迷  路 1







 南国の天気は気まぐれだ。
 突然のスコールに、はじめは、駆け出した。
 すぐ止むとわかっていても、雨の量はかなり多い。止んだあとに襲いかかってくる、むっとする湿気と熱気が厭だった。
(なれねーんだよなぁ)
 ここ、S国の首都に、金田一はじめが父親の栄転に付き合わされて越してきて、ようやく半月が過ぎようとしていた。
 今週に入って、地元の高校に編入した。国際性を身に着けるのにはいい機会だ――などとのたまった父親が選んだのは、私立の高校だった。ただし、日本人学校ではない。中国系やタイやインドなど、さまざまな民族の学生に混じって受ける授業は、基本的に英語だが、一般的な日本の高校生をやってきたはじめにとって、授業のヒアリングだけでも手一杯だった。そんなわけで、まだ、友人の一人もできてはいない。
(まったくオヤジのヤツ)
 栄転だ。外国だ。と、慌しく越しては来たが、越してきたからといって、父と子ふたりの生活がさして変わるわけでもなかった。父親はあいかわらず仕事で飛び回っていて、滅多に家に帰ってこない。こんなんだったら、日本に残ってたほうがなんぼかましだよな――と、思わないでもなかったが、今更日本に帰っても、手続きが面倒だし、まぬけなだけである。
(とりあえず、慣れねーとな)
 英語だ、英語。
 とりあえず、それをクリアすれば、どうにかなる。
 かばんの中に突っ込んでいるMDには、今はポップスやロックの変わりに、英語のヒアリング用の教材が入っている。
 はじめが、地下鉄の駅に続く角を曲がった時だった。
 耳に痛い、甲高い音が、すぐ側でした。
 それが車のブレーキの音だとわかるのに、はじめは、数瞬を要した。
 水溜りに腰を落として、呆然と、目の前を、見る。
 ほんの少し、右の足首が痛いような気がした。
(捻っちまったかな)
 ついてないなぁと、立ち上がろうとしたはじめの目の前で、メタルグリーンの高級そうな車のドアが開いた。
 運転席から出てきたのは、ブランドの高価だろう服を着こなした、二十代前半くらいの青年だった。
 無造作にオールバックにした額には、数本の黒髪がかかっていて、その下には、濃い色のサングラスをかけている。
(な……んか、マフィアみたいだ………だったらどーしよう)
 背中に、冷や汗が流れる。
 隙のない動作で道路に降り立った青年は、グラスを取りながら、はじめに手を差し出した。
「ごめんねぇ」
 薄めの形良いくちびるが紡いだのは、全体の印象とやけに不釣合いな、少し間延びしたような口調だった。


 大丈夫だと言いつのるはじめを、青年――高遠翔(たかとうかける)は、近くだという自分のアパートへと招き入れた。
 アパートという響きから、つい、日本の住宅事情をイメージしたはじめだったが、今更ながら、ここが日本ではなかったことを実感していた。
 億ションもかくやというような、高層の物件のその最上階とそのすぐ下の階ツーフロアぶち抜きが、青年のいう自分の部屋だったのだ。
 そうして、はじめが通されたリビングは、三十畳は余裕でありそうな広い部屋だった。  用意されていた新品のバスローブを着て、リビングに出てきたはじめは、おいでと手招きする翔に近づこうとして、ふと足を止めた。
 瞬間、足首に痛みが走り、その場に尻餅をつくという醜態をさらしたが、はじめは気にもならなかった。
 はじめの意識は、壁に飾られている、数葉の写真に釘付けだったのだ。
「へぇすごいな……高遠さん、マジックが好きなんだ?」
 足が痛いでしょう――と、あいかわらずスマートな外見とは不釣合いな口調で喋りながら、自分の両脇に手を差し入れて、簡単に引っ張り上げた翔を、はじめは見上げた。 「これ、ランス・バートンと鳩だし……隣は、ザ・グレイト・トムソーニだ。マックス名人のアイスダイスに、うわ、ふたりのプロフェッサーだ。先代のプロフェッサー、ダイ・ヴァーノンと、今のプロフェッサー、カッパーフィールドじゃん。うわあ。マニアックだ。デビッド・ブレインまでいる。それに、日本人? ……ああ、前田知洋っ」
「目ざといね」
「すごい」
 いいなぁと、顔を輝かせて、はじめは、翔を見上げた。
「え、えーと……足、はやいとこ湿布しちゃいましょう」
 こほこほと何かを紛らわせるように、数度空咳をした高遠が、はじめをそのままの体勢で、ソファに下ろした。


