Love Song 10


LOVE SONG ]

 

 

 

一日のうちで、一番、闇が深い時刻。

それは、夜明け前。

まるで、明け始めようとする世界を拒絶するかのように、暗闇の中に隠された何かを、手放すまいとするかのように、空間が深く沈黙する、時間。

 

何かに怯えるように、びくり、と、身体を震わせて、はじめは目を覚ました。

いつの間に、眠っていたのだろう。

何度か目を瞬(しばたた)きながら、はじめの頭は静かな覚醒を促す。

 

そうしているうちに、身体にぴったりと寄り添っている温もりがあることに気付いて、緩やかに首を巡らせた。

狭いシングルベッドの中のこと、少し動いただけで、それを確認することが出来る。

 

すぐ横で、綺麗な白い顔が、安らかな寝息を立てているのが、目に入った。

はじめの身体を、抱え込むように腕を回して、静かに彼は眠っている。

見つめながら、まるで、作り物のように綺麗な顔だと、はじめは思う。

この寝顔を見るのは、二度目、だったろうか。

確か一度目は、熱を出して、高遠のベッドで目を覚ましたときだったはず。

 

はじめは、自分を抱え込んでいる高遠の腕を静かに外すと、そっと、白い頬に触れた。冷ややかそうな見た目とは違って、意外と温かい、その感触。

と、高遠が、微かに身じろぐ。

起こすつもりは無かったのだが、彼の眠りが浅かったのだろうか。

途端、ピクリと、高遠の瞼が震え、ゆっくりと長い睫が擡げられていった。

 

「あっ…、ごめん、起こした?」

 

はじめのセリフに、けれど寝ぼけているのか、最初は何の反応も無く、ただ、ぼんやりとした眼差しを向けていた高遠だったが、やがて、はじめを認めると、穏やかに、幸せそうな笑みを浮かべた。

「…おはよう…はじめ」

言いながら、はじめの身体を、自分のほうへと抱き寄せる。

再び、高遠の腕の中に閉じ込められて、温かい素肌の感触に包まれて、はじめは目を閉じた。

 

以前は、恐怖にしか感じなかった腕が、やさしい温もりを与えてくれるものに変化したのは、いつだっただろう。

はじめを見つめる高遠の眼差しが、柔らかなものに変化して、どれくらい経つのだろう。

確かな安らぎが、ここにはあるような、そんな気がして、はじめも高遠の細い身体に、腕を回した。

互いの鼓動が、感じられるくらい、身体を密着させて。

ただ、静かに、抱き合って。

何も身に纏わない素肌の温もりに、なぜか、泣きたいような、切ない気持ちを抱きながら。

 

どれほどの時間、そうしていたのか。

 

「なあ、たかとお…」

ぽつりと、まるで独り言のように、はじめが、高遠の腕の中で、小さな声を洩らした。

静寂を破ることを、恐れるように。

その声が、あまりにも頼りなげに聞こえたからだろうか。高遠は、抱きしめていた体勢から、はじめの顔を覗き込むべく身体を起こすと、空いている方の手で、はじめの前髪を軽く掻き揚げた。

「…なんですか?」

言いながら、何度と無く、その動作を繰り返す。そして、はじめの眼差しが気持ち良さそうに、うっとりと眇められるのを、高遠はいとおしげに見つめた。

はじめは、もう一度、その柔らかな唇を、開いた。

「…たかとお、おれ、あんたに、ひとつだけお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」

思っても見なかったはじめの言葉に、少し、驚く。

今まで、一度たりとも、はじめの口から我侭の類など、聞いたことは無い。

「…ぼくに、できることなら」

頭で考えるよりも先に、言葉が、口をついて出ていた。

はじめの願いなら、どんなことでも、叶えてやりたかった。たとえそれが、どんな無理難題であったとしても、叶えてやりたい。

そんな想いが、胸の中に、溢れていた。

はじめは、高遠の言葉に、嬉しそうに笑みを浮かべると、少し、躊躇うように、唇に言葉を綴った。

 

「…今のままで…今のままのたかとおで、いて欲しいんだ。もう、以前のような、荒れたたかとおには、戻らないで…」

 

高遠は、目を見開いていた。

なぜ、はじめはこんなことを言うのだろう。

そんなことが、はじめの、願い?

