めばえはじめた想いを胸に |
めばえはじめた想いを胸に、あなたというあまりに貴重な存在に向かって………。 どこかで聞いたことのあるようなスタンザが、目覚めとともに頭の中にこだましていた。面白いのは、日本語で夢に出てきたということだろう。ここが日本だからだろうか。意識して日本語を使っているから、夢の中まで日本語に占領されているということなのだろう。それにしても、恋の詩とは。 (誰かの詩……ソネットだったはずですけど) 薄暗い室内のベッドの上で、高遠は天井を見上げながら詩の作者を思い出そうとしていた。 長期滞在中のホテルのスイートである。 額にあてていた二の腕をベッドにつき、上半身を起こす。するりと、なめらかなながれを見せて、掛けていた夜具が高遠の腰のあたりにわだかまる。 記憶の引き出しをかき回しながら、高遠は部屋をぐるりと見渡した。 (思い出せませんね) 有名な詩人………しかも、イギリス人の作品だったような記憶はあるのだが。 (詩じたいを間違って覚えているのかな) 夢の中の詩だけに、翻訳じたいが正しいとは言いがたいのかもしれない。 連鎖してでてこないことにもやもやを覚えながら、高遠はベッドから下りガウンを取り上げた。 カーテンの隙間から、白い陽射しがかすかに差し込んでいる。 壁のスイッチを操作し、カーテンを全開にする。 東京都心の風景が、はるか眼下に広がる。 街はすでに活動をはじめているようだ。 血管のように張り巡らされている道路は、ゆるゆると蠢くおびただしい車で埋め尽くされている。 二週間の公演が、無事終わった。いつものことながら神経を張り詰めたマジックショウが終わった翌日ということもあり、スタッフたちもさぞや羽目を外すことだろう。もっとも、まだ眠っているかもしれないが。 まだ朝の八時。無事公演が終わったことを祝って、昨夜はかなり遅くまでスタッフたちと飲んでいた。二次会三次会と、責任感もあってスタッフに付き合った。もちろん、楽しまなかったとは言わない。基本的に酒量を過ごす質ではないが、少しばかり、いつもよりほんの少しだけ多く飲んだ記憶があった。たしか、シャワーもそこそこにベッドについたのは、朝の五時ちかくだったろう。 三時間しか寝てはいない。 しかし、冴えてしまった頭は、もはや二度寝を許してはくれそうになかった。 まるでこどものように、休みが嬉しくて、早くに目覚めてしまったのだろうか。それとも……………。 高遠の整ったくちもとを、微苦笑がかすめて消えた。 まとわりつく酒精を洗い流そうと、ガウンを羽織っただけで、高遠はバスルームに向かった。 ◇ ◇ ◆ ◇ ◇前日のことである。 高遠は、連日訪れる客との会話を楽しんでいた。 金田一はじめ――という、雨の日に出会った少年は、日々高遠の中で存在感を強くしていった。 最高のシートを、彼のために毎日空けておくくらい、可愛いものだろう。 食い入るようにステージを眺める、少年の鳶色のまなざしが、高遠の緊張感を高めてくれる。 それは、心地好い陶酔だった。 ステージを終えて、控え室で交わす会話も、疲労を忘れさせてくれるものだった。 一見すれば鈍そうな印象の少年が、何かの拍子に鋭い洞察力を見せる。それこそが、高遠を惹きつけるひとつの要因だった。 長崎が突然会話を中断させるまで、少年の連れの三人を忘れて、少年を見つめていた。 スポンサーが訪れたために中座せざるを得なかった高遠が少年を待たせていた部屋へと戻ってきた時、なんとはなく、少年の雰囲気がおかしかった。 彼がドアを開けて入った瞬間、少年は身じろぎ、彼を刹那凝視した。すぐに視線は外れたが、彼を見ようとはしなかった。その空々しいまでのわざとらしさの原因を求めた彼は、少年の従妹だという少女が元凶だろうと、察しをつけたのだ。 年長の女性が、暇乞いをし、彼らが揃って退出しようとした瞬間、咄嗟に少年だけを引き止めたのは、その鳶色のまなざしが彼が戻ってきてすぐのあの一刹那以降、自分に向けられなかったせいだった。 もう一度ソファに座らせ、向側に座った。 いつもの真直ぐなまなざしが、自分を見ないことに、苛立ちを覚えた。 「いったい、どうしたんです。おかしいですよ?」 「……………」 しばらく無言だった少年が、思い切ったように顔を上げた。 顔が、青いような気がするのは、気のせいだろうか。 「あ、のさっ」 「はい」 「ショウ、今日で終わりだったよな。おめでとう。とっても楽しかった」 とってつけたように、少年が一気に喋る。 「ありがとうございます。楽しかったといってもらえると、嬉しいですよ」 「じゃ、じゃあ、オレ、これで帰るから」 そそくさと立ち上がろうとする少年の肩を、咄嗟に抑えてソファにもどしていた。 「そんなに急がなくてもいいでしょう」 再び顔を伏せた少年に、耳の後ろが熱くなる。 「フミたちが待ってるし」 「先に帰っているように、長崎に伝えさせますよ」 「で、でも」 「遅くなるようなら、家まで僕が送ってさしあげますから」 「い、や。それは、あんたに迷惑だろーから」 自分から、そんなに、離れたいのか―――と、怒りにも似た感情のうねりが、腹の底に芽生えはじめていた。 「迷惑じゃありませんよ。僕は、君と喋っているのが、とても楽しいのですから」 「そ、それは………」 弾かれたように、少年が顔を上げた。その鳶色の瞳を覗き込むと、戸惑いと焦りと、なにかわけのわからない感情のごった煮が、見えるような気がした。 