Love Song 11


LOVE SONG ]T

 

 

 

「きみは、はじめくんの母上が、彼がまだ幼い頃に亡くなったことを、聞いていますか?」

 

明智が、何の脈絡も無く、そんなことを言い出した。

そんなことが、今のはじめに何の関係があるのかと、高遠はいぶかしんだが、とりあえずは話をしてもらっている身。否と、素直に答えておいた。

「…そう、ですか… 彼は本当に、何も、きみには話さなかったんですね…」

明智は、高遠に視線を戻すと、少し複雑な色を、その瞳の中に混ぜた。

「そう、さっきから何度も言われなくても、わかっていますよ。はじめは、ぼくには何も言いませんでしたから」

睨みつける厳しさを持って、明智の眼差しを受け止めていた高遠だったが、突然、ふっと視線を逸らすと、寂しげに呟いた。

「…嫌われていたのかもしれない…とは、何度も、考えました。…彼には、酷いこともしましたからね…」

酷薄な笑みを、その紅い唇に、浮かべて。

なのに、そんな高遠の姿は、明智の目には、酷く苦しげに映った。

常に自信に満ちた、不遜なまでの態度を見せる普段の高遠は、今は、影も見当たらない。

明智の、まだ知らない感情に苦しんでいる一人の男が、目の前にはいた。

 

「…はじめくんを、本気で愛していたんですか?」

明智の言葉を聞いた途端、傍目にもわかるほど、高遠は身体を強張らせた。

そのまま数瞬が過ぎて、やがて、ゆっくりと、高遠は明智に顔を向けた。

氷を思わせるほどに冷たく、そのくせ、燃え盛る炎を感じさせる瞳が、明智を映している。

月の色を映した虹彩が、暗く鮮やかな光を纏っているのを、明智はただ、見ていた。

「…あなたが、それを聞くとはね…」

感情を抑えた声で、高遠は言う。

はじめに愛されているという自信がそんなことを言わせるのかと、表面の冷静さとは相反する、憎悪にも似た感情が、高遠の胸の内に沸きあがる。

と、明智が、口元に皮肉めいた笑みを浮かべた。

「きみは、何か勘違いをしているようですね? ぼくとはじめくんとは、ただの幼馴染で、それ以上のことは何もありませんよ?」

 

きみのようにはね…

 

言外に、含みを持たせた物言いに、高遠は神経質そうに片眉を上げたが、それ以上、反論はしなかった。

「…あなたの言うとおりですよ。ぼくは、はじめを愛してる。今も、ずっと変わらずに…」

そう言って、瞼を閉じた。長い睫が、高遠の白い肌に影を落とす。

微かに、震えているように見えるそれが、彼の想いの深さを代弁している気がして、明智は少し、視線を逸らせた。

「その言葉を聞いて、安心しました。まあ、今、きみがここにいることこそが、その証拠なのでしょうけどね」

冷たく狭い、無人の部屋には、暖房器具など置かれてもいない。2月の、この寒い時期に、あえて今、ここにいる理由。

はじめを想って。彼の面影を、求めて。

それ以外に、あるはずも無い。

「だからこそ、その日記を渡したんですから…」

明智は、高遠の手に渡った日記帳に視線を落とした。

「…そうですね… ぼくが、最後に彼と会ったときのことを、話しましょうか…」

 

記憶の糸を手繰り寄せるためになのか、明智は静かに、眼を、伏せた。

 

 

 

 

 

明智がはじめに会ったのは、八月の最後の週末だった。

蜩が、命の限りとばかりに、夏の終わりを告げていた。

盛夏の頃とは違う、少しばかり秋の気配を感じさせる風が、吹き始めていた。

 

夏休みも、あと僅かというその日の朝、朝食の席で、突然、明智は父親から「はじめくんがおまえに会いたがっている」と聞かされたのだ。

はじめの父と親交の深い、自分の父。

何を知っているのか、「会ってきなさい」とだけ言い、その場所を明智に告げた。

こんな言い方をする時、父親は何を聞いても答えてくれないのを、明智は経験上よく知っている。だから、そのまま何も聞かずに、不思議な思いで、教えられた場所に向かった。

なぜ、こんなところにはじめがいるのかという疑問が、明智を急き立てたのかもしれない。

午後から入っていたゼミは、すべてキャンセルした。

 

 

