キス
暑い。
滴り落ちる汗に、不快指数が上がる一方だった。
待ち合わせの駅前広場は夏休みだからか、いつもより人混みが大きい。
空の青さがヤになっちまうぜ―――
キャップを目深にかぶりなおして、オレは腹を括る。と同時に諦めた。
いや、ほら、あそこ。
このくそ暑いのにサマージャケットをしっかり着こなした男が、オレに気づいて手を振った。
派手な動きじゃないってーのに、人目を自然に集めてしまう。
それまでの気配の断ちかたとは、正反対だ。
え? ってはじめてあいつのことに気づいた感じで、同じく待ち合わせをしているんだろう女の子やおねーさんたちが、頬を染めて凝視してる。
中には、自分から進んでナンパしようとするツワモノもいたりして。
ああ、派手だなぁ。
で、すっぱりと断られた女の子たちの視線が、あいつの待ち人であるオレに集中するわけだ。
痛いって。
怖いんですけど。
鈍いって言われるオレでも、こんだけ集中砲火を浴びれば、わかります。
すみませんね。
あいつの待ち人が、オレみたいなガキンチョで。
肩を落として、視線を地面に向けて、オレは、
「ごめん、高遠。待たせたな」
それだけを言うのが精一杯だった。
「いいんですよ。突然呼び出したのは僕ですから」
やわらかな口調には苦笑じみた響きが混じっている。
実際笑ったに違いない。
周囲のざわめきが止んだからな。
いつもこうなんだ。
舞台上での口の端を引き上げるだけの冷ややかな笑いもぞくりとくるけどな。
こういうやわらかな口調のときの笑顔は、周囲の言葉を奪うくらい花がある。
鼻先をかすめるグリーン系のコロンのかおりまでもがよりいっそう爽やかに感じられて、それまでの不快指数までもがどこかに行っちまうような錯覚に捕らわれる。
でもって、オレはますます顔を上げられなくなるんだ。
「じゃあ行きましょうか」
パンッ!
軽い破裂音は、オレが、高遠の手を払ったからだ。
思わずというか、条件反射というか、なんというか。ごく自然な流れでオレの肩に手を回してきたんだよ。
人前でやるなよなっ!
いつもだったら睨むんだけど。
ギャラリーが多すぎる。
悪びれもせずに、軽やかに笑う高遠が、
「あいかわらず照れ屋ですね」
なんて、耳元でささやいて、オレは一気に体温が上がるのを感じた。
「じゃあ、とりあえず、迷子にならないようについてきてくださいね」
譲歩してくれたのを感じて、
「わかった。悪かったな」
と、我ながらぶっきらぼうに返したのだった。
『地獄の傀儡子』高遠遙一といえば、今や知らないものもいないだろう、世界的なイリュージョニストだ。
そんな男が、なんでオレみたいなふつーのガキと待ち合わせしてるかって言うとだな……その、まぁ、一応お付き合いなんていうのをやってる間柄だったりするわけだ。
もちろん、まだ、お友達だ。
あくまでもおともだち!
まだ――っていうのは、ちょっと複雑というかなんと言うか。ひとことでいってしまうなら、「お友達からはじめましょう」という状況だったりするからだ。
うん。
オレとしては、ぜひともそこでストップしていただきたいんだけどな。
けど。
あいつは、その、それ以上に進む気満々でさ。
経験値がゼロのオレなんか太刀打ちできねーぜって、スリルとサスペンスな毎日だったりするんだなこれが。
この振り回される状況が癖になったらどうしようという危機感もあるんだけどな。
溜息。
と、
「どうしました?」
半歩先を歩いてた高遠が突然振り返った。
「え? いや、なんでもない」
いつの間にやらプレイランドに入ってたらしい。にぎやかなメロディと客たちの声や、アトラクションのたてる音が、突然耳に入ってきた。
入場まで一時間くらい余裕で待つ覚悟してたんだけどな。
首をかしげて思い至る。
そういや、こいつ、特別招待券かなんか持ってたような?
だから早く入れたのか?
「さぁ、どこから楽しみますか?」
ゲートで貰ったらしいマップを広げて、高遠がオレを見下ろした。
「楽しかった」
絶叫系を全制覇して、オレはベンチにふんぞり返ってる。
そんなオレを見て苦笑しながら、高遠は、
「それはよかった」
言いながら、ジュースを手渡してくれた。
「サンキュ」
気前はいいし、やさしいし、オレが女だったらイチコロ……なんだろうけどなぁ。
「これからどうします?」
隣に座った高遠が聞いてくる。
今日は結構オレの言うことを聞いてくれるよなぁ。いつもはどっちかっていうとわが道を行く感じで、オレは振り回されっぱなしなんだけど。
「そうだなぁ」
空を見上げると、アトラクションが赤黒い中にきれいなシルエットを描いてる。イルミネーションもそろそろ瞬きだしている。
昼飯食ってから来たわけだけど、かなり遊んだなぁ。どうするか。
高遠と並んでパレードを見るって言うのはどうも、変な気がするしな。
なんて考えてると、腹が鳴った。
「とりあえず、腹が減ったし、帰ろか」
今日は楽しかった――と、言おうとしたオレの手をとって、
「じゃあ、どこかで晩御飯でも食べてから、送っていきましょう」
「いや、別に、送らなくても」
最後まで言わせずに、高遠がベンチから立ち上がる。
「さあ」
お薦めの店を予約してあるんですよ。
「へ?」
ちょっと待て。それじゃ、オレにこれからどうするかなんて聞かなくてもよかったんじゃ?
いつもの強引な高遠に戻った気がして、オレは焦った。
こうなると、オレの意見なんか無視するんだよなぁ、基本。
「付き合ってくれますよね?」
高い位置から見下ろして、にっこりと笑う。
「わかった。ひとりで立てるから」
差し出された手を断って、オレはしぶしぶ立ち上がった。
高遠がおごってくれる店はどれも外れがないから、美味いものが喰えてラッキーと考えを変えたオレだった。
実際、美味かった。
イタ飯を腹いっぱい詰め込んだオレは、結局断りきれずに高遠に家まで送られたんだ。
街灯が一個だけある薄暗い道ぶちで、オレは、
「今日はほんと楽しかったよ。ありがとうな」
と、言って家の門をくぐろうとしたんだ。
そのとき。
あ? も、お? も、なかった。
あっという間に抱きすくめられたと思うと、オレは、生まれてはじめて他人のくちびるを自分のくちびるで受けていたんだ。
軽く触れたくちびるはすぐに離れて、オレはただ呆然と離れてゆく高遠の白く整った顔を見上げてた。
「誕生日おめでとう、はじめくん」
高遠はそうささやくと、
「君の生まれてきた日に感謝を」
なんてつけくわえた。
そうしてきびすを返すと、後ろを振り返りもせずに、高遠は帰って行ったんだ。
オレはといえば、いつまでも残るキスの感触に、その夜は一睡もできなかった。
おわり
start 19:33 2009 08 10
up 20:59 2009 08 10
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