 勧められるまま晩ご飯までご馳走になったはじめは、家にまで送ってもらったのだった。


「あれ、高遠さん。どーしたの?」
 学校の正門を抜けたところで、はじめの足が止まった。
 昨日のメタルグリーンのスポーツタイプとは違う、オーソドックスな黒のベンツのドアにもたれて、高遠翔が、はじめに手を振っていた。
「ちょっと、つきあってくれないかな」
 昨日の今日なのだが、
「いいけど」
「じゃ、どうぞ」
 助手席のドアを開けて、翔がはじめを促す。
「あ、足の具合は?」
「大丈夫! って、高遠さん、前。前見て運転しろって」
 真っ青になって、はじめが叫ぶ。
「誰だよ、あんたに免許証渡したの」
 何しろ、運転しながらはじめの足首に手を伸ばそうとするのだから、焦らないほうがおかしい。
「高遠さん、あんた、ドライバー向いてないって」
「そう? 女の子達は、上手だって喜ぶよ」
「お世辞じゃねーの?」
 肝を冷やされたお返しとばかりに、はじめが憮然と返した。
 男ふたりで心中なんて、たまったもんじゃない。
「ひどいな。はじめくんは」
 はは……と、後頭部を掻きながら、翔が笑う。
 それを見て、はじめは、かっくりと項垂れた。
「違う」
「はい?」
「違うって、高遠さん。そこは、笑うとこじゃなくって、怒るとこだって」
 昨日聞いた翔のプロフィールを思い出す。かなりでかい一族のぼんぼんだという話だが、偉ぶったところが少しもない。といえば、聞こえはいいのだろうが。……ともかく、外見だけは、好き嫌いは別として、パーフェクトに近いだろう。すらりとした八頭身で、自分を軽々と持ち上げたりするところから考えると、多分、着やせするタイプだ。でもって、少々垂れ目だが、女性がうっとりするだろう、ハンサムな顔。これで、性格もバランスが取れてたら、ほんと、贔屓の引き倒しだって、拗ねるところだが。性格が、人懐っこい上にぽやんとしてる。
(まぁ、だから、いいのかもしんねーけどさ)
 性格まで外見とバランス取れてたら、自分なんか、緊張して喋れないに違いない。
 こういうおおらかな性格だからこそ、昨日だって、ふたりしてマジックののマニアックな話題で盛り上がることができたのだ。
(今度、秘蔵のフィルム見せてくれるって約束してくれたし)
 ぼんやりと、助手席から窓の外を見ていたはじめは、
「ついたよ」
 のほほんとした翔の声に、我に返った。
 いつの間にか車の外に出ていた翔が、助手席のドアを外から開けてくれた。そのまま手まで差し出してくれる。
「手はいいって」
 オレは女の子かよ。
「あ、ごめんごめん」
 つい、癖でね。
 おいでおいでと、手を振る翔について、はじめは、訳がわからないまま、渋い外観の建物に足を踏み入れた。