 

「…きみ無しで…?」

「うん…」

「…きみがいなくても…まっとうに生きろと、言うんですね?」

「…うん… 今のたかとおになら…できるだろ?」

 

迷いの無い、眼差しで。

澄んだきらめきを湛えたままの、眼差しで。

自分に、何のメリットも無い願いを、口にして。

 

いつも、自分よりも、人のことばかりを考えて。

一番、傷ついているのは自分なのに、人の心配ばかりして。

平気なふりをして。

 

…そんなきみだから、ぼくは、惹かれたのかもしれないね…

 

高遠の手が、壊れ物にでも触れるように、はじめの頬に触れて、そっと、撫でた。

その手が、微かに震えていると感じたのは、はじめの気のせいだったろうか。

 

「じゃあ、ぼくからもひとつだけ、願いがあります。叶えて…くれますか?」

「…なに…?」

「いつかまた…ぼくと会ってほしい…ぼくが、きみの言う通りに生きていたら、いつか…」

はじめは、少しの間、何かを逡巡するような色を、その瞳に浮かべて。

そして、次に泣き笑いのような、表情を浮かべた。

「…いいよ。ずっと、ずっと、遠い未来でなら…また、逢ってやるよ…」

「約束ですよ?」

「うん…やくそく…な」

 

そのまま、口づけを交わして。

何度も、何度も、繰り返し。

まるで、離れることを惜しむ、恋人同士のように。

 

窓の外では、世界は蒼く、明け始めていた。

最後の夜は、もう、終わりを告げていた。

 

 

 

その朝、いつもはだらしなく制服を着ているはじめに、高遠はきちんと制服を身に着けさせていた。「一番上までボタンを留めると苦しい!」などと文句を言いながらも、はじめは結局、高遠の好きにさせてくれた。

綺麗に髪を梳いて、はじめに内緒で付けた首の後ろのキスマークを隠すため、髪は括らずに、下ろしたままにして。

けれど、そんなはじめの姿を目にした高遠は、奇妙な既視感を覚えていた。

真面目に制服を着て、長い髪を下ろしたままの、はじめ。

以前にも、どこかで、見たような…

食い入るように、はじめを見つめたままの高遠に、はじめは不思議そうな顔をする。

「なに、変な顔してんだよ」

「えっ?あっ、いや、なんだか、前にもこんなきみを、見たことがあるような…気がして」

そう答えた高遠に、はじめは、一瞬だけ、酷く驚いた表情を浮かべて。

そして次の瞬間には、なぜだかとても嬉しそうに、恥ずかしそうに、顔を綻ばせた。

まるで、花が開くような、そんな鮮やかな、初々しさで。

 

 

今も、高遠は、そのときのはじめの顔が、忘れられない。

たぶん、この先もずっと、忘れることはないだろう。

それは彼が、高遠に対して初めて見せた、心からの笑顔、だったと思うから。

 

終業式が終わって、高遠が部屋に戻ってきたときには、もうはじめの荷物は、すべて綺麗に持ち去られていた。

何もかも、消えてなくなっていた。

最初から、何も無かったかのように。

 

高遠は、そのまま扉を閉めると、しっかりと鍵を掛けた。

思い出をすべて、閉じ込めてしまうように。

 

 

 

 

あれから高遠は、はじめに一度も会ってはいない。

はじめが、どこの学校に変わったのかすらも、わかってはいない。

誰も教えてはくれなかったのだ。

教師に聞いても、校長に聞いても、わからなかった。

適当に誤魔化され、うやむやにされてしまうことが、何度もあったりした。

自分と、はじめの関係は、みんな知っていたはずだから、答えるわけにはいかなかったのかもしれない。

高遠自身も、自分が思いつく限りの手段を講じてはみたけれど、はじめの消息を知ることは、ついに出来なかった。

まるで、目隠しでもされているかのように、何一つ掴めないまま、今日に至っているのだ。

 

 

高遠が、はじめの部屋で懐かしい思い出に浸っていると、突然、ノックの音が、響いた。

まだ、朝、早すぎる時間。

こんな時間に、だれが?

