LOVE SONG ]W


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「おまえは眠って、未来で目覚めるんだ」
そう言った父親の言葉に、はじめは何をどう答えていいのか、わからなかった。
「今まで、寂しい思いばかりさせてすまなかった。でも、これが父さんがおまえにしてやれる、ただひとつのことだったんだ」

メガネの奥の瞳を潤ませながら、はじめの父はそのいきさつを説明し始めた。
もう、あとどのくらい生きられるのかと自分の命を諦めていたはじめに、本当は未来の可能性があるのだと。

「うそ…」
「嘘じゃない。父さんの友達は優秀な男だよ。あいつならきっと、おまえに未来をくれる。おまえは病気を治して、死んだ母さんの分も生きるんだ」
「父さん…」
「もしかしたら、父さんが生きている間に、おまえが目覚めることは無いかも知れないが、それでも、父さんはおまえに生きていて欲しいんだよ」
そして、父は母が死んで以来、初めて、はじめの身体を抱きしめた。
「大きくなったな、はじめ。今まで、寂しい思いをさせてしまったな」
そう言う、父の声は涙声だった。
何度も何度もはじめの頭をなでながら、すまなかったと、生きてくれと、繰り返す。

温かい腕だった。力強い腕だった。

はじめは涙が溢れるのを止めることが出来なかった。次から次へと、涙は溢れ出してくる。
自分は愛されているのだと。今までもずっと、愛されていたのだと。
その幸福感を、伝える術などないと思えるほどに、はじめは幸せを感じていた。
愛して欲しいと願っている人から愛されているということが、どれほどの喜びであるのか。それを受け入れることができるのが、どれほどの幸福であるのか。

愛されてはいけないと、我慢していた自分が間違っていたのだ。
気が付かなかっただけで、愛は常に、そこにあったのだから。

はじめはそっと、自分を抱きしめる父の背中を抱き返した。幼かった頃に、そうしていたように。
父親の背中は、随分と小さいと感じた。自分が成長したのだ。それは当たり前のことだろう。
それでも、とても大きくて暖かいと思った。
そして、とてもやさしく暖かい…

そんな父の温もりに、ふと別の人の体温を思い出す。まるで違った形で、自分にぬくもりを与えた人…

ただ、一人の面影が、はじめの胸の中を満たしてゆく。
最後まで本心を見せなかった、見せられなかった…ただ一人の姿が。

こんなことなら、あの人にも伝えておけばよかったのかもしれない。
もう二度と、会うことができなくても。
それでも、おれの本当の心を。
ずっと、隠し続けていた、おれの…

目を閉じるだけで、思い出せる。些細なしぐさも、ほんの小さな癖も。
全部、絶対に忘れまいと、見つめ続けてきたのだから。


高遠。たかとお、おれ、本当は…

出会った頃に、記憶は遡ってゆく。



はじめが高遠を初めて見たのは、中学の入学式での在校生の祝辞の時だった。
当時、まだ二年生になったばかりでありながら生徒会長だった高遠は、こんなに綺麗な男がいるのかとはじめが驚くほどに、丹精に整った容姿をしていた。明智も相当なものだったが、高遠は、それとは違う美貌を備えている気がして、自分の気持ちがざわめくのを、はじめは生まれて初めて感じた。
その頃の高遠は知的でまじめで、多くの生徒たちの憧れの的だった。いや、憧れられていたという点においては、彼が荒んでいた高校の時も同じだったろうか。
とにかく、当時、遥か高嶺の花であったのは間違いない。
他の生徒同様、はじめもまた、高遠に憧れを抱いていた。

そんな高遠とはじめが、身近に接する機会が、実はただ一度だけあった。

当時はじめは背が小さく、在校生との対面式の日にも、一年の最前列に並んでいた。
その日に限って運悪く朝寝坊をし、制服はきちんと身に着けたものの、髪を結わえる時間がなくて、伸びた髪を下ろしたまま、列に並ぶはめになってしまっていたのだ。
更に運が悪かったのは、そんな自分的にだらしの無い格好になっている時に限って、高遠がすぐ目の前に立ったことだろう。あろうことか、はじめのクラスは1組で在校生の真横。進行を勤める高遠が、一番近い位置に来るのは当然といえば当然なのだが。
近くで見る高遠は、本当に綺麗で。はじめは長い髪を肩に垂らしたまま、恥ずかしさに赤くなった顔を上げることさえ出来なかった。
何でこんな日に限って、寝坊するかな…
自分を呪いたいと、心底思っていた。

