう。

はじめの話を聞いて、増井はその思いを、さらに強くした感がある。

相手が、高遠だと、聞いたからだ。

その時に、増井が内心、気の毒にと思ったのは、ここだけの話。

今までも増井は、何人かの『玩具』になった生徒たちを見てきたが、高遠は平気で酷いことをしておきながら、飽きてくると、簡単にその子たちを捨てた。最初から最後まで、相手の気持ちなどこれっぽっちも考えること無く。本当に、『玩具』のように。

高遠が、また新しい『玩具』を見つけたと噂には聞いていたから、目の前のこの子が、新しい犠牲者なのかと考えたのだ。

 

だから、まさかこの少年に、高遠がここまで執着しているとは、思いもしないことだった。

朝の高遠の様子を思い出すと、微笑ましい気さえする。

あの、氷で出来ているんじゃないかとまで思えた生徒が、相手に何らかの感情を持って接しているところを見たのは、初めてだったのだから。

 

この子といるようになって、高遠くんは、確かに変わったわよね。

 

増井の目から見ても、それは明らかな事実。

高遠の怪我も、たぶん、はじめのために負った傷なのだろうということは、なんとなく、見ていてわかった。だから、必要以上に、はじめは高遠の傷を気にするのだろう。

 

でも、自分の身体も大事にしないと…高遠くんとのことで、身体に傷がついたときに、何かの菌に感染してないとも限らないし…

 

そんなことを考えていると、

「この痣が、全部消えたら、行くから…それじゃ、駄目?」

恥ずかしそうに俯きながら、上目遣いで自分を見上げてくるはじめに、思わず顔が赤くなってしまった。

 

…カ、カワイイ…

 

かわいいといっても、頬には大判の絆創膏が貼られ、眼の周りには青痣まで出来ているのだが、増井の目にはそれがまた、痛々しげで庇護欲を掻き立てられるものであるらしい。

思わず頭の中では、『じゃあ、病院に行くまでは、わたしがフォローしてあげればいいのよね』などと、不埒な考えが、すでにめぐらされてしまっている。

 

「仕方ないわねえ、じゃあ、とりあえず今日は、高遠くんと中川くんだけ、病院に行ってもらいましょうか。ここでは応急処置しかできないからね。由良間くんは…跡がついてるけど…まあ、大丈夫でしょう」

 

高遠が、不機嫌そうになにやら反論しようとしたが、「何か文句ある」と、増井が凄むと、口を閉ざした。今までも何度か世話になっているという自覚があるのだろう、さすがの高遠もあまり強くは出られないようだ。

 

へえ、あの高遠が、大人しくしてるなんて…

 

ベッドに横たわりながら、はじめは珍しいものを見るような眼差しを送っていた。

いつもなら、たとえ相手が教師でも、高遠の、丁寧でありながら、冷淡で横柄なその態度が変わることは無い。

それが、女の増井相手に、何も言わないところを見ると、よっぽど世話になってきたか、弱みを握られているかのどちらかだろう。

 

…弱みを握られてたら、面白いんだけどな。

 

高遠と増井のやり取りを見ながら、はじめが笑みを浮かべているのを、傍にいる佐木だけが、気付いていた。

「…せんぱい…」

そんなはじめを、佐木は哀しげに、何かを諦めた眼差しで、じっと見つめている。

自分の無力さを、自分の勇気の無さを、後悔して余りある敗北感。

高遠がいなければ、いま、はじめがここでこうして笑っていることなど、無かっただろう。

自分は何も出来なかった。何一つ。自分では、この人を、守ってやれない。

 

ささやかな、けれど本気だった初恋が、この日、ひとつ、潰えていた。

誰にも、気付かれないままに。

 

 

保険医に付き添われ、高遠たちが出てゆくと同時に、はじめたちはみんな、自分の部屋に戻されることになった。怪我をし、熱まであるはじめが、部屋に帰ると言い張ったのだ。

保健室にいつまでもいると、他の先生に見つかるからだという。

 

今度のことは、全部自分のせいだから黙っていて欲しいと、はじめは保険医に頼んでいた。

学校側には、知らせないでくれと言うのだ。

三年の高遠たちが、この時期に問題を起こせば、当然、進学にも関わってくる。それが、わかっているからこその頼みなのだろう。しかし、保険医の胸一つで収めておくには、怪我の程度が酷いような気もした。

悩んでいる様子を見せる増井に、はじめは頭を下げる。

「せんせい…お願いします」

あまりにも真剣なその願いに、増井は観念したように、ため息を吐くしかなかった。

「…仕方ない、被害者のきみがそう言うのなら…今回だけ、見逃してあげてもいいわ」

増井の言葉に、はじめは顔を上げた。

そんなはじめに、「ただし」と保険医は念を押す。

「きみも必ず、病院に行くのよ? その痣が、薄くなったら。いいわね?」

はじめは、素直に頷いた。それで、他の者たちが傷つかずに済むというのなら、それで構わなかった。

ただその時、高遠と由良間が、複雑そうな表情を浮かべていることにはじめは気付いていたけれど、知らないフリを通した。

 

彼らは、なにも知らない。だから、それで、いいのだ。

もう、あと少し、だけだから…

まるで、自分に言い聞かせるように、はじめは胸の中だけで、呟いた。

 

 

 

病院へ行く前に、高遠は佐木に声を掛けていた。

少し待っていて欲しいと、保険医に言い置いて、少し離れた場所へと、彼を連れ出す。

 

