Love Song 8


あれから、数日が経っていた。

 

高遠遥一は、不機嫌だった。

それは、かなり露骨に表情に表れており、周りの者が怯えて高遠を避けて通るほど。

利き手の怪我は、それなりに不便を感じさせたし、まだ、痛みもある。

けれど、彼が機嫌を損ねている理由は別にあった。

はじめの、怪我である。

あの次の日、休んだ方がいいという高遠の言葉を無視して登校したはじめは、あろうことか怪我の理由を「高遠と喧嘩して」と、言ってのけたのだ。

 

「金田一のあの怪我、高遠さんと喧嘩したんだって」

「あれは、結構、ひどいよな」

「うわあ、綺麗だけど、やっぱ、怖ええな、あの人は」

 

などという、いわれの無い噂があっという間に広がっていた。

ここで、さらに悔しいのは、暗に『あの人ならやりかねない』という、全員の一致した見方だったろうか。

今さら、そんなことをむきになって否定するのもおかしいし、そう言われても無理の無いことをしてきたのは確かに自分自身だろう。

しかし、当のはじめはというと、

「あ〜、もういいじゃん。広まっちゃったもんは仕方ねえだろ?」

などと、簡単に言ってくれる。

「だ〜か〜ら〜、悪かったって。おれも、まさか、こんなに噂になるとは思わなかったんだってば。大体、あいつならやりかねない、なんて思われてる高遠も悪いだろ?」

まったく、反省の色も見せずに、逆にこちらに責任を転嫁してくる始末。

 

手にこんな怪我までして、助けに行ったのは、このぼくなのに。

 

釈然としない思いが湧きあがってくるが、けれど、それでまたはじめをどうこうしようという気には、もう、ならない。

惚れた弱み、という言葉を、苦々しく噛み締めるしか無い高遠であった。

 

けれど、高遠は気付いていなかった。

自分に対する、周りの評価が、大きく変わり始めていることに。

 

利き手に大怪我をしているにも拘らず、別にそのことで、以前のように人に八つ当たりすることも無く、高遠は授業にも真面目に出席し続けている。それは以前の、自由気ままな高遠からはとても考えられない、周りが驚くほどの豹変振りだった。

その変化に、一番驚いたのは教師だっただろうか。

元々、優秀な頭脳を持っている高遠は、どんな問題にも答えるどころか、逆に、教師が答えに詰まるほどのハイレベルな質問を、積極的にしてくる。

学習する意欲、というものが、その姿からは感じられた。

 

高遠は、変わった。

 

それが、全体としての、高遠に対する見方だった。

その影に、「はじめ」の影響があるのかもしれない、ということは、誰も口にはしないが、そう捉えられていたことは間違いないだろう。

 

気がつけば、もう、はじめに対する嫌がらせは、鳴りを潜めていた。

 

そして、そのはじめはというと。

身体に受けた怪我は、見た目は痛々しいがさほどたいしたものでも無く、順調に回復していた。けれど、なぜか、あの日から熱が引かずに、よく倒れるようにもなっていた。

強がって、平気そうに振舞ってはいるが、実際、高遠の目から見ても、はじめの身体は、なんだか弱っているように見受けられた。

少し無理をするだけで、簡単に息が上がってしまうような、そんな感じなのだ。

だから、あれから高遠は、一度もはじめに触れてはいない。

いや、怖くて、触れられなくなってしまった、というのが本音だろうか。

自分の気持ちを理解してからというもの、どうはじめに接していいのか、高遠はわからなくなっていた。

はじめが傍にいるだけで、どきどきする。見ているだけで、胸の中が切なくなる。

触れたい、と、思うのに、どうすればいいのか、わからなくなってしまう。

今まで、あんなに平気で触れていたというのに。

はじめに対して行ってきた、酷い仕打ちの数々を思うと、嫌われているのではと考えて、臆病になってしまう自分にも気付いていた。

涙を流して、くちびるを、血が出るほどに強く噛み締めて、ただ堪えていた彼の姿が、焼き付いて離れない。傷ついているのを承知で、無理を強いてきた自分が、信じられない。

 

嫌われたくない。ただ、傍にいてくれるだけで、いい。

 

そんな、祈りにも似た想いを抱えたまま、さらに数日が去った。

 

 

 

 

