プロフェッサーにはかなわない
「おい、あれっ」
真崎の声に、他のふたりが反応する。
「あ」
「プロフェッサー!」
「しーっ。声がでかいって」
須藤の口を押さえながら、真崎が、言う。
「どこ行くんだ」
「あいかわらず、美人だよなぁ」
溜め息交じりで見惚れるのは、池田だ。
春休みである。
まぁ、春休みにつるむのが、やっぱり学友というあたり、淋しいというか、溜め息物ではあるが、気心が知れてるだけに、気楽で楽しいというのも、否めない。ひとしきり春休みの一日を満喫して、腹ごしらえに出かけてもう一遊びと、若者の特権を享受していた彼らは、暮れなずみはじめた町で、見かけてしまったのだ。
人出の多い街角で、それと知れる、黒のコートの後姿。
すれ違いざまに足を止める男女が多数。男女の差なく頬を染めているのは、ご愛嬌か。
「あいっかわらず、フェロモン垂れ流しだよなぁ」
池田が、つぶやく。
「その気になったら、たらせない相手なんていないだろ」
「っつーことは、あれでもセーブしてるってことになんないか?」
だよなぁ………。
うらやましい。
それが、本音だろう。
さすがに大学ともなれば、彼女のひとりやふたり、ほしいと思ってしまう。
別に、見てくれはそう悪くないと思うのだが。ついでに言えば、高倍率を勝ち抜いた、医大生なのだが。
「なんで、俺らには、彼女ができないんだろうなぁ………」
はぁ――と、盛大に溜め息をつく三人である。
溜め息をつきながら、三人は、なぜか、プロフェッサーのあとをつけている。
なんとなく、ふらふらと――抗いがたい、誘惑ではあった。
ウィンドウに映るプロフェッサーは、あいかわらず整った顔立ちで。心持ち持ち上がっている口角と、少し垂れた目尻、弧を描く細い眉が、こういってよければ、色っぽい。教壇では、氷の美貌と呼ばれるクールフェイスは、どこに行ってしまったのか。
「待ち合わせ?」
須藤が、首を傾げた。
「かもな」
「デートかぁ」
池田が、空を仰ぐ。
頭の中では、美男美女の構図が踊っているのだろう。
「おーい、イケっ」
「戻って来いって」
「そうだ、おまえは、重大なことを忘れてる」
少し前の交差点での出来事を、真崎も須藤も、覚えている。いや、記憶から消そうにも、消せないのだ。
「プロフェッサーの相手は、高校男子だ」
掌への、キス。
公道で、周囲を綺麗に無視しておこなわれた、求愛行動に、いろんな意味で、鳥肌が立った。
求愛行動―――――
あれから何かで知ったのだが、掌へのキスは、
『あなたがほしい』
という、意味なのだそうだ。
ということは、あの、冴えない高校男子に、プロフェッサーが求愛しているということで。彼らの思考は、あの時、一時停止したのだった。
「じゃ、じゃあさ、待ち合わせの相手は、あの高校生?」
現実に立ち返ってきた池田が、
「真崎の後輩の、不動高の生徒かぁ?」
ぼそりとつぶやいた。
「落ちたかな?」
「落ちたっしょ」
「相手は、プロフェッサーだぜ」
ある意味怖いもの見たさだった。
三人の大学生は、距離をとって、プロフェッサーの後をつけている。
と、やがて、のんびりとしかし、流れるように優雅な動きで、プロフェッサーは、一軒の店の扉を開けた。
軽やかなベルの音。
店員の心地好い、接客の声。
しかし、三人は、強張っている。
店に入っていないのに――だ。
「プロフェッサー………」
「さすがというか」
「今日って」
「なぁ………」
「バレンタインだったよな」
「勇気ある」
固まった三人は、有名なショコラティエが売りの店先から動くことができなかった。
明るくおしゃれな店内が、大きな一枚ガラスのショウウィンドウから、素通しだった。
さんざめいていた店内が、微妙に、静かになっているような気がするのは、思い込みだろうか。
プロフェッサーは、ショウケースは無視して、店員に、何か話しかけている。
にっこりとうなづいた店員が、奥に消えたと思えば、しばらくして、包みを持って、現われた。
「もしかして………」
「特注?」
「だな」
やがて店から出てきたプロフェッサーは、やっぱり、雰囲気が、やわらかい。
あれで、告白されたら、誰だって、瞬殺にちがいない。
「俺らなにやってんだ?」
「デバガメ」
「だよな」
「でもさ」
「ああ」
「ここまで来たら意地だよな」
三人は、やっぱり、プロフェッサーの後をつけるのだった。
そうして、
「うわ〜」
「なんか」
「お約束というか、ベタというか」
彼ら三人には今のところ無縁な、某有名どころの老舗ホテル、そのロビーで、彼らは、ソファにへたりこんでいる。
「俺ら、かんっぺき、浮いてるって」
「う〜ん。あっちもこっちもカップルばっか」
仲むつまじそうなカップルから、不倫か? と、疑いそうなカップル。たまには、同性で、もしかしたらカップルかもと思えるような二人連れもいたりして。
「一人身には、こたえるねぇ」
その日何度目かの溜め息をついて、三人は肩を落とした。
「おい、あれ」
やっぱり、それに気づいたのは、真崎だった。
「ああ〜」
「ビンゴ」
「落とされちまったか」
セーターにジーンズ、それに、ジャケットにマフラー。何の変哲もない格好で、あの日見た、不動高の生徒が自動ドアを潜り抜けた。
どこか、憮然とした表情なのが、微妙かもしれない。
きょろきょろと、ロビーを見渡して、視線が、プロフェッサーを捉える。
一瞬の、躊躇。
しかし、コートを手に、近寄ってきたプロフェッサーに、それも消える。
にっこりと微笑まれて、少年が、真っ赤になった。
三人が見守る中、ふたりは、ゆっくりと、エレベーターホールに消えていった。
「あ〜あ」
「気づかれてたとはねぇ」
「ほんっと、ひとが悪い」
彼らのソファの脇を通り過ぎざま、
『君たち、そんなに暇なら、課題を出しましょうか』
と、プロフェッサーにささやかれたのだ。
「ま、しょせん、俺らは、パンピーだからな」
「そうそう」
「プロフェッサーさまには、かないませんって」
三人はソファから立ち上がり、ホテルを後にした。
「あー寒い」
「ほんと」
「一人身が身に染みるねぇ」
とっぷりと暮れた夜の街に、三人は、まぎれていった。
バレンタインの夜の出来事だった。
おわり
start 15:55 2006/02/14
up 17:00 2006/02/14
あとがき
一応高金のつもりなんです……。シクシクxx
玉砕xx
そういや、もしかして、高金でバレンタイン物って、はじめて? かもしれない。
ともあれ、少しでも楽しんでいただけると、御の字です。