妙に長く感じられた対面式も無事終わり、ようやく教室に帰れるという段になったとき、高遠がすれ違いざまに、はじめにだけ聴こえるように囁いた。
「君は、とてもかわいいですね」
「えっ?」
不意打ちだったせいだろうか、一瞬、恥ずかしさも忘れ、驚いて顔を上げたとき、視線が絡んだ。彼の目は、綺麗な金色に近い虹彩を煌かせながら笑っていた。
それは、少年から大人それへと、声変わりが始まったばかりの少し掠れた特徴のある声。
交わしたのは、ただ、その一言だけだった。

なのに。

人が恋に落ちるのに、時間も理由も必要ないのだろう。
はじめは、その瞬間、恋に落ちた。
誰も好きになるつもりは無かった。その覚悟で、全寮制の男子校に入学したと言うのに。
一つ年上の高遠という男の存在は、憧れとはまるで違う形で、強くはじめの心の中に焼きついて離れなくなってしまったのだ。
いつも気がつくと、彼の姿を探していた。彼と言葉を交わしたのは、あれきりだったけれど、それでもはじめの心の中に芽生えたモノは、消えてなくなってはくれなかった。
はじめの日記は、いつも高遠のことから書き出しが始まってしまうほどに。

やがて、高遠が高校に進級し姿を見かけなくなっても、はじめの日記から、高遠のことが書かれない日は無かった。
彼に憧れる者の間でも、彼の話題を聞かない日は無かったのだが。


高遠が高校に進級してから暫らく経った頃だろうか。変な噂が中等部にまで聞こえてきた。
それは、彼が酷く荒れ始めたのだという嫌な噂。
はじめには、にわかには信じられないものだった。
いつも品行方正で、薄く紅い唇に穏やかな笑みを絶やさなかった、あの彼が。
教師の信も、生徒の信も厚かった彼が…と。
その日の日記は、いつになく落ち着きがなかったと、今でもはじめは記憶している。

けれど、その理由を後から知った時に、彼も何かに絶望したのだと言うことが、はじめには理解できた気がした。
幼い頃から、早くに死んだ両親の代わりに高遠を育ててくれていた祖母の死。それは彼にとって、とても大きな喪失であり、出来事だったのだろう。
はじめがすべてを諦めてしまったのと、同じように。

ふと、自分に何か出来はしないかと、生まれて初めてはじめはそう思った。自分さえいなくなればとさえ考えていたはじめが。
彼のために。
この世界でただ一人、自分が愛した人のために。
でもきっと、それが為し得たとしても、この想いを告げることは決して無いだろう。
それでもいい。何一つ報われなくていい。彼のためになら、自分のすべてをなげうってもかまわない。
そんな悲劇的とさえ言える想いを抱えながら、はじめは次の年、高校にあがった。


高遠は、噂どおりに荒れていた。けれど、時折取り巻きを連れて歩いている彼を見かけたときは、心臓が止まるかと思うほどに胸が高鳴った。
彼は、以前にも増して美しく成長していたのだ。
教師の評判はすこぶる悪いが、相変わらず生徒に人気があるのは、そのせいもあるのだろう。大人びた彼は、触れられることを拒むかのように刺々しく、そのくせ暗く艶やかなその存在感は、まるで、闇に咲く紅い薔薇の花を思わせる。
中学の時の、生徒会長の清冽な印象はどこにもありはしなかったが、それでも、高遠に対するはじめの想いは変わらなかった。いや、むしろ、彼が何か事を起こしたと聞く度に、まるで自分のことのように痛々しい気分に陥ってしまう。

はじめは、ただ信じていたかっただけなのかも知れない。
本当の高遠は、そんな人ではないと。

高校での日々を過ごす中、高遠を見かけることはあっても、彼に接する機会はなかなか訪れなかった。学年も違い、もとより何の接点も無いのだから、当たり前と言ってしまえばそうなのだ。何の関係もないのに、自分から飛び込んでゆく勇気もない。そのくせ、高遠が遊び相手を変えたと耳にする度に、胸は軋むように痛む。
そんな資格など、自分にはないとわかっているのに。心とは厄介な代物だ。
しかも、この頃から、自分の身体の調子がおかしくなり始めていることに、はじめは気がついていた。
まだ、たまにだが、胸が苦しくなる。時々熱も上がってくる。自分が考えていたよりも早いが、おそらく、病気が発症し始めた兆し、なのだろう。