「もう、いいでしょう? 病院へ行きなさい。こんな状態、どう考えても普通じゃないわ。何か、原因があるはずよ」

 

増井保険医は、厳しい顔をしてはじめに言った。

今日も、はじめは授業中に倒れて、保健室に運ばれていたのだ。そもそも、高い熱があるというのに、授業を受けていること自体が間違っているだろう。なのにはじめは、時間を惜しむかのように、授業に出席し続けている。

「…うん、わかってる…」

はじめは、歯切れの悪い答えを返していた。

そんなはじめを見ながら、保険医は、深いため息を吐いていた。

「この間、あなたのお父様に連絡したんだけど、あなたから、病院へ行くと連絡が入ったら連れて行くとおっしゃってたわ」

「…先生、親父に連絡したんだ…」

「当然でしょう? 担任の先生とも、相談して決めたんだから。こんなに熱が続くなんて、どう考えても…」

保険医の真剣な眼差しに、はじめは肩を竦めて見せた。

「おれ、昔から身体に負担が掛かるようなことがあると、すぐに熱出しちゃうんだよ。親父もそれを知ってるからさ、そんなに気にしてないんだと思うよ? それに、先生もおれのこと心配してくれるんなら、負担かけないようにって、高遠に言ってよ」

そう言って、舌を出した。明るく、笑いながら。

まるで、すべてを、拒絶するかのように。

保険医は、それ以上、何も言えなかった。

でも、はじめもわかっていたのだろう、すぐに真顔に戻ると、すまなそうに口を開いた。

「冗談だよ。ちゃんと病院、行くから。痣も薄くなったし。心配かけてゴメンな、先生」

「…まさか、彼が離してくれないから行けないってわけじゃ、無いわよね?」

「そんなことは無いよ。ああ見えて、高遠ってば、すごい心配性なんだから」

「そうね、今の彼を見ていたら …その言葉が嘘じゃないって、わかるわ…」

保険医の言葉に、はじめの表情が動いた。

「ほんと?」

伺うような、真剣な眼差しだった。

「ええ」

「そっか、よかった…」

ほんの一瞬だったけれど、保険医にははじめが、なぜか、泣きそうな表情を浮かべたように見えた気がした。

「金田一くん?」

「なに?」

けれど、目の前のはじめは、いつもと変わらなくて。

だから、気のせいだと、そう、思った。

「あ…いえ、なんでもないわ、早く、病院に行くのよ」

「うん、もう、親父に連絡するよ、明日で学校、終わりだしね」

そう言って、はじめは、笑った。

屈託の無い、明るい笑顔だった。

 

それ以上、何も、保険医には話さなかった。他の誰にも、話してはいない。

父親には、すでに連絡はつけてあるのだ。その上で、父親にも、黙ってもらっている。

もう、すべての手続きは、済んでいた。

 

保健室から、自分の部屋へと帰る道すがら、はじめは、降り注ぐ強い日差しに目を細めて、空を見上げた。

明るい青を宿した空には、触れそうだと思うくらいの、大きな入道雲がその存在を主張していた。その横を、一本の飛行機雲が、真っ直ぐに空を横断している。

どこまでも伸びてゆくその先に、小さな、光る機影が見える気がした。

 

木立の中を通ると、そこは煩いほどの蝉時雨。まさしく、降り注ぐという表現が一番相応しいと思わせる、蝉の声を聞きながら、はじめは、足を止めていた。

ここで過ごす、二度目の夏だった。中等部にいた時も併せると、この学校に来てから、もう、五年にもなる。

目にも鮮やかな緑が、陽の光を受け止めようと、懸命に枝葉を伸ばしているのを眺めながら、懐かしむような笑みが、はじめの口元に浮かぶ。

 

忘れないから、ぜったいに…

 

ぎゅっと、手のひらを握り締めた。

授業は、今日でおしまい。

明日は終業式で、これから長い夏季休暇に入る。学生の殆どは、その日のうちに、皆、家に戻るのだ。

 

おれは…

 

物思いは、そこで中断された。

後ろから、いきなり、肩を掴まれていた。

蝉の鳴声のせいだろうか、人が近づいていることに、全く気がつかなかった。

 

振り向くと、由良間が立っていた。

蝉時雨が、変わらず、降り注いでいた。

 

 

