Love Song 9


夜、高遠が机に向かっていると、ドアをノックする音が聞こえた。

はじめと、自分の部屋を隔てる、一枚のドア。はじめが濡れて帰ってきたあの日から、一度も開けてはいないそのドアが、はじめの側から、ノックされている。

高遠は、慌ててドアノブに手を掛けて、けれど、一呼吸置いてから、ゆっくりと扉を開けた。

 

目の前に、パジャマ姿の、はじめが立っていた。

シャワーを浴びて来たところなのだろうか、下ろしたままの髪は、まだ少し、湿り気を帯びている。

高遠は、胸の鼓動が早くなるのが、わかった。

「どうしたんですか? こんな時間に」

けれど、努めて冷静に話しかける。

そうしないと、また、彼を傷つけてしまいそうで。

「少し、あんたに、話があるんだ…」

はじめは、見上げるように、高遠を見つめたまま、そう言った。

「こっちの部屋に、来る?」

誘っているのか、とも取れるはじめの言葉に、高遠は少し戸惑う。

躊躇している高遠を、知ってか知らずか、はじめは強引にその手を取ると、そのまま自分の部屋の中へと導いた。

 

机の上の、暖色系のデスクライトだけが照らす薄暗い部屋の中に入るとすぐに、高遠の瞳には、何度もはじめを抱いたベッドが映った。

思わず、意識しないようにと、視線を逸らしてしまう。

今さら、何をしているのかという思いが、口元に苦笑を浮かべさせていた。

 

「一体、何の話なんですか?」

「あ、椅子に座ってくれたらいいから」

高遠の問いには答えもせずに、はじめはとっととベッドに腰掛けている。

仕方なく、高遠も椅子を引き寄せて腰掛けると、なおもベッドから視線を逸らす努力をするべく、床に目を落とした。と、同時に、はじめの荷物が綺麗に纏められているのに気が付く。

「あの…さ…言いにくいんだけど…」

「荷物が纏めてありますね。休みに、家に帰るんですか?」

「…目ざといなあ…でも、ちょっと違う…」

「違う?」

「…ん…」

はじめは、俯いて頬を掻きながら、口篭もった。

「はじめ?」

なんとなく、いつもと様子の違うはじめに、高遠は、奇妙な不安を覚えた。

胸の奥に、重いものがわだかまる、そんな、嫌な感覚。

はじめが、口を開くのを、固唾を呑んで見守っていた。

 

「…高遠、おれ、この学校…やめるんだ…」

 

その言葉を耳にした瞬間、身体が強張って、声が出なかった。心臓が、いつもとはまるで違う、冷たい銅鑼を打ち鳴らす。膝の上で、固く握り締められた手のひらが、汗を掻き始めるのを感じていた。

「…ど…うし…て…」

無理やり、絞り出された声は、まるで、自分のものでは無いように、掠れている。

はじめは、顔を上げない。

「…親父が…学校を…変われって…」

はじめの口からは、言いにくそうに言葉が紡がれてゆく。けれど、その顔は? その表情は? 本当は、自分から離れられるのを、喜んでいるのではないのか?

「…嬉しいですか?」

「えっ?」

高遠の言葉に、はじめは反応して、少し、顔を上げた。

高遠はそのまま、言葉を続けた。

「ぼくと離れられるのが、嬉しいですか?」

「…………」

はじめは、答えずに、また、俯いてしまった。

ふたりの間に、沈黙が落ちた。それは、永遠にも感じる、時間。

はじめは、何も答えない。

それとも、それこそが、答えなのか。

 

耐え切れないように、静寂を破ったのは、高遠だった。

がたりと、大きな音を立てて、椅子から立ち上がると、まるで、何でもないことのように、事務的な声を出す。

 

「わかりました。話は、それだけですね」

 

本当は、胸が、切り裂かれるような痛みを訴えていた。

 

すべては、脳が感じて判断していること。人の心も、確かにそこにあるはず。

なのに、どうしてこんなにも、この胸は、激しい痛みを感じるのだろう。

痛くて、痛くて、痛くて …苦しい。

けれど、それをはじめにぶつけて、どうするというのだ。

今までずっと、傷つけてきたのは、自分のほう。

はじめが逃げ出したいと考えるのは、当然だ。

 

心臓が、冷たく凍り付いてゆく感覚がしていた。

凍って、そのまま、壊れてしまいそうな、そんな感覚。

 

高遠は、はじめから眼を逸らすと、身を翻して、さっさと部屋へ戻ろうとした。そうしないと、何をするかわからない、自分が怖かった。

なのに、行こうとした瞬間、何かが高遠の腕を掴んで、それを阻んだ。

見ると、はじめが高遠の腕を、しっかりと掴んでいる。

「なんですか」

できるだけ冷静に、努めて冷ややかに、高遠は声を発する。

いつもと変わらない自分の声に、内心、ほっと息を吐いた。

 

「約束を、果たそうと思って…」

はじめは、真剣な顔つきで、高遠を見ている。

 

凍り付いていた胸が、また、脈を刻み始める。

はじめが触れている部分から、熱が、広がってゆく。

 

「何のことですか、ぼくは約束なんて知りませんよ。離して下さい」

早く、離して欲しい。そうしないと、自制が利かなくなる。また、傷つけてしまう。

高遠は、不機嫌そうに眉を顰めてみせた。けれど、はじめは離さない。それどころか、そのままベッドから立ち上がると、今度は高遠の首に腕を回して、そっと、くちびるを合わせてきたのだ。