「な、なんでしょう?」

怯えたように、警戒している佐木に、苦笑が漏れた。

「そんなに、警戒しないでください。きみに、お礼が言いたいだけなんですから」

「…えっ?」

思ってもみなかった高遠の言葉に、佐木は心底驚いたような表情を浮かべている。

「きみのおかげです、はじめを助けられたのは。もしも、きみがいなかったら、取り返しのつかないことになっていました。ありがとう」

真顔で、高遠にそんなことを言われ、佐木は照れたように頬を染めて、頭を掻いた。

「そ、そんな、当たり前のことをしただけです。ぼくは、いつも…先輩に助けてもらって…ばっかりで…」

けれど、そう言い終わる頃には、佐木は、表情を暗いものに変えていた。

それがなぜなのか、高遠には、もう、わかっている。そのために、彼を呼び止めたのだから。

 

「…佐木くん…ぼくを、殴りますか?」

「ええっ?!」

本気で、驚いたのだろう。佐木はそう言って、口を開けたまま固まっている。

「きみには、その資格があります。きみにとって、ぼくは、あの由良間たちと同じでしょう。いや、もっと、性質が悪いかな?」

「…高遠さん…」

真剣な高遠の眼差しに、佐木もそれが本心からの言葉だと、理解したのだろう。こちらも真剣な面差しで高遠に向き直った。

 

こうして見ると、この気の弱そうな下級生も、ちゃんと男の顔をしているのだな、と、高遠は変なところで感心していた。

それは、誰かを愛する、男の顔。

 

高遠は、自分は一体どんな顔をして、今まで生きてきたのだろうと、ふと、思った。

何も、考えず、自分の苛立ちだけを、他人にぶつけて…

それは、まるで、小さな子供と同じ。

そんなことにも気付かずに、ただ、空しいだけの日々を過ごしていた。

 

はじめに、出逢うまで…

 

「高遠さん」

佐木の声で、我に返る。

目の前で、佐木は、困ったような笑みを浮かべていた。

「殴る決心が、着きました?」

高遠が、訊ねると、佐木は首を横に振った。

「…そんなこと、できません…」

「なぜ? ぼくが憎いでしょう?」

少しの沈黙が、あった。それは、肯定の意味なのだと、無言で告げているかのよう。

けれど、佐木は、もう一度、首を横に振った。

「…最初は…そう、思ってました。…でも、今日のあなたを見て、わかりました」

「なにが…ですか?」

佐木は、真っ直ぐに高遠の目を見据えると、躊躇うことなく、その言葉を告げた。

 

「高遠さんは、先輩のことが、好きなんですよね?」

 

一瞬、何を言われたのか、理解できなかった。

けれどその言葉は、ゆっくりと、意味のあるものとして、高遠の胸の奥に、染み込んで行く。

 

ああ、そうか …そう、だったんだ…

 

そう理解した途端、高遠の顔には、今まで誰も見たことの無いような、穏やかな笑みが浮かんでいた。それは、とても綺麗で、目の前の佐木が、真っ赤に染まってしまうほど。

 

だから、佐木は、もう十分だった。

高遠が、どれだけはじめのことを大切に想っているのかが、よく、わかったから。

 

「…先輩を、お願いします。ぼくでは、あの人を…守ってやれない…」

言いながら、佐木は左手を出した。右手は、高遠が怪我をしているからだろう。思いやりのある少年…高遠は、静かにその手を握り返した。

「でも、いいんですか? ぼくを殴れるなんて、こんなチャンス、もう二度とありませんよ?」

笑う高遠に向かって、佐木は言った。

「高遠さんを殴ったら、きっと、先輩が悲しむから…」

「はじめが…?」

高遠の言葉に、こくりと頷く。

「あの人はいつも、病的なくらい、誰かが傷つくことを怖がるんです。たとえどんなに、自分が傷ついていたとしても…」

 

言われてみれば、今日のことでも、確かにそうだ。と、高遠は思った。

もしも、高遠の助けが間に合わなくて、取り返しのつかないことになっていたとしても、やっぱりはじめは、彼等を助けてくれと言ったに違いない。

そんな、確信が、あった。

自分との始まりも、この少年を守ろうとしてのこと。

はじめ自身を、犠牲にしてまで…

あり得ないほどの、自己犠牲。

何故、他人のために、そこまで出来るのか。

決して、ただのお人好しで、片付けられるレベルではない。

それはまるで、自分など、どうなっても構わないかのような行動に思えた。

何かが、高遠の中で、引っかかる。

 

「なぜ、そんな…?」

高遠の疑問に、佐木は、今度は横に首を振った。

「ぼくにも、わかりません。先輩は、肝心なことは何も話してくれませんから…。たぶん、ぼくでは、役不足なんですよ」

そして、寂しげに笑った。

 

もう、行くわよ! と、保険医の苛立った声が聞こえると、まるで、それが合図だったかのように佐木は、それじゃあ、と、手を振りながら部屋へと帰って行った。

その後姿を見送りながら、高遠は、自分が何か大切なものを見落としているような、そんな奇妙な不安を感じていた。けれど、自分の想いを自覚したばかりの高遠に、実際、そのことを深く考える余裕など無かったのだ。

 

保険医の声に、急かされるまま踵を返した高遠は、この後の雑多な出来事に気を取られているうちに、忘れてしまっていた。

 

 

                              05/10/21

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