それも、今は無人だとわかっているはじめの部屋を、廊下側のドアからノックされることなど、あるわけがないのに。

 

「…まさか」

……はじめ?

 

あるはずの無い微かな希望を抱いて、高遠は掛けてあった鍵を外すと、慎重にノブを回した。

胸の鼓動が、鼓膜のすぐ傍で鳴っているかのように、耳にうるさい。

ずっと、閉ざされていた扉の蝶番が、僅かに、軋んだ音を立てながら、開いてゆく。

 

その先には…

 

「こんな時間に…何の用ですか?」

憮然とした声が、口から零れ出ていた。

一気に、熱が下がったような感覚があった。

高遠の目の前には、色素の薄い髪を、妙にキラキラさせる技をマスターしているとしか思えない、元生徒会長が立っていた。

 

はじめが、想いを寄せているかもしれない、男。

自然と、表情が険しくなるのは、無理も無いことだろう。

「やっぱり…こちらに居ましたか…」

露骨に、ワザとらしく、目の前の明智はため息をついてみせる。

高遠が、黙ってそのまま扉を閉めようとすると、不敵な笑みを浮かべて、明智は言った。

「はじめくんのことを、知りたくはありませんか?」

ぴたりと、高遠の手が止まる。

「今日、きみがここにいたら、教えて差し上げようと思っていたのですがね」

射るような厳しい明智の眼差しを、睨みつけるように冷たい視線で受け止めながら、高遠はその薄い唇を開いた。

「…どうしてあなたが、はじめのことを知っているんです?」

「ぼくの家は、はじめくんのところとは、家族ぐるみの付き合いをしていますから」

勝ち誇ったように薄笑いを浮かべる明智に、無表情に向き合った高遠は、もう一度扉を押し開くと、身体を退けた。

「どうぞ」

苦々しさを含みながら、けれど、渇望に抗えない切実さを含んだ声で、高遠は言った。

 

「ひとりで…はじめくんのことでも、思い出していたんですか?」

「あなたには、関係の無いことだと思いますけど?」

部屋の中に入ってきた明智に椅子を勧めながら、自分はベッドに腰を下ろすと、長い足を組んで意味深に高遠は口の端に笑みを浮かべる。

「確かに、そうかもしれません」

椅子に掛けながら、明智は窓から見える、礼拝堂の尖塔に視線をやった。

「…ここからはじめくんは、いつも何を思って、あれを見ていたんでしょうね」

「どういう意味ですか?」

「…本当に…きみは、何も知らないんですね」

言いながら、明智は、今度は高遠に視線を移した。

窓から流れ込んでくる風に、明智の髪が揺れている。髪同様に色素の薄い、その眼差しの真剣さに、高遠は、居心地の悪さすら覚えたほど。

「きみは、はじめくんにあんなことをしておきながら、何一つ、知らないんですね」

責めるような響きを持つ明智の言葉に、高遠の胸の内に、形の無い不安が芽生える。

思わず、口を開いていた。

そんな思いを、誤魔化そうとするかのように。

「それは、どういう意味です?わけのわからない事を言って、この前の雪辱でも晴らしたいんですか?」

 

一月下旬にあった、実力考査。

実質、この学校で受ける最後の試験を、高遠は明智を抑えて、トップの成績で終えることが出来た。それは高遠が、はじめとの約束を守って、彼がいなくなってからも、真面目に生活をしていた証に他ならない。

今現在、すでに終わっている共通一次も、間違いなく通っているはず。自己採点では、納得のいく数字を叩き出せていた。

 

今の高遠にとって、はじめとの約束が、心の縁(よすが)になっていることは否めない。

離れてみて、自分がどれほどにはじめを愛していたのかを、改めて思い知ったといっても、過言ではない。

はじめの願いを、彼からの初めての要求を、自分は叶えてやる事でしか、彼と繋がる術を持たない。

いつか、逢えると信じて。

その時、彼に対して恥ずかしくない人間に、なっているために。

 

でも、それは、いつ?