   慣れないアスコットタイやカマーバンドに、はじめの手が、神経質に、動く。
「ごめんねぇ」
 連れが急用できちゃってね。
「だからって、昨日知り合ったばかりのガキを誘うか?」
 ちろんと横目で睨んだはじめは、
「ハンドルッ!」
 焦らずにいられなかった。
「頼むから、ハンドルから手ー放すなよぉ………」
「案外細かいね。はじめくんは」
「あんたが大雑把すぎるんだよ」
 だいたい、オレって、本来ボケ専門だったんだぞ……。
 そんなことを思うはじめだった。
 渋い外観の建物は、所謂オート・クチュールの紳士服専門店だった。
 時間がないと頼み倒した翔に、店主は、お得意様だからというわけで、神業の職人芸を披露してくれたのだった。
 そうして、はじめが今着ているタキシード一揃いは、わずか数時間で、仕立てあがったわけだ。
「だいたい、わざわざ作る必要ないだろ。どっかで借りるとかすればいいだけじゃん。無駄遣いだよ無駄遣い!」
 支払いの現場を見たわけではなかったが、たった数時間で作られたにしては、着心地はいい。アスコットタイやカマーバンドに慣れていないのを差し引いてもだ。
「だって、ついでだし。似合ってるからいいじゃない。ね」
「う〜〜〜」
 確かに、ついでだった。今、翔が着ているタキシードも、出来上がったばかりだから。もっとも、こちらは、数ヶ月前に注文しておいたものらしい。
 ついでに誂えてくれたのは、はじめの着ているタキシードだけではない。下のシャツから、ハンカチ、カフスボタン、靴下に、クツ。上から下まで、全部。その上、ヘアサロンまでだ。全部でいくらかかったのか考えるだけで、はじめの気は遠くなる。
「オレ、払えないよ」
 つぶやいたはじめに、
「それは、無問題。パーティに出るのは、僕の仕事みたいなものだから、そっちは、必要経費で落ちちゃうんだよ。だから、浅野くんが心配する必要は、まるっきりないんだ」
 にっこりと笑う、翔に、この日だけで、何度、はじめは脱力しただろう。
(なんか、家庭用に品種改良された大型犬に懐かれたって感じだぜ)
 犬に悪気はないのだろうが、力任せの愛情表現に、相手をするほうの飼い主が振り回されて辟易してしまう図というのを思い描いて、はじめは、ナビシートの背凭れに、どったりと背中を預けたのだった。