…そっか、おれ、もう時間が…無いんだ…

まるで空洞になった胸の奥で、ぼんやりと他人事のようにはじめは考えていた。
だが、そんなことは、もう随分と昔から覚悟していたこと。
自分がいなくなったとして、この世界の何が変わるというのか。
きっと、何も変わりはしない。
教室では、空席がひとつ出来るだけ。父親たちは、また忙しく仕事に没頭してゆくだけ。
生まれてきた意味など、考える暇もないほどに、短い人生…

胸の空洞を、風が音を立てて通り過ぎてゆく。そんな気持ちがしていた。
涙すら出ない。
いや、自分のために流す涙など、疾うの昔に枯れ果てている。と言ったほうが正解か。
でも、それでも、心残りだけは遺したくなかった。
それほどに、好きだった。自分のことよりもずっと、大切だった。

早くどうにかしたい、どうにかしなければ、と気持ちは焦ってばかりいるのに、どうにも出来ないもどかしさ。
そうこうしているうちに、偶発的にあの佐木の事件が起こったのだ。

焦っていたとはいえ、自分でも、よくあんな勇気があったものだと、今更ながらに驚く。
実はあの時、たまたま通りかかった風を装ってはいたが、佐木が絡まれ始めた時点で気が付き、あの近くまで走っていた。
走ることで、自分の身体に負担が掛かることも、いらぬ介入をすることで自身の身に何が起きるのかなど、まるで考えもせずに。
けれど、あれがきっかけで、高遠に近づくことが出来たのだ。
決して好きだと気づかれてはいけない、大好きな人の傍に。

想像していた以上に、随分、ひどい目にも合わされた。
でも、それでも本当は幸せだった。好きな人の傍にいられて。肌に触れられて。
周りからも色んな嫌がらせを受けたりしたが、そんなこと、気にもならないくらい幸福だったのだ。

時には思いもしないほどに、優しくされて。
最後には、好きだと…言われて。

まさかと思った。何も望んでなどいなかったのに。
心がどうにかなってしまいそうなほどに、嬉しくて嬉しくて。
もう、いつ死んでもいいと思えるくらい、嬉しくて。
なのに、その想いに応えられない自分が、約束を守れない自分が、何も悟られてはいけない、告げられない自分が。
つらくて、切なくて…どうしようもなく苦しい。

胸が、痛くて痛くて。すべてを吐き出してしまいたいのに…それだけは絶対にできない。
置いて行く側の人間が、応えることなどできるわけがない。
何も知られてはいけない。
演技し続けなくてはいけない。
嘘をつくことだけは、思い込むことだけは、慣れているはずだ。
そう、何度も自分に言い聞かせ続けた。最後まで。

はじめが傍にいるようになってからというもの、高遠は、本当に変わった。
はじめの信じていた通りの人だった。
綺麗で清冽で、自分にはもったいなさ過ぎて。
それだけで、十分だったのに。
あの最後の日、髪を下ろした自分を見て、見覚えがあると言われた時は、本当に驚いたし、嬉しかった。
頭のどこかで、中学生だった頃の自分のことを、まだ覚えていてくれたのだと。

だから、もういいと、思った。
もう十分だ。これ以上は何も望まない。
そう心に決めて、あの部屋を後にした。
二度と逢うことは無いと、覚悟して。泣きそうになる自分を、叱咤して。



ごめんね。
おれ嘘つきだから、本当のこと、何も言えなくて、ごめんね。
誰も愛しちゃいけないって。
誰からも愛されちゃいけないって。
本気でそう思ってたから。
だから。

ごめんね。
あのとき、本気で応えられなくて、ごめんね。
果たせない約束をして、ごめんね。

おれの日記に、書いてあるから。全部書いてあるから。
おれのことなんか忘れて、早く次の人を見つけて幸せになって欲しい。

もしも、あんたが元に戻る助力になれたのなら、おれはそれだけで満足だから。
それだけで、おれは幸せだから。

大好きだよ。たかとお。
誰よりも、一番好きだよ…
だから、本当に幸せになって。



to be contenued

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