はじめは、本当に、ぼくと逢ってくれるの?

 

明智の言葉は、高遠の中に、奇妙な影を落としていた。

何かが、引っかかる。

それは、はじめといた頃にも、感じたことのある、不安。

酷く嫌なものが、胸の奥に、重く冷たいものを感じさせていた。

 

「くだらないことを言う」

明智は呟くと、軽蔑するようなため息を吐いた。

「…あなたは一体、はじめの何を知っているというんです?」

苛立ちを隠せない高遠の言葉に、明智は哀しげな揺らぎを、一瞬だけ、その瞳に浮かべた気がした。

「そうですね、きみの知らない真実を、知っていますよ」

 

風に煽られたカーテンが、ふたりの間を遮るように、ばたばたと激しくはためいた。

窓の外からは、まるで、打ち寄せる波のさざめきの様な、常緑樹の葉擦れの音が聞こえてくる。

上空で唸る風の音は不安げに響き、すべての温もりを、容赦なく奪い去って行くかのように感じられた。

 

「窓を閉めても構いませんか? 少し、冷えますね」

明智はそう言うと、高遠の返事を待たずに立ち上がり、流れるような動きでそれを閉める。

室内に、突然降りる、静寂。

まるで息絶えたように、カーテンは、その活動を止めていた。

 

何も言えないでいる高遠を前に、もう一度椅子に座りなおした明智は、一冊の本と思しき代物を上着の中から取り出すと、高遠に差し出した。

「…なんですか?これは?」

怪訝な顔をしてそれを見下ろす高遠に、明智は、とても静かな表情で、口を開く。

「これは、はじめくんの『心』ですよ」

言っている意味を図りかねて、高遠は明智の顔を見つめた。

静かで、そしていつも自信満々の明智らしくない、どこか哀しげな空気を纏いながら、彼はじっとその本に視線を落としている。それは、鍵のついた、かなり重厚な造りの、分厚いもの。

「高遠、これははじめくんの、日記です」

「はじめの…?!」

「ええ、受け取りますよね?」

明智の言葉を聞くまでも無く、高遠は黙って手を差し出すと、それを受け取った。

かなり使い込んだのだろう、角の擦り切れたそれは、黒い皮の表紙に守られて、すべての秘密を閉じ込めているかのように、沈黙している。

「なぜ、あなたが、これを…?」

受け取った日記を、大事そうに手の中に収めながら、高遠は聞いていた。

「…もっともな質問、ですね。…それは、はじめくんから、直接ぼくが預かったものです。ぼくの判断で、きみに渡すのかどうかを、決めてくれ、と」

「なぜです?」

高遠が顔を上げると、明智は厳しい表情を浮かべて、真っ直ぐな視線を向けていた。高遠も、負けじと視線を返す。

しばしの沈黙が、凍てつく空気を、張り詰めたものに変えていた。

室内だというのに、互いの吐く息は、白い。

 

「…なにを…どう話せばいいのか…」

明智が視線を窓の外に逸らせた瞬間、張り詰めていた空気が、緩んだ気配がした。

高遠は、迷い無く答えた。

「すべてを」と。

 

 

                       05/12/08

                                                               

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     すいません、話の都合上、この学園の卒業日程を、通常の高校とは
     違うものに変えてあります。
     お話だということで、笑って見逃してやってください(汗)。
                                        −竹流−







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