高遠の目が、驚きに見開かれる。

「は、はじめ?!」

「…あの時、あんたに、全部あげるって約束した…だから…もう、今夜しかないから…」

言いながら、はじめはもう一度、高遠のくちびるに、自分のくちびるを重ねた。

 

抗えるわけが、なかった。

本当は、ずっと、こうしたかった。

 

はじめの身体を強く掻き抱くと、高遠はもっと深くはじめのくちびるを堪能しようと、指を、はじめの弱いところへと滑らせた。そんなに、長い関係でもないけれど、どこが感じやすいのかくらいは、知っている。

はっ、と、息を飲むように、はじめが唇を開いた隙間から、高遠は忍び込んだ。

はじめは、何一つ、嫌がらなかった。

今まで、あんなにも、頑なにキスを拒んでいたというのに、今は、一生懸命、高遠を受け入れようとしてくれる。

胸の中に、いとおしさが、募った。

 

もう、感情を抑える事なんてできなくて、はじめの身に着けているものを、すべて剥ぎ取ると、ベッドに押し倒していた。

はじめは、抵抗なんて、しなかった。

そう言えば、彼を抱くとき、今まで一度も、抵抗らしい抵抗をされた覚えが無い。

涙に濡れながら、それでもはじめは、高遠を受け入れて来たのだ。

初めてのとき、縛り付けて酷くしたから、怯えて、その後、とても抵抗なんてできなかったのかもしれない。

けれど、そうじゃないと、信じたかった。

 

自分も、着ているものをすべて脱ぎ捨てると、はじめの上に、そっと覆いかぶさる。

まるで、初めて経験したときのようにドキドキして、なんだか触れるのも怖い気がした。

と、はじめの手が、高遠の頬に伸ばされる。そして、やさしく慈しむように、はじめは手のひらで、高遠の頬を包んだ。

「はじめ…」

「…あんたの、好きにして、いいよ …今夜は、全部、あんたにあげる…」

高遠の下で、はじめの眼差しが、やさしく微笑む。

高遠も、はじめの頬に手を伸ばした。滑らかな感触に、涙が出そうな気がした。

「…好きだよ…きみが…」

するりと零れ落ちた言葉に、はじめの目が大きく見開かれた。頬に触れていた手が、震え出し、そして、怯えるように離れてゆく。

「…たかと…おれ…」

茶褐色の眼が潤むと、すぐに涙が溢れ出してきた。薄暗く部屋を照らすオレンジ色の光りを反射して、はじめの涙は、温かい光を宿しながら零れ落ちてゆく。

高遠は、そっと、その涙をくちびるで受けると、呟いた。

「嘘でもいい。これが最後なら、今夜だけ、ぼくのことを…好きだと…言ってください…」

「…うそ…でも…?」

高遠は頷くと、寂しげに微笑んだ。

「きみに、好きな人がいるのは知っています。…でも、今夜だけ… ぼくに、全部くれるんでしょう?」

はじめは、何かを考えるように、少し瞼を閉じて、そして、次に開いたときには、潤んだ瞳に、切なげな光りを湛えていた。

「……好きだよ、たかとお…」

はじめは、高遠の首に、腕を絡ませてきた。

 

ああ…

 

もう、充分だ。

もう、これ以上、なにも、望まない。

 

深くくちびるを重ねて、耳元で、何度も、愛を囁いて、すべてを、分かち合う。

自分の持てるすべてで、相手を慈しんで、深く、求め合う。

指を絡めて、自分の一番深い部分で、互いを、感じ合う。

 

普通の、恋人のように。

 

好きな人に触れることが、こんなにも幸せで、切ないものなのだと、この夜、高遠は、初めて知った。そして、はじめが自分の名を呼びながら、切なく喘ぐのを、初めて、聞いた。

 

充たされているのに、哀しかった。

これが、最後だと、わかっているから。

全部、嘘だと、知っているから…

 

 

 

 



「ねえ、はじめ…」

すべて終わった、事後の気だるさの中で、高遠は、はじめの胸に顔を埋めながら、呟いた。

「…ん…?」

はじめは、高遠のさらさらの黒髪をもてあそぶ様に、指に絡めたり梳いたりしている。

「あの歌を、ぼくに歌ってくれませんか?」

「…うた…?」

「前に、きみが窓辺で歌ってた曲です」

さすがにぴんと来たのだろう、すぐ傍で感じる、はじめの胸の鼓動が、少し早くなった気がした。

「〜〜〜立ち聞きしてたのかよ…」

「人聞きが悪いですね。聞こえてきたんですよ。隣の部屋にいるんですから」

「…そうか…」

この騙されやすさは、生まれつきなんですかね? 

高遠は、こっそりと胸の中で呟く。

「きみの声は、とても、心地良かった。だから、歌って? ぼくのために」

あの時のきみは、誰か、別の人のために、歌っていたから…

そう、胸の中だけで付け足す。

「…仕方ないなあ、特別だぞ?」

はじめの鼓動が、ドキドキと高鳴ってゆくのを、楽しげに感じながら、高遠は待った。

 

やがて、はじめのくちびるから、囁くように愛の歌が零れだす。

確か、女性ボーカルが歌っていたと記憶するその曲を、はじめはそのままのキーで歌えるらしい。綺麗な高音が、はじめの喉から紡ぎ出されてゆく。

胸に、耳を当てたまま、はじめの息継ぎの音さえ感じながら、高遠は目を閉じていた。

 

美しく、切ない旋律。

あなた無しでは、生きてゆけないと…繰り返し、歌う、ラブソング。

 

涙が、零れていた。

 

きみ無しで…ぼくは、真っ直ぐ歩いてゆけるのだろうか…

 

別たれた道は、もう、すぐ目の前に、あった。

                              05/11/14

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