そこは、都内でも有名な、国立病院。

半信半疑で訪ねたその病室のネームプレートには、確かに、はじめの名前が書かれている。

信じられない面持ちで、明智はそのドアをノックした、が、返事は聞こえない。

開けてみると、手前にバス、トイレ付きの少し上等な個室で、その向うに、ベッドが設えてあるのが見えた。

一歩、病室の中に足を踏み入れると、微かな歌声が聴こえた。

聞き覚えのある歌だと、その瞬間、明智は思った。

そのまま静かに、明智が中に入ってゆくと、濃茶の髪を無造作にひとつに束ねた少年が、電動で動くのだろうベッドを、背もたれの高さにまで起こして、何を考えているのか、ぼんやりとした眼差しを、開け放したカーテンの向うに投げている。

呟きほどの微かな声で、古い愛の歌を、口ずさみながら。

 

晩夏とはいえ、まだまだ夏の眩さを残した光が、彼の姿を照らしていた。

なのにその姿は、今にも消えてしまいそうなほどに、儚く見えて。

一瞬、明智はその場から動けなかった。

 

気を取り直して、明智が部屋の壁を軽くノックすると、少年は、大きな眼をさらに大きく見開いて、明智の方に顔を向けた。

その瞳には、さっきまでは無かった、現実を映す光が宿っている。

 

「明智さん?」

はじめは、瞬間、疑問を投げかけるような声で、明智の名を呼んだ。

「すみません、驚かせましたか。一応、ドアをノックしたんですが、返事が無かったので勝手に入らせてもらいました」

明智は穏やかに微笑みながら、はじめの傍に寄ると、持ってきた見舞いの品を、軽く持ち上げて見せた。

小さな籠に入った、果物の盛り合わせだ。

「花がいいかな、とも考えたんですが、きみにはこっちの方がいいと思いましてね」

明智の言葉に、はじめは、クスリと小さな笑みを洩らす。

「ありがと。こっちが呼んだのに、なんだか、気を使わせちゃったね」

はじめは、痛々しく、点滴のチューブを絡ませた腕を差し出すと、それを受け取った。

明智の目には、その腕が、随分と細く映った。いや、腕だけじゃない。今、目の前にいるはじめは、明智が記憶しているそれよりも、明らかに痩せている。

抜けるように白くなっている肌は、はじめがこの夏の間中、ずっとこの病院に入院していたことを物語るのだろう。

酷く、血色の悪い顔色が、その日に焼けていない肌を、さらに青白く感じさせた。

 

「ごめんね、今、誰もいないんだ」

「じゃあ、ぼくが、何か剥きましょうか?」

はじめの手から、また籠を取り戻すと、サイドテーブルの上にそれを置きながら、明智は言った。普段と変わらない態度をと、意識しながら。

「ううん、お客さんが何言ってんだよ。気持ちだけで嬉しい。とりあえず座ってよ。あっ、それとも、なんか飲む? そこの冷蔵庫に、適当にジュースとか入ってるから」

「ああ、ありがとう。でも、咽喉は渇いてませんから、お気遣いなく」

はじめ自身は、今までとなんら変わらない口調で話し、明るい笑顔を見せている。

明智も、おどけた口調で笑顔を返していた。

なのに、そんなはじめを見ながら、胸の中で不安な想いが頭を擡げるのを、明智は止めることが出来ない。

 

なぜ、はじめはこんな所に入院しているのか。

なぜ、今まで、黙っていたのか。

なぜ、今になって、父親ははじめに会って来いと、告げたのか、と。

 

窓辺の棚には、少し萎れかけた花束が、無造作に、白い陶器の花瓶に活けられている。

それ以外には、特に飾り気も無く、寂しい病室。

それは、見舞いに来る人が殆どいないことを、示唆しているかのよう。

 

明智は、気まずくなりそうな雰囲気を払拭しようと、何気なく、さっきはじめが歌っていた曲のことを聞いた。

「さっきの曲、随分と古い歌を知ってるんですね。バッドフィンガーの『without you』でしょう? なんだか、きみらしくない歌で、ちょっと、驚きました」

明智が、そう話を振ると、はじめはなぜか、少し、寂しそうに笑った。

「…ああ、うん。親父がさ、おれがガキの頃によく聴いてて、覚えちゃったんだよ」

「おじさんが?」

「うん、母さんが死んでから、家にいるときには、いつもあれを、繰り返し聴いててさ… あの人は、死んだ母さんのことが、とても好きだったんだ」

そう言って、明智が見たことも無い、哀しげな、大人びた表情を浮かべる。

「ガキの頃には、どんな内容の歌なのか全然知らなかったけど、『あなた無しでは、生きてゆけない』って、歌だったんだよね…」

明智が、まずいことを聞いたかと、困っていると、ふいに、はじめが口を開いた。

「…おれ、じつは明智さんに…頼みたいことがあってさ」

突然、はじめは、穏やかな眼差しで、明智を見つめた。

けれど、逸らすことすら許さない真剣な光が、その瞳の中には、潜んでいる気がして。怖いくらいの決意を秘めた光が、その瞳の中には、隠れている気がして。明智は、思わず、息を飲み込んでいた。