(成金趣味だな)
 一言で言えば、そうだ。
 金やクリスタルやブロンズや、シャンデリアに絵画、絨毯。下から上まで、いかにも金がかかっています風の豪勢な屋敷に、はじめはあっけにとられていた。
 その横では、翔が、男前度五割アップというくらいのにこやかさで、近づいてくる男女に挨拶を返している。
 たまに、はじめに話題が及ぶと、
「友人です。金田一はじめ。お見知りおきください」
と、紹介されるので、はじめも、ぎこちなく笑って見せていた。
「落ち着かないね」
 にっこりと笑う翔に、
「あんた、人気者なんだな」
 なんとなく返したのだが、
「ああ、それは違うよ。人気者なのは、僕じゃなくて、僕の、家や、一族。僕は、あくまで、付属品というか、看板ってとこかな」
 口調に、あれ? と、はじめは首を傾げた。
 ほんの少しだけ、言葉に毒があるように感じたのだ。
 見上げた翔の顔は、あいかわらずにこやかだ。けれど、整った口元に刻まれた微笑が、なんだか、奇妙な引き攣れに見える。
 はじめのまなざしを、翔が意味ありげに、受け止めた。
「ほんと。はじめくんは、案外細かいよね」
「悪かったな。小市民なんだよ」
「そういうとこ……」
「貧乏性だよ。どうせ」
「好きだな」
 するりとつむがれた台詞に、はじめの瞳が、丸くなる。
「は?」
「これからも、おつきあいしてくれると嬉しいな」
「あ、ああ。オレも、高遠さんと、友達でいたいけど」
「……………よかった。じゃあ、僕たちは、友達同士だね」
「う、うん」
 なんだよ、この会話。大学生と高校生の会話じゃないだろ。
「じゃあ、手始めに、翔って呼んで」
「か、翔さん」
「駄目だよ、はじめ。“さん”はいらない」
 ちっちっちと、目の前でメトロノームのように人差し指を振られて、
「わかったよ、翔」
 はじめは、腹を括ることにした。
 ようやく、翔に挨拶をするひとたちが途切れ、ふたりは、ブッフェ形式のテーブルを回っていた。
 はじめが皿に取った量を見て、
「小食なんだ。だから、軽いんだよ〜」
「いや。違うって、翔。オレ、こんなとこ初めてだからさ、ちょっと、食べられそうにないだけだって」
「それでもだよ〜。育ち盛りなんだから、取るだけは取っておきなよ。案外入るかも知れないしね」
 それに、枯れ木も山の賑わいって言うだろ。
 ふにゃりと邪気のないような笑顔で、翔が、テーブルからかなりボリュームのありそうな数品を取り分ける。
「いいって。そんな、胸焼けしちまうって。それに、そういうあんたは何だよ。さっきから酒ばっかじゃん。帰り、あんたの運転する車、乗んないからな」
「え〜、じゃあ、どうやって帰るの?」
「タクシーがあんだろ」
「こう見えても、事故ったことないんだよ〜」
「じゃあ、昨日のはなんだよ。あれ、事故だろ?」
「事故かなぁ?」
 首を傾げる翔に、
「ともかくっ! 帰りは、あんたの運転する車にだけは、オレ、乗んないからねっ」
 腕組みをしてそっぽを向いたはじめの耳に、
「では、私の車で送りましょうか」
 低い声が、割り込んできた。
「に、兄さん」
 うろたえたような翔の声に、はじめが、振り返る。
 そこには、翔そっくりの青年が、グラスを片手に佇んでいた。
 それは、翔とは相似の、違いといえば、他人を威圧する雰囲気を持った青年だった。
「珍しいですね。兄さんが、パーティーに出席しているなんて」
「たまにはね。それより、連れが女性じゃないなんて、珍しいですね。翔。紹介してもらえますか」
「あ。はい。友人の、はじめ郁也です。郁也、このひとは、僕の兄で、遙一といいます」
 見下ろしてくる視線のきつさに、はじめの喉がひりりと渇いた。
 忘れていた、タイとベルトの感触を思い出して、はじめの手が落ち着きなく泳いだ。
「よろしく」
 差し出された手を握り、きつく握りしめられた。
 驚いて見上げた視線の先で、遙一がその口元に、太い笑みを刻んで見せていた。


「うわっ」
 心臓が痛いほどに喚いている。
 闇の中、目覚めの後の冷ややかな現実が、悪夢を凌駕していた。
「水……」
 闇に、次第に目が慣れてゆく。
 だるさを堪えて、はじめは、ベッドサイドの飾りテーブルに手を伸ばした。
 切子のタンブラーから、グラスにミネラルウォーターを注ぎ、一気に飲み干す。
 こぼれた水滴が、糸を引くように、裸の胸へと伝い落ちる。その感触に、ぶるりと全身が震えた。
「はぁ………」
 はじめのくちびるから、深い溜め息がこぼれ落ちた。



つづく


start 10:43 2005/04/13
up 20:53 2005/04/13
リメイク16:31 2005/05/21


あとがき
 長らく更新なしなので、急遽極道なスライドモノ。でも、どうしても、以前に湧いてた高遠くん双子モノが頭の中にちらついて仕方なかったんですよっ。胡乱な雰囲気を漂わせつつ、続いてしまう……つくづく極道モノですみません。
 それでは、少しでも、楽しんでいただけるといいのですが。
 ちょこっと気になるところを直してみました。というか、ミステリでもいいんですが、なんかイメージが違うので、マジックに変更。
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