「少し、いいか」

由良間は、気まずそうに頭を掻きながら、はじめから、視線を逸らせている。

別に、危害を加えるつもりでは無さそうだ。はじめは黙ったまま、頷いた。

 

「この間は、悪かった…」

木陰のベンチに腰掛けながら、放たれた由良間の第一声が、それだった。

はじめは、穏やかな表情で、それを聞いている。

「あれから、おまえが、よく倒れてるって聞いて …まさか、あの時の怪我が原因で…」

「違うよ」

間髪入れず、はじめは答えていた。

「あんたたちのせいじゃ無いから。大丈夫だよ」

「でも…」

はじめの方を向いた由良間は、言いかけて、言葉を詰まらせた。はじめが、真っ直ぐな眼差しを、由良間に向けていたのだ。

静かな、水面を思わせるその眼差しは、深く澄んでいるのに、どこか、哀しげに思えて。

「ありがと、心配してくれたんだ」

柔らかく微笑むはじめを見ていて、由良間は、高遠が、なぜはじめを選んだのか、わかったような気がした。

はじめは、どこかしら、穢れの無い、無垢な魂を感じさせる。

穢されているはずなのに、傷つけられているはずなのに、それらすべてを超越した何かを、はじめは持っている。そんな気がした。

 

「由良間さんは、高遠のこと、好きなんだよね?」

はじめの突然の言葉に、由良間は、我に返った。

「えっ?」

「今も、好きなんだろ?」

柔らかに、はじめは微笑んでいる。その視線が、ふっと、空に向けて、逸らされた。

「金田一…?」

「おれ、この学校、辞めるんだ」

「えっ!?」

はじめの表情は、変わらない。由良間は食い入るように、その横顔を見つめた。

けれど、何の感情も、そこから読み取ることはできなかった。

「親がさ、学校、変われって…」

はっとした。

はじめが、無理やり高遠のものにされたのだということを、思い出していた。もしも、親がこの事実を知ったとしたら、学校を変わる、だけでは済まないかも知れない。

考えていたことが、顔に出ていたのだろう。はじめが、また、口を開いた。

「大丈夫だよ。おれ、何も言うつもりないし。親に何か聞かれても、恋人だったって、話すつもりだからさ」

もう、いいんだ…全部、済んだことだから…

一瞬だけ、寂しげに、はじめの目が眇められた。

 

「…高遠さんは…知ってるのか?」

由良間の言葉に、はじめは、横に首を振った。

「…今夜、話すつもり…」

「そうか…」

 

風が、吹いていた。

夏の、湿り気を含んだ風が、ふたりの長い髪を揺らしていた。

 

「もし、…もしも、おれがいなくなって、高遠がまた、荒れるようなら…由良間さんが、高遠を支えてやってくれよ。あいつ、結構、脆いトコあるから」

「…金田一…」

複雑そうな眼差しで見つめる、由良間の視線を受け止めながら、はじめはニッと笑った。

「今日、あんたに会えてよかったよ」

そう言って、立ち上がる。

夏の日差しの中で佇むはじめの姿は、出会った頃に比べて、随分と線が細くなったように思えた。同じように、由良間も立ち上がると、はじめを見下ろす。

上背のある由良間に比べると、はじめは随分と小柄だ。

見上げてきたはじめと、視線が合う。

「元気でな」

由良間の言葉に、はじめは苦笑を浮かべた。

「なんか、おれを痛めつけようとした人の言葉とは、思えないね」

「〜〜〜うるさいな!」

「冗談だよ。じゃあ、由良間さんも、元気でね」

明るく笑いながら、はじめは、片手を挙げた。

夏の日差しにも負けないくらい、眩い笑顔だった。

 

もう、会うこともないだろうと思いながら、由良間は遠ざかるはじめの後ろ姿を見送っていたが、その眼差しには、困惑が浮かんでいる。

高遠が、はじめのことを愛しているのは、すでに周知の事実だ。けれど、はじめが高遠のことをどう思っているのかだけは、まるで、わからないままだった。

自分の気持ちに整理をつけようと、本当は今日、そのことをはっきりさせるために来た由良間だったのだが、結局、うやむやにされてしまった。

思っても見ないことばかり、聞かされたせいで…

 

「まあ、いいか…」

そう、ひとり語ちると、由良間は、はじめとは違う方向へと、足を踏み出した。

                              05/11/09

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