 

「…なんでしょうか? ぼくにできることなら、お手伝いしますよ?」

自分の中にある不安を、はじめには悟られないようにと、明智は言葉を選んだ。何を緊張しているのか、快適な温度に保たれているはずの室内で、背中には汗が伝っている。

「ありがと、明智さんなら、そう言ってくれると思ってた」

嬉しそうに微笑むはじめを見ながら、けれど、胸の内の不安は、なおも大きくなってゆく。

微笑み返す自分の笑顔が、強張っていないことを祈りながら、明智は子供の頃、はじめによくそうしていたように、よしよしと彼の頭を撫でた。

明智の行動に、一瞬、目を見開いて。それでもすぐに、懐かしそうな表情を浮かべて、はじめは目を閉じた。

 

「おれ、ずっと、明智さんが兄さんだったらいいなあって、思ってたんだ」

目を閉じたまま、小さな声ではじめは言う。

その声に、諦めの色が滲んでいる気がして、明智ははじめの顔を、見つめた。

そうして、はじめの意外と長い睫が、少し、湿り気を含んでいることに気付く。

瞼は、潤んだ瞳を隠すために閉じられたのだろう。

明智は何も気付かない振りをしながら、言葉を返した。

「ぼくは、きみのことを、本当の弟のように思っていますよ?」

「ほんと?」

明智の言葉に、はじめの瞼が、まるでばね仕掛けのおもちゃみたいに開かれて、大きな褐色の瞳が明智を捉えた。零れない程度の涙が、目の端に溜まっている。

「ぼくも、一人っ子ですからね、兄弟が欲しかったんです」

やさしげに微笑む明智に、はじめもまた、微笑み返して。

「うん、…ひとりは…寂しいもんね…」

そう、答えながら、視線を逸らすと、大きな瞳を微かに眇めて、窓の向うの空を見つめた。

「はじめくん?」

「ごめんね…おれは、明智さんの弟には…なれないや」

口元に、笑みを止めたまま、悲しそうな声音で、はじめは諦めたように呟く。

「一体どうしたんですか?」

あくまでもやさしい明智の声に、堪え切れなかったのだろう。

はじめは、一粒だけ、涙を零した。

 

「…明智さん、何も言わないで、おれの話を聞いてくれる?」

零した涙を拭いもしないで、再びはじめは、真剣な眼差しを明智に寄越した。

まるで、ガラス細工のように、儚げな透明感を湛えた瞳は、今にも壊れてしまいそうで。そのくせ、何処か、すべてを超越した力強さも、感じさせてその不確かなアンバランスさを内包したまま、はじめは明智を見つめている。

 

こんなにも、綺麗な少年だったのかと、明智は、たった今、気がついていた。

いつも、日に焼けて、少年らしい笑顔を見せて、人懐っこくて、少しだらしなくて。何処にでもいる、普通の少年だと、思っていた。ただ、誰よりも澄んだ瞳で、確かな正義感を、その胸の内に秘めた少年だとは、知っていた。けれど、目の前のはじめは、そんなものでは括れない、そんな単純な存在ではないのだと、明智に思い知らせる。

小さな頃から、知っていたはずなのに、自分は一体、彼の何を見ていたのだろう?

 

高遠は…確かにぼくより、見る目があるのかもしれませんね。

 

明智は、はじめの頬に零れた涙を、そっと親指で拭ってやると、微笑んだ。

「いいでしょう。恋の悩みでも何でも、聞いてあげますよ。きみのお兄さんですからね」

 

明智の言葉に、本当に嬉しそうに。

けれど、今にも泣きそうに。

はじめは、口元を歪めた。

 

 

to be contenued

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     4ヶ月ぶりの「LOVE SONG」です。
     長いこと、放置状態ですみませんでした(汗)。
     まだ、もう少し、続きます。
     長いお話になってしまい、申し訳ありません!魚里さま!!
                                         −竹流−
     








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