彼は、狼狽えている? しかし、何に? 見当がつかなくて、 「僕が、なにか、君を困らせるようなことをしましたか?」 直接話法にでた。 「………あ、あのさ、」 「はい」 「違うよな」 「何がです?」 「フミのヤツが、あんたが、オレたちをショウに招待すんのは………って言うんだ。違うよな?!」 「肝心なところが聞こえませんでしたけど」 「あ、あんたは、オレんことが、好きなんだって、フミのやつが言うんだよ。そんなことないよなっ!」 真っ赤になって、肩で息をしている少年のことばに、どうしても、苦笑を抑えることができなかった。 仔犬がウルウルと見つめてくるようなまなざしで、少年が自分を見つめている。 ―――トクンと、ひとつ、鼓動が大きく響く。 自分の中で、今ひとつ捉えがたかった感情の正体を、その時、はっきりと自覚した。 この少年になぜ惹きつけられたのか。 この少年の存在が、なぜこんなにも自分の中で大きくなっていたのか。 (小学生の女の子に見抜かれるほど、あからさまだったというのに…………間抜けですね) 「自分で気づいていなかったなんて………」 「?」 「ええ」 少年の顔が、安堵に弛む。 「僕は、君のことが好きだったみたいです」 一瞬何を言われたのか、わからなかったのだろう。空白の表情の後、ギョッと、顔がひきつった。 「僕は、君を、愛しています」 「は………ハハハハハ」 衝撃が大きすぎたらしい。 気の抜けた笑いが、少年の口からこぼれ出ていた。 笑ってはいるものの、少年の顔は、無表情に近い。 がたがたと、テーブルに膝をぶつけながら、少年は立ち上がり、後ろ向きのままドアに向かおうとしている。 「大丈夫ですか?」 気遣うことばが口をついて出たものの、実際は、彼を控え室の白い壁に押し付けていた。 大きな鳶色の瞳が、驚愕と恐怖を滲ませて、見つめてくる。 逃げようともがく彼の足の間に膝をねじ込み、動きを封じる。 そうして、 「はじめ。愛しています」 彼のくちびるを、味わっていた。 少年のくちびるは、思った以上にやわらかく、甘やかだった。 全身の震え。 逃げ惑う、舌。 すべてが愛しくて、どうにかなってしまいそうだった。 くちづけだけで、我慢したのは、少年が、泣いていたからだ。 自分の感情だけに囚われて、これ以上余裕のないことをしてはいけない。そんなことをして、逃げられでもしたら………。そんなことを考えている自分に、高遠は、苦笑し、そうして、少年を抱擁するだけに留めて解放したのだ。 ずるずると壁伝いに床にしゃがみこんだ少年の髪をなで、謝った。 「すみませんでした。つい………」 「ばっかやろ……なんてこと」 荒い息に声が擦れている。 「ファースト・キスだったのですね」 真っ赤になった少年が、どうしようもなく愛しくて、 「どうしよう」 「な、にが……」 警戒心も顕わな少年が、愛らしくて、 「今夜、君を帰せなくなりそうです」 「!!」 固まりついた少年に、 「そんな、怯えなくても」 「ば……か、やろっ」 「大丈夫。怖がらなくても。今日は、これで帰してさしあげます」 「あんた、なにさまだよ」 「でも、明日、また、会ってください」 少年が、ふるふると首を振る。 「約束してくれれば、キス以上はしませんから」 「しなければ?」 「君のことを、このままここで………」 「そんなっ!」 真っ青になった少年に、ウインクをひとつ投げかけた。 「だったら、明日会ってくれますね」 「わ、かった。だから、帰してくれ」 立ち上がろうとして、腰が抜けたのか、立ち上がれない少年に、 「お手をどうぞ」 高遠は、手を差し伸べたのだった。 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇「明日です。はじめ、忘れないでくださいね」 はじめの家まで、高遠は彼を送り、車から逃げるように出ようとした彼を抱きしめ、約束とばかりに、くちづけた。 真っ赤になって逃げ帰った彼を見送り、そうして、高遠は、打ち上げに参加したのだ。 今日、はじめが、この部屋にくる。 だから、こんなにもはやく目が覚めたのだ。 「初恋ではないはずなのですけれど……ね」 明るい陽射しの射し込むバスルームで、バスタブにからだを沈めて、高遠は目を瞑った。 脳裏に浮かぶのは、金田一はじめの顔ばかりである。 知らず、高遠は、夢に現われたソネットをくちずさんでいた。 End
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高遠君はイギリスで育ったわけですもんね。はっきりとは言えないけど、きっと、学生時代にシェイクスピアは叩き込まれているはず。たぶん。いやまぁ、しかし、いつものことながら、よくこれだけ滅茶苦茶なのを書いたなぁ。
滅茶苦茶なタイトルですね。われながら(-_-;)
とある小説を読んでいると、この詩が引用されてたんですね。なんかもう、この引用の一行目(このタイトル)を読んだとたん、高遠くんだぁと、はしゃいでしまったのが、これを書こうと思ったきっかけなんですが。
訳が微妙に違うんですよね。なぜか、こちらに変換しちゃったのは、邪がそれだけ強かったということで。
本来は、『生まれかけていた私の思いを頭の中に埋葬し、あなたという(あまりにも貴重な)獲物に向かって、』となってます。 少しでも楽しんでいただけますように。